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オイフォリオン
 ファウストとヘレナの子。
 
オイフォリオンが登場するのは、ヘレナ劇後半、アルカディアという楽園です。
 実在の人物がモチーフであり、その人物とは、当時のイギリスの詩人、バイロン卿です。
 彼がどんな人物か理解するには、ネットで検索してみてください。
 私の見解としては、理想のために、現実を妥協できなかった人物です。
 彼は人生の最後に、ギリシア独立戦争に参加します。やめておけばいいのに、個人で戦争に参加したわけです。そして、死にます。戦争が直接の原因ではなく、伝染病で死んだようですが、己の意思に殉じたのは間違いありません。
 心の底には、激しく妥協のできない部分があるわけです。

 オイフォリオンは激しく妥協をしない精神でいろいろなものを手に入れようとしました。そして最期は天へ向かって飛ぼうとし、山から落ちて死にます。作品内において、それはイカロスに例えられています。
 妥協を許さずなんでも手に入れようとして、最期は、不可能事に挑んで潰える。私は、オイフォリオンは、バイロン卿がモチーフであると同時に、芸術の象徴なのだと考えています。そのように解釈すれば、彼のいろいろな行動が理解できるのです。

追加
 オイフォリオンが、芸術の比喩であるならば。
 激しい性格は、当然の代物です。
 文学であろうと、彫刻であろうと、絵画であろうと、それがどんな分野であれ、芸術を志す者は、最高を求めて努力するものです。
 そして、様々に求め探求する。
 様々な神様から、その所有物をひったくるというのは、まさに芸術家というものが真理を追い求める比喩と言っていいでしょう。9662〜9678行。
 そして、それは、9711〜9716行にも表されています。
 「空のどんな高いところにも昇っていくのが、ぼくのどうしようもない望みです」
 と、表現されているのだから。
 その激しさは、さらに続けて謳われます。9723〜9728行。
 「もうこれ以上、地面に縛り付けられていたくありません」

 さて、オイフォリオンは、合唱の娘たち(ヘレナの侍従たちが、そのままこの娘の役を演じています。よく分からない設定ですが、こだわるようなことでもないでしょう)と、鬼ごっこをします。
 「楽に手に入るものは面白くない。力ずくで手に入れたものだけがうれしいのだ」9781〜9784行。
 これもやはり、うなずけるところです。芸術というのはそうしたもの。クォリティを求めない芸術など、ありえません。娘たちの中から、一番強情なのを選んでくるのですから。しかしその娘は、オイフォリオンの手の中から消えてしまいます。容易に最高のものが手に入らないのが芸術です。

 鬼ごっこのあとは、いよいよオイフォリオンの最期に近づきます。
 平和を否定し、戦争を求めます。ここで言わずもがなの注意としては、これが、賢人ゲーテが比喩を織り成す「ファウスト」という作品である以上、平和と戦争が言葉通りの意味合いであるはずはないということです。
 芸術家は、安穏としません。絶えず努力し求めます。そういった意味合いが比喩として織り込まれていると同時に、明きからにバイロン卿を重ね合わせています。
 エッカーマンの「ゲーテとの対話」において、バイロン卿のことについて言及している部分があります。ゲーテは、バイロン卿(もっぱら詩人のようです)の作品を褒めています。しかし同時に、その批判的精神を咎めてもいます。また、ギリシア独立戦争に個人で参戦したことを踏まえて、人生や現実に妥協できなかった人物だと言ってもいます。
 ゲーテの目に、バイロン卿は、あまりにも純粋に詩人、芸術家として映ったのではないでしょうか。その激しさも不器用さも、見事なまでに、それを体現しているように見えたのでしょう。
 バイロン卿。不憫な詩人です。
 以下、9840〜9890行ほどは、詩や芸術の行く末、その不憫さと、バイロン卿をそのまま重ね合わせて表現されていると思えます。
 戦争を求める心。それは、妥協を許さず、絶えず最高を求める芸術の在り方と、いつか潰える時がくる、その不憫さの比喩です。

 そして、最期の時は来ます。
 「死こそ掟。他に道はありません」9889〜9890行。
 それは、芸術を求める者のたどり着く末路です。いかなる芸術においても、これまで究極が叶ったことはありません。いかなる分野においても、例外なく、芸術というものは、最高を求め、そして、挫折してきました。歴史を振り返れば、それは明らかです。それでも、筆をとる者は最善を努力し、言葉を連ねる者は天を仰ぎます。
 ここにおいて謳われているのは、芸術の運命の究極の諦観です。それは、とても無残なことなのですが……。それでも、人間という集合体は、生と死を繰り返し、そのたびに絶望を忘れて、あたかもそれが初めてであるかのように、努力していきます。人が生き死にを繰り返す生命体でなければ、永遠に経験を積み重ね続ける存在であったならば、芸術はとっくに諦められていたかもしれません。
 「遠くから見ていろとおっしゃるのですか、いいえ、わたしはあの中に入って行って、不安と苦難を共にします」9893〜9894行。
 芸術を求める者は、望んで不可能事に挑み、そして、同時に、バイロン卿も比喩しています。

 オイフォリオンはついに飛び降ります。走れる限り走った後、ついに滅びました。それを、イカロスにも結び付けているのは、イカロスの神話のとおり、イカロスもバイロン卿のように、不可能事に挑み、そして死んだ、不憫で妥協のできなかった存在だからでしょう。

 オイフォリオンの最期のセリフは、
 (地の底から)「お母様、この暗い国に僕を1人きりにしておかないでください」
 というものです。
 これについては、私はいまいちその比喩を量りかねているのですが……。

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