韓国・朝鮮-12








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奈良に法隆寺が建立された頃、6,7世紀の日本と朝鮮半島の関係はどのようなものであったのでしょうね。

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177・百済と奈良 (2009年03月30日)
178・薯童謠 (2009年03月30日)
179・イ・サン・正祖大王(2010年03月15日)
180・朝鮮の首都・平壌を縮小 (2011年05月09日)
181・済州特別自治道  (2011年05月21日)
182・脱北者3回目の日本漂着(2011年09月25日)
183・韓国の朝鮮への援助物資(2011年10月06日)
184・高英姫(2011年12月24日)
185・金日成主席生誕百年  (2012年03月22日)
186・朝鮮ではカレンダーを修正 (2012年03月25日)
187・韓国と旧満州(中国・東北部・三省) (2012年04月21日) 
188・朝鮮戦争休戦協定 (2012年04月26日)
189・ソウルと開城 (2012年05月01日)



189・ソウルと開城 (2012年05月01日)
開城市は現在は北に属しています。韓国特にソウルから近いという事で韓国企業による工業特区がありますし、一時は住民とは隔絶し写真も制限されていた形ではありますが韓国人の観光客を受け入れていました。朝鮮王朝の前の高麗王朝の首都として10世紀に作られた街で朝鮮王朝の時代にソウルに移るまで一時期を除き大方ここが首都でした。日本が戦争に破れ38線で分割された時には開城は南側で韓国に属していましたが、朝鮮戦争では最初に北側から攻撃を受けて最終的には北に属する事になりました。板門店にも近く韓国から一番近い北の都市です。ソウル中心部からの直線距離を測りますと48.3キロという事が判りました。東京駅から東海道線方面でどの辺になるのか調べてみますと茅ヶ崎まで50.7キロありこれよりは近い事が分かります。茅ヶ崎と言いますと首都圏の人にとりましては通勤圏で多くの方が東京に通っている街です。もし軍事境界線が無かったならば仁川や水原のようなソウルの衛星都市になっていた事でしょう。現在は北側で朝鮮の一部となっています。

ソウルからこれだけ近いのに全く活用出来なかった状態が長く続きましたが開城市に隣接し、よりソウルから近い地区に工業団地が建設され北側の安い賃金を利用して韓国企業による生産が行われている。何でも既に5万人以上の労働者が働いているとのことで、朝鮮の良い現金収入となっているようです。ソウルを東京に置き換えますと藤沢、鎌倉くらいの距離になります。特別な治外法権があるわけではありませんが、外の地区とは異なり電力を含めてインフラは韓国から持ち込んだ近代的なもので、これだけの数の北の住民が韓国に触れている現実があります。団地内には色々な施設があり、韓国人管理者の為にコンビニもあり、ファミリーマートまでがあります。多分朝鮮に在る唯一のファミリーマートでしょう。この工業団地で大きな話題となっているのがチョコパイです。韓国で人気のお菓子ですがこれを団地内でおやつとして北の労働者に配布しているのだそうです。普通の食事にも事欠く朝鮮で甘い美味しいお菓子は特別なご馳走で密かに外に持ち出し家に持ち帰ったり現金に換えたりするするのだそうです。また工場により配布する数が異なり工場間で配布の基準を作ろうとしたところ北の政府は現金で渡すよう要求して来たそうです。朝鮮政府からしますと労働者が領内の一般地域に韓国の製品が持ち込まれる事態は由々しき事であり阻止する必要があったのでしょうね。今後開城がどのようにソウルと関わって行くのか注目です。



(地図:開城-ソウル)



(地図:東京-茅ヶ崎)



(チョコパイ)

北朝鮮で大人気の韓国商品…「チョコパイ取引」には保安員も見ないふり(中央日報)
開城(ケソン)工業団地入居企業が北朝鮮の勤労者に提供するチョコパイが、北朝鮮全域の市場に流通しているという。 韓国製品を徹底的に取り締まる市場管理要員さえも「チョコパイ取引」には目を閉じる雰囲気だ。 12日の米自由アジア放送(RFA)によると、最近、親せきに会うため中国を訪問した平壌(ピョンヤン)住民のイさんは「開城工業団地からチョコパイが広がり、韓国の商標と包装紙のまま市場で売られている」と伝えた。 清津(チョンジン)の住民ミンさんも「南朝鮮の商品の売買を取り締まる市場保安員も見て見ぬふりをしている」と話した。チョコパイの価格は地域ごとに違うが、北朝鮮貨幣で400−500ウォンで取引されている。韓国貨幣で177ウォン(約12円)ほどの価格だ。 中国国内の韓国食品店では韓国貨幣で300ウォン程度であることを勘案すると、北朝鮮の市場での価格は高くない。こうした状況について北朝鮮の住民は「北朝鮮市場で売られるチョコパイは開城工業団地の労働者が無料で受けたものを売ったものであるため、原価は計算できない」と説明した。児童と高齢者に人気のチョコパイは中産階級以下の庶民には今でも貴重な菓子だ。 現在、北朝鮮ではコメ1キロが2800ウォンほどで取引されている。 チョコパイ7個とコメ1キロを交換できる。清津の住民ミンさんは「北朝鮮貨幣400ウォンなら、3人家族の1食分のトウモロコシ麺を購入できる」とし「将軍様、首領様の誕生日にしか糖菓類を食べられない人たちにとっては 今でも貴重な高級食品」と話した。




188・朝鮮戦争休戦協定 (2012年04月26日)
宣戦布告無く、北側が侵攻する形で開始された朝鮮戦争、戦われたのは遥か昔で休戦協定が締結されて戦闘が停止されたのは1953年7月、来年で60年となります。この休戦協定に署名したのは3人、北側は朝鮮・金日成、中国の司令官である彭徳壊の二人、南側は国連と米国の両方を代表として総司令官の米国陸軍大将・マーク=W=クラーク一人が署名しています。ここで重要なのは韓国は署名していないという事です。要するに中国・朝鮮と国連・米国が署名しているのです。60年近くこの協定は何とか守られて大規模な戦闘は回避され休戦状態は現在も続いています。国際情勢はこの間に大きく変化し、冷戦は遠い過去となり国連と対峙していた中国は現在は安保理の常任理事国、朝鮮も韓国も加盟国、更には国連のトップである事務総長には韓国人が就いています、協定を結んだ時には想像も出来ない程の大きな情勢の変化だと思います。現代の国際社会では考えられない時代錯誤の古い冷戦時の協定が朝鮮半島の平和を保っていることに危うさを感じます。

朝鮮としては休戦となっているこの戦争自体を公式に終了させて自国の安全の為に平和条約を締結したいというのが本音でしょう。韓国の頭越しに米国との取引をしたがりますが、これは休戦協定の相手国は米国のみだからだと思います。朝鮮が核開発を行わない見返りとして米国が食料援助を行うという合意がありましたが、ミサイル騒ぎで吹き飛び対話さえ行えない状況に陥っています。平和協定への糸口も見えない状況の中、今後もこの古めかしい休戦協定を拠りどころとして現状維持が図られるのでしょうが、朝鮮は瀬戸際外交を繰り返し行い、むしろ際どいバランスで何とか保たれている現在の平和さえ破綻してしまう可能性が高まっているようにさえ感じます。多少の衝突が起きても今までは板門店で会議を行い何とか戦闘が激化するのを防いで来ましたがここ数年の北側の言動、行動を見ていますと更に大きな軍事行動に出る可能性があるように見えます。ソウルに数発ミサイルを打ち込む等という事態となれば韓国も直ぐに報復しあっと言う間に休戦協定は破棄され本格的な戦争が始まる事でしょう。常識的には通常の戦争の場合には正当な理由を持って宣戦布告する事が必要なのでしょうが、継続中の朝鮮戦争おの場合には休戦協定破棄だけで済むので簡単に大きな戦闘が始まってしまう事になるのでしょうね。



(休戦協定)



