剛球伝説 元阪急 山口高志投手

メジャーリーグ史上最も速かった投手は?と聞かれると、多くの人は『ノーラン・ライアン』
を挙げるだろう。
5月31日にフロリダマーリンズのA.J.バーネット投手が104MPHを記録して話題になったが、
やはりここ米国においては多くのメジャーファンがこの『カリフォルニア超特急』が最速であった
と言う。
では、日本プロ野球史上最速投手は誰なのか?という議論を『豪球・速球投手列伝』の中に
でも論じたが、残念ながらスピードガンの無い時代の投手の球速を正確に測定する術がない
以上、特定することはできない。
400勝投手の金田が一番速かった、いや尾崎の豪球にかなうものはいないよ、いやパ・リーグの
打者を9連続三振に取った頃の江夏は伊良部や五十嵐より速かった…などとOLDファンに間では
議論が尽きないことでしょう。映像自体がまともに残っていない時代を含めると、過去の投手が
かならずしも現在の投手の球速より劣るという証拠もなく、日本プロ野球史上最速投手というのは
永遠に闇に包まれたままのようにも思える。
私自身、30年以上野球を観戦してきて、今までこの眼で見て最も速かった投手は?と聞かれると、
その印象度の強さから、『元阪急ブレーブスの山口 高志』と答える。
実は私のペンネーム『剛球伝説』は、山口高志投手の剛速球に由来している。
私自身は元々阪急ファンでもなければ山口高志投手を応援していたわけでもない。
山口高志投手の剛球を目の当たりにし、それ以降多くの速球投手を見てきたが、『この投手も速い
が山口ほどではないな』『この投手も球速だけは出るが山口ほどの威力のある球ではないな』
などといつの間にか山口高志を基準に速球投手を査定をし始めていた。そして結論としては、
『山口高志のストレートが最も威力がある』との伝説が頭の中に出来上がってしまった。



昭和50年(1975年)オールスター
私が一番最初に山口高志投手を見たのは赤ヘル軍団絶好調のこの年のオールスター戦である。
社会人No.1投手という評価で鳴り物入りで入ってきたのは知っていたが、ピッチングを見るのは
初めてだった。試合前に王選手が『どれだけ速いのか見てみたいものだね』と余裕で語っていたのだが、
いざ対戦してみると、全く速球についていけず手も足も出ずに三振。おそらく山口投手自身も短いイニング
なのでかなり飛ばしていたのでしょう。セ・リーグの各打者があまりの剛球に目が点になっていた。
但しノーコンの気があり、時々球が荒れる。巨人・高田の打席において、胸元辺りに速球が来たのだが、
あまりの速さに高田選手はそのままのけぞって尻餅をついてしまい、苦笑いを浮かべていた。

昭和50年(1975年)日本シリーズ
赤ヘル軍団の初優勝で広島の街中がお祭り騒ぎであった映像をテレビで見ていたが、この時は
まさか日本シリーズで山口高志の剛球に封じられ、一勝も出来ずに終わってしまうということを誰が想像
しただろうか?衣笠、山本浩二といった当時のセ・リーグを代表するバッターたちが手も足も出ずに三振
していく。しかもほとんど直球一本。小細工なしでひたすらキャッチャーミットめがけてミットを打ち砕かん
ばかりの剛球を黙々と投げ続ける。結果は阪急の4勝2分。広島は1勝も出来ず初めての日本シリーズ
を終えた。

伝説の数々
山口投手には伝説的な話には事欠かない。投げ終わった後、勢い余って地面に親指を突いて突き指して
しまった、投げた後に体が裏返り、バッターに背中を向けていた、高めの球に球審が目をつぶってしまった。
カーブは余り曲がらなかったが、「新幹線カーブ」と呼ばれ、他の投手のストレート位のスピードがあった。

山口高志を最速と主張する人たち
山口高志と実際に対戦した打者、または目の当たりに剛球をみた人たちの中には、プロ野球の一流選手
の中でも山口高志投手を史上最速ではないかと主張する人も少なくありません。ミスター赤ヘル山本浩二、
元ロッテ村田兆治、同僚だった山田久志投手、西本監督なども、最も速い投手として挙げている。

山口高志の関西大学時代の記録
2回生の時、全国大学選手権準決勝六大学優勝の法政大学と対決。 延長20回306球で完投勝利。
4回生の時、同じく選手権決勝で六大学の覇者・慶応相手に完封。日本一に。
続く日米大学野球では、全7試合中、4試合に登板。先発した3試合は全て完投勝利。
特に第1戦は13奪三振完投勝利。第7戦は1安打完封勝利。1安打放ったのは、既出の
フレッド・リン(イチロー以前に唯一新人王とMVPを獲得したレットソックスの至宝)。
続く秋の神宮大学選抜では、準々決勝で慶応相手にノーヒットノーラン。準決勝、決勝は、
早稲田、法政相手に連続完封。連戦のことを考えて奪三振を抑えての余裕の全試合完封。
関西の大学野球史では、村山実を凌ぐ足跡を残した。
日米大学野球では速すぎてアメリカチームが手も足も出なかった。
1972年、山口(関大)はヤクルトにドラフト4位指名されるも拒否。
2年後、松下電器を経てドラフト1位で阪急に入団。

山口高志に関するオモロイ話その1
西本が近鉄の監督をしていた昭和50年代前半の頃、山口高志の高めの速球には手が出ない
と悟った監督は、選手に『高めの球に絶対手を出すな』という指示を送った。
当時のレギュラーの羽田は高めを捨てて真ん中ストレートを狙い振りにいったら手元でのびて結局高め
だったそうだ
ベンチへ帰って西本監督に 「だから高めは振るなと言うたやろ!」と平手でびんたを食らった
ところが指示はその回の攻撃前の円陣で行い、先頭打者の羽田は聞いていなかった。
羽田が殴られた後、ベンチで梨田がそっと真っ赤に蒸気している西本さんの横に行き
「羽田は先頭なんで聞いてなかったすよ」とボソッと言った。
西本監督は内心「しまったぁー」と思ったが、今更すまんとも言えず黙っていたという話。

山口高志に関するオモロイ話その2
山口高志が全盛期を過ぎて、オールスターで阪神のブリーデンと対戦した時に第1球
ド真中のストレートを見て顔が引きつっていた。試合途中のインタビューでブリーデンに山口の速球に
ついて尋ねたところ、『あんな速い投手はメジャーにもいないよ!』と言い切った。
ブリーデンは大リーグのブレーブスでハンク・アーロンとクリーンアップを打ってたバッターだっただけに、
山口高志の球の凄さを改めて思い知った。

続く

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