明治政府はいち早くこの点に注目して西洋(ドイツ)医学を取り入れると
同時に、それまでの漢方や鍼灸といった伝統的な民間医療を医学教育の場
から一掃してしまいました。
このとき明治政府は科学的手法を第一として
富国強兵策を最優先の国是としたわけです。
これこそ「科学技術はすべからく国防に資する」という近代の唯物論的合理主義の考え方だったのです。
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古代より江戸時代末期まで連綿と続いてきた皇漢医学といわれた、いわゆる伝
統的な日本の医学はこれを境にして急速に衰退散逸していきました。
それ以降、これらの伝統的医学は新たに導入された西洋医学のもとでは排斥され正当に評価さ
れることはありませんでした。すべてが非科学的として、西洋医学の学問的範疇
には馴染まないものとして今日まで蔑視され続けてきたわけです。
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