愛知県 2005.11.5

往年の癒し系アイドル、松山容子のボンカレー          

市場や国民の食生活まで変えてしまう商品がある。
「ボンカレー」は市場規模2500億円のレトルト食品の元祖。保存食といえば缶詰しかなかった時代に、約2年間の研究開発期間を経て、1968年(昭和43)大塚食品工業より世界初の一般向けの市販レトルト食品として発売されたのが「ボンカレー」である。何よりも、3分間お湯で温めるだけで旨いカレーが食べられるということが驚きだった。発売時の小売価格は一人前80円で、当時の大衆食堂のカレーライスが100円ということから、高くて売れないという批判もあったそうだ。
しかし、世はインスタント時代。手軽さが受けて、しかもそこそこ美味しいとくれば売れないはずがない。にきびだらけの中学生の頃は学校に持っていき、蒸し器で暖めて弁当箱のごはんにかけて食べた。これは冬の風物詩で、教室中にカレーの臭いが充満したものだ(笑)。
大学に入り山登りに夢中になると、単独行のテントの中で、満天の星空を眺めながらひざを抱えて食べていた(笑)。懐かしい青春の一頁だが、今でも時々食べたくなるから、ずい分と長いつき合いなのだ。
さて、そんな「ボンカレー」が息の長い大ヒット商品になった理由として、忘れちゃいけないのが全国津々浦々に42万枚も貼られたという琺瑯看板を使った広告戦略である。

▼ 「ボンカレー」の顔になった、松山容子
大塚グループは「オロナミンC」の大村崑、「オロナイン軟膏」の浪花千栄子、「ハイアース」の水原弘、「アース渦巻」の由美かおるといった、タレントの顔モノ看板による広告宣伝を展開しており、「ボンカレー」の顔になったのは、当時の人気女優・松山容子だった。
1960年(昭和35)「琴姫七変化」で女優デビューした彼女は、1937年生まれなのですでに70代前半のお年。同番組は1962年(昭和37)まで放映されている。
1958年(昭和33)生まれの僕は、「琴姫七変化」をリアルタイムで観ていたという記憶がある。おそらく当時の人気番組のひとつだったのだろう。凛々しく美しいお姫様の大立ち回りが大好きで、風呂上りの銭湯の脱衣場で、亡くなった爺さんの膝にちょこんと座り、白黒テレビのブラウン管を食い入るように眺めていた。
元祖お姫様スターと呼ばれた松山容子は、1971年(昭和46)に芸能界を引退するが、ボンカレーのCMに出てきたときは、お姫様から一転し、落ち着いた若奥様という印象だった。
今でも看板の中で優しく微笑む彼女を見ると、妙に癒されてしまうと感じるのは、僕だけだろうか。

▼ボンカレーの歴史 [出典参考:Wikipedia]
Wikipediaによると、ボンカレーを発売するきっかけとなったのは、会社にあった不良在庫のカレー粉をなくすために考えられたといわれている。大塚化学薬品での約2年の研究開発期間を経て、1968年2月に、大塚食品工業[1]より世界初の一般向けの市販レトルト食品として発売された。ボンカレー発売当時の宣伝は「3分温めるだけですぐ食べられる」という内容のものであった。宣伝からも分かるように、保存性よりも簡便性を前面に打ち出しておりインスタント食品の一種として普及していった。また松山容子パッケージのもので味は野菜ベースであった。当時、営業マンが全国各地に、ホーロー看板を自ら貼りにまわって普及に努めた。1973年、落語家の笑福亭仁鶴が出演したテレビCMは、「3分間待つのだぞ」という台詞と「じっと我慢の子であった」の流行語を生んだ。
現在は、2005年から発売された「ボンカレークラッシック」が松阪慶子のパッケージで店頭に並んでいる。尚、松山容子バージョンは、2003年で終了し、沖縄地区のみ限定で継続販売されている。
最後にウンチクを一つ。「ボンカレー」のネーミングである「ボン」はフランス語で「美味しい」という意味があり、関西で言う「ぼん…坊ちゃん」のことではない。
かくいうわたくしは、しばらくの間、「お盆」と関係があるのかと思っていた(笑)。
今となっては、無知なるがゆえの笑い話である。

