「国連の変質と日本の関与」、『軍縮問題資料』1993年12月号
 
河辺一郎
 
 国連の変質が言われている。特に、「平和への課題」以降武力行使に傾斜する安保理が批判されている。同時に、日本がその安保理の常任理事国になるべきか否かという問題も注目を集めている。細川首相の国連総会での演説でもこれが問題になり、外務省と首相周辺との間の対立が伝えられている。
 しかし国連の変質は批判されても、これに対する日本の関わりはほとんど注目されていない。国連の変質に対し、日本が対応に苦慮していると言わんばかりである。また、武力行使が求められるから常任理事国化に反対などの議論はある。しかし日本が常任になれば国連がどう変わるのかということは重視されていない。そこで本稿では、九一年以来の国連の変質とそこへの日本の関与を改めてまとめてみたい。
 まず、この数年の出来事を時間を追って整理しよう。九〇年十一月、自公民は「自衛隊とは別個に、国連の平和維持活動に協力する組織をつくること」に合意し、国連平和協力法案が廃案になった。自衛隊派遣を目指した国連平和協力法案に対する世論の批判を受けての合意だった。そして九一年四月、政府はPKOにおける文民の役割に言及した見解を国連に提出する。これは自公民合意に基づく文民強化の方向と思われた。ところが政府は五月の国連PKO特別委員会で、文民利用の強化を求めるフィンランドに対し、文民の役割を制限する修正を要求したのである。このため、国連総会のPKOの文民利用は後退することになった。そして翌六月、自民党はいわゆる小沢調査会を設置し、軍事的国際貢献の方向性の検討を始めた。政府の軍事的方向が明らかになっていた。
 七月十六日、英国が議長を務めたロンドン・サミットは、「我々は、潜在的な侵略者に対して侵略行動の帰結がいかなるものであるかを明らかにすることによって将来の紛争の回避に資するよう、予防外交を最優先の課題とする。平和維持における国際連合の役割は強化されるべきであり、我々は、これを支援する用意がある」と宣言した。従来国連では、予防外交という言葉を、紛争が顕在化する前に外交的努力で防止するという意味で使用してきた。しかしここではこれが威圧の意味で使われている。つまり先進国は、軍事活動重視の方向における国連強化を表明したわけである。
 これと同じ日付で、外務省は国連の選挙援助活動に関する見解を国連に提出した。しかしその内容は具体性と積極性に欠け、先進国の中では最も短かった。これに関する事務総長の報告が選挙監視の役割の増大とそのための人員不足を訴えていたが、それにも関わらず、日本政府はPKOの文民の活動を重視していないことがここに示されていた。そして八月、政府はPKO協力法案の基本方針を発表し、「自衛隊員の参加については、(PKO協力隊の)『隊員』の身分及び自衛隊員の身分を併せ有する」とされた。自衛隊とは別組織という三党合意は完全に反故にされたことが明らかになった。
 九月十二日、皇太子がモロッコを訪問する。これは、モロッコが占領する西サハラに関してモロッコと独立運動との間の停戦が成立した六日後だった。そして西サハラが独立するかモロッコに属するかを決めるための住民投票のためのPKOの本格的な展開を控えていた時でもあった。この微妙な時期に、紛争当事者の一方を経済大国日本の皇室が訪問することは、当然和平とPKOの双方に影響を与える。そして、投票監視を任務とするこのPKOを日本が妨害した形になったこの一週間後、自衛隊を中心にしたPKO法案が国会に提出され、十一月の特別委員会で自公両党により強行採決された。
 一方国連総会では、これまで成文化されていなかったPKOの成文化作業がすでに一段落し、議論は文民に移っていた。従来のPKOでは軍人が中心だったのに対し、ナミビア、カンボジア、西サハラなど選挙を目的とするPKOでは文民の役割が増大していたためである。しかしこれは新しい領域だけに、国連事務局には十分な対応能力がなく、各国も経験が乏しい。そこで文民の役割を定め、そのための国連の能力を強化することが、総会の重要な課題となっていた。だが、五月のPKO特別委員会で日本がこの動向に逆らったため、文民の利用拡大に対する総会決議の内容は弱められていた。
 九二年一月、史上初の安保理の元首級会合、安保理サミットが開催された。この会合は議長声明として、事務総長に対して「国連の予防外交、平和創造、平和維持の能力を強化し、より効果的なものにする方法についての分析と勧告を準備するよう要請」した。提出期限は七月一日とされた。これはこの月の安保理議長国だった英国が提唱したもので、議長声明の原案作成も英国が主導していた。英国は演説においても、事務総長に「大胆なイニシアチブ」を求め、「彼にそうした保証を与えるべきである」と、他の国にはない積極的な姿勢を示していた。そしてこの事務総長に対する要請は、この安保理サミットの最大の成果とされ、外務省国連政策課長も、外務省の外郭団体の機関紙にこのことを報告していた。
