老 松
平成20年4月23日改正

                                                      金剛流横須賀 美賀和会 和田完一

参考資料 
    1.ごあんない 太宰府天満宮
    2.飛梅に関する質問の回答 太宰府天満宮社務所 2008年4月21日
    3.インターネット フリー百科事典 太宰府天満宮
         4.インターネット 紅梅殿跡・白梅殿跡/菅大臣神社
    5.筑紫万葉のふるさと 太宰府 太宰府観光協会
    6.謡曲紀行 老松 小倉正久 白竜社 2003年5月
    7.謡曲集 上 老松 伊藤正義校注 新潮社 昭和58年3月
    8.完訳 源平盛衰記 巻32平家太宰府に着く、附けたり北野天神飛梅のこと 中村晃 勉誠出版(株)2005年10月
        9.能楽ハンドブック 三省堂 1993年6月
    10.能・狂言{岩波講座} 能鑑賞案内・能楽図鑑 岩波書店 1992年5月

1.曲の概要
    
五流現行曲 脇能老神物二場曲 作者 世阿弥
      出典 源平盛衰記 巻32 平家太宰府に着く、附けたり北野天神飛梅のこと

   都で北野天満宮を信じていた梅津の何某ワキは筑紫安楽寺へ参詣せよとの霊夢を受け、安楽寺へ到着しました。
   何某は、杉箒を持ち、松を守る老人
シテ と梅を守る男ツレと出会いました。
   何某の問いに、老人は飛梅を紅梅殿、松を神木として崇めていると答えました。
   老人は、何某の求めに応じ、社殿の景観や、
クセ 天神が愛した紅梅殿と老松が末社と現じた事、その上、梅の好文木、松が大夫に叙爵した故事を語り、かように名高き松・梅、行末守るべしと言いながら、消えました。中入り
   所の者
アイは、菅原道真公が延喜元年901太宰府に流されたこと、太宰府に来てから、「東風吹かば匂い起こせよ梅の花主なしとて春な忘れそ」と詠われると、紅梅が飛んで来、松も慕いて追いかけて来たこと、延喜3年9032月25日に公が亡くなったなど天満宮の由緒を語りました。
   松陰で神のお告げを待つ梅津の何某の前に、老松の神
後シテが顕れ、今夜の客人をなんと慰めようと、舞真ノ序之舞を舞い、「千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」と謡い、君に長寿を授ける神託を告げ、「松風も梅も久しき春こそめでたけれ」と御代を祝すのでした。

2.史跡
   
太宰府天満宮 福岡県太宰府市宰府4−7−1
             交通:西鉄太宰府線太宰府駅下車 徒歩5分
                 JR鹿児島本線二日市駅下車 タクシー15分

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太宰府天満宮 参道              本殿    

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飛 梅

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菅原道真公の蟄居の館跡 榎社えのきしゃ JR・西鉄二日市駅から車5分

3.補足説明
 
   源平盛衰記が本曲の出典とされてますが、内容は、安徳天皇と平家一族が、寿永2年8月17日、太宰府に落延び、そこで昔を回顧し歌を詠じ、菅原道真公の由緒を想い、公の在りし日の想いと、今の一族の身の上を重ねて感嘆しましたとのことのみなので、本曲の出典とまで言えるのか疑問です。資料7
    ワキ何某の梅津は、京都市右京区 太秦の南西、桂川畔地区にあります。
   菅原道真公は、代々学者の家に育ち、26才で方略試に合格、詩文の外、あらゆる学問に秀でた秀才でした。宇多天皇は彼を右大臣に列し、宮廷の側近として重用しました。
   しかし、藤原氏と昇進争いから、藤原時平は醍醐天皇に、道真公が帝位を変える策謀があると讒言し、延喜元年
901大宰権師だざいごんのそつに左遷しました。時に57歳でした。古代の防人制度が終わり、また唐・新羅の衰退時期でしたので、西の防衛拠点であった当時の太宰府は、徐々に衰退していました。公は、生活費にも事欠く状態で、栄光の生活をしてきた身として耐えられなく、官舎を出ることもなく、衰弱・疲労で悶々とした生活をしていました。
   公は、滞在2年、延喜3年
90359歳で死去しました。
遺体を牛車に載せ、都をさしましたが、安楽寺まで来たところ牛が動かなくなり、公の霊魂は都へ帰る事を欲していないと判断され、安楽寺に葬り、墓とし、延喜5年
905廟が、安楽寺天満宮として造営されました。
現在の天満宮本殿の真下が墓とのことです。

安楽寺は、安楽寺天満宮、太宰府神社明治4年1871、現在の太宰府天満宮昭和22年1947と名を変えました。

飛梅は、当然公の配所であった南の御所現在の榎社に飛んで来たのでしたが、天満宮造営の時、墓前に移植されました。
現在飛梅は、本殿右側にあり、白梅に見え、謡曲からみると紅梅殿ですから、紅色でないとイメージが合いません。
それで天満宮へ質問し、その回答は、白梅に見えるが、品種としては薄い紅梅、品種名は「色玉垣」とのことです。蕾頃は紅く色づき開花が進むほど白くなるそうです
資料2R1
なお、以前には、社殿左側に紅梅
大正天皇の貞明皇后お手植えの皇后梅が植えられていたようでしたが、現在は橘に変わっています。二代目の若木が楼門脇に植えられています資料2R1

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   榎社は、道真公が住居とした館跡で、菅公を最期まで世話をした浄妙尼を祀る神社です。毎年9月の大祭では、道真公の霊はここに一夜を過し、翌日天満宮へ還御されてます。

   菅原公の京都での、住居・学問所は、京都市下京区仏光寺通西入菅大臣町に、北菅大臣神社(紅梅殿跡)父是善これよしを祀る、菅大臣神社(白梅殿跡)菅家累代の邸宅跡として残されています。元は南北二町、東西一町の広い邸宅でしたが、現在は路地続きの民家の中に存在しています。本殿は明治2年下鴨神社本殿を移築したもので豪華です。
ちなみに、菅大臣神社にある飛梅の元木は紅梅だそうです。

   天満宮は、道真公の怨霊に対する恐れが少なくなってきた中世から、公が優れた学者であったことから、学問の神様として信仰されています。受験シーズンには数知れず万枚以上の絵馬が奉納されてます。

   近くには、天満宮境内に、九州国立博物館が、道真公の勤務地、太宰府政庁跡の都府楼跡、公がしみじみと聞いたと言われる観世音寺の鐘等見所多数あります。

許複製

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