発見リスト…現在までの発見枚数44枚         

■ボンカレー初期タイプ(大塚食品・透明パック・着物の柄が白色、髪型が違う)       

下の写真は京都で発見したもので、1968年(昭和43)から阪神地区限定で2年間だけ発売された透明のレトルトパックがプリントされた看板である。透明パウチは合成樹脂のみの二層の加工であったため、強度に難があり、穴が開くなど事故が多発したという。また、光と酸素の透過性のため日持ちが悪く、この商品は短命で賞味期限も3ヶ月だった。
看板の特長としては、松山容子の着物が白地で、髪型もボーイッシュ。更に袋に入ったカレーをよく見ると、グリンピースも確認できる。これまで京都の他に徳島と香川で見つけているが、最近の情報では香川県の看板は、貼られていた食料品店の廃業により無くなったようだ。

■京都府京都市[2005.9.18]
■レポート掲載なし
■全国を探してもこの看板が現存しているところはほとんどないかもしれない。それだけに超珍品といえるかもしれない。いつまでも残って欲しいお宝だ。
■徳島県美馬市[2006.5.4]
探検レポート88
■うだつの町並みの田楽屋の軒下で微笑む松山容子。多くの看板サイトで取り上げられている日本でも一番有名なクリアパック看板ではないだろうか。

■ボンカレー初期タイプ(大塚食品・透明パック・着物の柄が青色、髪型が違う)

次は、マニアの間で超レアモノと目されている着物の色が青地のタイプ。先に紹介したものとどちらが古いのか不明だが、おそらく同時期に着物を着替えて2パターン撮影したのではないだろうか。
しかし、さすがに女優である。首の傾げ方や顔の表情は先のものと全く同じだが、よく見ると手の指の動きが微妙に違う。カレーについては、透明パウチで皿も同じデザインを使っているが、ごはんにかかった面積も違う(笑)。
下の写真の看板は愛知県の食料品店で見つけた。過去の記録では石川県金沢市内にもあったとされるが、今のところ現役で残っている発見例は、この看板以外では1枚のみである。
ただし、疑問が残る点もあり、透明パウチが阪神地区限定で発売されたということに対して、この2種類の看板が比較的広範囲に貼られた事実は何を意味するのか。愛知県や石川県、徳島県でも商品は販売されていたのだろうか、気になるところだ。


■愛知県[2005.11.5]
■レポート掲載なし
■これを見つけたときは、心臓がバクバクだった(笑)。まさか愛知県内にあったとは驚きだった。琺瑯狩りのターゲットにならずに、いつまでも残ってほしいお宝である。

■ボンカレー中期タイプ(大塚食品)

3枚目は1970年(昭和45)から改良発売された“アルミ箔入三層遮光性パウチ”になった「ボンカレー」である。
ロゴの配置やデザインは先の2枚を踏襲しているが、松山容子の表情や髪型、着物も違う。幾分年齢を重ねただけ、落ち着いた若奥様の雰囲気が溢れている。
カレー皿も変わり、新しくなったパウチには「甘口」のロゴが読める。この年から全国発売されただけあって、看板も全国で見つけている。下の左から1枚目の写真は福井県のレトロな食料品店にあったもので、通常は柱から張り出して設置されるが、これは板壁に直接貼られた例だ。

