捜神記(上)      (捜神記(下)へ)

捜神記二十巻は晋の干宝の著。「古今の神祇・霊異・人・物・変化を集める」(晋書干宝伝)もので当初は三十巻、後散逸し、今残る二十巻本は明の胡元瑞が各書から集めなおして編集したものという。
作者は「神道のウソでないことを発明する」(序)という目的で書いたそうだけど、魯迅先生が「一つの半真半仮の書籍である」とカッパしたように、チュウゴクの志怪小説の初期の作品であるとともに代表作でもあるといえる。
ついでに言うと、三世紀ごろという早い時期の成立で、人気作品だから早くから出回り、いわば東アジアの共通の「知的財産」であったとも言える。たとえばわが国の古事記にもこの書の影響が認められるというひともあり、百歩はもったいないということで十歩ぐらいでも譲ったとしても、古事記に反映された言説(神話・伝説)と共通する背景を持った民間伝承をそこに納めている、ということがいえると思いますようん。

巻一

神農・赤松子から始まる古代からの神仙の伝。七百歳まで生きたホウ祖が商の大夫であったこと、師門というひとは「龍師」であったこと、木の羊に乗って山中に入っていった葛由、釣りを業とし宋景公にコロされて十年後に城の門の上で琴をつまびき、十日にして去ったという冠先など。また、長安の劉根はいわゆる「見鬼」(幽霊が見えるひと)の例。三国志で有名な左慈元放、ウ吉などもいるよ。

巻二

またまた神仙の伝。晋の永嘉年代の天竺人、舌を切断してまたつなげたりクビを斬ってまたつなげたり、火を吐いたり。扶南王がひとを裁くに、トラに与えたりワニに与えたり湯に手を入れさせたり。見鬼・夏侯弘のハナシなど。

巻三  topへ

医者とか卜者(占い師)の物語。汝南の許季山とその孫や平原の管ラク(車ヘンに各)など。53話から管ラクの活躍。54話では病弱で早死にしそうな若者に、清酒とおつまみを持たせて、二人のオトコが碁を打っているところまで行かせ、何も言わずに酒食を呈せしめる。この二人は北斗星と南斗星であって、北斗が勝ちかけると世の中は疫病や戦争で死者が増え、南斗が勝ち始めると平和が続きコドモがたくさん生まれ、じじい・ばばあは長生きをするのだそうだが、二人は碁に夢中で若者の差し出す酒食を口にしてしまったため、若者の頼みを聞いて「十九歳」という命をひっくり返して九十歳にしてもらう。55話では考古学的な遺跡と思われる鉄器と骨だけ残っている死体のたたりを解く、56話・井戸の中で石でつぶされた伯母のたたり。

57話〜59話は淳ウ智のハナシ。大ネズミを伏死せしめ、狐の鳴くによりて異変を知る。59話のキツネの鳴くハナシではキツネは悪ではなく異変を知らせる聖なる動物として扱われているカンジ。61話からは晋の道家として荘子などの注釈が残る郭ハク(玉ヘンに僕の右側)の物語で、61話では胡孟康を占った際に、その侍女に目をつけて、小豆を赤い衣のニンゲンに化けさせて家を取り巻かせ、主人がこれはナニのタタリかと疑って占いを依頼してきたのを利用して侍女を東南二十里で売らせた。ここであらかじめひとに依頼して侍女を買わせたのである。その後符を井戸に投じると、赤い衣の小豆ニンゲンはみな井戸に自らを投じて消えてしまった。62話では馬の魂を取り戻すが、その魂は猿のようであったという。

65話・西川の費孝先、王なにがしのために占い、家につぶされそうになるのと間男にコロされそうになるのを救う。さらに妻殺しの罪を着せられそうになるが、孝先の教えた「一石を搗いて三斗の米を得る」との口号を聞いた知事が、「それは隣家の(間男であった)康七というオトコが犯人であるということであろう」と見抜き(ヌカが七分であるから)、助かった。

66話・汝陰の隗チョウ(火ヘンに召)、臨終に際して、その妻に五年後に来る皇帝の使いにおカネが貸してあるから請求しろ、と遺言する。果たして五年後に使いとしてこの村をとおった使者、おカネを借りた記憶はないがと言いつつ易を立てて、堂屋東頭、去地一丈、入地九尺のところに金が埋めてあることを教える。

67話・タヌキワニ?がたたりをなす。しかしこれを除いても女性の病気が治らず、韓友という卜者、袋をもって悪さをしているものを捕らえるに、キツネの毛が二斤とれて女は治った。

68話・たたりを避けるために白いイヌを連れて行けといわれた旅人、白いのがいなかったので白黒まだらのを連れていったところ、そのイヌが突然なにものかにブタれているかのように吠え、やがて黒い血を吐いて死んでしまった。その夕べ、実家ではガチョウが数羽死んだというが、それ以上の被害はなかった。

69話〜70話・ハイ国の名医華ダの伝。

巻四     topへ

71話・風伯雨師のこと。72話・星を祭ろうとするものがきちんと斎戒していないと巨乳オンナを見ること、第73話・泰山の女が風の神であり、太公望の任地を荒らすのをいやがったこと。

74話・泰山の胡母班、泰山神のためにムスメの河伯の妻のところにお使いする。その後、泰山神のところで父親が繋がれているのを見て助けを乞う(閻魔大王の道教版として死者の罪を定める泰山府君という神格はこの時期すでに形作られていたのですね)。泰山神は「生死は路を異にするので、気にするな」というがそういうわけにはいかんということで、(父を)許してもらい、土地の神様としてもらった。家に帰ったあと、一年のうちにコドモがみな死んでしまった。ふたたび泰山府君に相談すると、手をうって笑い、土地神となっている胡の父を呼び寄せたところ、「罪を許されて家の近くに住めて、家を覗きに行き、やはり孫はかわいいのうと思いまして・・・。さらにムスコがちゃんとお供えをくれるので食事にもことかかなくなり、孫の顔をいつも見ていたいと思って連れてきましたのじゃ」と答えたのであった。そこで泰山君は父のつかさどる土地を取り替え、遠いところにしたのである。亡父は泣きながら異動していったが、その後生まれたコドモたちはつつがなく成長したという。

