隠された本当の歴史4
前回までに書いたのは、神武東征が
ヤマト国、騎馬民族、飛騨高山朝の3王朝で
成り立っている事をさわりだけ、それから
騎馬民族がバビロニアから来てる事もちょこっと書いて、その騎馬民族系の天智天皇、藤原不比等、桓武天皇の暴虐、対する菅原道真の改革についてだったね。

それで、今回は南北朝辺りを書くのが順当だろうけど、今日は文化の日。
もともとは、明治天皇の誕生日だよね。
というわけで、今回は明治維新の頃の話。

明治維新には、言われてみれば奇妙な点がいくつもある。それは・・・足利義満以来、天皇家と言えば北朝なわけだけれども、北朝を継いでいるはずの明治天皇が、南朝正統論者である、という事。

それに、即位前と即位後では全く性格が違う。禁門の変の時、13歳の睦仁親王は砲声と女官たちの悲鳴を聞いて失神したとされており、ひ弱だったそうだ。これに対し即位後の明治天皇は約90kgの巨漢で、相撲をとっては投げ飛ばしていた。

また、明治天皇の顔は、全く北朝の顔ではない。夏目漱石とか野口英世みたいな顔をしていて、全く「公家顔」ではないのである。これは藤原氏の血が薄い証拠だ。現在の天皇家は藤原氏九条家の血をひいてるけどね・・・。また公家顔になってるけど。

さらに、睦仁親王は右利きだったのに、明治天皇は左利きだった。

さらにさらに。大正天皇は、睦仁親王の皇后を、昭憲皇太后としたけれども、「皇太后」というのは、普通、天皇の「母親」を意味するもので、后なら「皇后」なのである。さらに、明治天皇と昭憲皇太后の間には子はなく、大正天皇は側室の子である。
もともと睦仁親王と明治天皇は別人だから、昭憲皇太后は妻でなく「先の天皇の后」として接しておられた可能性が高いのである。

そこで・・・というか、真実を知る側から情報が漏らされてるのだけど、明治維新は北朝の天皇を殺害しての南朝の復活である、という説があるわけ。暴露された内容を見れば、その説の方が正しいと言わざるを得ない。

そもそも・・・菅原氏と同じく土師氏の出であり、菅原氏と並んで学問の家柄だった大江氏は、源頼朝によばれて鎌倉へ行き、以来。武士となっていった。源氏は新羅三郎という武将がいるくらいだから、新羅系すなわち天つ神系貴族である可能性が高い。その辺りの事はまた書くけど、同じく天つ神系と思われる大江氏は、南北朝の際には南朝についていた。

そして、大江氏から分かれていった氏族に毛利家があり、小京都・萩に南朝の正統をかくまって来たのだという。
薩摩の西郷隆盛が長州と結んだのは、西郷家が南朝の忠臣・菊池家の末裔だったからだ、という話だ。長州が南朝の天皇家をかくまっていると聞いて、薩長同盟が成立したのだそうだ。西郷隆盛はB型だったらしいから、確かに藤原氏菊池家の血を引いているのだろう。顔は藤原氏というより日本先住民だけどね。

睦仁親王の父、孝明天皇は佐幕派で、
公武合体、攘夷を推し進めていた。
これが明治天皇になると、倒幕派で、開国を進めて行く事になる。
元々北朝は足利義満が立てた傀儡に過ぎず、義満の子孫とさえ言われる。それが大きく方向転換したのが明治維新である。

王政復古の大号令が最初になされた場所は
明治天皇・・・それまで長州にかくまわれていた大室寅之祐・・・の生家のすぐそばの高松八幡宮だった。

明治天皇は「奇兵隊の天皇」とも言われるが、奇兵隊の中にある力士隊は、被差別部落と密接に関係していて、あるいは被差別部落そのものであった。(松重楊江「日本史のタブーに挑んだ男」)この力士隊の屯所は、明治天皇が維新の前年まで過ごした麻郷近くの岩城山にあった。ここで思い起こして欲しい。被差別部落というのは元々、坂上田村麻呂の東北遠征の捕虜流配地であったという事を。