■福井県福井市[2005.3.26]
探検レポート18
■福井の探検も夕刻が近づき、ねぐら探しに入ろうとしてた。見通しがいい田園地帯にポツンとある食料品店で見つけた松山容子は、夕焼け色に染まっていた。
■福井県南越前町[2005.3.27]
探検レポート19
■今庄宿のはずれにひっそりと貼られていた。見つけたときに思わずどきりとした。それほどインパクトがあった。角を曲がって一直線に進んだ通りにごく自然に微笑んでいたからだ。
■岐阜県北方町[2005.5.7]
探検レポート31
■崑ちゃんとの競演は何も言うことがありません。探せばまだこんな凄いロケーションに出会うことが出来るんですねぇ。いつまでもツーショットで残ってくれることを望む。
■愛知県豊田市[2005.5.8]
探検レポート32
■自販機と自販機に挟まれるようにかしこまっていた。交通量が多い国道沿いに、あきらかに窮屈そうに微笑んでいた。いったいどれだけの人がこの看板に気づくだろうか。
■三重県亀山市[2005.5.14]
探検レポート33
■関宿の一番はずれの食料品店にあった看板。ほんの少しだけ覗かせているのはご愛嬌。僕に馬鹿力があったなら、自販機を動かしてぜひ対面したいですね。
■奈良県天理市柳本町[2005.5.14]
探検レポート33
■昭和30年代にタイムスリップしてしまったような食料品店に貼られていた。まるでつい昨日貼ったばかりのような新鮮さで、看板娘のごとく、齢70歳に近い名女優は微笑んでいた。
■福井県池田町[2005.6.18]
探検レポート40
■池田町のはずれの古びた食料品店。まさかとは思ったが、やっぱり松山容子が微笑んでいた。あやうく気づかずに走り去るところだった。うれしい邂逅。
■三重県松阪市[2005.7.17]
探検レポート46
■飯南町の小さな集落の脇道で、廃業した食料品店を見つけた。ガラス窓には仁鶴のボンカレーのシール。そして、よく見るとはるか高い位置に松山容子が笑っていた。
■富山県南砺市[2005.9.30]
探検レポート60
■商店街のはずれの現役で営業していた食料品店にあった。周りは古い板壁の塀が続き、看板の中の松山容子の着物が風景になじんでいるようだった。
■石川県志賀町[2005.10.1]
探検レポート61
■汐の香りが風に乗って漂う、町外れに一軒だけポツンと建っている食料品店で。汐にやられたのか、錆が浮いてかわいそうな表情だった。
■富山県立山町[2005.10.9]
探検レポート62
■廃業した食料品店で。トタン板やブリキ看板に挟まれるようにひっそりと貼られていた。脇には用水路が流れ、メダカがいっぱい泳いでいた。
■愛知県半田市[2006.1.15]
探検レポート71
■中期バージョン。駅に近い目抜き通りにあった。貼られていた食料品店は日曜とあって休みだったが、普段買い物に来る人たちは、気づいているのだろうか。
■愛知県清洲市[2006.2.4]
探検レポート74
■織田信長の城下町だった清洲には、規模は小さいながら古い町並みがある。本陣跡近くにある食料品店で、松山容子さんが出迎えてくれた。
■京都府木津川市[2006.2.18]
探検レポート76
■食料品やにひっそりと貼られた松山容子。しかし、車にぶつけられたのか、曲がってしまった姿が痛々しい。曲がったまま余生を送るのも寂しいねぇ。
■静岡県浜松市[2006.4.8]
探検レポート83
■浜松市の中心に近い交通量が激しい県道沿いで見つけた。それにしてもよくぞこんな場所にぁったなぁ、というロケーション。いつまでも残って欲しいなぁ。
■岐阜県多治見市[2006.4.16]
探検レポート91
■何度もこの商店街を通っているのに、気がつかなかった看板。埃にまみれていました。まさか自分が住んでいる町に松山容子がいるとは思わなかった(汗)。
■岐阜県多治見市[2006.4.16]
探検レポート91
■戦前から営業している乾物屋で。店主のおばさんが、「こんなのあるよ、オリエンタルカレー」と倉庫から出してきてくれました(笑)。
■茨城県桜川市[2006.7.29]
探検レポート100
■廃業した食料品店にあった松山容子。なんと迫力ある2枚貼りだった。背後のパンの看板もいけてます。
■熊本県八代市[2006.7.29]
探検レポート104
■壁の穴でもふさいだのだろうか、ヨコ向きに貼られた松山容子。違和感なくなじんでいるのがいいねぇ。
■栃木県[2007.3.3]
探検レポート121
■おばあさんが頑なにひとり守っている食品店で。この店には2枚のボンカレーがあった。これは後期バージョン。もう一枚は前期タイプだった。後ろの加山雄三が渋い!
■福井県敦賀市[2008.10.18]
探検レポート178
■創業60年の商店の道を隔てた倉庫にあった。張り出しタイプの看板だが、斜めに貼ってあるのが不思議。
■岐阜県瑞浪市[2009.5.6]
探検レポート195
■大塚食品のロゴが入った中期タイプ。人がようやく通り抜けできるような食料品店と民家の隙間にありました。
■京都府京都市[2012.4.8]
探検レポート258
■交通量が多い国道脇の廃業(?)した商店の壁に貼られた松山容子さんです。(おとんさん情報)
■長崎県佐世保市[2012.7.31]
探検レポート267
■交通量が多い交差点の角にあった食料品で見つけた看板です。中期か後期かタイプが分かりません。
■長崎県雲仙市[2012.8.1]
探検レポート268
■長崎県を代表する看板商店に貼られていました。
■岩手県奥州市[2012.8.25]
探検レポート271
■看板商店の向えにある民家の軒下に貼られていました。保存状態も良好です。
■愛知県西尾市[2012.12.22]
探検レポート272
■西尾は何度もホーロー探険で訪ねていますが、まったくのノーマークの場所にありました。