75・76話は河伯のハナシ。庚辰の日に溺死したひとが天帝により河伯とされたので、その日は船で遠行すべからずという。援交じゃないよ遠行だよ。

78話は呉郡太守・張ハクのハナシ。任地から帰る途中ロ山のふもとの廟で、太守のムスメ、神像を指差して「このカミさまのおヨメになりたいのでちゅう」とかいったとか言わなかったとか。その晩、太守の夢の中に神さまらしきのが現れて、「ウチのムスコは卑陋であるのにお選びいただき重畳でござる」とか言い出したので、太守は侍女の一人から事情を聞きだしたのであった。翌日船で江を渡ろうとしたところ船が大いにゆれるので、これは不祥である。ムスメひとりのために一家が滅んではたまらん、しかし自分で沈めるのはツラい、と太守は(無責任にも)妻にムスメを江に投じるように命じた。すると妻は(ゴウツクにも)だんなの死んだ兄貴のムスメを代わりに投じてしまったのである。それに気づいたダンナの太守は「そんな不義理があるか」と自分のムスメをむんずとつかんで放り込んでしまった。あはは。

やっと向こう岸に着いたところ、そこには役人の格好をしたオトコが二人の少女を連れてたっており、「わたしはロの神様の秘書官でして、神はあなたの義理にあついのに感動してムスメたちをお返ししてまいれとおっしゃいますのでお返しにまいりました」と言って、二人のムスメを戻すと去っていってしまったという。

この呉郡太守のハナシ、若いころは太守はエラいなあ、と思い、神とひととの恋とかロマンチックよのう、と思っていたのですが、それはやはり若気のいたり。最近は、太守とその妻のムスメや姪っ子を犠牲にしてしまう性格がコワくなって「こんなヨメはうちのムスコには要らんぞ」と思った神様が帰してきたのではないか、と思うようになりました。いずれにせよこの事件のあとのこの家の、おそらく従前から冷え切っていたであろう夫婦関係(あくまで想像)はさらに冷え切ったであろうと思うと他人事ながらビビります。

82話はまた郭ハクのハナシ。江に灰色で水牛のような大きさで象の足をした、大力にして遅鈍なモノが現れた。郭ハクに占わせると、これは「トン」であろう、あるいは「驢鼠」である、という。コロそうとしたが巫が神の使いであるコロしてはならんと言うので放っておいたら見えなくなってしまったという。(これは恐竜の一種ではないかと思っているのですが・・・それとも単にサイとかカバか?)

83話はロ陵の欧明なるもの、ホウ沢湖にいつもささげモノをしていたによって湖の神に礼に篤いと認められプレゼントをもらう。欧明を呼びにきた吏に教えられたとおり、侍女の「如願」をもらって帰ると、商売がおもいどおりになって数年にして大富を得たという。(この如願のハナシはもう少しロマンチックのベールを着せられて聊斎志異にもハイっていたような。今度確認してきますけどね。いずれにせよ、欧明がそうであるように、湖を船で何度も往復していた行商人たちの欲望みたいなノが反映しているおハナシだ)

84話・雲南の東にある石室の神。みずから漢の功臣張良に知識を与えた黄石公だと名乗る。百銭のおカネと丸い墨と筆をもって石室にいって祈ると石室の中から「なにものか」という声がするという。その声に対して来意を告げると吉凶を答えるらしい。墨と筆を用いて文字で返す、とは書いてないが、実際にはコックリさんのようなカタチで、文字にして答えたのではなかろうか。いずれにせよ穴の中であり、ギリシアのデルフォイの神託所を思い出させるおハナシである。

86話・神が五色の大鳥であったこと、87話・三国志で高名な糜竺に、天の使いと称する美しいオンナが実家で火事を起こすので先に財物を運び出しておくよう告げたこと、88話・かまどの神様、89話・蚕室の神様、91話は死後必ず神様になるぞ、と言っていたオトコの死後不思議があったので祭られたハナシ。

巻五     topへ

92話・蒋子文というひと、盗賊を捕らえる際に負傷して死んだのであったが、生前から神になるとほざいておられまして、死後巫女に降りて「秣陵(いまの南京ですね)の土地神となるぞ」と宣言しました。祭らないで放っておくと、この年おおいに疫病が流行し、また巫女に降って、「ムシの災いを降すぞ」と託宣です。夏に小さいムシが異常発生しまして、これがひとの耳に入る。入ったところで死んでしまい、医者にも取り出せない、というタイヘンなことが起こりまして多くのひとが苦しみました。さらに予言があって、そのとおりに火事まで起こりましたので、ついに蒋子文を神として祭ることにした。これが南京にある蒋山神の起こりで、それ以前は山の名も鐘山といったのだそうです。ここから96話まで、蒋山の祠に祭られる神のハナシ。

94話・このハナシは胸がスカっとしますぞ。貴族の子弟三人がこともあろうに蒋山の祠で宴会をし、そこにあったオンナの像をそれぞれ「オレのオンナだ」「じゃ、オレはこっち」とか取り合いまして、その像にエッチなことをしたりしておふざけになりました。山から下りて帰った三人の夢に蒋山の神の使いが現れて、「我が神につかえる婦女を卑陋とせず妻にしていただきまことにありがたい」と告げます。目がさめて連絡をとりあうとみなの夢が一致する。これはマズいですう、ということで三人は蒋山神にお許しを願いますが、三人ともまもなく死んでしまった、というおハナシ。・・・うーん、しかし、よく考えてみると、三人の貴族の方々は死んでいい目を見ていやがるのかも知れない。そう考えるとネタミのココロが沸きますウ。

96話はトラの関係。ある若者、船行していたところ妻がトラに捕らえられた。抜刀して追ったがなかなか追いつかず、そのうち山中に迷い込んでしまい、トラの姿も見えなければ帰り道もわからない状態になってしまったのです。すると、一人の黒い衣をきたひとが現れ、モノも言わずに案内してくれる。ついていきますと穴があって、中からもじょもじょとなんか出てくる。振り向くと黒い衣のひとはいなくなっている。もじょもじょ出てきたのはトラのコドモたちで、母トラが帰ってきたと思って
「クイモンくだちゃーい」
「今日は若いオンナのひとでちゅか、おいちちょー」
「ハラワタとかノウミチョ食いたいのでちゅー」
とかトラのコトバで言いながら出てきたのでした。若者は怒りに任せてトラの子ドモを切り殺してしまい、子トラどもの死骸を穴の中に蹴り転がして、岩陰に隠れていた。そこへ母トラが若者の妻をくわえて戻ってきまして、巣穴の状態がヘンです。くわえていたオンナを捨てて、大慌てで穴に入ろうとしましたが、大慌てでしたのでアタマの方だけ入って引っかかってしまった。若者は物陰から出てきまして、トラの胴体を真っ二つに斬ってしまいました。その後妻を助けあげると、トラは生きたままでコドモのエサにしたかったらしく、妻のオンナには目立った外傷もなく無事であった、とのことです。この黒い衣のひとが、蒋山神であったそうですよ。
勉強になりますね。オスのトラはコドモの養育などしないのですがメスのトラが育てる、ということ、それから、トラはコドモを育てるのに、エサは生きた状態で与えてトドメの刺し方を教える、などの生態をよく踏まえておりますね。

