Pua Lililehua
Auhea wale ana `oe
E ka pua lililehua
A he `ipo ho`ohenoheno
E ho`ohihi ai no ka mana`o

Ia `oe e `imi ana
I na nani o ka `aina
Eia no la au ma `ane`i
E kali ana i kou ho`i mai

E `alawa mai ho`i `oe
I nei mau maka onaona
He mau maka po`ina `ole
E kapalili ai ko pu`uwai

Hilo pa`a ia ke aloha
I ka lino hilo pa walu|
`A`ohe mea e hemo `ai
Me au `oe a mau loa

Ha`ina mai ka puana
E ka pua lili lehua
A he `ipo ho`ohenoheno
E ho`ohihi ai no ka mana`o

1.あなたはどこにいるの?
セージ(サルビアの一種)の花
私の愛する恋人
思いを募らせる。
2.あなたを探し美しい大地の中
わたしはここにいてあなたが戻るのを
待っています。
3.あなた、こちらを見てください。
この魅惑的な目を。恐れることのない
まなざし。あなたの心を震えさせる。
4.愛は固く編みこまれている。
8本のより糸で。
離れることは決してない、
あなたとわたしは永遠です。
5.語られた話は、サルビアの花に
ついてです。愛する恋人、思いを募らせる。


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プア・リリレフア は、ミュージシャンであった カハウアヌ・レイクが
アンティ・マイキ を思って作った歌であるという。
二人は1972年めでたく結婚したのだけれど、カハウアヌがマイキに
「プア・リリレフア」はマイキを思って作った歌だと告げた時から
マイキはプア・リリレフアを踊らなくなってしまったという。

結婚前、カハウアヌは、マイキに恋心を抱いて、どうしてもその気持ちを歌に
したいと、メアリー・カヴェナ・プクイに相談した。
そのことを聞いたプクイは、ある伝説を思い出し、その伝説から
「プア・リリレフア」のタイトルをつけたという。
その伝説とは、
パホアというモンスター(モオ、おおとかげ)が、いつも水浴びをしている、リリレフアという美しい娘に恋をした。
ある日、ヒイアカが現在のカイムキ付近に立っているのを
見かけたパホアは、ヒイアカのためにルアウの支度をして、御馳走をした。
ヒイアカが、何かわたしにでくることは? と尋ねた時、パホアは、自分は
リリレフアに恋をしているのだけど、自分の愛に応えてくれないので、
どうしたらいいのだろう、と聞いた。
ヒイアカは、パホアにリリレフアを見てくるように言った。
パホアは、他の男の腕に抱かれているリリレフアを見てしまった。
パホアはひどく傷心したが、リリレフアのことをあきらめたと
ヒイアカに伝えた。

この伝説をもとに、プクイはプア・リリレフアを作ったという。
その当時、プクイが住んでいたのがパロロという町。
パロロは、マノアの隣町で、ふたつの町の間には ワアヒラという丘がある。
パホアの伝説はこのパロロの町の代表的な伝説である。
また、ハワイでは、雨に名前がある土地が多いけれど、
パロロの町に降る雨を リリレフア という。
マウイ島のワイエフに降る雨も リリレフアという。

この歌の4番にある Walu、これは8つという意味。
八つに編んだように見える長い髪、と歌われている
この8つと言う数字はアンティ・マイキとカハウアヌ、
そして6人の子供たち計8人を指して歌われていると言う説がある。
また、長い髪とは、アンティ・マイキが考え事をしているときのくせで、長い髪の毛先を指でくるくる回していた姿がカハウアヌにとってとても印象的で愛らしい姿だったから詩に歌われたのだと言う」 とかかれている。

他にも、8と言う数字はハワイアンにとってはとても神聖な数字で、 (神聖な数字4の二つ分)とても深い意味があるらしい。


古代ハワイではカヌーの仕上げを行う際に、 カフナ・カライ・ワアと呼ばれるカヌーつくりのカフナ(マスター)が ハーラウと呼ばれるカヌーの仕上げのための小屋に入ると その入り口に、アハ・コードとよばれる8本の糸を撚り合わせて作った綱を張り巡らすんだそうだ。 この綱が張られると、外側のものは中にいる職人に話しかけたりすることは厳禁となったのだとか。