187・韓国と旧満州(中国・東北部・三省)  (2012年04月21日)
中国東北部と呼ばれる地域は日本では戦前「満州と呼んでいました。中国最後の王朝である清王朝の本拠地でもあり人口は3三省併せますと一億人を超えます。東北部は中国の端に位置しており、上海や広東等他の地方に行く場合には北京付近の縊れている狭い回廊のような場所を通過する必要があります。首都北京は中国全土で見ますと北東の隅に位置していますが、ここから更に奥にこの東北部があるというのが大方の中国人の見方でしょう。上海や広東等中南部の沿海地域が大きく発展しても遠く離れており交流は余り無いものと想像します。中国の他の地域と比較しますとどうしても経済発展競争には不利な環境に在ると言えます。

韓国がもしも朝鮮を併合するとどうなるのか考えてみます。この東北三省全てとかなりの距離の国境を持つ事になります。また首都ソウルからそれ程遠くないのでソウルの経済圏に組み込まれてしまうかも知れません。現在中国の中で北京が近くに在るという印象ですが例えば最大都市の瀋陽から北京までは628キロです。これに対してソウルまでは561キロとより近いので例えば両都市が高速道路、高速鉄道で結ばれればかなり簡単に行く事が可能となるでしょう。ここには多くの朝鮮族も暮らしているので韓国的な経済観念、現在と比較してより資本主義的なものが入り込む事になるでしょう。中国から見てこの地域の韓国化はすなわち米国化と映るでしょう。中国が朝鮮崩壊を恐れているのは資本主義国として成熟した域に到達している韓国と長い国境線を持つ事となりその結果として東北部が資本主義的な地域となり経済だけでは無く主義思想も入り事になるからだと思います。この地域から首都の北京は近く、東北部が変化した場合には影響を受け易いのでそのような事態は何とか避ける必要があるという訳です。



(地図:中国東北部)




(地図:瀋陽-ソウル)



(地図:瀋陽-北京)



186・朝鮮ではカレンダーを修正  (2012年03月25日)
朝鮮では故金正日総書記の事を「光明星」と称しその誕生日2月は光明星節として祝日に制定され全てのカレンダーは修正されたようです。初代の故金日成主席は歴史上最大の偉人という事で太陽に例えられその誕生日である4月15日は最も大切な祝日となっており、これに次ぐ扱いとなるのでしょう。日本でも今上天皇の誕生日は「天皇誕生日」としてお祝いをしますが、明治天皇、昭和天皇の誕生日は今でも「文化の日」「昭和の日」として祝日になっており同じような感覚なのでしょう。ここまで実績を積み上げて来ればもう無理に民主主義としないで正式に「金王朝」として即位する形を取ればむしろすっきりするように思うのですが如何でしょうか。さて、太陽、明星と来ましたが三代目の金正恩氏にはどのような天体が充てられるのでしょう、明星より輝く星では立場上まずいので選択が難しいかも知れませんね。

実際のカレンダーの写真があるサイトに出ていましたが、「金日成主席と金正日総書記は常に我々と共に居る」と書かれており、2月16日は特別な祝日として他の祝日等とは異なり字体も大きいものが使用されています。また光明星という名前は朝鮮が人工衛星と主張する弾道ミサイルにも使用されており、現在金主席の生誕百周年の打ち上げ花火として計画されているロケットは光明星3号と称せられているようです。周辺諸国は発射を見合わせるように働きかけていますが金主席の生誕百年を祝うと同時に昨年末に亡くなった故金総書記の追悼を意図する打ち上げを今更中止にする訳には行かないかも知れませんね。



(写真:カレンダー:デイリーNK)

北、カレンダーを再修正・大元帥、光明星節などを追加(デイリーNK)
北朝鮮が2012年のカレンダーを再び修正したことが分かった。表紙のスローガンが変更され、金正日の誕生日2月16日 には「光明星節」と記されている。このような事実は、デイリーNKが北朝鮮の貿易商を介して入手した2012年のカレンダーから確認された。北朝鮮当局は、金正日が死亡する前に配布された死亡日(12.17)が表記されていないカレンダーの一部を回収し、残りは金正日の宣伝文句と死亡日が書かれた張り紙で修正していた。これを最近になって、再び変更したのである。外国文化出版社が発行した今回のカレンダーは、金正日の死亡日の表示だけでなく、誕生日(2月16日)に 光明星節と記入されている。朝鮮労働党中央委員会政治局は1月12日の特別報道を通じて、金正日の死体を永久保存し、誕生日を光明星節に制定した。カレンダーの表紙の上部の「偉大な首領金日成同志は永遠に私たちと共にいらっしゃる」という従来のスローガンは、 「偉大な首領金日成同志と偉大な指導者金正日同志は永遠に私たちと共にいらっしゃる」に変更された。ここでは金正日を金日成と同格で扱っている。また、以前のカレンダーでは、4月の祝日表記(カレンダー左下)で「主体81年4月20日に偉大な指導者金正日同志が朝鮮民主主義人民共和国から元帥の称号を受け取られた」と表記されていたが、今回のカレンダーには記入されていなかった。これは、金正日が今年2月14日に大元帥の称号を受けたことが反映されている。2月の祝日表記に は「主体101年2月14日に偉大な指導者金正日同志が朝鮮民主主義人民共和国から大元帥の称号を受け取られた」と表記された。カレンダーが先月14日以降に印刷された事が確認出来る金正恩の誕生日(1.8)は、従来と同様に特別な表記は行われていない。また、今回のカレンダーにも張り紙が行われている。その内容は、4月15日に太陽節と書かれている。




185・金日成主席生誕百年  (2012年03月22日)
故金主席の誕生日は1912年4月15日で今年で生誕百年を迎えます。これに合わせて朝鮮では国家を挙げて記念行事を行い、何でも今年は「強盛大国」の門を叩くのだそうです。かなり以前から準備が進んでいたようで、金正日総書記の死去という思わぬ出来事もありましたが、予定通り大々的にお祝いをするようです。金主席の後、その子供と孫が後継者として国の顔になっていますが建前は「民主主義共和国」それも共産主義もしくは社会主義の国家という事であり、余り個人崇拝はふさわしくないようですが、実態に合わせてあちらの感覚ではお祝いするのが当然なのでしょう。初代の金主席が想像を超える偉大さであったので血を引き継ぐ必要があるという論法のようですね。これを利用してこの機会に金正恩氏の総書記就任という観測も出ています。

金日成というのは抗日戦の伝説的な英雄の名前であり実際には複数の人の総称とも言われておりどのような人物であったのか不明のようです。若い日のソビエト軍の大尉金聖柱氏が扱い易いと考えたのかソビエトから国の指導者に指名されこの名を使用したそうで、以降朝鮮にスターリンのごとく君臨し、ソビエトの了解を取り付けた上で朝鮮戦争を起こし、停戦後は政敵を粛清し独裁体制をひき、60年代には韓国に勝る国力と国民の生活を実現させた人物です。この辺の経緯に関しては1982年自由社から発行された「北朝鮮王朝成立秘史・林隠」に詳しく書いてあります。

朝鮮としては多額の費用をつぎ込み色々なイベントを行い国民に多くのプレゼントを行うようです。イラン、シリア等の西アジア情勢が緊迫していますので米国は朝鮮に対して大幅な譲歩を行い朝鮮側が強く望む食料支援まで約束しています。米国としては加工した形で送りたい意向ですが、金一族から国民への贈り物もしくは例え出処が米国の支援物資と分かってしまったとしても米国が屈服し貢物として差し出したものを国民に配布するという形を取るのと党幹部や軍部に優先的に廻す為にも加工されたものでは無く「米」というような形で受け取りたいのでしょう。

周辺諸国での一番の話題は人工衛星と称したミサイルの発射です。今回は黄海側の中国国境付近に在る基地から発射するようですが南に向けて発射し、韓国領海と中国領海の間をすり抜け、沖縄の西側を通りフィリピン付近に着水する予定になっているようです。当事者と言える米国、韓国、日本は勿論ですが、近海が目標になっているフィリピンはかなり反発しているようです。あくまで平和利用の人工衛星の実験だとする朝鮮への対応は相手が相手だけに一筋縄では行かないようです。朝鮮の陽動作戦に対して日米韓が一致した強い対応を貫く事が出来るのか注目です。





(肖像画:金日成主席)

