home

ボーロとかわせみ

ボーロのお父さんはたいした働き者でした。ほかのクマたちはみんな、日が沈むころには川からあがって家に帰ります。でもお父さんは最後まで川に残ってサケ をとり、夜っぴいて川に入っていることさえあったのでした。
貧しかったのかって?
いいえ、そうではありません。「ほかのクマが休んでいる時にも働けば、ひとより豊かで幸せになれる」というのがお父さんの考えだったのです。それに、お父 さんはサケをとる仕事が好きでした。
ボーロはそんなお父さんを誇りに思っていました。毎日誰よりもたくさんのサケを持って帰ってくるのですから。でも、心の片隅では、お父さんと遊びたい気持 ちもあったのです。とはいえ言い出すことはできませんでした。それを言うにはあまりにもお父さんは自信に満ちあふれていたのです。

ある日、お父さんは初めてボーロを川へ連れて行きました。
お父さんが遊んでくれるんだ!
ボーロは大はしゃぎです。川へ向かう道すがら、
「お父さん、変な虫がいるよ。やあ、けむくじゃらだ。」とふらふら、
「あんなところに猫が寝ているよ、面白い顔の猫だねえ、お父さん。」とふらふら。
「いいかげんにまっすぐ歩け。」
お父さんにぴしゃりと言われてボーロはしゅんとなりました。それでもお父さんと一緒に歩いていることが楽しくて仕方ありませんでした。

川辺に着くと、お父さんは言いました。
「あのサケをとってみなさい」
ボーロはきょとんとしました。
「遊ぶんじゃないの?」
「遊ぶだって? 何をいっているんだ。これは生きる為の真剣な仕事だ。いいか、遊びじゃないぞ。」
お父さんの強い言葉に気圧されて、ボーローはおそるおそる手の先を川の流れの中につけました。流れに逆らって、何匹かのサケが体をくねらせて泳いでいま す。そのうちの一匹は、小さいけれどもとびきり綺麗でした。なめらかなうろこがお日さまの光にきらめいて、赤や黄色に輝いています。ボーロはうっとりと見 入ってしまいました。そのすばらしさをお父さんに伝えようと思ったのだけれど、
「えーと、うんと、なんて言ったらいいんだろう…。」
うまく言い方が見つからないうちにサケたちは石の陰に隠れてしまいました。ボーロはがっかりして、小さなサケの消えて行った岩を見つめていました。
「こら、なにをやってるんだ!」
突然、お父さんの大きな声が飛んできました。ボーローはびっくり仰天、尻餅をつきました。大きなしぶきが上がって、サケたちはみんな散り散りです。
「それみろ、ばかなことをしているから全部逃げちまったじゃないか。」
ボーロはお父さんに頭を小突かれました。そうだった。すっかり忘れてた。サケをとらなきゃいけないんだった。痛くてちょっと悲しくなりました。でも、ボー ロの胸の中にはサケの美しさでいっぱいに満たされていました。
その夜、ボーロはサケの夢を見ました。色とりどりのサケたちに混ざって、ボーロも泳いでいました。それは楽しいひとときでした。しかしボーロはサケたちほ ど泳ぎが得意ではありません。息苦しくなって川面に顔を出すと、
「ボーロ、はやく支度をしなさい。」
という声が空から降ってきました。お父さんの声でした。朝になっていました。

次の日は、もう少し上流へ行きました。ボーロももう昨日のようなへまはしません。決して器用ではないけれど、お父さんの言う通りに頑張って、なんとかサケ をとれるようになりました。
大きなサケがとれると、お父さんがそれはそれは喜んでくれます。そうなるとボーロはお父さんにもっと喜んでもらおうと、大きなサケをたくさんとることに夢 中になりました。でも、そのかわり、ボーロはサケを美しいと思ったことなどすっかり忘れてしまったのでした。その日からボーロは、もうサケの夢は見ません でした。

ボーロの背丈がお父さんと並ぶようになったある日、お父さんが言いました。
「お前も立派に一人前になった。今日からは、お前一人でサケをとって生きていきなさい。」
そう言って、お父さんはボーロの為に新しいすみかをくれました。そのすみかは、ボーロが一人で暮らすのにちょうど良い大きさの洞穴でした。ボーロは人目で 気に入りました。ボーロは新しいお布団に入り、その夜は思いきり手足をのばして眠りました。
次の朝目覚めると、ボーロは勇んで川へ行きました。もちろんサケをとる為です。
ボーアロハ流れの中に足を一歩一歩進めて、水面を見つめました。たくさんのサケがわき目もふらずに泳いでいます。
さて、どのサケをつかまえようかな?
今までのように、お父さんはそばについていません。もう自分で好きなようにとっていいのです。自分でとれるだけの練習はじゅうぶんに積んできました。それ なのに、ボーロは、なぜか足がすくんでしまいました。
どのサケも、一生懸命生きているなあ。これも生きている。あれも生きている。
なのに、ぼくがつかまえたとたんに死んじゃうんだ。死んでもいいサケがどれかなんて、そんなの簡単に決められないよ。どうしよう。
ぼくはどのサケをとったらいいの?
どうしてもとらなきゃだめなの?