97話・ワイ南の全椒県丁新婦というオンナ、姑にヤラれて九月九日クビをつって死んだ。やがて霊響あり、民間に聞こえるようになった。この神霊の命でヨメは九月九日は働かせない、ということになったのである。この神霊(と思われるオンナ)が侍女ひとりを連れて渡し場に現れた。二人のオトコが「ねーちゃん、船に乗らんかい」「わしらを乗せてくれたらのう」「がははは」「いひひひ」とからかったのであった。その後じじいが船に乗って通りかかり、このじじいは「若いムスメを見るとヘンな気を起こすワカイ衆も多いでの」といって葦で姿を覆って渡してくれたのでありました。神霊(と思われるオンナ)は、船を降り立つと「じじい、ありがとう。お礼は帰り道で受け取ってね」と言ったのである。元の岸辺に戻ってくる途中、じじいの船には数千匹の魚が勝手に飛び込んできて、大漁となった。「おう、これはこれは」と岸につけようとして、少し離れたところを見ると、二人の若者がうつぶせになって泥の中に浮いており、すでに息絶えていたのである。泳ぎの達者な若者たちであったので、なぜこのような浅いところで溺死したものか、みなクビをひねった

98話・晋の散騎侍郎・王祐、病気が重くもうダメだと思われたとき、あるひとが現れてどこかと折衝して寿命を延ばす許可を得てくれ、さらに烏色の軍服を着て赤い油で印を画いた二尺ぐらいのコビトの兵士数百を連れてきて騒がせたので、病気を起こしていた悪鬼どもは逃げてしまい、病はこの晩で三分の二癒え、やがて全快したそうである。 ・・・コビトの兵隊オモシロい。

99話・漢の周式というひと。あるとき道連れの持っていた書類を見てしまうと自分がまもなく死ぬことが書いてある。その道連れは冥吏であったのだ。道連れは、三年間絶対家から出なければ見逃せるかも知れん、と言った。そこで周は家に帰ってから一歩も家を出なかったが、間もなく三年になるころ、引きこもりに怒った父親に無理やり近所の弔問に行かされる。その途中で冥吏に出会い「見つけた以上連れて行かねばならん」と言われ、翌日死んだというハナシ。 引きこもりのひとにもいろいろ事情があるのですね。

100話・南頓の張助というひとのおハナシ。かなり有名なハナシですね。田植えをしていてスモモの種を見つけた。どうしようかと思ったのですが、ふと見ると近くに桑の木があって、そのウロの中に少し土がたまっている。「ここに植えてやるですだ」と植えて水をぶっかけておいたところ、そのスモモの種が芽を出し、桑の木にスモモの木が接木されるという珍しい状況になって、近在のウワサになった。たまたま目の病あるひとが「スモモどの、目を治してくれたらブタをささげますだ」と祈ったところたちまち目が治ったということがあり、さらにその下でイヌがほえたとか目の見えないひとが目が見えるようになったとかウワサがウワサを呼んで、桑の木のまわりには車馬が絶えなくなりました。張助は遠出していたのですが、一年後に帰ってきまして事態を把握すると、「それはオラが植えたスモモでねえですだか」と(桑の木もろとも)切り倒してしまったという。

巻六    topへ

この巻は「妖怪」なこと、龍が現れたとか馬がにんげんを産んだとかのことを記し、それがなんの前兆であったかを漢の京房の予言手引き書「易伝」を使って説明しているですよ。

110話・左伝荘公八年の有名なハナシ。ブタがニンゲンのように立ったのをコロしたもののたたりだと考えておかしくなった斉公のこと。
117話・秦の始皇帝の二十六年、背の丈五丈(9メートルだね)、足の大きさ六尺(1.2メートルだよ)、夷テキの服を着た大人が十二人出現した。
127話・漢の昭帝のとき、大きな石が自分で立った。思うに、いにしえの巨石文明時代にはメーソンリーたちは石を自分で動くように魔法を使ったり、ギリシアのオルフェウスは竪琴の音楽で巨石を動かしたそうだし、世界中の巨石のことを考えると、われらの今は知らぬ秘法があったとしか思えないことはたくさんあるので、そういう魔法秘術のひとつかも知れん。
137話・大魚のこと。
155話・漢の霊帝のとき、妻が夫を食う事件と夫が妻を食う事件が起こった。こういう人情に反した事案が「人妖」といわれるのである。
161話・これも霊帝のとき、草がことごとくひとのカタチとなった。これは「草妖」に近い。(近い、というのはどういうことなのであろうか。どこが「草妖」と違うのだろうか。とか思ったら175話にホンモノの草妖のハナシ?らしいものがある。コウチで稗が稲になった。これが草妖である、と)。
献帝のとき、死んで棺おけに入って一月以上経って棺の中から声を出して表に出てきた者がいた。死体という「至って陰なるもの」が陽になるということで、下のものが上になるという占いであった。

巻七      topへ

前巻に続いて晋以降の「妖怪」なことを記しているが、この章では服装などの風俗の変化がその後の社会変動の先駆けとなったことが多く記されているのである。

182話・晋の太康年間、さそり?や蟹が鼠に変じて稲を食い荒らした。はじめくにゃくにゃのモノに化けたのだが数日でメスネズミになったのだそうである。183話・二龍、184話・両足のトラと四角のケモノがそれぞれ出現。185話・死んだウシの頭が語る(ウシの話したことは204話に詳しいのがある)。187話・男女のゲタが同じ形になったこと。195話・男女両性を持ったひと。
202話・恵帝のとき湖の中にあった大きな石が浮いて二百歩を移動し岸に上った、人民どもは「石が来た」と言い合ったが、ちょうど張昌(西晋末・東晋初期のころの、まあ、海賊とでもいえばいいですかね)の武将の石氷が首都の建業を落とした時期であった。

204話・西晋の末、江夏功曹の張ヘイの乗っていたウシ(牛車ではなくウシの背中に乗っていたみたいですね)が突然コトバを発した。
「天下まさに乱れんとす。われ、はなはだ極まれり。われに乗りていずくにか行く」

