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平塚(金目)・秦野(大根)の古墳と横穴墓

北金目神社古墳  (平塚市北金目)

墳形 : 方墳
規模 : 1辺28m(推定)
築造 : 4世紀末〜5世紀初頭

北金目古墳。
方墳(推定)、一辺28m(推定)。1993年東海大学調査。

小田急線東海大学前駅から県道へ出、ダイエーの所から坂を上がると10分ほどで東海大学校舎へ着く。真田幼稚園を左折し、大学の校舎沿いに7、8分歩き、校舎が尽きた所から下るとすぐに北金目神社がある。
古墳は社殿の裏。社殿によって半分壊された状態となっている。

神社に近い校舎の辺りは「王子ノ台遺跡」と呼ばれる縄文時代中・後期の遺跡。三内丸山遺跡同様栗を栽培していた。弥生時代末期の方形周溝墓も19基確認。



塚越古墳   (平塚市北金目)

墳形 : 前方後方墳または前方後円墳
規模 : 
築造 : 4世紀後半ごろ

前方後方墳または前方後円墳。全長45m。粘土床に長さ5m以上の割竹形木棺を直葬。

盗掘のためか出土品は少なく、管玉(くだたま)・坩(かん)・高坏(たかつき)・器台など。
4世紀後半ごろ(古墳時代前期)の築造。2011年4月に古墳公園として整備された。(→「最新考古情報」参照)

北金目神社から100m下り、左折してまっすぐ行くと、墳頂に桜の木をいただいた古墳が丘の上に見えてくる。周辺環境の変化は著しく、古墳公園の真ん前は、ヨークマート・コジマのあるショッピングセンターとなった。かつてこの地域には、四十塚と呼ばれる円墳群が存在していたと言われる。

東海大学の東側の、塚越古墳を含む広大な一帯は「真田・北金目遺跡」。古墳時代中期の大規模な集落址を確認。弥生時代末期から古墳時代前期の方形周溝墓も多数発見された。

2002年には大規模な「礫敷水場遺構」(縄文時代後期)が発見され、話題を呼んだ。6トンもの礫は金目川から運んだもの。王子ノ台遺跡に住む人々が利用したものと考えられる。深さ1mの土坑も4基発見され、クルミ・トチノキなどの堅果類を晒していたらしい。
場所は、真田幼稚園から東方へ直進する道路が大学の敷地に沿って90度曲がるところ。現在の道路面の10m下に、深い谷があった。現在は宅地となっている。

方形周溝墓→塚越古墳→北金目神社古墳へと首長の墳墓が移ったものか。



二子塚古墳  (秦野市下大槻)

墳形 : 前方後円墳(神奈川県指定史跡)
規模 : 全長43m(推定長46m)
築造 : 6世紀後半

前方後円墳。全長43m(推定長46m)。現在の形は左右対称でなく、団地側は変形を受けている。現存の墳丘の高さは、東側では前方部3.5m、後円部6m。

2009〜10年の調査で横穴式石室を検出。幅は約1.5m、長さは前庭部を含め9m程度で、南東に開口。奥壁よりの部分には石材が皆無で、天井石を含めた大型石材は抜き去られたらしい。2010年7月、幸運なことに石材の真下から、長さ58cmの銀装大刀を発見。5つに割れていたが、圭頭柄頭から鞘尻まで全形が遺存していた。銀装部分3カ所に唐草のような文様が線刻されている。この大刀の発見により、当地に有力豪族が盤踞していたことが実証された。なお、石室外から5世紀半ばの坩が出土しており、6世紀後半の石室との関係が問題である。

下大槻団地1−12棟の隣地にあり、フェンスで囲われている。

1997年に、金目川対岸の平塚市上吉沢字市場で全長31mの前方後円墳(市場古墳)が確認された。横穴式石室の可能性が高く、6世紀後半以降の築造と推定される。二子塚古墳と市場古墳の関係が注目される。



岩井戸横穴墓群・欠の上横穴墓群  (秦野市下大槻)

墳形 : 横穴墓群
規模 : 100基以上か
築造 : 古墳時代後期(7世紀〜)

両横穴墓群は一連の横穴墓群。合せて100基以上か。欠の上横穴墓群8基、岩井戸横穴墓群50基ほどを確認。

欠の上横穴墓群は水路の護岸工事でほとんど消滅。二子塚古墳そばの1−16棟脇の小道を下り、県道へ出ると「欠の上」バス停があり、そこから数メートルの所に横穴が開いている。

欠の上横穴墓群から用水路に沿って行くとすぐに岩井戸地区。右の写真は原麹店の麹室にある岩井戸横穴墓群21号墓。江戸時代、麹室を掘り進めたところ、平行に並んだ3基の横穴墓を真横から貫く形になった。

20号墓には立派な造り付け石棺(幅2m、奥行75p、深さ61p)があり、原家の許可が必要だが、一見の価値がある。懐中電灯の光を頼りに石棺を覗き、ここに遺骸が葬られたと思うと、古墳時代を身近に感じる。


下大槻欠の上遺跡1号墳  (秦野市下大槻)

墳形 : 円墳
規模 : 径17m
築造 : 6世紀末〜7世紀初頭

欠の上横穴墓群と岩井戸横穴墓群の間の低い台地に古墳が3基確認されたが、そのうちの1基。畑地を宅地にするために工事を行ったところ、石室を発見した。1999年10月調査。

墳丘径17mの円墳。周溝は幅2.5m。出土した土師器坏から、6世紀末〜7世紀初頭の造営と考えられている。

河原石積みの横穴式石室を持ち、既に天井石・閉塞施設を失っていたが、耳環・切子玉・管玉などが出土。ハの字形に開いた前庭部(写真)に特色がある。

古墳は消滅し、現在ここにはアパートが建っている。



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