金日成生誕100年、記念行事に20億ドル投入・1万人を無料招待、大学生を建設現場に投入(朝鮮日報)
北朝鮮が故金日成(キム・イルソン)主席の生誕100周年に当たる4月15日(太陽節)を記念する行事に、年間国家予算の3分の1に当たる20億ドル(約1670億円)以上をつぎ込むとみられることが、19日までに韓国政府の推計で分かった。このほか、太陽節を前後して、発射を準備している長距離ミサイル「テポドン2号」(北朝鮮は人工衛星「光明星3号」と主張)の開発、打ち上げ施設の建設費に約8億5000万ドル(約710億円)を投入したと推定される。韓国政府の消息筋は「北朝鮮の昨年の国家予算は57億ドル(約4750億円)だったが、今回の行事だけで20億ドル程度が投じられるとの暫定集計がまとまった」と説明した。北朝鮮は今回の記念行事に、世界48カ国から110の代表団を平壌に招いた。旧ソ連圏A国の政府関係者は「北朝鮮は代表団100人余りを4月10日から17日まで招待し、航空運賃、宿泊費、滞在費用などを全て負担すると打診してきた。平壌には何度か行ったことがあるが、このようなことは初めてだ」と語った。同関係者は「舞踊団や芸術団など数百人が招待された国も多い。使節団の規模は1万人に達すると聞いている」とも話した。北朝鮮はまた、今年の太陽節に合わせ、住民に「首領様誕生100周年を記念して、100種類の品物を配給する」と公言しているとも報じられている。韓国統一部(省に相当)当局者は「北朝鮮はこれまで、太陽節に外国からの賓客招待、祝賀行事、特別配給に少なくとも3億ドル(約250億円)、節目の年には8億ドル(約667億円)の資金を費やした。過去最大規模となる今年は、少なくとも10億ドル(約834億円)が投入される見通しだ」と述べた。今回投じられる費用は、北朝鮮が昨年1年間、中国に石炭などを輸出して稼いだ11億4910万ドル(約958億円)に匹敵する資金だ。北朝鮮は2−3年前から太陽節に向けさまざまな建設事業を進めてきた。柳京ホテル、万寿台地区の高層マンション、平壌民俗公園、万景台ウォーターパークなど、体制宣伝用の建設事業に少なくとも10億ドルが投じられたと推定される。さらに、綾羅島に建設中のイルカショー会場に海水を引くため、沿岸部の南浦から長さ約50キロの水路も建設している。不足する労働力には、軍人と大学生を動員している。全国の主要大学に昨年6月から今年4月まで休校命令が下されたのもこのためだ。韓国の特殊部隊、特殊戦司令部に相当する「暴風軍団」(第11軍団)も平壌民俗公園の建設に投入されるほど、平壌全体で建設工事が全力を挙げて行われている。金正恩(キム・ジョンウン)一家を警護する護衛司令部出身の脱北者B氏は「護衛司令部の兵士も丸ごと全国のダム建設現場に動員された。俺たちは工兵かと自嘲する声であふれている」と語った。北朝鮮が太陽節に巨額の資金を投じるのは、金正日(キム・ジョンイル)総書記の遺訓があるためだ。金総書記は生前「2012年には必ずや強盛大国の扉を開け、朝鮮の尊厳と威力を示そう」と口癖のように語っていた。北朝鮮は金総書記の死因についても「強盛大国建設のための超強行軍で重なった疲労」と公式発表している。金正恩氏は、太陽節を前後する来月半ばに開かれる朝鮮労働党代表者会で「強盛大国」の実現を宣言しなければならない。労働党総書記に就任するには、そのような大々的な祝賀ムードが必要だ。統一研究院のパク・ヒョンジュン先任(上級)研究委員は「今年の太陽節に向けた準備は、1989年の世界青年学生祭典を連想させる。韓国が1988年にソウル五輪を招致したことに刺激を受けた北朝鮮は、98年の青年祭典に177カ国から2万2000人を平壌に招待した。しかし、国力に見合わない大規模な行事を開催したことで、1990年から経済が急速に悪化する原因となった」と指摘した。韓国政府消息筋は「(青年祭典の当時も)北朝鮮は綾羅島5・1競技場、東平壌大劇場、羊角島サッカー競技場、万景台少年学生宮殿など無理な建設工事を繰り広げた。当時、32億ドル(約2669億円)が投じられたと推定される」と話した。1989年の北朝鮮の財政規模は152億ドル(約1兆2680億円)で、単発の行事に国家財政の5分の1を費やしたことになる。今年の太陽節が終わった後、北朝鮮の政権が直面する後遺症は、青年祭典のときに劣らない深刻な状況に陥ると予想される。韓国政府の関係者は「強盛大国を宣言しようと、既に破綻状態にある北朝鮮経済が完全に崩壊し、体制が危うくなりかねない」と指摘した。




(地図:イルカショー水路工事)




184・高英姫  (2011年12月24日)
新たに朝鮮の指導者となった金正恩氏の母親は高英姫という方で元々は在日の方で大阪生まれなのだそうです。金総書記からは「あゆみ」という名前で呼ばれていたという説もあります。まだ健在であるという説もありますが、一般的には癌を発症し2004年にフランスで亡くなられたそうです。数年前に金正恩氏が次の指導者の候補となった際に日本では多くのジャーナリストが在日の母親の日本時代について調べ鶴橋に住んでいた元プロレスラー高太文氏(リングネーム:大同山又道、通名:高山洲弘)の娘の高春幸(1950年6月16日生まれ)であると報道し、それに準ずる本まで出版されています。なんでも和田アキ子さんの実家の道場が近くにあり、父親の出身地も同じ島なので柔道家同士という事もあり、小さい時には和田さんがこの娘の面倒を見ていたと報道されています。

もう一つ説があり、在日帰国者であるコ・ギョンテク氏の娘、高英子であるの説です。それによりますと1952年6月26日生まれで1962年、9歳の時に朝鮮に渡った事になります。朝鮮画報に朝鮮で暮らす一家の写真があり、こちらが本物であると主張されている方が多く居ます。ウィキペディアを見ますと日本は高太文説、韓国はコ・ギョンテク説を取っています。ただ柔道家からプロレスラーになった高太文氏の写真を見ますと体格風貌などは何となく金正恩氏に似ている気がしますが如何でしょうか。

いずれにしても高英姫さんは大阪の生まれ、父親は済州島の出身である事は間違いないようです。幾ら在日の方が多く暮らしているとはいえ大阪に10歳近くまで住んでいたという事は故郷は大阪で、日本的であった事は間違い無いと思います。金正日総書記が日本人の専属料理人を置き、拉致という相当強硬な手段を用いてでも日本人の若い女性を連れて来たのも高英姫を慰める為であったのかも知れません。高英姫さんは懐かしい日本に息子達(正哲氏、正恩氏)を連れて何回か訪問されたようです。正恩氏は母と共に数回日本を訪問し、小さい時に日本の教育を受けた母親に育てられている訳で日本に関しては親近感を持っているのではないかと推測します。韓国の李明博大統領も大阪の生まれ、南北の指導者共に大阪に強い縁があるようですね。

さて、金日成主席、金正日総書記の場合にはその母親達は偶像化され国母という感じで崇拝されて来ました。金正日総書記に愛され、指導者母に当たる高英姫さんも多分近い将来、偶像化する事になるのでしょう、その際には在日出身で舞踊家、一説にはあの「喜び組」であったという経歴は余りふさわしくないと考えているようで、関西大学の李英和教授の話としてデイリーNKの伝える事によりますと隠蔽される事になるのだそうです。正恩氏の正統性の根拠となる「白頭の血統」には相容れないと考えているのかも知れません、どのような扱いになるのか注目ですね。



(写真:高英姫さんと高太文氏)



(写真:朝鮮画報1973年3月号・コ・ギョンテクさん一家)




183・韓国の朝鮮への援助物資  (2011年10月06日)
朝鮮では水害により食料不足、物資不足が相当深刻な状況であると言います。朝鮮は国際社会に向けて支援を要請し、色々な国がこれに応じて援助を実施しているようです。例えば米国は食料は一切援助しないで毛布などを送りました。それに対して韓国はラーメン、チョコパイ等の韓国製品を中心に援助物資を用意して何時でも贈る事が出来るように準備していたようですが、これが不発に終わりました。南北それぞれの思惑がすれ違いを起こした結果のようです。