張ヘイも従者もびっくりしたが、騒ぎになるのがイヤだったので 「家に連れて行ってやるからな、しばらく話すんでないぞ」 と連れて帰った。家に着くといまだ諸具をはずす前に、 「えらく早く帰ってきたもんだ」 とまたまたしゃべった。ヘイを含めて聞いていたモノたちは恐れて、そのことを秘密にしたのである。 日ならずして張ヘイは占い師に相談したところ、「大凶なり。一家にとどまらず一郡に及ばん」といわれ、「うひゃあ」と大急ぎで家に帰ったところ、なんと今度はウシはニンゲンのように立ち上がり、人民どもが見物に詰め掛けていたのであった。この年の秋、張昌の賊起こり、ヘイの兄弟も従軍して一敗地にまみれて戦死し、一郡のうち死傷半ばを過ぎるという大被害が起きた。ヘイの家族もその中に含まれたのであった。 これは京房の「易伝」に「ウシよく言えば、その言のごとく吉凶を占う」ということである。 日本の「クダン」伝説の根源はこのへんにあるのでしょうね。

205話・破れたゲタが路に集まってくる怪。209話・晋の懐帝のとき、イヌあってひとのコトバでいわく「天下のひとともに餓死せん」と。果たして二胡の乱起こり、天下飢荒した。210話・郭ハクが「エン鼠」の出現を分析した。

巻八      topへ

まずはいにしえの聖天子たちのハナシから。
227話・舜の手のひらには「褒」字型の掌紋があった。

228話・殷の湯王が夏を倒したあと七年日照りが続いた。湯は桑の林で爪・髪を切り自ら犠牲とならんことを申して上帝にこいねがったところ、大雨が降った。墨子や呂氏春秋に見えるハナシなのですが、湯が夏を滅ぼしたのはやはり天が忌むコトであったこととか、民族学でいう「殺される王」の姿が遺されていることとか、上帝には桑林で祈るものであったこととか、爪・髪に強い呪術性が認められていたこととか、いろんな問題をはらんでいるので有名な逸話ですね。
231話・孔子説話。孔子が赤い気を見たこと、その気の下には赤松喬という童子がおり、麒麟を打っていたこと、そのコトバなどから孔子が漢が天下をとることを予言したことを内容とする。

233話・戦国のころ、秦の国で、羊に似て羊にあらず猪に似て猪にあらざるドウブツが掘り出された。掘り出したひとがこれを連れて行く途中、二人の童子があって「このドウブツはオン(女ヘンに温の右側)だよ。このドウブツは地中にあって死人の脳を食う。コロさんとすれば柏の枝をもってその首を刺すべし」と言ったのである。するとオンの方は「ああ、この二人は「陳宝」であるでメエー。オスを得れば王となりメスを得れば伯となることができるのでブイー」と言った。そのひとが追うと童子たちは林に入って見えなくなった。それを聞いた秦公が捜索し、メスを捕らえることができたがオスは捕らえられなかったという。

235話・三国・呉の孫休のとき、ケイワク星が童子に化けて他のコドモと遊んでいた。目には光芒があったという。

巻九      topへ

238話・許季山の孫の憲が赤蛇二匹が出現した意味を解き、吉祥であると予言。239話・カササギが丸い石となりその石を割ったところ「忠孝候の印」が現れた。240話・鳩が変じた金のカギを手に入れてから長安張氏が富財を積んだこと。他人が手に入れても効果はなかった。

242話・魏陽元というひと、旅の途次、ある家に泊まったところ、夜中にその家の婦にコドモが生まれたようである。耳をそばだてていると誰かと誰かが話している声が聞こえる。「オトコか、オンナか」「オトコです」「よし、十五年後、武器によって死ぬ。誰か部外者がいるようだが」「魏氏です」「ああ、公爵になられる方か」と会話しているのであった。十五年後にその家に寄って、あの晩生まれたコのことを聞いたところ、誤って斧で傷ついて死んだばかりだという。魏は自分が公爵になることを確信した。

240話・呉の諸葛カク(リッシンベンに各)が朝会に行こうとしたところイヌが服をくわえて放さない。「なにかあるのかね」と言いながら引き離して入り、もう一度出てきたときにも服をくわえられた。カクは衛兵を呼んでイヌを追い払ってもらい、朝会の場に入りなおしたところでコロされたのであった。このとき、家にいたカクの妻は侍女に血の匂いがし、目をきょろきょろさせているので「何故か」と問うたところ、侍女は突然飛び上がり、家の棟のところまで浮き上がって、うでをぐるぐるさせ歯をぎりぎりさせて「諸葛公、いま孫シュンのためにコロされたり!」と叫んだという。

249話・ユ亮がトイレに行ったところ、顔はホウソウのように四角く両目が赤くてカラダの光っているモノが、土の中からじわじわと出てくるのを見つけ、コブシをもってぼかんと殴ったところ、声がして地中に戻ってしまった。そのあと病気になり、翌年死んだ。
250話・東陽の劉道和、湖熟に住んでいて、朝見てみると門の内側に血が流れていることがしばしばあった。後、将軍となって出発しようとして、家で炊いたメシがすべてムシに変わった。しようがないのでコメをイタメたところ、またムシに変わった。火の勢いを強くすればするほどムシは激しくうごめくのであった。道和はこの際の戦争で戦死した。

巻十      topへ

252話・孫堅のおくさんの呉氏は、月がふところに入る夢を見て孫策を、日がふところに入る夢を見て孫権を、懐妊なすったそうです。女人の神秘ですね。
さて、254話・周ナニガシ(字が読めないです)、貧しくして道を好み、夫婦で夜も働いていた。あるとき、天公がこの地を通りすぎる夢を見た。天公いわく「あの夫婦はよくやっとる。なんとかできんものかね」、下のモノいわく「それぞれの天分は決まっておりますので・・・後で生まれてくる張車子の分を借りて富ませておきましょう」。さめて妻にそのハナシをし、さらにせいを出して働いたので富裕となった。この家に張という名のオンナが下働きにきていたが、私通してはらみ臨月となったので屋外に出し、周家の車庫で子を産んだ。主人、張女にメシを食わせて、「このコの名前は何とするつもりかな」と聞くと、「ててなしで車庫で生まれたからね、車子にでもしとくわよ」と答えたので、周は「ああ、このひとにおカネを返さねばならないのだね」と悟ったとのことである。その後、車子は富裕となり、それに連れて周の家は貧しくなった。
255話・夏陽のロフン、夢に蟻の穴に入るのこと。
261話・謝奉というひと、夢に友人の郭伯猷が川のほとりでひとと賭け事のお金を争い、それをイヤがった水神の怒りのせいで水死し、その葬儀を自分が仕切っているのを見て、大慌てで郭の家へ来た。郭はなにごともないようであったので二人で碁を打った。取り越し苦労であったかと思って、謝は「実は今日はこれこれの夢を見たので来たのだよ」と話をすると、郭の顔色が変わり、「わしも他人と川のほとりでお金を争う夢を見たのだが・・・」と言った。とにかく外出は止めようと言っているうちに郭が便意を催して座をはずしたが、トイレに行ったまま帰ってこない。探すと溺死ではなかったが、トイレで倒れてすでに絶命していた。