<<アンティ・マイキの話>>

アンティ・マイキは生前、自分の幼い頃の話をあまりしたがらなかったということですが、彼女は生まれてすぐハナイ(養子)に出され、その後養父が亡くなったため、これまで伯母と思っていた自分の母の元に引き取られたのですが、裕福だった養父のところとは違い、実母は非常に貧しい暮らしをしていたため、小さい頃はつらい思い出が多かったそうです。

その後、カトリックの学校に住み込みで通うことになり、そこで従兄弟たちとフラをはじめ、どんどんフラの世界に引き込まれていったのがフラをはじめたきっかけでした。その後、ロカリア・モンゴメリ(Lokalia Montgomery)の弟子となり、46年にオラパ、48年にクムフラとしてウニキを受け、同年自分のスタジオをスタート。その後52年に、ハーラウという名を使うことを許されたのですが、当時はフラは限られた一部の人のみがクムフラの家に住み込んで習うようなもので、現在のようなスタジオ形式の"開かれたフラの教室"を開いたことで、かなり批判されたそうです。

後に72年にクムフラになるためのgraduation classをスタートし、新聞広告を出して、外部のハラウからも広く生徒を募集。最初は40人いた生徒は、だんだん減り、最終的には約30人足らずになりました。72年にたったひとり、Ho'oulu Cambra(ホオウル・カンブラ)がアンティ・マイキからウニキを受けたクムフラ第一号として卒業。翌年、25人がクムフラ、3人がオラパとして卒業しました。

最初のクラスは、パパ・レフア、次はパパ・イリマというように花の名前がつけられているのですが、アンティの娘によると
「レフアは溶岩が流れた後の大地に一番最初に咲く花、そしてもう1つ最初に生まれた子供という意味がある」そのため、レフアクラスと名づけられたそうです。

この第一期のレフアクラスには、ロバート・カジメロがおり、ロバートのハーラウからもウニキを受け、クムフラが誕生しています。これはまるで花の種が落ち、そこから次々と何世代にも渡って、アンティ・マイキの教えをくむ、クムフラたちが誕生し、新しい花を咲かせていくようで、本当に素晴らしいことだと思います。

アンティ・マイキの生徒には、プアケア・ノゲルマイアー(Puakea Nogelmeier・ケアリイ・レイシェルの親友でハワイ大学マノア校の助教授)もいますが、彼いわく「アンティは、ハワイ人であろうとなかろうと教えを受けた人には広く門戸を開いた。自分だってハワイ人ではないのに受け入れてくれた」と語っています。失われつつある文化を守るために、一部クプナたちの批判を受けながら、自分の道を信じて突き進んでいったマイキでした。

アンティは、一時期ワイキキに「ハーラウ・ハワイ」という、フラクラスと舞台とリサーチ用のライブラリが一緒になった施設を開いたことがあるのですが、経営的に難しくわずか1年で多額の借金を背負ってハラウを閉じた時期があります。その時、生徒たちは「ビーチでもどこでもいい。あなたが教えるところが、私たちのハラウだ」といったそうです。

アンティ・マイキのgraduation classからは、72年から83年までの間に、のべ42人のクムフラと46人のオラパを生み出したそうです。でも、彼女に一度も習ったことがないのに、彼女に教えを受けた、クムフラとしてウニキを受けたと経歴詐称する人が多かったため、新聞に彼女が称号を与えた人のリストを公表しなくてはならなかったことがあるそうです。

アンティ・マイキは若い頃に一度結婚しすぐ離婚。そしてその後、現在のハーラウ・オ・マイキを受け継いでいる、カレン&コリーンの父であるアイウ氏と結婚するものの、再び離婚し、今度は7人の子供を持つシングルマザーに。その後、最後にようやく3人目の夫、カハウアヌ・レイク氏と結婚し、女性としても最高の結婚生活を手に入れ、クムフラとしても絶頂期の84年に、わずか59歳で突然この世を去りました。

アンティ・マイキは、Hula is lifeという言葉を残しています。決して順風満帆とはいえなかった彼女の人生。とても重みのある言葉です。

ハーラウ・オ・マイキは一切、コンペティションには出ないそうです。以前、チャールズ・カウプさんは、「クムフラを名乗る人は多いけれど、コンペティションに出ることだけにやっきになり、文化をちゃんと教えないクムフラが多くて困る」と嘆いていたそうです。いわゆるマイキ系のハラウの中には、ロバート・カジメロのハラウ、ナー・カマレイのようにコンペに出るところもあれば、一切でないところもあります。