 三月から四月にかけ、各国はPKOに関する見解を国連に提出した。前年からの文民重視の動向を受け、北欧諸国は「PKOへの文民参加の要請は急激に増大している」とし、同時に安保理サミットが要請した事務総長の報告への期待を述べていた。カナダやEC諸国もやはり事務総長の報告に言及している。しかし自衛隊中心のPKO協力法を衆議院で可決していた日本は、見解の中で文民を取り上げることはなかった。また、事務総長の報告にも触れなかった。一方、四月から六月にかけて開催された国連PKO特別委員会は、その報告で「当事者の要請による選挙活動の支援におけるPKOの役割及びPKOの一環としての選挙活動を推奨する」としていた。そして作業部会議長キルシュ氏(カナダ)は、この報告は「PKOにおいてこの委員会が具体的な役割を果たすべきであることを明確に示している」と語っていた。
 六月十五日、PKO法案が成立した。その二日後の十七日、安保理サミットが要請していた報告が「平和への課題」という名で提出された。文民を重視していたPKO特別委員会の動向に反して、ここで国連の軍事的能力の強化が提唱された。
 この直後に開催されたミュンヘン・サミットは、この報告を「価値ある貢献」と讃え、「国際の平和と安全を維持するために必要な政治的支持及び手だてを提供する用意があることを事務総長に対して保証する」と全面的な支持を与えた。検討する間もなく、国連での審議も始まっておらず、行方も定まらない文書に対してこのような評価を下したことは、ロンドン・サミット、安保理サミット、「平和への課題」そしてミュンヘン・サミットが一連の動きの中にあり、先進国がこのPKOの軍事化を主導していることを示していた。実は当初は、「平和への課題」は「各国の思惑を越える大胆な構想で、すぐに実現する見通しは薄」いなどの報道が中心だった。しかし開発途上国の力が低下している国連において、先進国の後押しを受けたこの報告は次々に実現することになる。
 特に注目されたのは、十二月に安保理がソマリアへの多国籍軍の派遣を決めたことだった。これは、当事者の同意も要請もなしに、人道的理由に基づき、武力行使を認めた多国籍軍を派遣する、国連史上初のものだった。そして日本は、四月から安保理のソマリア禁輸監視委員会の議長を務めていた。つまり他の国以上にこの問題に関与していた。ところが、この十二月の審議では日本は何の役割も果たさなかったのである。これについて国連担当の外務省中堅職員は、次のように筆者に語っている。「日本はソマリアに大使館も設置していないし、権益もない。役割を演じないのも当然である」。しかしこの言葉に反して、日本は、多国籍軍のための初期基金四億ドルのうち、一億ドルを速やかに拠出していた。
 こうして国連の変質が進んでゆくことになる。中でも重要なのは、これまでPKOの審議を担ってきており、しかも文民に焦点を当てていた国連のPKO特別委員会の役割が減少したことである。「この委員会が具体的役割を果たすべき」という九二年の作業部会議長の発言にも関わらず、現在では安保理が決めるPKOの拡大を追認する機関になってしまっている。そしてこのPKOの変質過程のすべてに関わっている日本は、この委員会の討議資料となるPKOに関する見解を九三年には提出しなかった。政府にとっては、文民利用の拡大を阻止したことで、この委員会における活動は終わったとも言える。その一方で安保理常任理事国化を画策している。
 以上、PKOが変質しこれに合せてPKO協力法が成立する様子を概観した。最近のPKO変質に日本が関わっていることがうかがえるが、ここで具体的な問題が三つ出てくる。第一に、自衛隊とは別組織という自公民合意がいつ転換したのか、第二に、政府はPKOの変質を知りながらそれを国民には伏せておいて、PKO協力法の推進を企んだのではないか、そして最後に、PKOの変質すなわち国連の変質の推進に日本がどの程度具体的に関わっているかということである。
 この一と二について、十月二日に放映されたテレビ朝日「ザ・スクープ」が関係者の興味深い証言を明らかにしている。
 まずPKO法案の準備はいつから始まったのか。加藤六月自民党政調会長(以下肩書は何れも当時)は、「(国連平和協力法案が)廃案になったその時から」と述べ、西岡武夫自民党総務会長も「(自衛隊を出すという議論が)続いていました」と語っている。そして最初からPKO法案に自衛隊を考えていたのかという問いに対して、柳井条約局長は「それは当然です」と答えている。また自公民合意についても、大内啓伍民社党委員長は「われわれ自身が別組織であることを望むという意味ではなくて、やっぱりいま賛成にまわれない諸政党にも賛成にまわっていただきたいという、一つの提案」としている。そして加藤氏は「別組織を別組織でないようにしなくちゃならんから、半年以上もかかったわけだ」と言う。