悩んでも悩んでも答えは出ませんでした。でも、ボーロだって生きているのです。考えて考えて考えて考えているうちにお腹も減ります。しかたないので、ボー ロは目をつぶって腕を水の中でめちゃくちゃに振り回しました。たまたまその腕に当たった運の悪いサケが、水面から飛び上がって川辺の砂の上に落ちました。 ボーロはそれを黙ってもそもそと食べました。はじめて自分だけでとったサケは、胸につかえました。

ボーロが疲れ果てて川辺にたたずんでいると、かわせみのチッピが肩におりてきました。ボーロが子どもの頃、よく一緒に遊んだ友だちでした。
「どうしたの? もうサケをとるのはやめちゃったの?」
「少し休んでいるんだ」
「なんだかつらそうね」
「そんなふうに見えるかい?」
「見えるわよ」
ボーロは、できるだけ肩に乗ったチッピが危なくないように、ゆっくり腰を下ろしました。チッピは「ありがとう。」と言う代わりに短く歌いました。
「じつはね、ぼく、サケをとるのがつらいんだ。クマなのに。それでどうしていいかわからなくて。」
「そう。」
「お父さんの言う通りにやってきたのにやってきたのに、どうしてうまくいかないんだろう。」
チッピは少し考えてから言いました。
「お父さんの言う通りにやってきたから、じゃないかしら?」
ボーロは目を白黒させました。
「え!? それはどういう意味だい?」
「どういう意味かしら。」
チッピは歌いながら羽ばたき、ボーロの頭の上を二度三度くるくる回ると、森の方へ帰って行きました。
ひとりになったボーロは、考え込みました。
チッピが言ったのは、いったいどういうことなんだろう。お父さんはぼくをいじめようと嘘を教えたの? そんなはずないよなあ。お父さんは上手にサケをとっ てたもん。
次々といろいろな考えが頭を巡って、頭の中はまるで煮立ったスープのようです。

ボーロは、気がつくとすみかの洞穴に帰っていました。そして大きな石で入り口を塞ぐと、暗く温かい穴の中でひざを抱えて丸まりました。ひどく疲れていて、 これから何年でも眠ってしまいたいような気分でした。
ボーロがずっと閉じこもってしまっていると言う噂が、お父さんの耳に入りました。お父さんはすぐに身支度をしてボーロの洞穴へ訪ねていきました。
ボー^炉が洞穴の奥でうとうとしていると、入り口の石をどんどんと叩く音がしました。ボーロには出て行く元気がなかったので、黙ってじっとしていると、入 り口の石がゆっくり開きました。そこにはお父さんが立っていました。
「ボーロ、どうしたんだ。具合でも悪いのか。」
「なんでもないよ、お父さん。大丈夫だから。」
「そうか、休んでいるならこの機会に新しいサケのとりかたでも考えたらどうだ。お父さんはこないだ川の…。」
「サケのことはいいよ。」
ボーロは思いがけず自分の声が強かったことに驚きました。
「そうか。じゃあ、まあ、何も食べていないだろうからお父さんがとったサケを置いて行くよ。」
お父さんは担いでいたサケを地面に下ろし、入り口の石をきちんと閉め直して帰っていきました。
ボーロはもぞもぞと這い出して、お父さんの持って来たサケを見ました。力なく横たわったサケには、お父さんの歯形がついていました。ボーロは顔を手で覆っ て泣きました。泣きながらサケを土に埋めました。

次の日には、幼なじみのウサギのメリーがお花を持って訪ねてきました。
「ボーロ、大丈夫? ちょっとぐらい失敗したからって気にすることはないわよ。すぐに上手にサケがとれるようになるわ。私だってうまく小川を飛び越えられ ないことがあるもの。」
「ありがとう。でも、そういうことじゃないんだ。」

次の日には、いたずら仲間のきつねのトーマスが訪ねてきました。
「おいボーロ、今日はすっげえ面白いお祭りをやってるぜ。おまえのとくいなサケとり大会もやるってよ。閉じこもってないで出てこいよ。」
「ごめんよ、今はお祭りって気分じゃないんだ。」

次の日には、近所のハムスターのアンリがドングリを持って訪ねてきました。
「元気でサケをとってるところがかっこよかったのに、そんなふうにふさぎこむなんて、ボーロらしくないじゃない。」
「…ぼくらしいってなんだい。」

また次の日、先輩グマのモルグが訪ねてきました。モルグはしばらく黙って穴の外に立っていましたが、ぽつんと言いました。
「ボーロよ、お前は、本当は、いったい、なにをしたいんだ?」
「ぼくが、なにをしたいか、だって?」
ボーロはびっくりしました。だって、今までそんなこと一度も考えたことがなかったからです。

モルグが帰った後、ボーロはずっと考え続けました。
「ぼくはいったい何をしたいんだろうなあ。」
励ましても慰めても一向にボーロが洞穴から出てこないので、みんな諦めてしまって、やがて訪れる人もいなくなりました。ボーロの洞穴は静かになりました。
 かすかな物音だけを残して…。

「…あれ?」
ボーロは、洞穴の外でチッピが歌っているのに気がつきました。ボーロは入り口に置いた大きな石を動かしてみました。少しだけ隙間が開いて、光が細く長く洞 穴の中に入ってきました。ゆるやかに暖かい風がボーロの顔の毛をくすぐりました。ボーロはゆっくり外に出ました。
チッピは、顔を出したボーロを見て、静かに歌を辞めました。ボーロは照れくさそうに言いました。
「きみの歌って、すてきだったんだね。」
「いやね、いまごろ気付いたの? 毎日ここで歌ってたのに。」
チッピはうふふと笑いましあt。
「うん。そうなんだ。いまごろ気付いたんだよ。」
ボーロはチッピに手招きをしました。
「きみにプレゼントがあるんだ。」
そして、洞穴の入り口を塞いでいた石を、力を込めて引っくり返しました。そこには、力強く泳ぐサケの姿が描かれていました。そのサケは、本当に生きている ようでした。
「ぼくはもうサケをとらないよ。」
「それもいいじゃない。」
「うん。でも、お腹が空くだろうなあ。」ボーロは明るく笑いました。「そしたら木の実でも拾って食べる差。どうやったって、生きていけるんだから。ぼくな りにね。」

終わり


home