剛球列伝

昨年日本のプロ野球では、横浜のマーク・クルーン投手が日本最速の160kmを記録を記録して
話題になっていますが、いつの時代でも話題になるのは、『日本プロ野球史上誰が一番速かった
か?』ということです。
スピードガンが登場してからは、各球場での差はあるものの、数値を並べられてしまうと最速投手は
決まってしまうわけですが、スピードガンの登場以前では、人それぞれの記憶や感覚のみが頼りに
なりますので、誰が最速だったか?ということで様々が議論が起こります。

戦前の最速投手 

沢村栄治投手

未だに最速投手として名が出てくる投手ですが、戦前派の人たちに別格的な扱いを
受けているため、 実際にどのくらいのスピードが出ていたのか興味は尽きないところです。
米国で発見された沢村氏と思われるキャッチボールシーンをテレビで見たことがありますが、この映像
からは何も判断できません。ただ、当時の他の野球フィルムを見ていても、あまり全力投球という感じ
ではないです。バッターのスイングもそうですが。野球そのものの質が現在とは異なりますし、当時の
投手も球速にそれほどこだわっていなかったのではないかと思います。
昔のマラソンの映像を見たことがありますが、選手が給水地点で立ち止まってゴクゴク水を飲んでいる
シーンがありましたが、今のように1分1秒1km/hのスピードの違いにこだわっていた時代ではない
ので、選手自身もそれなりのからだの使い方をしていたような気がします。 スピードボールを投げるため
の条件は、ユニフォームやスパイクの質、ボールの縫い目、マウンドの状態など、様々の要素が絡んで
くると思います。(かなり高いレベルでの話)よって、現在と単純比較というわけにはいかず、伝説は伝説
として色々と想像をめぐらせるということしかできないというのが現実です。


終戦〜昭和40年頃(1965)

この頃のことも私自身にはよくわかりませんが、かならず名前が挙がる投手としては、400勝投手の
金田、東映の尾崎などでしょう。金田投手は長嶋のデビュー戦の4三振の時は160km/h出ていたと巨人OB達が
語って いましたが、どういうわけか、テレビで紹介されるこのシーンの映像はスロービデオばかりで、本当に
速い球 を投げていたかどうかどうもよくわかりません。よく雑誌などで紹介される金田投手の球速は158km/h
である と紹介されていますが、測定方法など詳細を書いたものは見当たりませんでした。
昭和50年代前半発行のある雑誌には『日本史上最速は金田投手158km/h、2番は高橋一三投手156km/h』と
ありました。ある少年向け野球雑誌は、マウンドからキャッチャーミットへ至るまでの時間を計算し、
『金田(国)0.30、松岡(ヤ)0.33、平松(洋)0.34、外木場(広)0.36 単位(秒)』となっておりました。
私自身、全盛期の金田投手を映像も含めクリアな形でみる機会に恵まれておりませんが、その実績はやはり
ダントツで日本球界TOPに君臨していることから、少なく見積もっても全盛期は150km/hの速球を投げていた
と考えるのが自然でしょう。 尾崎は全盛期の映像をみたことがあります。同僚の張本氏が、『間違いなく史上
最速』とコメントしていた 時期がありますが、その豪腕は、今の時代に見ても圧倒されます。多くの雑誌で尾崎
159km/hと紹介されて いますが、その豪速球を見てしまうと簡単に否定はできません。

昭和41年〜50年頃

私が実際にリアルタイムで見ているのはこの時期です。昭和40年代前半はほとんど記憶にありませんが、 昭和43年
に年間奪三振世界記録401の阪神・江夏、広島の剛腕・外木場、ヤクルトの快腕・松岡 弘、 ロッテ・村田 兆治、
中日の守護神・鈴木孝政、阪急・山口高志などが最速投手の候補に挙がると思います。

江夏豊(阪神)

昭和46年のオールスター連続9三振はあまりにも有名です。左腕最速投手としては、金田ではなく、この人を最速と
して挙げる人も少なくありません。速球投手としての最盛期は昭和43年頃と思われますが、残念ながらこの頃の記憶
はあまりなく、どちらかいうと広島へ移ってからの方の記憶が強いのですが、昭和49年に川上監督 の引退試合で最後
に江夏と対戦しライトフライを打った時、川上監督は『球が見えんかった』と言っていたのを覚えています。
いくら年を取っていても、球が止まって見えていた打撃の神様が見えなかったのだから、 この当時でもかなり速かったの
でしょう。

外木場 義郎(広島)

広島カープ史上、最も力のある球を投げていたのはこの投手ではないでしょうか? 球速ではその後の津田投手などが
いましたが、外木場はまさに剛腕の名に相応しい投手でした。 その豪速球は、キャッチャーが受けた後、球の勢いで
後ろにズズッとずれてしまいそうなくらいのイメージが ありました。調子が良く、低めにボールが集まっている時には全く
相手チームは手も足も出ないような感じ でした。

村田兆治(ロッテ)

マサカリ投法で有名なこの投手ですが、球速は最盛期には間違いなく150km/hを越えていたでしょう。 一球一球に
魂を込めて投げているような雰囲気がありました。大阪球場のブルペンで投げている時、パーン、 パーンとすごい音
が鳴り響き、見ている人たちが驚嘆の声を上げておりました。ちょうどロッテが日本一になった 昭和49年当時の話です。
この時は同じチームの木樽、成田、金田留広なども速球投手の部類であり、いい投手 が揃っていたことが日本一へ
の原動力となったのだと思います。

鈴木孝政(中日)

中日史上最速投手と聞かれて、小松や与田の名前を挙げる方も多いでしょうが、私が聞かれたとしたら、この投手 を
挙げます。最も速かったのはリリーフ時代の昭和50年頃。淡々と投げているイメージで軽い感じですが、その 快速球
に王、田淵といった当時のホームランバッターもなかなかてこずっておりました。 しなやかなフォームから投げ込む
静かな速球は、まるで獲物を仕留めるヒョウのようにも思えました。
印象に残る場面を一つ…昭和50年のオールスターで南海のプレーイングマネージャーの野村克也と対戦した時の こと…
野村があまりのスピードボールについていけず、バッターボックスからベンチに向かい、指で丸を作って 眼に当てて
『あまりに速すぎて眼鏡がないと見えんわ』という仕草をやってみせていました。 晩年は肘を痛めたことから技巧派に
転向、見事カムバック賞を受賞しており、頭脳的なピッチングの投手として 記憶している方も多いと思うが、鈴木氏自身
は自分の現役時代は速球投手であったことに誇りを持っているのでは ないかと思います。

松岡 弘(ヤクルト)

快速球という表現がピッタリの投手です。調子のいい時は全く手がつけられないくらい速かった。 特にリリーフで出てきて
1〜2イニングを全力投球する時は、滅法速く、スナップの効いた小気味のいい投球 でバッターを完全にねじ伏せていま
した。 一番速かったのは、1973年に21勝した頃でしょう。この年は辛くも巨人がV9を成し遂げた年でもあります。
ヤクルトという当時のお荷物球団で20勝したことも立派ですが、実働18年という長い期間を速球投手で 通したことも
すごいことです。後9勝で200勝でしたが、その功績は十分に名球界クラスと言えると思います。


山口高志(阪急)

プロ野球史上最速投手は?と聞かれたら、私は自分がこの目で見た投手の中では、『元阪急ブレーブスの山口高志』
と答えます。ほとんど直球だけでパ・リーグの強打者を抑えていたその剛腕は当時既に変化球主体であったプロ野球から
に衝撃を与えました。この投手に関する詳細は別のページに書きました。


剛球伝説 山口高志

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