 つまり自公民合意とは、廃案になった国連平和協力法に対する世論の厳しい批判をかわすためのごまかしでしかなかったわけである。国連総会の文民推進の動きにも関わらず、そもそも政府には文民利用の意志はまったくなかった。創価学会会員の間の反対にも関わらず公明党が強硬な姿勢をとることは、自公民合意の時点からすでに示されていたことになる。そして九一年四月に政府が国連に提出した文民に関する見解も、国民の批判や報道の目をそらすための道具に過ぎず、国連で文民推進の動きを抑制したのも、「別組織を別組織でないように」するための行動に他ならなかったと言える。
 では「平和への課題」の内容についてはどうだろうか。丹波国連局長(当時)は「まあ情報は漏れてきますからね。だいたいの概略は事前に分かってました」と述べ、柿沢弘治外務政務次官も、「(法案が)通らなくなっちゃうおそれがあるので」と、この内容を伏せていたことを認めている。つまり六月十五日の法案成立と、これを待っていたように十七日に「平和への課題」が提出されたことは、偶然ではなかった。政府は、何としてもこの公表前に法律を成立させなければならなかったのである。しかし社会党の牛歩戦術によりにこれが危うくなっていた。そこで金丸、竹下両氏が田辺社会党委員長と会談し、ここで牛歩を止める妥協が成立したのだろう。その後の社会党は、本誌でも國弘正雄氏が述べているように、PKO徹底反対派を抑える方向に変化したのである。こうした成果を引きだしたテレビ朝日の古川柳子氏の労を讃えたい。
 さて、筆者は七月十三日に国連担当の外務省中堅職員に話を聞いたが、丹波氏の発言にも関わらず、彼は「平和への課題」の内容を事前には知らなかったと答えていた。彼が知っていながら伏せていたのか、それとも高いレベルしか知らない策略だったのかということも問題だが、ここで気にかかるのはこうした事情が明らかにされた背景である。世論が自衛隊のカンボジア派遣への支持を強めていることもあるだろう。しかしそれ以上に、PKO法を批判していた社会党が、推進した新生、公明、民社とともに与党化し、PKO法を批判する確固たる勢力が国会内になくなったことが、こうした発言が可能になった背景にあるのではないだろうか。だとすれば、今後これを批判的に検証することの重要性が増している。
 あえて言えば、PKO協力法自体はさして重要な問題ではない。日本国民がこの法律のために危険な状況におかれるとしても、それは国民が自ら選択したことであり、あくまでも日本国民の問題に過ぎない。問題は、この法律を成立させるために日本が国連のPKO論議を動かしたことにある。そこで三番目の問題、「平和への課題」の内容と国連の変質への日本の関与が重要になるが、これは未だ不明である。しかし、文民を中心に論じていた国連のPKOに関する議論を弱める上で日本がある程度の役割を果たしたことは否定できない。そして安保理が主導した「平和への課題」の登場と、それに対する先進国の全面的な支援により、PKOは軍事的性格を強めてゆく。安保理がPKOのあり方を決めるようになり、多くの国が参加していたPKO特別委員会は形骸化している。九一年の総会が検討を要請した文民の訓練マニュアルも、未提出の様子である。またPKOにとって微妙な時期に日本が関わった西サハラでも未だ選挙は行われていない。たとえ結果的にこうなったにしても、日本政府の責任は重大である。
 外務省が常任理事国への意欲を固めたのは、湾岸危機・戦争で安保理の情報を掴めなかったためだと言う。では国連が大きく変質したこの二年間、有力な非常任理事国である日本が何をしているのか、なぜ外務省は説明しないのだろうか。日本が安保理にいればこれだけのことができると説明すれば、常任理事国化への批判を払拭する上でも需要であるはずなのに。それとも、日本が安保理にいたからこそ国連が変質した、日本が常任になったらさらに変質するとは言えないために、わざと避けているのだろうか。また国連の変質を批判する報道などは、なぜ日本の行動を問わないのだろうか。単に勉強不足なのか、それとも何らかの圧力があるのだろうか。
 本誌九三年四月号でも論じたように、実は常任化の利益は多くない。逆に不利益が目につく。ではそれにも関わらずなぜ外務省は強硬に常任化を求めるのか。考えられるのは外務省の省益である。常任化により、外務省は選挙運動の労から解放される。貧しい国々に頭を下げて支持を頼んでいたのが、逆に小国が日本に頭を下げて依頼しにくるようになる。そして常任化を理由に、大蔵省に対して予算の増額要求もできる。
 日本の発言力が弱いのであるのならば、それは日本が常任理事国ではないためではない。日本の政治が、つまり外交が信頼を得るに足るものではないためである。例えば、PLOとイスラエルの間で信頼を得たノルウェーのような活動は、日本には期待もできない。ノルウェーの人口は日本の約1/30、当然経済力も軍事力も日本とは比較にならない小国である。常任理事国でもなく、非常任理事国にも3回しか当選していない。こうした国が大きな役割を担えたのはなぜなのか、そして、国民すらたばかる日本政府との差がどこにあるのか、議論しなければならない問題はここにある。
 
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