大型練習帆船
日本丸&海王丸

  日本丸 海王丸
総トン数 2,570トン 2,556トン
全  長 110.09m
マスト高 約45m
航海速力 13.2ノット 12.95ノット
帆装形式 4本マスト・バーク
実習生定員 120名 108名
船  籍 日本
建  造 1984年 1989年 
所  属 独立行政法人 海技教育機構 (旧)航海訓練所
 
 大型練習帆船日本丸海王丸は,「黒船来航の地」「咸臨丸出航の地」で「我が国近代造船業発祥の地」でもある浦賀で誕生した。建造所は京急・浦賀駅前にあった住友重機械工業(株)浦賀工場。

 浦賀工場の前身は,1897年(明治30年)創業の浦賀船渠(株)。英語名がUraga Dock Co.Ltdだったことから,地元の人々は「浦賀ドック」又は単に「ドック」と呼んでいた。工場はその後,浦賀重工業(株)浦賀造船所,住友重機械工業(株)浦賀造船所,同浦賀工場と変わり。日本丸は1984年(昭和54年),海王丸は1989年(平成元年)に竣工した。

 その後浦賀工場は,船舶大型化の時代の流れには逆らえず,2003年(平成15年)3月末,105年の操業を終え閉鎖され,巨大クレーンも撤去されてしまった。その間,浦賀工場では日本丸&海王丸の他に,艦艇や青函連絡船,貨物船,油タンカー等々の1,000隻を超える艦船が建造された。

 今,改めて振り返ってみると,日本丸&海王丸が建造された時代,浦賀工場はテレビや新聞等マスコミのスポットライトを浴びて,華やかに輝いていた。それはあたかも,ローソクの火が燃え尽きる寸前の最後の輝きだったように思い出される。 
 
目    次
進 水 式
(1984)
見 学 会
(2002)
出 航 風 景
(2002)
セイルドリル
(2003)
帆船パレードよこすか2007
(2007)
(旧)日本丸
JMETS 練習船カレー





進 水 式
  
 1984年2月皇太子殿下(現天皇陛下)ご臨席のもと,美智子妃殿下の支綱切断により浦賀工場にて,練習帆船「日本丸」の進水式が挙行された。マスト搭載による船体重心上昇等の進水条件悪化に対処して,浦賀船台では初めての船尾に浮力タンクを装備して進水させた。

 進水式当日は天気にも恵まれ,沢山の見物客と上空を飛ぶ多数の取材ヘリコプターに祝福されながら,無事船台を滑り降りその美しい姿を浦賀湾に浮かべた。 
写真および文要旨:「浦賀・追浜百年の航跡」より転載
  

船台から進水する瞬間

左右の浮力タンクは進水後撤去

進水前・船台で艤装中
 

労働組合が配布した進水記念の掛け時計





見 学 会
   
 五月晴れの2002年5月5日子供の日,浦賀で恒例の「咸臨丸フェステイバル」が開催された。その中心となったのが浦賀工場の岸壁で行われた日本丸の見学会。お天気に恵まれたこともあり沢山の見学客で溢れ,この工場が来年3月末に閉鎖されることが信じられないような賑わいであった。
 





出航風景
   
 「咸臨丸フェステイバル」が開催された三日後の2002年5月8日,日本丸は誕生の地・浦賀工場をあとにして神戸へ向け出航した。その出航風景を浦賀湾口の燈明堂付近の磯から撮影してみた。
  

船首後方に観音崎,白い建物は博物館






セイルドリル
  
 2003年5月5日ペリー来航150周年を記念する「帆船フェスタよこすか」の一環として練習帆船日本丸のセイルドリル(展帆)が横須賀新港埠頭で行われた。会場では日本丸の他,ロシヤ帆船パラダ等9隻の帆船が集結して一般公開され,多数の帆船フアンがその美しい姿と珍しいセイルドリルに魅了されていた。
 
 
 
 
 
 





帆船パレードよこすか2007





帆船(旧)日本丸
 
 2015.5.1横浜赤レンガ倉庫で開催中の「ドイツの春祭り」へ行き,ドイツビールとソーセージを堪能後,大さん橋国際客船ターミナルに着岸中の「セレブリティ・ミレニアム」「ぱしふぃっくびいなす」を撮影。その後,シーバスでみなとみらい21地区に現役当時のまま保存されている帆船(旧)日本丸を見学してきた。

 近代的なビル群の建ち並ぶみなとみらい21地区の石造りのドックに浮かぶ(旧)日本丸。ランドマークをはじめとする巨大なビルに臆することなく凜とした美しい佇まいに,さすが海の女王!と感動すら覚えた。
 





