勝海舟と西郷隆盛・壇一雄・壇流クッキング・写真と肖像画

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随筆
奇縁の話(西郷隆盛、勝海舟、壇一雄)
壇流クッキング:カエルの煮込み

東洋医学史研 究会
宇田明男



東京の聖徳記念絵画館に結城素明画伯の筆になる「江戸開城談判」という絵画が ある。
江戸城無血開城 これはいわゆる歴史画であって、幕末の慶応四年(一八六八)無血の江戸城明け 渡しに至る勝海舟と西郷隆盛の有名な会談場面を題材にしたものである。この絵を 目にしているといろいろな感慨がわき起こってくる。

勝海舟と西郷隆盛が、この場(薩摩藩邸)でこのように厳粛な形で対侍している ことの奇縁というものを感じないわけにはいかないのである。
二人のこのような出 会いの仕方というものもそうであるが、ここに至るまでにはそれこそ数多くの人々 の働きかけがあったということも事実であって、やはり確かな歴史のダイナミズム とでもいうものが背後に働いていることに気付かされるというわけである。

ここでこの話の続きとして、彼ら二人の共通の知人であって、凶刃に倒れた土佐 の坂本竜馬を登場させてもいいであろうし、あるいはここは大河ラマで有名なあの薩摩の篤姫や医学的話題を全面に出 して、両者の会談を陰で支えた高名な漢方医浅田宗白先生の活躍を話題にしても新たな展開となるであろう。

しかし私の持ち出す奇縁というのは医学的奇縁ということでは該当することにな るかもしれないが、けっしてそういう次元のものではない。歴史小説なら そういう形もあると思うが、これは「異聞奇聞」であるから奇縁は奇縁として明確 にその独自性を提示してなんら憚ることはないわけである。そういう類の話なのだ。

立場を異にする二人であるからこそ、このときの出会いそのものが特筆すべき事件であり、その合意に至る歴史的意義もとりわけ大きなものとなったはずである。
まさにこのとき勝海舟は旧幕府陸軍総裁であり、一方西郷隆盛は新政府軍の東征総督府参議 という要職にあって、それぞれの命運を担う立場にあった。
さて、前置きはこのくらいにしておいて、ここでいう肝心の奇縁であるが実はこのようになっている。

海舟の父小吉が書き残した「夢酔独言」によると、海舟(麟太郎)は九歳のとき 犬に股間を咬まれ陰嚢を損傷するという災難に遭遇した。
それには「病犬に出合いて きん玉をくわれた」といい、金創医に陰嚢の傷口を縫われるという重傷であった。 一時は一命を落とすかと危ぶまれたが、父小吉の献身的看護によってやっとへ快方 へ向かう。

それでも治癒するまでに七十日を要したということであるから、海舟にとっては 屈辱的事件であったことは容易に察せられる。
一方西郷隆盛は、藩主の逆鱗に触れ幽 閉されるという悲運に見回れた。
過酷な環境を強いられたまま奄美大島、徳之島さらには沖永良部島へと流され た。いわゆる島流しの隔離である。

吹きさらしの狭い牢屋の中に閉じこめられた西郷は、このような不衛生な状況で悪性のフ ィラリア症(糸状虫症)に冒されて、陰嚢水腫を煩うのである。糸状虫がリンパ管 系に寄生し陰嚢は大きく腫れ上がり、置物のたぬきのそれのようになる疾患である。
フィラリア症は熱帯地方に多発する風土病であり蚊によって媒介されるが、こ のやっかいな病気を抱えたまま、西郷はその後も各地を精力的に転戦していくわけ である。これが西郷にとってやっかいな災難でなくて何であったろうか。

二人が対面したとき、それぞれの相手の過去の屈辱的境涯については当時の海舟 も西郷も何も知らなかったと思う。
たとえそのようなことを両者が知ったところで何の意味もないことであったろう。