朝鮮としては基本的な食料の米とセメントなどの基本的な資材を韓国に求めたようです。米は配給に出来ますし、軍事物資として兵士に配り士気を高める事も出来る等大いに政治に利用する事が出来ます。それに米であれば出所を偽り、指導者様からのありがたい贈物として利用する事が出来ます。それに対してもし被災地に韓国製品が大量に入って来た場合には包装は全て理解可能なハングルで書かれており韓国の生活水準の高さを一般国民が知る事に繋がり朝鮮政府当局としてはありがたくない物資と言え、到底受け取る事は出来ません。韓国もその辺りの事情は理解した上で拒否される事が分かっていて用意したのかも知れません。被災地に必要とさせる物資を十分に用意したのに受け取らなかったと内外に示すのが目的であったのかも知れません。韓国としては自分の援助物資が相手政府への援助となり、悪用されるのを避けたいという意向が働いたのでしょう。言われたような物資を渡すと渡して欲しい相手では無く軍人や幹部に流れ、政府の信用強化に利用されるだけと判断したのでしょう。今までしたたかな北に対して韓国はまともに相手をし過ぎたのかも知れません。今後は今回のような主張が在る対応が増えて行くものと想像します。南北の駆け引きに注目ですね。

対北支援、菓子やラーメンはお断り(朝鮮日報)
韓国政府は、今夏の豪雨で水害に遭った北朝鮮住民のため支援物資を用意したが、この物資が北朝鮮に送れずにいる。韓国政府が準備した支援物資は、乳幼児用の栄養食140万食、菓子30万個、チョコパイ192万個、ラーメン160万食など50億ウォン(約3億2000万円)相当。黄海道と江原道の被災地の住民に渡せば、急場をしのぐことができる。北朝鮮に対し支援物資を送るという通知文を今月6日に送ったが、3週間たっても北側から回答がない。統一部(省に相当)の関係者は「受け取らないつもりらしい」と語った。韓国政府の消息筋は「韓国が準備した支援物資は“体制維持の役に立たない”と考えているからだろう。北朝鮮が欲しいのは、とにかくコメとセメント」と語った。実際に北朝鮮は、8月初めに韓国政府が北朝鮮の被災地に対する支援を表明したとき「コメとセメントを送ってほしい」と要請した。北朝鮮は中でもコメを切実に必要としている。コメがあってこそ、配給制度で暮らしている労働党幹部、平壌市民、軍人など北朝鮮の権力維持に必要な400万人を食べさせることができる。配給をまともに受けられない残りの住民2000万人は、随分前から自力で生きてきた。一部には「どうせくれるなら、北朝鮮が欲しいものを気前よくくれてやろう」という主張もある。しかし韓国政府の当局者たちは「北朝鮮の事情を理解しているのなら、そんなことを言ってはいけない」と口をそろえた。現在北朝鮮では、市場を中心とする地下経済が急速に成長し、社会主義計画経済の基盤が揺らいでいる。北朝鮮では、1世帯当たり8‐9万ウォンの生活費が必要だが、国営工場や企業が支給する賃金は1万ウォンにもならない。残りはさまざまな副業や自営業で稼ぐ。こうした状況で大規模な食糧・物資援助を行うのは、揺らいでいる計画経済と配給制度を復活させ、北朝鮮当局の市場統制能力を伸ばしてやることにしかならない。大規模な支援が、当初期待した人道支援効果を発揮するよりも、住民を抑圧する手段として悪用されかねないというわけだ。対北支援は今や「ただあげよう」という単純な論理でアプローチできる段階を過ぎたようだ。対北支援が北朝鮮内部にいかなる政治的・経済的・社会的波及効果をもたらすのか、よく考えなければならない、ハイレベルな方程式に変わったからだ。



(写真:用意されたが無駄になった朝鮮向け援助物資:朝鮮日報



182・脱北者3回目の日本漂着  (2011年09月25日)
日本に脱北者の小型船が漂着しました。これで三度目です。最初は福井県に10人が漂着した「ズダン号」のケースで1987年ですので既に24年が経過して居ます。当時一般の人達にはまだ朝鮮に関する正確な情報が無く、朝鮮に関して余り関心も持たれて居なかったように思います。何故そこまで命を賭して脱出をしなければならないのか多くの人は理解出来ず、また当局は何の準備も想定もしていなかったので対応に相当苦慮していました。結局は台湾経由で韓国に送ったのですが韓国には脱北者がほとんど居ない時代で韓国はこの人達を自分達の体制の優位さに利用し、特別な待遇で迎え入れ、体験談が出版されるなどしました。日本語でも出版され、そこには朝鮮の市民生活が語られ、不自由で苦労が多い生活の実態が明らかになりました。時が経ち、時代は変化し日本の国民の多くが朝鮮の内情に精通するようになり、韓国には数多くの脱北者が居るようになりました。今では如何にして朝鮮を崩壊しないようにされるのかという議論が為され、統一と言う建前はありますが、何とか現状で踏み止まって貰う事を韓国は望んでいるように見えます。

今回の漂着者は今までの2回と同様に小型船での脱出でした。計器や装備などは不十分なものでよくこれで日本海を渡り切ったものだ、奇跡に近いという論説もありました。想像するに似たような小型船を用いて脱出を図ったケースは他にもあり、ほとんどが失敗し海の藻屑になったのでしょう。とにかく日本に着いて命が助かって良かったと思います。新聞によると乗っていた人のコメントとして「2012年には戦争が起きる」というものがあり気になっています。朝鮮は2012年は強盛大国の門を開く年と位置付けており、権力の譲渡が行われるのではないかという憶測が流れていますが、通貨の価値を1000分の1にするというデノミを実施して以来通貨の信用は失われ、経済の混乱は続いており、闇経済が拡大している現状で政府が統制を強めようとしても難しいのが現状なのでしょう。また最近では厳しい取り締まりの中でも韓国のDVDが流通し多くの市民が見ているようで、韓国に憧れを持って脱出を図ったようです。ドラマに描かれる韓国は楽しく輝いて見えるのでしょう。

朝鮮では権力の譲渡へ向け準備が進められているようですが、世界のボーダレス化の影響は朝鮮に及んでおり、思想、情報、経済の統制は次第に難しくなるのでしょう。中国経済が盤石である内は大きな問題は生じないでしょうが、世界的な景気後退が心配されている中で現在の政治体制を続けて行けるのか、何らかの方針転換を図るのか注目して行きたいと思います。



(写真:脱北に使用した小型船:ロイター



181・済州特別自治道  (2011年05月21日)
済州道は2006年7月1日から、より高度の自治権を付与された特別自治道に移行したという。元々は道という扱いで済州道と呼ばれ、他の道と同じように扱われていたのですがより高いレベルでの自治を与えるという事でこのような事になったようです。行政も変わり南北を二つに分け、中心都市の済州市とワールドカップが行われた西帰浦市の2市に統合されたそうです。人口は全体で50万人を少々超える程度なので二つの行政区域で十分なのでしょう。済州島は韓国本土からは離れており韓国の中では温暖な気候、高い山が中央に聳えており、風光明媚で韓国人が外国旅行をする事を制限されていた時代は日本の宮崎のような新興旅行のメッカであったそうです。

みかんが実る明るい島という表の顔に対して常に差別と迫害を受けて来た歴史があります。元の支配に反抗した三別抄の乱が最後に拠点にし、また1948年には南朝鮮労働党すなわち共産党の拠点という事で韓国軍などが掃討作戦を行い、一説では約20%の島民が殺害され、半数以上の村が焼き払われたと聞きます。強い差別意識は根強いようです。ある程度の自治権を与えたのも贖罪の意識と懐柔策なのかも知れませんね。また、在日韓国・朝鮮人の中で統計では約10万人が済州島出身者という事になっています。実際には出来れば他の地方の出身としたいと考えるでしょうからもう少し多くなると思います。長崎の五島から180キロ程度で、多分国境などを意識しない昔はもっと往来があったでしょうから日本人に近いのかも知れません。