巻十一      topへ

263話・楚の熊渠子というひと、夜中にうずくまっているものを見てトラであろうと思い矢を放ったところ深くつきささった。馬を下りてみてみるとトラではなくて岩であった。また射てみると、今度は跳ね返って鏃も砕けてしまったという。同じことが漢の時代にもあった。漢の将軍李廣が遠くからトラだと思って石を射たところ突き刺さったが、石だとわかってからは二度と射抜くことはできなかったというのである。劉向は言っている、「誠の至りには金や石も開くのである。いわんやひとのココロをや」と。・・・まあ、でも、あのコのココロは開かれぬ〜とか言ってみたいところですね。
264話は戦国時代の名人のハナシで、楚王が木の上の白猿を、弓自慢のものを射させたが、白猿は枝の上ではねたり手を打ったりして笑っている。矢はことごとく外れた。王が由基という名人に猿を射るよう命じ、由基が弓を撫し矢をつがえようとすると、さっきまではしゃいでいた白猿は木の幹を抱いて震えていたという。また、更エイというひと魏王の前で、東から来た雁を公言どおりに弓矢を使わずいわゆる遠当てだけで落とした。前半は呂氏春秋、後半は戦国策に見えるハナシという。
265話・斉の景公の馬車の左の副え馬を盗んだ江の悪神を、古冶子というひとが追いまわしてやっつけるハナシ。悪神と見たのはヨウスコウワニであった。何らかの祭祀の説明であろうと思いますね。

266話・捜神記の中でも最も有名な一話、楚王にコロされた剣工干将・莫邪のコ眉間尺が、剣客のおっさんに刀と自らのクビを渡し、剣客のおっさんがその刀とクビを手土産に楚王に会って、眉間尺のアタマをおおなべで煮させる。なかなか煮えないので覗きにきた王のアタマを剣客のおっさんはぶちっと切り落とし、ついで自らのあたまもナベの中に切り落とした。ぐつぐつ煮えて三つのアタマはとけて分けられなくなってしまいましたとさ。オモシロいし、妖しくて、中国筆記小説の白眉だとは思うです。

267話もアタマのハナシ。蒼梧のカヨウ、盗賊討伐にいってアタマを切り落とされて帰ってきた。胸のあたりで声を出していわく「アタマがないのがよいか、あるのがよいか」。部下の者が泣きながら「あったほうがようございます」と答えると、「そうでもない。ないのもまたよい」と言ってから、どすうんと倒れた、と。

268話もアタマのハナシ。渤海太守史良、ある女をスキになったが、許嫁したけどケッコンしてくれない。良、怒ってそのオンナをコロし、クビを斬って持ち帰り、「火葬にしてやる」といってかまどの中に放り込んだ。するとクビが「太守さま、わたしはここまであなたについてきましたのに、何ぞなんじに当たることを図らん」と言った(この最後のコトバ、意味がよくわからんです)。その後、夢に現れて「君がモノを返す」と言われ、覚めてみると、かつて贈った髪飾りなどが戻されていた。

269話・荘子などにも出てきたハナシと記憶するのですが、周の霊王のとき、長(実際にはクサカンムリあり)弘が殺された。蜀のひとがその血を蔵っておいたところ、三年にして化して碧となった。

270話・漢武帝が東遊したとき、モノあって道をふさいでいる。身のたけ数丈、その姿は「象牛」のごとく青眼でひとみはぎらぎらしている。四本の足が土の中に入っていて動かすことができない。百官は驚いたが、東方朔がお酒を数石注ぐとムニムニと消えてしまった。「これは名は患、憂気の生じたものである。ここは秦の時代の牢獄であったのでしょう。獄中のものの憂いの気が患の姿をとったのですが、お酒は憂いを忘れる効能がありますので、お酒を注がれて消えたのです」と解説したので、帝は「博物の士」と褒め称えたのであった。・・・東方朔はとてもいろんなことを知っていますね。彼の活躍だけを集めた専書もあるぐらいです。

271話・後漢の諒輔というひと、あまり高い官職ではなかったのですが役人としての義務感から日照りの害を防ぐため、自分を焼いて奉げようとしたところ大雨が降ったという。「殺される王」の遺風は郡県の役人にまで及びました。これを「王が堕落した」というのか、至誠のなすワザというのか。 272・273話はイナゴの害が立派なひとを避けたこと。
274話・王業は刺史として七年、政治はおさまり、過酷なことや隠し事はなく、山に猛獣もなくなった。旅行中に亡くなったが、二匹の白虎が尾を垂れてその傍らに侍し、喪が終わると州の境を越えて見えなくなった。
275話・呉のとき、舟の航行を妨げていた大イカダがあったが、太守の葛作(実際にはシメスヘン)が斧を持って破壊しようとしたら、その前夜に移動して害の無いところに浮かんでいたという。

276・277話は「孝」のハナシ。こういうのが「孝」というのかどうかという気もするのですが、母親が指をかむと、遠くにいてもあわてて帰ってくるムスコのハナシ。278〜280話は、継母のためにコドモが真冬に氷を溶かしてサカナを手にいれるパターン三話。281・282話は目の見えない母・姉に孝行したら母・姉の目が見えるようになったハナシ。282話では青衣童子(実は青い鳥に変じる)がクスリをくれる。