もはや個人レベルの境遇を云々する時でも、場所でもなかったはずなのだから。 しかし私のような者からみると、これにも何かの歴史的蓋然性がどこかに隠されて いるのではないかと考えたくなるわけである。

一つの出会いに人間智を越えた何らかの力が働いているのではないか。この考え に取り付かれると、次々にいろいろな発想が出てくる。
急所に受けた致命的ともい える傷は、奇しくも二人の英雄を数奇な運命ともいえる出会いに導くというような、背後で何者かが凝りに凝った運命的演出をしているかのようである。
このようなことは何も特別な歴史的人物同士でなくても日常的にも起こり得ることではあろう。偶然と思える出会いが、以外にも必然の可能性を秘めている。
下世話で下らないといえば下らないであろうし、面白いといえば多少は面白味もあるかもしれないという程度のたわいのない挿話なのかも知れない。
その点は否めないところであるのだが、ただ何となく感じられることは、この世知辛く猥雑な人間世界には人の目には触れ得ない不可思議な糸が張り巡らされているに違いないと思うようなことが少なからずあるといことなのである。結局この一点が、特に際立って面白く感じられるということに行き着く。

西郷隆盛という人物名でふと思い出したが、確か親戚の床の間に西郷南州の銘の入った大きな掛け軸が下げてあった。いまどきそれが本物なら凄いのだが。

何と書かれていたか、とんと記憶にないのであるが、あるときその親戚がわが家 に来ていきなり作家檀一雄の話をし始めた。壇一雄といえば当地福岡県出身の作家である。
話の内容は、亡くなった作家檀一雄の 記念碑を建てることになったということであったが、その石材はその親戚の庭にあ った大きな庭石を使ったということであった。このことは後日地方紙にも紹介された。

「ほら、お前がこまかとき日向ぼっこばしょったあの庭石たい。檀一雄もあの石 によう腰掛けて考え事ばしよった。機嫌の悪かとき息子の太郎ちゃんば泉水(池)に投げ込 んだことのあったばい」
その大きな庭石なら私にも記憶があった。親戚の広い庭には泉水もあって、その池の側 に囲むように庭石が二つか三つ確かにあった。

池には五,六羽のアヒルがいたし、夏には従兄弟達が赤い兵児帯姿でよく潜ったり蛙取りをして遊んでい たのを、はるか五十数年前の記憶であるのだがいまでも鮮明に覚えている。
今回その庭石の一つが記念碑になって、「檀一雄逍遥の地」 と彫り込まれて当時逗留していた寺(善光寺)の敷地に建立されたということであった。

昭和二十一年当時、檀一雄は最愛の妻リツ子を腸結核で亡くし失意のどん底にあった が、その直後郷里に近い福岡県山門郡に幼い長男と共に逗留していた。
「つくづく櫨の葉朱く染みゆけど 下照る妹の有りと云はなく」
という悲歌が詠まれたのもこの時期であり、 そのときの 経緯は小説「リツ子その愛」に続く「リツ子その死」に詳しい。
筑後地方の平野部に点在する櫨の木は、晩秋近くなると細身の葉一枚一枚が見事な朱色に染まる。その鮮烈な色彩を見知っている者には、この悲歌を詠んだ者の痛ましいほどの哀切さがより一層心に強く迫ってくるようである。