韓国に旅行する際に査証が必要であった時代、済州島だけは例外で査証無しで入国出来る特典もあり日本からの観光客は韓流ブーム以前から多く、また在日の方の親戚訪問もあったので日本人、在日社会にとっては身近な存在です。対馬に韓国の資本が多く入り、多くの韓国人が訪問して次第に韓国化しているので日本側もこの済州島にもっと肩入れしても良いかも知れませんね。



(地図:済州特別自治道の行政区分



180・朝鮮の首都・平壌を縮小 (2011年05月09日)
朝鮮というのは不思議な国家で、時々他の国では行わないような事をしますが、今回は首都の平壌を約半分の大きさに縮小しました。多くの国では行政の効率化で合併を進め、特に首都の場合には周辺地域を併せて首都圏として特別行政地区にするケースが多いのですが、平壌の場合には面積は約半分に削減しました。西部は中心部から離れていても万景台などの聖地があるので削減の対象からは外され、主に南部地域の江南郡、中和郡、祥原郡、勝湖区域等が平壌市から黄海北道に編入されました。市の人口も300万人から250万人になり50万人が平壌市民ではなくなりました。他の国であれが余り意味の無い事に見えますが、朝鮮の場合には非常に重要な変更なのでそうです。

首都であり朝鮮という国家の顔である平壌市民には数々の特権が与えられており、平壌市民かそれ以外かでは待遇に大きな差があるというのです。例えば朝鮮では自由に住んでいる地域から旅行する事は出来ませんが、平壌市民であればほぼ自由に旅行が可能と言います。食住にも大きな特権があり、平壌市民はいわば特別国民という訳です。要するに約50万人はその日から特権を剥奪されて、一般国民に格下げされたという訳です。勿論当事者達の中には不平や不満がある人も多いでしょうが、朝鮮では自由な発言が許されない状況にありますので耐えるしかありません。経済状況が芳しくは無く背に腹は代えられないという事で今回の処置を行ったのでしょうが、将来もしかすると再度小さくする事もあるかも知れませんね。



(地図:平壌市の行政区分

平壌の面積、半分に縮小 食糧難、人口も50万人減(朝日新聞)
韓国統一省はこのほど、北朝鮮で行政区分が改正され、「革命の心臓部」と呼ばれる首都、平壌の面積が約半分に縮小されたと発表した。深刻な食糧難が続く中、特別な恩恵を受けているとされる平壌市民は約300万人から50万人程度減ったとみられるという。統一省が、北朝鮮で発行される朝鮮中央年鑑で確認した。平壌市南部の江南郡など4地域が黄海北道に編入される一方、平壌南西の南浦市は拡大された。韓国政府当局者によると、配給制度が事実上崩壊している北朝鮮でも、平壌市民は今も配給を受けている。祝賀行事などで動員されることも多い半面、年金などで優遇されているという。平壌から切り離された地域は、田畑が多くを占めるという。




179・イ・サン・正祖大王(2010年03月15日)
正祖大王(イ・サン)は朝鮮王朝(李氏朝鮮・大韓帝国)の第22代王で18世紀の末に王位にあった人です。(在位:1776年 -1800年)朝鮮王朝が高麗に代わり朝鮮半島の統治が始まったのが1392年ですから既に400年が経過した時期に当たります。日本は江戸時代後期で10代・家治・11代・家斉の時代に当たります。現在から見ますと200年ちょっと前くらい、それ程昔の人という訳ではありませんね。ただ朝鮮王朝が終わり日本の統治下にはいったのは1910年ですので、まだこれから百年以上朝鮮王朝が続きました。朝鮮王朝は初代から王子の反乱があり、抗争に明け暮れる話ばかりで常に派閥争いをしていて愚鈍な王が多く英明な王と言われているのは4代の世宗とこの正祖くらいと言われています。当時は既に欧米列強が東アジア地域にも来ており正祖の時代に英国の軍艦が釜山沖で漂着し、キリスト教の影響も多々あった時代です。また西洋の建築技法を取り入れて遷都を念頭に入れて水原城(華城)を建造した事は有名で現存し世界遺産にも登録されています。

父親が皇太子であり、実際の政治を取り仕切っており、皇太孫として次の次の王を約束されていましたが、激しい抗争の中で父は失脚し米櫃の中に閉じ込められて餓死したそうで、何があったのかは分かりませんが皇太子であり、実の息子を狭い米櫃の中に閉じ込めて殺すとはすさまじいものですね、当時の抗争の陰湿さを物語るものであると思います。祖父の英祖は朝鮮王朝の中で在位期間が最長で50年以上、逝去した時には正祖は既に25歳となっており、父の失脚があり形だけは叔父の養子になっていた正祖は即位式に集まった人々を前に不遇の父を想い「私は荘献世子の息子だ」と宣言したと言われています。英明な王であったと言われており、出自に関係無く優秀な人材を登用し改革に乗り出し、その後朝鮮王朝が難しい時代の中、百年以上命脈を保つ事が出来たのもこの正祖あっての事なのでしょう。ただこれからという男盛りの49歳の時に亡くなっています。公式には病死とされていますが、常に暗殺では無かったのかと疑われていますがはっきりとした事は分からないようです。急死であり、進めていた改革は頓挫し、この後に外戚の権力争いが続くので陰謀により暗殺されたのでしょう、権力者は常に命を狙われているものなのでしょう。

これだけの聡明で現在でも尊敬されている王様なので当然のことながらドラマ化されており、2007年から2008年にかけて「宮廷女官チャングムの誓い」「薯童謡」で有名なイ・ビョンフンさんが監督を務めています。元は別の側室の女官であったと言われている寵愛した側室・宜嬪成氏の記録が余り残っていないのでこれを上手にラブロマンスとして取り入れてのドラマ作りになっています。何でも当初は60回の予定であったそうですが視聴者が期待していた王位に就いてからの治世、宜嬪成氏とのラブストリーの進展が無いので視聴率が低下してしまい、その為に途中で会見を開き17回増やしたそうです。この辺の柔軟さは日本の大河ドラマには無いですね。一回75分週2回放送ですので撮影も大変であったと思います。イ・ビョンフン監督に関しては今まで3作を見ただけですが評価するのは日本や中国などの外国の勢力を極悪にしない事です。勿論外国人が出て来ますがユーモラスに描きちょい悪程度に留めているのが特徴です。またもう一つ評価するのは朝鮮の伝統文化を上手に紹介して行く点が非常に良いと思います。「宮廷女官チャングムの誓い」では食事、「薯童謡」では技術・工芸、今回の「イサン」では朝鮮の伝統的な絵画がドラマのテーマになっており見ているだけで伝統文化に対する理解が深まる知的な面を持っているのはとても良いと思います。単に視聴率が良く面白ければ良いと考えているだけでは無いのが良いですね。

ただ前作の「薯童謡」が1400年前の百済・新羅の時代を描いているのですが、本来はこの時代と1200年も時間の隔たりがあるのですから当然全く別の時代であり、雰囲気も異なっていたはずですが、衣装などは多少は異なりますが仕草などは同じで余り時代の違いが分からず時代考証はどのようになっているのかかなり疑問が残りました。また同じ俳優が多く出演しているので両方を見終わった今、頭の中で二つがごっちゃになり混乱して来ます。その中で俳優として注目したのは、まずは主人公の子供時代を演じた朴知彬(パク・チビン)君は抜群の演技力で尋常のものでは無く、感情のこもった迫力ある表現は大人でも出来ない高いレベルでした。祖父の英祖を演じた李順載(イ・スンジェ)さんは殺した息子の息子を皇太子として教育し時には疑いながらも支えて行く姿は名演技でした、恐ろしい祖父と対峙する子役の朴知彬君との問答は見応えがありました。そしてヒロインを演じた韓智敏(ハン・ジミン)さんが良かったですね、韓ドラでいつも感心するのは女優特にヒロインのレベルの高さです。ただ余りにもどの女性もすばらしい顔立ちなのでほとんどの方は整形をされているのでしょう、これは韓国では常識なのかも知れませんね。