283話も有名なハナシですが、郭巨というひと、父の死後、弟二人の請求に応じて家産を分け与え、母親を引き取った。生活が苦しく、妻がコドモを産んだがそのために母に食わせるメシが少なくなることをおそれてコドモを埋めてしまおうとする。そのための穴を掘っていたらそこからカメが出てきて、カメいっぱいに黄金が入っていた。
284話は劉殷というひとが母が死んだときに哀を示すこと甚だしかったこと。
285話は楊公伯擁ヨウ(擁からテヘンを除いた字)のハナシ。若いころに父母を失い、無終山に住んで旅人の便宜になるよう水のみ場を設置して運営していたところ、旅人が小さな石をくれた。「平らなところを選んでコレを植えなされ」というのです。言うとおりにすると玉がごろごろと育ったのでした。時に徐氏という金持ちあり、北平に名をとどろかせておりましたが、そこにムスメがあってオンナらしくて評判が高かった。いろんなひとがヨメによこせと申し出たが、徐氏は気に入らなかった。この徐氏に、楊公はケッコンを申し込んだでありました。徐氏笑いてこれを狂ならんと思い、「白壁一双を持ってくればムスメをくれてやらんでもなし」と言ったところ、楊公は成っていた玉から選んで白壁を五双並べてプレゼントしたので、徐氏大いに驚き、ぽぽいとムスメをヨメにくれた。天子そのことを聞き、楊公を大夫に任命したのである。ひとびとはその玉の植えられたところを「玉田」と呼んだ。よかったですね。
親孝行シリーズが続きまして、288話は王偉元の母は生前雷を怖がっていた。王は母の死後雷がなりますと、お墓まで行って「偉元はココにおりますよ」とお墓をなでて慰めたという。わたしはこのハナシスキですよ。他の孝行バナシとちがって、ぐすんとします。
290話・シュウトメが、わしが生きていたのではヨメが苦労するからといってクビをくくってしまった。シュウトメのムスメが「ヨメが殺したのよ」と役所に訴えでたのである。名裁判官のウ公が「ヨメはシュウトメに仕えて十年、もしコロしたかったらとっくにコロしています。これは冤罪でしょう」というにもかかわらず、時の太守はヨメに拷問を加えて無理やり自白をとって死罪にしてしまった。ウ公は役場に哭して去った。その後三年雨降らず、新任の太守が赴任してきて、この事案は冤罪であったと宣言し、ヨメの墓に顕彰を行ったところ、たちどころに雨が降ったのであった。長老言うらく、ヨメの名は周青といい、このヨメが処刑されるとき、「もし冤罪ならば血逆流せん」と言ってコロされた。その血は青黄色く、立てられていた旗の竹に沿って逆流して上がり、先までいって旗に沿って流れ落ちたのじゃ、とのことです。

291話・叔先泥和というひとが水死したとき、そのムスメの雄(二十八歳・コドモ二人)が「もし父の死体を見つけられずんばわれ自ら沈みて求めん」と宣言し、家族が見張っている中をすりぬけて自ら水中に没した。夢に弟に告げていわく「二十一日に至れば父とともに出でん」と。夢のとおり、父の死体と相抱いて浮かんだ。これは水神への人身御供の記憶とか、水神に仕えた巫女(折口信夫の「水の女」)伝承の変化とかいろいろ評されますが、もし現実にメのマエでこういう事件が起こったら、わたしなんかはいわゆるヒステリー状態で飛び込んでしまったように解釈してしまいます。

292話・これも孝行モノ。隣の家の鶏が迷い込んできたのをシュウトメがつかまえてコロして料理しました。ヨメはそれを見て泣いて食わず。「どうしたんだえ」と聞きますと「家が貧しくて、お義母さまに他人の肉を盗んで食わせてしまいますのがつらくてしかたありませぬ」と答えました。シュウトメはついにそのニクを捨てた。その後盗賊がまいりまして、まずシュウトメを捕らえて刀を押し付け、ヨメに向かって、「てめえが言うことをきかねえと、このババアをバラしてしまうぜ、ぐえへへへ」と迫りましたところ、ヨメは天を仰いで嘆じた後、自分でクビをはねて死んでしまったのです。盗賊は「うひゃあ」とコワくなったみたいでシュウトメを捨てて逃げていきました。太守これをきき、盗賊を捕らえて処刑するとともにその家に絹布を送って立派に葬らせたそうです。このひと、河南の羊子の妻とされています。羊子というひと、前半のシュウトメとヨメの争いのときどういう顔をしてメシ食っていたのかなあとか盗賊がきたとき何していたのかなあとか、大体死んでいたとこも書いてないので生きていたのでしょうねとか、いろいろ考えさせられます。

293話は家族が逃げ出す中、伝染病にやられた兄の看病をしたユ叔褒のハナシ。

294話は韓憑・何氏伝説。宋の康王というひと、部下の韓憑のヨメ何氏がキレイなので奪ってしまいます。韓はうらんだので王はこれを囚えた。このあと何氏と韓憑の間で自殺しようという暗号の手紙がやりとりされて韓憑が自殺。何氏は王と高台に上ったときに身を投げて死にます。その遺言でぜひ韓といっしょに葬ってほしい、と書いてあったのですが、王は「アッタマきたらかぜったいヤだ。勝手にいっしょになることは邪魔せんけどな」と言って別に埋めてしまいました。そうしますと両方の墓から梓の木が生え、あっというまに伸びてからまりあい、その枝に鴛鴦が飛んできて暮らすようになりまして、宋のひとたちは「相思樹」とよびましたとさ。

295話も「恋」のモノガタリ。ぷぷっ。漢の末、太守のムスメが太守の部下がカッコイイのでスキになりまして、侍女に命じてその部下の手を洗った残り水をとってこさせて飲みましたら妊娠。太守はコドモが這うことができるようになったところで、父を確認するため知り合いのオトコを集めた場で「父のところへ行け」と言ってそのコを這い這いさせてみますと、カッコイイオトコのところに這って行った。オトコが「そ、そんなことは」とコドモを押したところ、ごろんと転がって水に化してしまったのでした。ムスメからもよくよく事情を確認した太守は、結局のところそのオトコとムスメをケッコンさせました。あー、めでたしめでたし。でしょうか。なんかこのハナシ、ムスメのほうのすごい謀略の臭いがするのですが、ゲスのかんぐりでげしょうか。

296話は望夫岡のハナシ。あるオンナ、いいなづけがいたが妖怪にだまされて村はずれの大穴に隠された。いいなづけのオトコに救い出されるが、そのオトコは、いっしょに救い出しに行った友人に見放されて穴の中に捨てられたのであった。オンナはいつまでもその岡に立って、いいなづけの戻ってくるのを待っていた、というおハナシです。

299話・漢のハン(氾にクサカンムリ)巨卿と汝南の張元伯の友情、「死友」のハナシ。巨卿が葬式に来るまで元伯の棺が動かないなどの逸話。いいハナシではあるのですが少しイヤミが。ホモのにおいはないのです。しかしながら何かヘン。なぜかと考えていくと、オトコ同士というのはこんなに仲がよい、とべたべた公言しないよな、ということか。

巻十二      topへ

300話・干宝の「変化論」という論文なのですが、中に「千載の雉、入海してシン(辰に虫)になり、百年の雀、入海はまぐりとなり、千載の亀鼈、よく人語し、千載のキツネ立ちて美女となり、千載の蛇は断じてもまた続き、百年の鼠はよく相占う」という伝説を並べたハナシがありましてオモシロい。
301話・孔子が地中の土器から出てきた動物について「羊ですな。丘はこのように聞いております、木石の怪をキ、魍魎(ムシヘン)といい、水中の怪を龍、モウ象といい、土中の怪をフン羊という」と答えた。 

