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武雄遺産を探す

ユネスコのホームページで定義されている「世界遺産」の定義を、「武雄遺産」に読み替えてみると・・・
 
 『武雄には、市民が誇る文化財や自然環境があります。
[武雄遺産]とは、現代を生きる武雄市民と世界のすべての人びとが共有し、未来の世代に引き継いでいくべき市民共通の宝物のことです。
そこには、地方という概念はありません。自地域の文化と歴史を愛することは、日本および他国の文化と歴史を理解し、尊重することへとつながっているからです。
 武雄地方にある文化的・自然的・複合的に価値がある次世代に残すべき遺産を探してみましょう。』
 
と・・こんな感じですかね。
 
武雄遺産の紹介は、これまでに掲載してきた武雄地方の名所・旧跡が再登場することにもなると思いますが、あらためて「武雄遺産」的な視点でまとめていきたいと思います。
 
武雄の荒踊り
武雄の荒踊り
「1530年、武雄領主であった後藤氏が攻め込んできた島原の有馬氏を破った際に戦勝を祝い兵士が即興で踊ったことが始まりといわれる勇壮な舞。3地区の踊りには各所に違いが見られる。国指定重要無形民族文化財。」と武雄観光協会のホームページには紹介されています。
これは武雄市朝日町中野の荒踊り(2005.9.23撮影)です、他にも西川登町高瀬・東川登町宇土手で伝統芸能が伝承されています。当ホームページ「武雄市の郷土芸能」に関連写真を載せていますのでご覧下さい。
武雄の面浮立
武雄の面浮立
東川登町袴野の面浮立です、荒踊り同様彼岸の中日9月23日に奉納されます。「戦国時代、豊後大友氏との戦いに劣勢だった竜造寺氏の一団が、鬼の面をつけ敵軍に突入したところ、敵が総崩れし、竜造寺軍が大勝したことに由来する。現在行われている踊りでも、踊り手は戦の姿をしており、その踊りは迫力のあるもの:武雄市観光協会HP」と紹介されています。2005.9.23撮影
 
流鏑馬(やぶさめ)
流鏑馬(やぶさめ)
2005年で819年の伝統を誇る重要無形民俗文化財流鏑馬での騎射の勇姿です。毎年10月23日の武雄温泉秋祭りに武雄神社で奉射されます。
飛龍窯
飛龍窯
自宅から10分ほど車を走らせたところ、武雄市武内町真手野にある、世界一の登り窯「飛龍窯」です。
幅3.8m・奥行き8.9m・全長は23mで、この「飛龍窯」でお湯のみを焼くとすれば一回で12万個も焼くことができるそうです。1996年に焼き物の里武雄に世界一を造ろうということで建設されました。ただ、今年3月の福岡県西方沖地震で窯が損傷し、あと1回の窯焚きでその火が途絶えることとなっているということで、武雄遺産として記録しておきたいと思います。
最後の火入れは、平成18年2月12日10:00からだそうです。2005.12.10撮影
武雄の流鏑馬
武雄の流鏑馬
大切に、伝え、伝えて820年の伝統を誇る鏑流馬(やぶさめ)。詳しくは当ホームページ「武雄温泉秋祭り」「2006武雄くんち鏑流馬」をご覧ください。
大日堰付近地図
大日堰付近地図
このコンテンツ「武雄遺産」の作成を提案された「風来坊さん」から、成冨兵庫が築造したといわれている、治水・利水施設が橘町大日にあるらしいので武雄遺産にしたら・・との指摘がありましたので、早速付近の調査を行いました。地図は橘農協支所から西へ延びる道路を中心とした範囲で、大日堰・生見川・大日井手跡らしいものが確認できました。
 ただ、現在は近代的な水門となっており、当時の築造を忍ばせるようなものは、生見の石井樋の石ぐらいかなと思いました。
 治水・利水の考え方は当時のままらしく、以前武雄の河川事務所の所長をされていた島谷教授(九州大学)の文献にその解説がありますので、参考にしてください。      (http://www.valdes.titech.ac.jp/~kuwako/saga%201.pdf)
遺構が一体的に見えるのなら「武雄遺産」と呼んでもいいかなと思いました。
大日堰
大日堰
「大日堰水門扉 製造年月昭和58年3月」とのプレートが貼られていましたので、25年くらい前に作り替えられたものと思います。ここの位置に成富兵庫築造の石井樋があったらしいと思われます。2009.7.12撮影、以下5枚も同日
現在の水門
現在の水門
大日堰から上流方向を見たところです、左岸・右岸にそれぞれ水門が見えますが、現在はここで、潅漑用水を分水しているようです。「大日川水門」と書きましたが、プレートには「納手分水樋管」と記されていました。
生見川
生見川
文献によるとこの川は「横堤」の構造・機能を持っているとのことでした。写真の奥が石井樋となっています。
生見の石井樋
生見の石井樋
生見川の先端の井樋、近くで見ると石積みの跡がわかります。おつぼ山の石を使ったそうな。
大日井手
大日井手
文献に書いてあるような洪水調節のための野越しや象の鼻などの構造物は確認できませんでしたが、今でも潅漑機能は現役でした。

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Last updated: 2013/6/9
アルバム写真の説明などは手元に持っていた以下の本を参考にして記述しています。
「武雄の伝説」 真名子磯夫著 1964.3
     「武雄の長崎街道今昔」 松尾善章著 1993.10
「武雄市史」中・下巻