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厚木(七沢・小野)・伊勢原(日向)の古墳

さんせ塚古墳  (伊勢原市日向)

墳形 : 円墳
規模 : ?
築造 : 古墳時代後期


三畝塚。円墳址(東大教授三上次男の碑文あり)。三畝は90坪。
石碑のところが墳裾で、一方の端は民家の垣根の内側だった。
野石乱積みの横穴式石室。めのう製勾玉・直刀・刀子・鍔・鉄鏃・金環など出土。

かつては今の松山古墳(伊勢原市三ノ宮)より一回り大きかったが破壊され、墳石は道路工事に使用された。近くに陪塚が2基ある。

「薬師入口」バス停の150m北の十字路を右折して畑中の未舗装道路を行くと、実蒔原古戦場とさんせ塚がある。



実蒔原(さねまきはら)古戦場/長享2年(1488年)、山内(やまのうち)上杉顕定の軍兵一千騎と、糟屋館(産能大学のところ)を本拠とする扇谷(おうぎがやつ)上杉定正(太田道潅の主君)の手兵二百騎が激突した。









新田古墳群  (伊勢原市日向)

墳形 : 円墳
規模 : 径20m(推定)
築造 : 古墳時代後期


新田(しんでん)古墳群は古墳時代後期の群集墳。
その名残りが畑のところどころに見られる。

左の写真は前田医院の前のブドウ畑のもの。
この北にも1基ある。ほかに、「薬師入口」バス停の150m北の小さな十字路を西へ200m入った畑の中に1基(7m×3m強)。この古墳を起点として北50mに崩れた3基、南50mに1基(浄水場への道路際、大石10数個露出)など。

この地区には昭和初期までは至るところに塚があったが、戦中・戦後の食糧難の時期に耕地となってしまった。しかしブルドーザーのない時代だから、完全には破壊されず石室が眠っているものも多い。
93年に発掘された一基では、玄室と羨道の区別されない石室(長さ5.7m)と周溝(幅1.5m)が確認され、径20mの円墳と推定された。畑の隅に眠っている古墳の、ありし日の姿を想像したい。



金井古墳群  (厚木市七沢字金井)

墳形 : 円墳
規模 : 径約30m
築造 : 古墳時代後期


1号墳は玉川保育所のところにあった円墳だが、消滅。石室長5.8m、高さ2.4m。奥壁は巨石。直刀・金環など出土。

2号墳はは玉川小学校の今の校庭の真ん中にあったが消滅。1号墳の100m南。円墳(径30mほど、石室長10m、高さ2.3m)。玉類出土。

玉川小学校の校庭の隅に墳石が残されている。
昭和10年当時、玉川村だけで40数基の古墳があった。




日向原古墳群  (厚木市七沢字馬場)

墳形 : 円墳
規模 : ?
築造 : 古墳時代後期



御所山古墳群とも呼ぶ。
神奈川県自然環境保全センター(旧自然保護センター、森林研究所)の敷地内。門を入ってすぐ右奥の傾斜地にある。


1号墳  2号墳の北10mのフェンス際。
      9×3×1.5m。
2号墳  門から30m。10×5×2m。
3号墳  2号墳の西30m。6×8×1.2m。

センター内に観察林や自然観察園がある。




島残古墳群  (厚木市小野字島残)

墳形 : 円墳
規模 : ?
築造 : 古墳時代後期


島残(しまのこし)古墳群は古墳時代後期の群集墳。厚木佐藤病院の北100mのあたりに6基ほど残っているが、わかりづらい。

左の写真は、玉川グリーンホーム(老人ホーム)の真ん前のもの。

小野橋の200m上流の日本料理店の西側道路を入って30m先を右折し、西へ30m行くと七沢地区35号墳(径15m、高さ3m)。農家の築山となっており、道路に接しているがわかりにくい。

35号墳の南10〜30mの畑地に3基。道路際にある1基の墳頂に「牛供養之碑」が建っている(22号墳)。



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