JMETS 練習船カレー
 
 横須賀新名物として定着した感がある「よこすか海軍カレー」販売元の(株)ヤチヨから,今年,新たに「JMETS練習船カレー」が発売された。JMETS(独立行政法人海技教育機構)は,船員養成のため海上技術学校,海上技術短期大学校,海技大学校での学科教育と練習船による航海訓練を通じた一貫教育を実施する日本最大の船員教育機関。

 練習船では,訓練初日をカレーで迎えます。食べやすく栄養価の高いカレーを食べて,大海原での訓練に備えます。本品は,練習船司厨長(料理長)監修の下,伝統ある「練習船の味」を忠実に再現したもので,歴代の船長・乗組員・実習生には船内で暮らした頃の懐かしい味を思い出し,初めての方には,今日も海上で活躍する実習生達のやる気と元気が伝わることでしょう。尚,価格は1食540円(税込)。売り上げの一部はJMETSへ還元され,船員教育訓練の充実にあてられる。・・・・・・要旨は商品パッケージの説明から転載

 パッケージの表面・下半分には住友重機械工業(株)浦賀工場で建造した日本丸,右上半分には追浜造船所で進水,浦賀工場で艤装工事を行った青雲丸の写真。パッケージ裏面・上部の5隻の練習船の内,日本丸・海王丸・青雲丸の3隻が浦賀建造船。浦賀ドックOBとしては何とも誇らしい。
 ※「JMETS練習船カレー」販売店・・・JMETのHPへリンク

2017.1.27 タウンニュース横須賀版
余   談
 
 私は本サイトに広告の類を掲載しないことをモットーとしているが,本品だけは例外とさせて頂いた。何故なら,練習船の多くを建造したり修理した浦賀船渠(株)に私が入社してから,後に住友機械(株)と合併した住友重機械工業(株)を定年退職するまで,微力ながら何らかの形で練習船に関わりがあったのがその理由。

 50数年前,浦賀船渠(株)に入社。配属されたのが船舶事業部・国内船営業部・修理船課。仕事は浦賀のドック(船渠)で修理する船の受注だが,ひよっこの私は先輩の足手まといなアシスタントとしてJMETSの前身の一つ運輸省航海訓練所や晴海専用桟橋の日本丸や海王丸へ出かけたものだった。

 当時は初代日本丸・海王丸の時代。初代は両船共1930年(S5年)川崎造船所(現川崎重工業)で竣工したが,太平洋戦争勃発に伴い石炭などの緊急物資輸送のため日本丸は1941年(S16年),海王丸は1943年(S18年),横浜浅野ドック(現ユニバーサル造船京浜事業所)で帆装艤装が取り外されてしまった。

 そして戦争が終了。両船の帆装艤装復帰工事を手がけたのが浦賀船渠(株)。1952年(S27年)日本丸,1955年(S30年)海王丸の復帰工事が完了した。私が入社したのはその後だったが,その縁もあって両船の修理工事・検査工事は浦賀船渠(株)が請け負うことが多かった。

 そんなある時,修理工事の事前打合せに現場の技術者を4〜5人案内して晴海専用桟橋の日本丸へ行ったことがあった。打合せは午前中に終わる予定であったが,いろいろ問題が発生したこともあって正午までに終わらず,午後まで大幅にずれ込む見込みとなってしまった。

 私達は弁当を持参していなかったので,昼食抜きで打合せを続行するつもりでいたところ,船長さんが見かねてか,私達を士官専用の食堂へ招き入れ昼食をご馳走してくれることになった。そこに登場したのがカレー。時はまだ戦後20年足らずの時代,私にとってカレーは大変なご馳走,そして美味しかった。

 それからしばらくして資材部購買課へ転属になり,そこで二代目新日本丸・海王丸・青雲丸の資材を調達することになるが,本船を訪れるような機会もなくやがてカレーのことはすっかり忘却の彼方へ消え去っていた。そこへ「JMETS練習船カレー」発売のニュース。

 早速,横須賀中央駅近くにあるYYポート横須賀・横須賀海軍カレー本舗へ出かけ「JMETS練習船カレー」を購入,その日の夕食とした。その味は初代日本丸の士官食堂の味そのものだったと言いたいところだが,現実は正直のところ「?」。私がご馳走になったのは50数年前の話。味覚の記憶は鈍感なのだろうか? 

 しかしながら,「JMETS練習船カレー」が忘れていた若き日の懐かしい思い出の数々を鮮やかに呼び覚ましてくれたことは間違いない。数々の懐かしい思い出は,何故か楽しかったことよりも苦しかったことの方が多い。日本丸の士官専用食堂でご馳走になったカレーは数少ない楽しい思い出の一つと言える。


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