ストーリーは確かに前半は緊張感があって良かったです。祖父の現在の王様に皇太子であった父が殺されるという異常な状況の中、派閥の抗争が一段と激化し欲から権力を掌握する目的で王を目指すのでは無く、もし廃嫡となれば邪魔者となり、死盃は免れられない状況であり、反対派の度重なる陰謀策謀の中、生き抜く為に失脚の危機を脱する為に戦うというストーリーは見応えがありました。自分の息子である父を殺した祖父の英祖からかけられる様々な嫌疑、誤解を生きる為に必死に解こうとする子供時代のイサンの姿は感動ものでした。周囲の者を誰も信用出来ない中で偶然知り合いになった二人の子供と終世の友人となる約束をし、一人が後の宜嬪成氏であり、もう一人が側近になるというストーリーも矛盾無く作られていて良かったと思います。宜嬪成氏に絵画の才能があるとして当時としては希有の女性の絵師として清国からの招待客をもてなす場面で登場させ、そこで二人が再会を果たすなどよく工夫されています。ただ後半は確かに付け足しという感じで前半程内容が詰まっておらず延ばす為に制作されたのが明らかという感じであったのは残念でした。現在イ・ビョンフンさんは正祖の祖父である英祖の母を描いた作品を撮影しているそうで、最下層の出て国王の母になるという身分社会の朝鮮王朝では希有の出来事ですが、韓国社会に現在も強く根付いていますが、ドラマではタブー視されて来た身分制度をどのように描いて行くのか監督の挑戦に注目ですね。



(写真:MBCドラマ・イサン:左から宜嬪成氏、正祖、英祖



178・薯童謠 (2009年03月30日)
韓国の歴史ドラマで薯童謠(ソドンヨ)という物語があります。数年前に放送されたもので、百済の第30代王である武王の一代記を扱う内容です。今まで高句麗、新羅、高麗、李氏朝鮮の王朝は出て来ましたが、舞台が百済というのは初めてなので注目していました。百済というのは現在に至る継承国家である新羅と争い滅亡した国家ですので現在の韓国には直接繋がらない国家であり、建国の経緯も謎のまま、また日本との関係も特別に親密で深いのでこの国を取り扱うドラマは現在の韓国人は作らないではないかと思っていただけにこのようなドラマがあると知って驚いたものです。何時かは見たいと願っていたのですが、ようやく手に入れる事が出来、全話観る事が出来ました。何か妙なタイトルだと思っていましたが、元々朝鮮半島には「薯童謠説話」という寓話があり、これを元にしているのでこの題名が付けられたようです。オリジナルの話の一部を上手に取り入れロマン溢れる作品に仕上げています。矛盾や歴史考証を無視した場面も多いのですがそのような問題を遥かに超える圧倒する迫力で作られており、ドラマとしての完成度は非常に高いものがあります。歴史ファンタジーとして割り切って見れば楽しめる作品です。今まで見た韓国ドラマの中では高句麗の祖を描いた朱蒙と並んでトップクラスではないでしょうか。

このドラマは日本で有名になった大長今(日本名:宮廷女官チャングムの誓い)の後の番組として制作されたそうで全55話で出来ており、前作の『宮廷女官チャングムの誓い』の54話と同じくらいの長さになっています。これを他の有名な韓国で制作された歴史ドラマである許浚・64話、正祖大王・77話、朱蒙・81話、大祚栄・134話、太祖王建・200話等と比較すると確かに短いのですが一回一時間あり、要するに観るのには全部で55時間かかります。日本で長編歴史ドラマと言いますとNHKが制作している大河ドラマを思い浮かべますが、放送は一回45分の一年間・50回ですので、トータルで37.5時間であり、大河ドラマと比較してもかなり長い事が分かります。主役は趙現宰(チョ・ヒョンジェ)と李寶英(イ・ボヨン)の二人で全編を通じて爽やかな演技で好感を持ちました。脇役にはベテラン俳優そしてコメディアンなど様々な人を配してドラマを盛り上げており、キャストに関しては申し分無いと思います。日本の時代劇などと比較しますと個性溢れる人が多いという印象ですね。また、武王の少年時代を演じている少年はどこかで見た子供だと思っていましたが、高句麗建国の物語「朱蒙」の時、朱蒙の義理の息子、夫人である召西奴の下の息子温祚を演じていた少年です。百済の伝説に拠りますとこの温祚こそが百済の始祖とされており、ある程度意図的な起用であったのかも知れませんね。

時代は百済の末期、主人公である武王の子供が百済最後の王になるというような時代で三国の争いが一段と激しさを増している時代でした。ドラマでは分かり易さを求めてなのか国号を「百済」にしていますが、25代の聖王が高句麗に圧されて首都の熊津を放棄してより南に在るシビに遷都してからは確か「南扶餘」に国号を変更していたはずです。このドラマの時代から数十年後には百済は滅亡するのですがこのドラマの時代は既に新羅から攻め込まれて苦境に立っていた時代でした。ただこの後主人公となっている武王の時代には勢力を巻き返し失地を挽回し新羅を追い詰めて行きます。その後、一気に逆転を図る新羅が新興大国の唐と結び百済を滅ぼしました。百済の再興を図った百済遺民と中大兄皇子率いる日本の連合軍が唐・新羅と戦い大敗を喫すというのがこの後の話です。このドラマの時代は日本では聖徳太子が中心なり政治改革を進めている時代で飛鳥時代というという事になり今から1400年も前の話という事になります。中国は長い分裂の時代が終わり、隋唐帝国の時代で長安に都を構え朝鮮半島にもその影響が強く出て来る時代です。

「運命に翻弄されながら理想郷を目指した、百済王子の愛と激動の生涯を描く」というのがこのドラマのキャッチフレーズで、主人公は自分が百済王の息子である事を知らずに母の元、一人の庶民として育ち、技術者となり、その後百済を追われ新羅に逃げそこで新羅の娘と出会い恋に落ちるというお話で、基本的にはラブ・ストーリーです。その新羅の娘は実は善花姫という新羅のお姫様であるというもので、身分を超え、国境を越えた愛の物語というのがドラマの骨格です。実際にドラマを観るまでは新羅と百済の戦いの狭間で王子と姫がロミオとジュリエットのような状況に陥るというような想像をしていましたが全く違いました。朝鮮半島に昔から伝わる薯童謠説話では百済王の息子が新羅の三番目の姫が比類なき美人である事を聞き付け出家して長芋売りとなり「長芋売り少年の歌」という意味の薯童謠なる歌を子供に謡わせて市中に知れ渡るようにし、怒った新羅王は姫を追放し王子は姫を百済に連れて行き一緒に住んだというような話です。勿論歴史的な事実では無く古朝鮮の時代の話など幾つもの話が一緒になって出来た民間に伝わる寓話なのですが、これだけの説話から長編歴史ロマンファンタジーを作り上げてしまう韓国のドラマ制作者は本当にすばらしいと思います。韓国の歴史ファンタジーを見るようになってからは日本の大河ドラマは退屈で全く面白くなくなり、観なくなってしまいました。ただ、余りこの様なものにのめり込み過ぎてファンタジーと歴史的事実を混同して間違った史観を持たないよう注意しなければならないとは思います。韓国人の中にはこの物語のような朝鮮民族中心の誇張した史観を真実として信じている人が多いのは事実のようであり、非常に残念な事でもう少し科学的かつ客観的な視点からシリアスに自国の歴史を見る必要があるように思います。