伊藤博文はこの力士隊の隊長だったという事だが、東北の顔というよりは藤原氏の顔に近い。被差別部落を支配していたのは秦氏ー>藤原氏ー>弾氏と姓を変えた氏族らしいから、支配層「藤原氏」の血を引いている可能性は残る。あるいは単に、捕虜がアイヌでなくてツングースだったという事か。

孝明天皇を暗殺したのは、その伊藤博文だったという証言がある。孝明天皇は、疱瘡の病が回復して来た所で急死した、という事になっているが、暗殺されていたらしく、徳川慶喜の命を受けて犯人を捜していた渡辺平左衛門章綱は、「伊藤博文が堀川邸の中二階の厠に忍び込み、手洗いに立った孝明天皇を床下から刀で刺した」という事をつきとめ、そのために長州の刺客に襲われて重症を負った。手引きをしたのは岩倉具視。

この事は、初め藤原氏の広橋興光という人が、鹿島昇という歴史家(?)に教えた話だった。それで鹿島氏がこれを調べていったのだそうだ。けれども、どうにも鹿島という人は、暴露側の人間のような気もするのだけど・・・。歴史家としては、いまいち科学的な考察に欠けるのだけれど、このような漏れないはずの証言を暴露してくださったのだから、大変ありがたい事である。

睦仁親王の場合、薬師が毒殺した後、侍女が仏像と称して、睦仁親王と同じ大きさの「仏像」を運び出した後、埋葬したという話だったと思う。

今、気になるのは、元々11月3日というのは北朝の睦仁親王の誕生日だったという事で、明治天皇の誕生日として祝われて来たこの日は、いったい、明治天皇の誕生日でもあったのだろうか、ということかな。

明治維新は極めて無血革命に近い。けれども、やはりこのような事があったのは、維新に携わった人々は、忘れてはならないだろう。必ずや、心の中ではお詫び申し上げなければ済まないと思うのである。

今日が、11月3日


前のページへ

次のページへ



ルーク : 星世さん:喜んでた?人によっては、嘘の歴史が好きで事実は嫌いかも・・・。夫婦仲に気をつけて、慎重にね。

2003/11/06



星世 : 旦那が歴史大好きなので

2003/11/06



ルーク : 星世さん:ほんと?よかった☆

2003/11/05



星世 : うちの旦那に読ませたら喜びそう!

2003/11/05



ルーク : くうはくさん:そうなんだ?菊池寛って確か、竹内文書を読む小説家の会とかに入ってたかな。偽書だけど「日本が世界の文明の発祥地だけど帰化人に占領されてる」っていうような書ね。

2003/11/04



くうはく : 幼年学校上級の生徒に読ませるための伝記だったようだね。やはり軍人が深くかかわっていたようだ。

2003/11/04



ルーク : せいやさん:武道家なんだ?合気道かな?植芝先生の・・・。占いもやる師範かぁ。いいねぇ〜。

2003/11/04



せいや : うん うん。 彼もそんなこと言っていたよ。彼は、歴史とか宗教に詳しいのね。それと、武道家(師範)で占いの先生でもあるのね。ルーク君のこと凄く頭が良い人だねって言ってたよ。

2003/11/04



ルーク : せいやさん:そうだよ。なんてね。いや、ほんと、これだけ知ってる人、つきつめた人はマスメディア上には「出てこれない」かも知れない。暗殺されかねない。本を出す会社も大変だよ。

2003/11/03



せいや : 彼にルーク君が書いた日記をコピーしてみせました。ルーク君のことすごいって言ってました。

2003/11/03



ルーク : くうはくさん:菊池寛が書いても軍国主義一辺倒なんだ?あらら・・・。

2003/11/03



くうはく : そういえば昭和二年発行の「明治大帝」(菊池寛著)が家のどこかにあったな。軍国主義一辺倒だけど、もう一度眺めてみるか

2003/11/03