302話・晋恵帝のとき、呉郡の家に地中でイヌの声がする。捜してみると小さな穴があいていたので、それを杖で刺すとぶすぶすと入ること数尺、ナニかに当たった。掘ってみるとイヌが出てきた。オスとメス一匹づつで、普通のイヌよりは大きいようであった。長老いうあり、「これは犀犬じゃぞ。これを得るものは家が栄えるという。大事にせいよ」とか言うことであったが土の穴に一晩置いておいたらいなくなってしまった。太興年代にも呉郡太守の家で同様のことがあったが、こちらは飼っているうちに二匹とも死んでしまい、後太守はムホンで殺されることになってしまった。

303話・呉の諸葛カクが猟に行ったとき、谷間でコドモのようなモノが手を伸ばしてひとを引っ張るということがあった。カクがこれを逆に引っ張らしめて外に連れ出したところ、すぐに死んでしまった。カクは「これは「ケイ嚢」というモノだ。みんなは見たことがないので神怪であろうと疑うが珍しいだけで異常なものではない」と説明したのであった。・・・わたしはこの条を読むと、ゲニウス・ロキ(土地の霊)というコトバを思い出しますね。その土地にだけ霊力を有する小さな神というか精霊ちゃん。その土地から引き離すと「きゅう」といって弱ってしまう。精霊も弱るけど精霊のいなくなった土地も弱ってしまって、作物も実らなくなってしまう、とかいろいろの事件が起こるのです。

305話・晋の扶風の楊道和、夏に耕地で働いているとき、霹靂が降ってきたのでスキで戦い、ついにいけどりにした。唇丹のごとく赤く、目はカガミのようで、毛・角は長さ三寸余、アタマはサルに似ていた。

306話・このあたりから不思議な蛮族のハナシ。落頭民のハナシ。後に「飛頭蛮」と呼ばれ、わが国のろくろクビの原型にもなったといわれる不思議なハナシです。秦の時代、南方に落頭民というのがいた。そのひとたちには祭りがあってそれを「コラク」と称したので、呼び名が「落頭」となったのである。呉の時、将軍朱桓の侍女、毎晩寝たあとで頭が飛び去り、カマドの穴や天窓から出入りして耳を羽のように使うのであった。夜中に明かりで照らしてみると頭がない。カラダは少し冷たくなっており、呼吸はしていない。これを覆っておくと夜明けに帰ってきたアタマが戻るところがなく、二三度地に落ちて嘆き、カラダの方が呼吸が激しくなり、死なんとするようなありさまであった。そこでかぶせてあったものをとってやると、頭がくっつき平穏に戻ったのである。この時期南征した軍隊はしばしばこの民を得た。あるひとは銅盤をもってクビを覆ったところ、頭がひっつけずについに死んでしまったとか。

307話・江漢の地域に生息するチュ(ケモノヘンに区)人のひとたちのこと。よく化してトラとなる。トラとして捕まって檻に入っているモノを見たら赤い冠の村長で、「雨宿りに入ったらこんなことになってしまった。出してくれ」というので出したところ、たちまちトラになって逃げていってしまったハナシがついています。ひとになったときには踵が無く、トラのときには五本の指があるのがチュの特徴だそうです。

308話・蜀の西南の高山地帯に生息するモノ。サルと相類する、とのことですが、「人行」とありますから直立歩行するのです。ニンゲンの婦女でいいのがいるとさらってしまってコドモを産ませるのだそうです。コドモ産まないとずっと山中にいまして、コドモを産んだオンナは里といいますが人間界に返されて、そこでコドモを育てる。育てないとコロされるので、ちゃんと育てるのだそうです。こうして長じたひとは「楊」という姓を名乗ります。蜀の南西部に楊氏が多いのはこのひとたちだ、というのです。よく考えてみると、そんなことしていると一代でみんなニンゲンの楊氏になってしまいますね。ニンゲンでないオンナがいて、そちらでもコドモができて、そちらはそちらで育てるから残る、ということなのかな。ちょっと難しい子孫の残し方ですね。というよりこのセイブツは直立歩行するんだし、ニンゲンの一種なのでしょうね。柳田國男の「遠野物語」などに登場する「山のひとたち」を彷彿させます。

309話は臨川のあたりの諸山に妖物あり。つねに大風雨によりて来たり、声ありてうそぶくがごとく、よく人を射る。その着くところしばらくするとハレモノができ、大毒あり、とありますのでこれは毒矢ですね。オスといわれる猛毒(半日でシぬ)とメスといわれる毒(一晩たってから死ぬ)があるが、いずれも放っておけば死ぬことに違いなく、「刀労鬼」という。・・・て、絶対妖物じゃなくて野蛮のニンゲンだって。

310話・越の深い山中にいる「冶鳥」という鳥のこと。トラと通じ合っていてひとが害をなさぬようその巣をトラが見張っているそうですし、身長三尺のニンゲンのカタチになって谷川のかにをとって火であぶって食ってたりするそうです。越の祝(シャーマン、でいいのかな)の祖先であると言い伝えられているそうですぞ。

311話・南海の外に「鮫人」ありという。水におるときはサカナのごとくであるが、機織・糸紡ぎは行う。泣けばその目から珠を出だす
312話・ロ江の上流に「大青」「小青」というのが生息している。山野のうちにおいてときおり哭する声を聞くことがあるがこれが彼らで、見に行っても姿を見ることはない。その哭する声の聞こえた後は必ず死喪のことがあるという。
313話・同じロ江の大きな山の間に「山都」がいます。ひとに似て裸身、男女あり、身の丈四・五丈にもなり、よく嘯いて相呼び合い、つねに暗い森の奥にいる。
314話は江水にいた「域」(実際はムシヘン)のこと。砂を含んでひとに吹きかけ、あたれば筋肉が収縮し頭痛発熱し、激しいものは死んでしまう。・・・いにしえの儒者(どうやら漢の劉向の説のようですが)、男女が同じ川で水浴びし、みだらなオンナが主となると、乱れた気がこのものを生じるのじゃ、とかいうことだそうです。

315話・永昌郡に禁水あり、水に毒気があるのでこれを渡ると病んで死に至る。ただし十一月と十二月はわたることができる。気中に悪物があるわけだがそのスガタは見えない。しかし声有るに似てなんとなく聞こえ、飛び道具で攻撃してくるようである。木に当たると折れ、ひとに当たると害される。これを土俗では「鬼弾」という。郡に罪人あればこの禁水の近くでの作業に従事させる。たいてい十日を過ぎずに死ぬ。・・・声あるに似たり、て、それはガスがぶくぶく言ってるんですよ。

