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大磯(高麗山公園方面)の古墳と横穴墓

王城山横穴墓群  (大磯町大磯)

墳形 : 横穴墓群
規模 : 14基(うち1基は痕跡のみ)
築造 : 古墳時代後期

上段の9基と下段の4基を見ることができる。中へは入ることは難しい。足場の悪い所もあるので見学に際しては注意が必要である。

天井の形はアーチ形(蒲鉾形)もあるが、ほとんどがドーム形(丸天井形)。平面形が隅丸方形で前壁(ぜんへき=入口部左右の内壁)を持つものも多い。多くの横穴に観音などの石像が安置されている。

大磯駅から線路沿いに5分ほど平塚方向に歩き、神明架道橋(トンネル)で東海道線をくぐる。「安田不動産大磯寮」の道標に従って湘南平への道を取り、安田不動産寮へ。寮の門のすぐ手前の階段が王城山への登り口。60mほど歩くとやや広い所に出る。まっすぐ登れば王城山、左へ入ればすぐに横穴墓群がある。



釜口古墳  (大磯町大磯)

墳形 : 円墳
規模 : 径35〜40m(推定)
築造 : 7世紀末〜8世紀初め


古墳時代後期(7世紀末〜8世紀初め)。切石積みがみごと。県指定史跡。
古墳時代終末期になると、自然石や割石でなく、美しく整形した切石を積んだ横穴式石室が出現する。神奈川では川崎の馬絹古墳が有名だが、西相模ではここのみ。薄い封土と切石を持つ点では、夢見ヶ崎動物公園に現存する加瀬3号墳(川崎市)と似ている。

石室(下写真)は、幅約2.5m、奥行き約3m、高さ約2m。奥壁の一枚石(=鏡石)は下底辺で約2.6m、上底辺で1.7m、高さ2.1mのみごとなもの。天井石にも巨大な一枚石が使われている。入口部(羨門、せんもん)は左右各1本の方柱状切石の上に「まぐさ石」を横たえた立派なもの。側壁がせり出して危険なため、最近フェンスで囲われた。



『続日本紀』によれば、甲斐・伊豆・相模等の高麗人(こまびと)が武蔵に集められたのは霊亀2年(716)だから、花水川右岸の唐ヶ原(もろこしがはら)にはそれ以前に入植していただろう。新来の切石積みは、釜口古墳の造営に高麗人の技術力が発揮されたことを物語っていよう。
青銅製散蓮華形小匙(ちりれんげがたこさじ、7.5p)が出土。仏教関連の遺品と考えられる。




《道順》

王城山横穴墓群から王城山を登る。10分ほどで登り切り、未舗装車道を左へ下る(右へ上がるとすぐ水道施設があり、小千畳という展望地)。下りきったら、車道を道なりに海側へ歩き、左に曲がろうとする角の所が釜口古墳。看板がある。

釜口古墳から王城山方向へ戻り、正面の「車止め」の表示のある未舗装道路を行く。そのゆるやかな坂道を崖に沿って真っ直ぐに下がると、道が右手にカーブするところに、横穴が開いている。これが「前谷原北(まえやはらきた)横穴墓群」だ。

前谷原北横穴墓群の10m先に、谷へ向かう細い道があり、これを下る。草が茂っていてわかりにくいので、注意を要する。うっかり広い道を気分良く歩いてしまうと、間違って配水池のある水道山公園に行き着いてしまう。
谷へ下りるとすぐに小さな橋を渡る。しばらく進むと道は右手に曲がり、右側の斜面に横穴が開いているのが目に入る。流入土が多いが、開口しているものもある。後谷原南・北横穴墓群だ。

後谷原横穴墓群から2分ほどで、小さい沢を渡る。細い丸太を組んだ小さい橋が架かっているが、壊れかけている。危険なので、3m上流で沢をまたぐ道を選んだ方がいい。そこから3分ほどで石切場横穴墓群だ。

林の中を歩いてきてふと見上げると、高さ7、8mの岩盤にいくつも穴が開いている。沢へ下りる道(わかりにくいので注意)と、真っ直ぐ行く道に分かれるが、真っ直ぐ行くと沢を渡って石切場横穴墓群の前に出られる。




石切場横穴墓群 (大磯町大磯)

墳形 : 横穴墓群
規模 : 11基
築造 : 古墳時代後期


石垣用の石を採掘するために削られたので、石切場横穴墓群と呼ばれる。
右写真の部分に7基。その右上の位置に4基ある(左写真の右上の位置)。

アーチ形を呈するものが多いが、中に家形のものもあり、しっくいらしき白色顔料が残っている(中央の写真)。
石切場の右上の位置にあがることはできるが、傾斜がきつく危険なので、十分注意してほしい。

石切場の左上の位置にもあがることができ、石切場の横穴を裏から覗くことができる。ただし、事故のないよう十分注意してほしい。



       










《道順》
道を戻り、沢へ下りる道を取る。下りきったところで、小さい沢をまたいで渡る。水の流れはほとんどない。
4分ほどで道が分かれる。左へ道を取り、小さな流れを飛び越えて、民家のある方へ上がると、「高麗山公園」の看板のあるハイキング道へ出る。


楊谷寺谷戸横穴墓群  (大磯町大磯)

墳形 : 横穴墓群
規模 : 21基
築造 : 7世紀初頭以降

平面形態は、方形・逆台形・フラスコ形・羽子板形などさまざまであり、変化に富んでいる。天井形態は2基(家形・ドーム形)以外はアーチ形。形態に注意して見てください。

湘南平へのハイキング道に面し、大磯町で一番有名な横穴墓群。県指定史跡。現在気軽に見られるのは、下の段の6基、ハイキング道を上がったところの上の段の7基。

【11号墓】 
下の段の一番右側にある。天井部分が家形であることに注目。
壁は長押(なげし)に当たる部分から内側に折れて(幅10pほど)、切妻形の屋根を乗せたような傾斜を作っている。

【5号墓】 
上の段の1段目の右から二つ目の横穴(右の写真の下段中央)。
平面形態は方形で、前壁がある。壁は長押に当たる部分で外側に折れ(2〜3p)、天井に続く。天井は低いドーム状(半球状)だ。
11号墓のような家形が崩れて、この形になったと考えられている。

【7号墓】【4号墓】 
7号墓は5号墓の右隣(右写真の下段右端)、4号墓は5号墓の左上(右写真の上段中央)にある。入口部がドア状に四角く開口している。玄室と前室の二つの部屋を持つ、珍しい複室構造で、現在入口部に見える部分は前室の奥壁に当たる。つまり前室はほとんど崩れて無くなってしまっている。

《道順》
「高麗山公園」の看板のあるハイキング道から湘南平方面へ5分ほど上がったところにある。
この横穴墓を造った人々はどういう道を通ってここを訪れたのだろうか。居住域から横穴墓への道を「墓道(ぼどう)」(広い意味で)と呼ぶが、先ほどの「釜口古墳」から「石切場横穴墓群」を経てこの「楊谷寺谷戸横穴墓群」へ至る林の中の道は、かつての墓道と考えられている。


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