■山梨県身延町[2012.10.7]
探検レポート277
■身延山に行く参道の食料品店にありました。少し汚れがありますが、存在感を出しています。
 

■ボンカレー後期(大塚グループ/大塚食品48DT)

4枚目と3枚目の看板との違いは、右下のロゴが「大塚食品」から「大塚グループ・大塚食品」となっている。よく見ると「48」の数字が入っており、これは看板の製作年の昭和48年(1973年)を表している。
同様なケースとしては、同じ大塚グループの「オロナミンC」や「オロナイン軟膏」の看板にも見ることができる。
また、ホーロー加工も甘いようで、白く褪色する傾向がある。デザイン、レイアウトは中期タイプをそのままプリントしている。意外に残っていない看板である。


■福井県福井市[2005.3.26]
探検レポート18
■初めて遭遇した松山容子。よく見ると大塚グループロゴの後期タイプだった。食料品店の壁面にひっそりと貼られた看板は、懐かしさとともに強烈な印象を与えてくれた。
■愛知県瀬戸市[2005.11.5]
探検レポート64
■ブリキ看板ばかりのやたら貼りついた屋敷。よくみると…ボンカレーが隠れていた。しかも「大塚グループ・大塚食品」のロゴが入った後期タイプではないか。
■愛知県西尾市[2006.1.15]
探検レポート71
■食料品店の二階軒下に貼られていた。よく見ると、大塚グループ/大塚食品のロゴが。珍しい後期バージョンだった。このタイプは年月の経過とともに白っぽく退色するのが特徴。
■静岡県浜松市[2006.4.8]
探検レポート83
■情報によると、この店にはオロCの黄金バットバージョンもあったはずだが、すでに痕跡もなく、松山容子がひとり微笑んでいた。残念!
■栃木県[2007.3.3]
探検レポート121
■おばあさんが頑なにひとり守っている食品店で。この店には2枚のボンカレーがあった。これは後期バージョン。もう一枚は前期タイプだった。
■岡山県新庄村[2008.8.10]
探検レポート168
■全体が見えないので、中期か後期か不明。張出し看板なので、以前は店頭に貼られていたのだろう。
■新潟県上越市[2009.5.2]
探検レポート191
■入口から死角になるようなスペースに貼られていた。褪色が進行しているようだ。後期タイプ。
■福島県会津坂下町[2009.5.4]
探検レポート193
■店の入口から置く深くに隠れていた松山容子。後期タイプの看板ですが、保存状態も良好でした。
■兵庫県たつの市[2010.2.13]
探検レポート217
■張り出しタイプですが、そのまま柱に打ち付けられていました。最近、発見することがめっきり少なくなった看板です。
■富山県入善町[2010.5.5]
探検レポート224
■閉店状態の食料品店で。頭の上には綿の吊り看板がかぶさっています。それにしても悪いロケーション。
■大阪府大阪市[2010.7.19]
探検レポート229
■昔の遊郭跡が残る路地の奥を、更に入ったところにありました。すごいロケーションです。
■福島県北塩原村[2015.10.17]
探検レポート333
■老舗の蕎麦屋さんの壁にありました。落下しないように留め金で保護されていました。