316話・これは著者の身近な事件のことのようです。犬コ(コはムシ三つの下に皿)という犬のマジナイのことで、わが国のイヌガミ憑きなどを思い出させるコワさですが、ハ(番にオオザト)陽の趙寿がこの犬コを行っていたようだ、というのです。陳シンが趙家を訪問したとき、大きな黄色い犬六〜七群れが家から出てきて吠えられた。後に著者の伯母が趙寿の妻とメシを区っていて、血を吐いてほとんど死にそうになったが「桔梗」を砕いて飲ませてなんとか治った。コには怪物があり、いろいろ変化するそうで、あるいはイヌとかブタとかムシとかヘビとかのカタチをとる。これをひとに命中させるとみんな死ぬ。なんか著者の伯母さんが「あの家はイヌ神使っているよ〜」とか顔をしかめて言ってそうな雰囲気があって、イヤですね。

317話・これもコのハナシ。栄陽郡のある一家では代代コを使って富を築いてきた。あるところからヨメをとったがまだそのことを教えていなかったのだそうです。家人がみな出かけて、このヨメだけが家に残っていたとき、ヨメが屋中にあった大釜のふたから覗いてみると、大きなヘビが入っている。ヨメはお湯をわかしてこのヘビを湯で殺してしまった。家人が帰ってきてヨメからそのことを聞き、一家をあげて驚くことすごかった。いまだいくばくならずして、その家は病気で全滅したそうである。コワいです〜。

巻十三      topへ

この巻の最初の方は土地にまつわる不思議。
319話は泰山の東の禮泉で、ここは井戸のカタチはしているけど本体は石なのだそうですが、この水を飲もうとするひとはココロと志を洗い、ひざまづいて飲まないといけないのです。ココロの汚れたものが飲もうとすると泉は即座の止まるとか。
320話・二華山というのは一山だったのを、黄河を通すために巨大な神がぐぐぐいーと持ちまして、手と足で二つに分けたのだそうで、掌や足のあとがはっきりと見られるそうです。この神のことを「贔屓」ということもある模様。 321・323・324話は水をもたらす石、322話は雨ゴイに山を焼くこと。

326話では、城門が血塗られると城が沈むという歌が流行りまして、老婆が毎日門を覗きにきます。門番が怪しんで捕まえようとしますと、老婆は流行り歌のハナシをします。いにしえは「謡」とは予言の歌であったのですね。政治とかかわりえないような奴隷(童)などが歌う歌が「童謡」でして、それは無心のモノが歌うので、神のご託宣と同じように尊ばれたのですよ。しかし、門番は相手にしませんでして、後に「ああ、ぽむぽむ」と気にせずに犠牲のイヌの血を塗る(むかしはそうして邪悪なモノが城門からはいらないようにしたようです。定期的にしなくてはいけなかったみたいですね)と、その日突如として大水が出ました。知事のところにも使いが来て、「洪水でございます」と知らされまして、知事が「みんなサカナになってしまうのか」と問いますと、使いの者が「知事もサカナになりまする」と答え、二人とも水没していきました、とさ。この知事はお子チャマかよ。秦の始皇帝のころのハナシなのだそうです。

328話は科学的なハナシです。漢の武帝がコンメイ池を掘らせたところ、地中深いところの土は灰黒色をしていましたので、「なんでこんな色しとるんや」と物知りの東方朔に聞きますが、東方朔は「わたしの知識の範囲ではありません。いずれ西域からそのことを知るひとがまいりましょう」と答えた。その後章帝のとき、章帝はそのことを思い出して、「先代からの疑問」を西域からきたモノに聞いてみたところ「ああ、それは何十億年もの時をかけて宇宙が一劫という区切りを終えますが、そのとき「劫火」がすべてを焼き尽くすのです。地中深いところが黒いのは、そのとき焼けた土なのです」と答えたのであった。なるほど。いろんななぞが解けますね。

329話・長寿の家があるので調べたところ、井戸の水が赤い。丹(水銀ですね)が混ざっており、代代これを飲んできたので長寿であったことがわかった。はあ。 330話・呉王コウリョが江に食べ残しのサカナの膾を流したので小さなサカナができた。

332話・青扶(実際にはムシヘン)の伝説。南方の虫でして、形はセミに似てやや大。その子をとりますと必ず母が気づいて寄ってきます。その性質を利用して青扶銭といいまして、このムシの母ムシをつぶした汁を塗った銭を八十一文、子ムシをつぶした汁を塗った銭を八十一文用意しておきます。これでモノを買う。母銭を渡しても子銭を手元に残しておきますと、必ず母銭が飛んで戻ってくる、という。不思議ですけどそんな銭ばかりあったら経済システム的にはマズいよな。

333話・土蜂のカラというのは、オスだけでメスなし。他のムシの幼虫をさらっていって育てると化して土蜂になるという。

336話・崑崙の山奥の巨大洞窟は大地のアタマにあたる。天帝の下都であり、まわりを弱水の深きと炎火の山をもって囲んで外界と隔絶せしめているのである。この炎火山の動物や植物は火の中で成長するので、火にくべても燃えない火幹(実際にはサンズイヘンがつく)布ができるのである。漢の時代に西域からこの布が献上されたがその後長い間実物が手に入らなかった。魏の文帝は文人としても有名だったが、火乾布については「合理的に考えて火の中で暮らす動植物があるはずない」と決め付けて著述を著し、続く明帝のときに先帝の著作を重んじて石に彫って都に展示したのであった。ところがこのときになって、西域人が火浣布の袈裟を献上してきたので、石碑から「火乾布」に関する部分を削り取った。天下おおいに笑ったといいます。

337話・金属の性質はひとつであるのに夏至の昼に鋳ると(日光から火を起こす凹面鏡である)陽スイ(火ヘンに遂)となり、冬至の夜に鋳ると(月の光を集めて露にするという)陰スイになる、ということだそうです。この二種類の凹面鏡、とても神秘的でどきどきしますね。陰スイの方はなかなか深いモノがあって、約束を示す「盟」という字の下の皿が、これに当たる、というようなカンジです。

338・339話は後漢の科学者・音楽家・文章家の蔡ユウの伝で、呉の国に亡命中、焚き火の中で桐のはぜる音を聞いて「これ良材なり」と言ってそれを貰い受けて、琴を作った。このためこの琴は尾のところがこげており、「焦尾琴」と呼ばれた。また、会稽の千秋亭というところで垂木になっている竹を見て、「これ良材なり」といって貰って笛を作った。その音喨々たり、という。あるいは亡命から帰ったあとに「呉でみた亭の第十六番目の垂木の竹は良材であった」と言ったので、ひとがそれをとって笛を作ったら、異常な音がした、ともいう。 

戻る

捜神記(下)へ