物語は戦闘場面も多くあり波乱万丈でハラハラドキドキの連続というものです。父である王から王の弟とその息子が王位を簒奪し、王である父が死ぬ直前に主人公と親子であると分かるという劇的なシーンがあり、父から正当な後継者として認められ善花姫の助けもあり、敵対する叔父と従兄と戦い最後は勝利して王位に就くという話です。ドラマの設定では主人公は第27代の威徳王の息子でその四男という事になっていて、主人公から見て恵王は叔父、その息子の法王は従兄弟という関係になっており、この二人と対立する話になっています。歴史的な事実として恵王、法王の在位期間は短くそれぞれ一年ほどでドラマでもその通りになっていますが歴史上はこの主人公である武王は、威徳王の息子では無く法王の息子のようです。この武王が子供の時代に地方で母と暮らしていたのは事実のようです。多分法王が地方の豪族と結び出来た子供であったのはないかと想像します。韓国ではドラマなどで日本もしくは中国を極悪人に仕立てて主人公が立ち向かうというストーリーが多くありますが、前作の宮廷女官チャングムの誓いでもそうですが、宮廷内に敵が居て外国人を悪く描く事がほとんど無い事もこの作品の良い点ですね。朝鮮半島以外の登場人物としては隋の木端役人がチョイ役で出て来ますが大した役では無くコミカルに描いているだけで侮辱もしておらず良かったと思います。メインの権力闘争とは別に姫を巡っての恋敵との壮絶な戦いがあり、このライバルは花郎と呼ばれる新羅の貴族の青年で小さい時に志願して百済の先進的な技術を盗む目的で百済にスパイとなって潜入しているという設定で最後まで二人のバトルが続きます。

ドラマの中で前王の法王を極悪の殺人鬼のように描いていますが、「法王」という. 諡からみても残虐無比のような人では無かったはずであり、武王が先王に対して諡を付けている訳で意味の良い名前を付けているという事は両者の関係は良かったはずです。残された史書に拠りますと法王は仏法を守り信心深い人であったと記されており、多分こちらの方が真実に近いと思われます。ドラマでは法王と内戦を行い最後は勝利するという話になっていますが、もし実際にこのような内戦があったならば幾ら高句麗が圧力を掛けていたとしても新羅が攻め込んだはずです。ただ威徳王には阿佐太子という息子が居てこれに王位を継承出来なかったのは恵王、法王との権力争いに敗れたからとの推測もあります。この阿佐太子は実在の人物で日本に来ている事が記録に残っており有名な聖徳太子の肖像画を描いた人物とも言われていますが、ドラマでは主人公の長兄として登場し、主人公はこの長兄が法王に殺されてる時に傍に居て国を治めて行く意思を継ぐ決意をするという内容になっています。またドラマの中に新羅も王宮や街の様子が出て来ますが百済と新羅は言葉も風俗も同じであり、これは少々おかしいと思います。ただ、歴史が面々と続き多くの記録が残っている日本においても飛鳥時代を厳格に時代考証して当時の様子をドラマで再現するのは相当難しい事であり、ましてや7世紀には消滅した国を描くのですからこれはある程度仕方が無いのかも知れません。しかしながら二千年以上前の高句麗の建国を描いた朱蒙、そして千四百年のこのドラマその後の五百年くらい前の李氏朝鮮の風俗などがほとんど同じというのもおかしいのではないかと思います。今から百年前くらいの李氏朝鮮時代末期の写真が数多く残っていますが、これを見て比較しますと一世紀前の実写の方が古いくさく雑然としている感じなのは少々変ですね。古い雰囲気を出すのは難しいのかも知れません。

ドラマではこの武王が若い時代技術者として働いていてオンドルを実用化し米作を朝鮮半島に根付かせた人物としています。大体この時期に始まった色々な事を武王一人の業績にしてスーパ−ヒーロ−として描いています。幾つものおかしな点はあり、矛盾も多いのですがとにかく面白いストーリーで見る者を興奮させます。個々のセリフもなかなか良く中でも新羅の王へ送った姫との求婚の承諾を請う文章は泣かせるものでした。最終回は何となくバタバタした感じで終わるのですが何らかの事情で当初の4回の予定を一回にして放映したからなのだそうです。最終回の一回前の結婚式の所でハッピーエンドで終了すれば良いのにと思いますが、最終回は結婚して百済王の夫人となるも新羅に攻め込まれる事となり、要するに父に裏切られた善花姫が宮中で苦境に立ち心痛で病気になり若くして亡くなるという話で最後は悲しい終わり方でした。全体の回数は最初から決まっていて途中が長くなり最後にしわ寄せが来たのかも知れませんね。また韓国人は長い苦しい歴史があり、ハッピーエンドにするのが余り好きでは無いのかも知れませんね、「現実はそう甘くないぞ」と言いたいのでしょう。

韓国のドラマはどれも非常に良く出来ており事前にしっかりとストーリーを組み立てているのかと思っていましたが、実際には撮影当日に台本が出来上がるという綱渡り的な事もよくあったそうで、主役を演じた趙現宰(チョ・ヒョンジェ)さんがセリフを短時間で覚えるのが大変であったと語っていました。要するに作りながら放送しているのですね。今後の展開がどうなるのか分からないというのは視聴者だけでは無く役者や製作者まで同じなのですね、もしかしたら作者も考えながら進めているのかも知れません。この事がドラマ全体に漂う一種の緊迫感の源泉になっているのでしょう。撮影は深夜にまで及ぶ事がしばしばでそれが一年近く続くという非常に過酷なものなのだそうです。とにかく面白いものを作る事に徹しスタッフも役者も全力を出し邁進しているように見えます。このドラマを観る事で太古の化石のように思っていた百済という国が身近に感じられるようになったのは間違いないと思います。日本には百済王(くだらのこにきし)という貴族の家柄があったそうですが、始祖はこの武王の孫であり、その他にも武王の子孫の多くが渡来人としてやって来ています。こう考えますと現在の日本には武王の子孫が多く居る事になり、この百済の王がもしかしたら自分自身の先祖かも知れない等と考えますと何となく不思議な気になりますね。



(写真:ドラマ・薯童謠



177・百済と奈良 (2009年03月30日)
日本を訪問する韓国の観光客が増えていますが、数ある観光地の中で人気が高いのが奈良です。奈良は日本人の心の故郷とも言える土地ですが韓国の人にとっても自国の遺産と考えている人も多いと思います。「ナラ」は現代韓国語で「国:くに」と言う意味である事も関係しているのかも知れません。朝鮮半島の歴史は過酷であり、高麗以前の木造の歴史的な建造物はほとんど残っていません。日本では木の箸を使うが韓国では金属の箸、食器を使うのは焼かれても大丈夫なようにしているのだという説明をする人が居ましたが、それほど熾烈な戦乱を幾つも潜り抜けて来ています。百済というのは日本人にとっては親しみのある国ですが本国にはほとんど何も当時のものは残っていないそうです。新羅の徹底的な破壊そしてその後の戦乱で失われてしまったようです。

当時の雰囲気を知り、文化遺産を見るには日本の奈良に行けば良いと考える韓国人が多い事でしょう。現存する日本最古の木造建造物である法隆寺は朝鮮半島では百済と新羅が覇権を争っていた時代に創建されたものであり、歴史的な関係から考えますと百済から来た渡来人の職人が中心となって建造したものでしょう。韓国人からしますと朝鮮半島にある歴史的な建造物は日本人が全部灰にしてしまったが、韓国人が日本に来て色々と教えて法隆寺まで建ててやった、これはウリナラ(我が国)のもので日本人は有り難く思えと考えるのでしょう。渡来人はこの当時どのくらい来たのでしょう。この時代の推定人口は朝鮮半島が50万人程度、日本列島が150万人程度と考えられています。戦乱を避けそして百済が滅亡して数万人もしかしたら数十万人単位でやって来たのかも知れません。この人達が奈良の都を築き日本の礎を築くのに大きく貢献したのは確かでしょう。ただこの人達は韓国人の先祖ではありません。この人達はその後ほとんどの人が日本列島に残り、多くは豪族として多くの子孫を残した事でしょう。この渡来人こそが現在の日本人の祖先のかなりの部分を占めていると考えられます。従いまして法隆寺を建造した人達は出自は半島かも知れませんが現在の日本人の直接の先祖という事になります。

