コール77の沿革
1 男声合唱団の誕生

平成8年の初頭、「我々で男声合唱団をつくろう」と口火を切ったのは、今は亡き 門田 稔と、現在もリーダの澤登 典夫(オ302)。77期の名簿で趣味音楽と書いている者に片っ端から電話したり、口コミによって、ようやく18人のメンバーを集め、3月発足にこぎつけた。練習の場所は、水交会であった。 当初は、数人の経験者を除いてオタマジャクシとは無縁のメンバーが殆ど。ここから澤登の懸命な指導が始まった。                                                     この年の横浜総会では、メンバー16人が横一列に並び、ハーモニーを伴った二部合唱曲を歌い、終わって拍手を貰った時の感激は忘れられない。と澤登は述懐する。 翌年早々、なにかと不便な水交会の練習会場を、飯田橋の「ひまわり」jへ移した。 また、合唱団の名称も、土手 恒司(マ23)からの提案で「コール77」と決定し、名実ともに充実していった。                                                                                                                                                                                                                        2 コール77の成長                                                                                                                                                                                                                                                平成9年の名古屋総会では、前年の横浜の実績を評価され演奏の要請を受けた。団員数も25人に増え、本格的 男声四部合唱を演奏することができた。 その後も、10年の札幌、11年の松山、12年の仙台、13年の千葉、14年の埼玉、15年の大阪と、総会毎に出演の要請に応じてきた。     そのほか、77期の地区総会、懇親会、新年会などにも呼ばれるようになり、また連合クラス会の懇親会にも出演し、先輩方にも喜ばれた。                                                                                                                                                                      3 対外活動
                                                                                                                               平成10年ごろまでは、いわば身内での演奏の披露だったが、発足4年目の平成11年になり団員も30人を超え、いよいよ対外活動も始めるようになった。  手始めは、青梅市にある特別養護盲老人ホーム、聖明園の式典での演奏であった。四大節の歌、小学唱歌、海軍関係の歌、クロアチア語の U Boi などを合唱し、盲目の老人が目から涙を流して感激の大拍手をしてくださった。そのほか府中で毎年のように行われるクリスマス会に出たり、12年から板橋老人ホームでの訪問演奏、14年には奥多摩の老人ホームなどとボランティヤ活動も続けている。                           14年にはまた、ドイツのトリーアの合唱団からの招聘を受けて、コール77の有志12名他家族友人が「ドイツ歌の旅」を実現し、合唱交歓会や大聖堂での献歌などを行った。 帰国後、日独協会とドイツ大使館の要請を受けて、習志野のドイツ兵墓前慰霊祭での献歌や、横浜の外人墓地内ドイツ将兵の墓前での献歌を行った。                                                                                 
                                                               4 コンクールへの出演                                                                                                                                                                               世にデビューするためには、登竜門であるコンクールで認められなければならない。初めて出演した
平成11年10月 荒川区での「第14回シルバーコーラス交歓会」で図らずも審査員特別賞を受賞して以来、毎年2月の中野での「シニアコーラス東京フェスティバル」と、2箇所で年2回のコンクールに出演、現在まで10回演奏し、東京都知事賞をはじめ6回の入賞を果たしている。

                                                               5 リーダー澤登のたゆまぬ努力                                                                                                                                                                         発足当初からのリーダーである澤登の熱意と適切な指導力があったればこそ、団員全員厳しい練習にも耐え、これまでの成果をあげることができた。 その都度、全員に楽譜を刷って配り、テープをダビングして(時にはパート別に作り)渡し、新人が入ると、それまでの楽譜やテープを全部作って渡し丁寧に指導する。 練習中も、リーダーだけは何時間も立ちっぱなしでの指導、まさに超人的である。勿論一切無報酬である。
奥多摩老人ホーム
77期新年会
ドイツ歌の交歓会
横浜外人墓地で
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