檀一雄のことをこ のように紹介しても、私個人としては何の面識もない。 ただこれまで郷土出身の作家ということでいくらか文学的関心があった程度である。
また前述 した義理の叔父と檀一雄とは縁戚関係であったから、ときには親戚では話題になることはあ った。
檀一雄は、しばらくの間この地に逗留するということで、叔父は近くの東山村の小田平田の山間にある善光寺を間借り先として紹介した。 山の中の静寂さが気に入り善光寺の庫裏の二階部屋を間借りすることとなり、ここを拠点として檀一雄は幼い長男と共に生活しながら創作活動を始めた。ときたま濁り酒や鰯を買いに瀬高町や船小屋辺りまで山道を下ったということだが、片田舎だけに往復するのに3,4キロは歩いたであろうと思う。
その当時は戦後の食糧難ということもあって、壇一雄と近くの田圃に行ってトノサマガエルを捕獲してきて食べたこともあったと懐かしそうに叔父は話してくれた。
料理が得意な壇は、西洋では蛙を食用にするらしいという話をどこからか聞き込んできて一度試しに食ってみようということになり、実際に二人で鍋で煮て食ってみたら酷く不味かったということであった。
この話を聞いたときは大笑いしてしまった。そこらの田圃に生息している青臭いトノサマガエルと食用蛙とでは、それこそ似ても似つかないものであったろう。・・・
結局のところ、今回の叔父の話によるとどうやら私にもなじみのある庭石が後世に残る文学記念碑になったということである。壇一雄・糸島地方の海岸

妙な感じである。幼少のころとはいえ、かって尻にしたことのある庭石を前にして今度はあらたまった顔をして 対侍するということになるのだから。

これは庭石を介して檀一雄と何らかの些細な 縁があったというだけの話で格別何ということもないのであるが、実はこれだけでこの話し は終わらなかった。

小説「リツ子その愛」を読んでいると、福岡県西北部の糸島郡地方 の地名が沢山出てくるのであるが、私も青年期に三年近くこの地で仕事をしていたこともあって玄海の海に囲まれた糸島地方は特別に懐かしい土地なのである。

その小説に出てくる地名の中に糸島半島の「小田」というところがあるが、戦争直後に壇一雄は妻律子と長男との三人で、結核に冒された妻の療養の為にこの地に移り住んでいた経緯があった。

このことを糸島出身の家内に尋ねると、実家のすぐ近くの海岸よりの地名だという。さらに小説の話をすると、卒論は檀一雄について書いたというではないか。少し驚いて、どうして檀一雄を選んだのかと問い直すと意外なことを話しだした。

檀一雄の小説「リツ子その愛」に登場する、妻律子の療養する糸島半島(当時・糸島郡北崎村小田、現・福岡市西区小田)の海辺の二階家というのが、家内の父方の叔母の家だったというのである。小田浜海岸と呼ばれ、いまでもきれいな砂浜が広がっている風光明媚なところである。
海岸からは壇一雄が愛した能古島が望める。家内は幼いとき から海沿いの小田濱のその叔母の家に度々泊まりにいっていたから、叔母から壇一雄の当時の様子 を詳しく聞いていたのだという。

とうに家屋自体は建て変わってしまっていて当時の面影はまったく残ってはいないのであるが、道路を挟んですぐ目の前に浜辺が広がっているから潮騒だけは昔と同じように聞こえてくる。
叔母さんはとても優しい人で、当時の壇一家の苦しい状況をみて親身になって世話をしていたということであった。
これには驚いた。小説に登場するあの親切な人情味のある大家のオバさん(文中では下のオバさん)というのが、家内の叔母さんとは意外であった。
当時は結核は不治の病であったから、よほど懇意な関係でなければ間借りなど引き受けることはなかったわけで、家内の叔母さんの立場は村内でも非常に苦しいものであったという。
そうした経緯を聞いていくと、壇一雄の周りには多くの善意の関わりがあって何者にか見守られていたというような不思議な想いが湧いてくる。
壇一雄・糸島地方の海岸 その後、それぞれの親族の世代は代わってしまったが、法事などで従兄弟たちが集まると壇一雄の話題が飛び出してしめやかな場でもいつの間にか賑やかになる。
これはどのような偶然というべきか。やはり世間は広いようで狭いというべきか。
当人がまったく伺い知らぬところで、何らかの縁(えにし)でつながっているのではないかという、 取り留めのない感慨に、あらためて浸る今日このごろである。
       

    (6・2・11)


右の写真は糸島の海岸


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