現在の韓国の文化は新羅から高麗そして李氏朝鮮と受け継げられて来た文化で百済のものは日本に渡ったもの以外はほとんど残っていないと考えるのが自然でしょう。多分法隆寺によく似た建造物が百済にもあった事でしょう、それは多分、新羅とは異なる独自の文化であったと思います。この時代まで新羅と百済そして高句麗は全く別の国家であり、一度も半島を統一する国家はありませんでした。韓国の歴史ドラマでこの時代を取り上げると三国統一が悲願であり、同一民族の大合同のような描き方をしていますが、当時の人達は元々別の国家であり同じ民族とは考えては居なかった事でしょう。要するに法隆寺が建造された6世紀末から7世紀初頭では百済と新羅は全く別の国であったと考えるのが自然です。朝鮮は三国時代と称されますが、実際には日本を含めた4国時代であったのかも知れません。百済が日本と親しい関係にあり、一説には言葉も似ていて通訳無しで意志の疎通が可能であったとも言われますし、極端な人は百済語が日本語の祖語であるという人もいます。韓国語と日本語は文法がかなり似ていますので、ある程度は真実に近いのかも知れません。その意味で韓国の人は奈良を訪問し往時の百済を想うのでしょう。百済最後の都となった泗比は奈良のような都であったと想像します。

百済を何故「くだら」と発音するのか疑問に思っています。現代韓国語では「ペクチェ」と全く違う発音になります。「くだら」というのは「くんなら:偉大なる国」が訛った言葉であるという説が有力のようです。それならば何故「偉大なる国」と読んでいたのかと疑問に思っていましたが、538年に熊津を追われて南に逃げシビに遷都してからは国号を「南扶餘」としており、この名前に違和感を抱いた渡来人がそれまでは「ペクチェ」というように「百済」を読んでいたのがそうでは無くなった事で「ナンプヨ」等とは呼びたくないので母国を「偉大なる国」と呼ぶようになったのかも知れませんね。最近百済の故地である扶餘に百済歴史再現団地なる施設が出来、その中に木造の五重塔が建設されたという記事がありました。学会の考証を経て最大限原型に近いものにしたという説明がなされていますが、どう見ても法隆寺の五重塔のコピーです。色は多少変えていますがよく似ています。百済時代の建造物である五重塔が奈良にそのまま残っているので当然同じようなものになりますが、どこにも元になった法隆寺の事が記載されていません。日本に現存する建物を真似したと思われるのが厭なのでしょうね。でもこの再現公園、面白そうですね、何時かは訪問してみたいものです。日本で「日本の原風景を探る」などというキャッチフレーズにしてツアーを企画すれば案外多くの人が関心を示すのかも知れませんね。

扶餘に11階建て「百済木塔」を再現(中央日報・2007年12月07日)
百済(ペクジェ、B.C.18〜A.D.660)の木塔が韓国内で初めて再現された。忠清南道(チュンチョンナムド)は最近、扶余郡窺岩面(プヨグン・ギュアムミョン)ハプジョン里に造成中の「百済歴史再現団地」のなかに超大型の5階建て木塔を建設した。 この木塔は、570年・百済時代の寺の跡地に確認された扶餘邑陵山里(ヌンサンリ)の陵寺(ヌンサ、王宮を守る寺)にあったものを、学界の考証を経て、最大限原形に近い形に作ったもの。陵山里では93年「百済金銅大香炉(国宝第287号)」と「百済昌王銘石造舍利龕(国宝第288号)」が出土された。 57億ウォン(約7億円)を注入し、04年5月に着工、2年7カ月ぶりに完工した木塔は、底の面積が16坪、高さ38メートル(11階建て)。塔には、松ノ木513トンと瓦3万1768枚が使われた。また、塔の頂上に設けられた相輪(鉄の飾り)は風化による腐食を防ぐため、うるし塗りと金のめっきを6回ずつしている。 黄銅で作った相輪(高さ9メートル、直径1.04メートル)はうるし塗りが終わった後、120〜200度で熱処理。相輪が曲がってもうるし塗りの部分が黄銅と分離されるのを防ぐためだ。うるし塗りの上には金のめっきを6回もし、変色を防ぐために紫外線遮断剤でコーティング処理した。 ここにはうるし10キロ(600万ウォン)と金3キロ(約5000万ウォン)が使われた。めっきは、うるし分野の無形文化財第113号のチョン・スファ氏(53)など専門家およそ10人が、約70日間にわたって手作業だけで仕上げた。制作チームは、めっき処理のため少なくとも30年間は相輪が腐食したり変色することはないと見込んでいる。 チョン氏は「外部に露出された造形物に腐食を防ぐためうるし塗りをしたのは、韓国内では今回が初めて」とし「このうるし塗りの技術は百済時代の建築物で多く使われたが、現在は姿を消した」と語った。



(写真:扶餘に建設された五重塔:中央日報)

忠清南道扶余郡窺岩面(チュンチョンナムド・プヨグン・ギュアムミョン)ハプジョン里に位置する「百済歴史再現団地」(百済団地)の工事現場。 「第2の慶州(キョンジュ)」を夢見る百済(ペクジェ、B.C.18−A.D.660)の古都・扶餘の再現に向けて宮廷工事の進められている。94年から総事業費3771億ウォン(約380億円、国費・道費771億ウォン+民間資本3000億ウォン)を注入し、2010年まで百済文化を復元する事業だ。 「燦爛(さんらん)たる百済歴史・文化との出会い」というコンセプトで、330万平方メートルの敷地に建設される百済団地は▽王宮村などがある歴史再現村▽観光客のための複合観光地域−−の2つのテーマで造成される。「大百済展」が開催される2010年のオープンを目指す。 代表的な名物は百済王宮。新羅・唐連合軍により全焼してから1348年ぶりに建て直されている。国内最大の古建築工事で、ここに使われる木材だけでも160億ウォンにのぼる。仕上げの段階に入った王宮は、王の執務室にあたる中宮殿(330平方メートル)の柱の高さが18メートルに達するほど壮大な規模だ。 瓦の工事が終わり、緑・赤などの色も塗られた。王宮のそばには超大型の五重塔も建てられた。この搭には513トンの木と瓦3万1768枚が使われた。各建築物は基礎から建築・色彩に至るまで徹底した考証を経ている。百済固有の「下仰式」という伝統建築工法も導入された。この建築法は、中国と日本の古建築から苦労して見つけたもので、百済建築の神髄とされる。 歴史再現村には韓国伝統文化学校・芸術人村・産業交易村・風俗宗教村・開国村・軍事通信村・伝統民俗村も設置される。百済文化と深いつながりを持つ飛鳥文化を活用し、日本人観光客を狙った「飛鳥文化村」もつくられる。 チャ・ヨンジェ百済圏文化財管理所長は「百済団地がオープンすれば、年間500万人以上の観光客が訪問することになるだろう」とし「百済文化とつながりがある日本からも年間50万人の観光客を誘致する計画」と話した。 日本人が百済団地を訪れた際、‘日本の根、百済’を連想できるようにするということだ。このために清州(チョンジュ)−日本の航空路線を新設する案も政府に申し入れた。 ◇ロッテグループ参加で事業に弾み=この事業はこの10年間、財政難に苦しみ、複合観光地域事業では困難が続いた。王宮村がオープンしても観光客を収容できる施設がなく、初期には数百億ウォン台の赤字を出すなど、憂慮も深まった。 しかしロッテグループが最近、同事業に3000億ウォンを投資することを決め、「百済の飛翔」に弾みがついている。李完求(イ・ワング)忠清南道知事は「辛格浩(シン・キョクホ=重光武雄)ロッテグループ会長に会い、百済歴史再現団地事業に参加することを要請したところ、前向きな返事を得た」と述べた。 ロッテが提出した提案書によると、第1段階として2010年8月までに保養地・宿泊施設を、2011年までにスポーツ・宿泊施設を建設する。事業対象敷地は団地面積全体の半分にあたる165万平方メートル。 保養地の施設には百済テーマアウトレット、アミューズメント(Amusement)パーク、アグリ(Agri)パーク、エコ(Eco)パークなどを検討中だ。 百済テーマアウトレットは、百済の「竜鳳」文様を形象化した特有のランドマークを中心に公演・ショッピングを楽しむ空間。アミューズメントパークは、「伝統と自然」をテーマにウォーターパークなど家族の保養地として造成され、ロッテワールドのようなテーマパークとスパなどリラクゼーション施設が建設される。



(写真:扶餘に建設されたている再現団地全景:中央日報)



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