観音崎・海岸七不思議

 6月の初め,掲示板でよしドンから”たたら浜にあるコンクリート製円柱の由来?”を尋ねられ内心ドキリとした。ほとんど毎日のように眺めている円柱が,何時・誰が・何の目的でそこに設置したのか,私はまったく知らないのである。

 この地に越してきた30数年前からその円柱はそこにあったが,そこにあるのが当たり前で,何の疑問も持たず,見過ごしてきた自分が恥ずかしかった。

 そこで,公園協会や博物館の関係者に尋ねてみたが,誰も知らない,さらに,囲碁を通じて知り合った町の故老数人に尋ねてみたが,矢張り誰も知らないと言う。昭和20年まで旧軍の要衝地帯として,一般人の立入が禁止されていたことがネックとなっているようである。

 あらためて観音崎周辺の海岸を眺めてみると,この円柱以外にも,正体不明な遺構?遺跡?残骸?が幾つかある。私はこれまで,それらのほとんどを見過ごしてきたのを恥じると共に,海岸に残されたそれら遺物の由来を調べ,海岸七不思議と題してご紹介したいと思う。

 誰でも子供の頃は,何にでも興味や疑問を持ち,不思議なことが沢山あったものだが,成長するにしたがいそれが薄れがちになる。これを機会に私も童心に帰り,観音崎の不思議探しに挑戦したい。 
2003.8.12
海岸七不思議のある場所
  
@たたら浜のコンクリート柱
  
 これが七不思議を調べるきっかけになった円柱である。私の周辺の誰に聞いても判らないため,最後の手段として,恐れ多くも横須賀郷土史の権威・山本詔一先生へ,Eメールでお尋ねしてみたところ,お忙しい中,下記のようなご返事を頂いた。

 「二本のうち細い方は、旧軍の研究機関があった当時に船をつなぐためのものということを聞きました。 しかし、太い方ははっきりした事はわかっていません。

 簡易な桟橋でなく、本格的な 桟橋を造ろうとしたのでしょうか。昭和10年代に旧軍が造ったものであること以外はわかっていません。

 答えになっていなくて申し訳ありませんが、現在わかっていることのみご返事いたします。」

A観音埼警備所 磯の遺構
  
 
 上記写真の遺構を含む付近一帯は,海上自衛隊・観音埼警備所があるため,現在も立入が禁止されている。遺構の由来を知る人が周辺にいないため,警備所へ直接電話して用件をお話しすると,警備所の所長さんが電話口に出られ,下記のようなご返事を頂いた。

 「遺構は昭和12〜3年頃に旧軍が建造したもので,”検潮所”と呼ばれ,潮の干満を調査する機械が設置されていたが,現在はまったく使用されていません。」

(追記)2011.10.11
 一説によれば,この遺構は聴測所(水中聴音所)と呼ばれ,昭和12年潜水艦を捕捉するため設置され,開戦後間もなく湾外を潜航する米艦を探知したとも言われている。
B観音埼警備所下の遺構
  
 
 博物館前の道路から灯台下の海岸へ通じるトンネル内を良く見ると,出口付近にコンクリートで固められた部分がある。さらに,トンネルを出てすぐ右側のガケにも遺構らしきものがあり,入口と思われる部分はコンクリートで塞がれている。 Aと同じ警備所の所長さんにお尋ねしたところ………

 「観音埼警備所のある場所には,旧軍時代に三門の砲台があり,地下に弾薬庫や兵員室があったが,砲台は撤去され,弾薬庫や兵員室の入口はコンクリートで塞がれて,現在は中へ入ることはできません。」

 観音崎公園には,このような旧軍の遺構がいたるところにあるが,時の経過と共にその由来は忘れ去られ,遺構そのものもつる植物や木の根等に覆われて自然に帰ろうとしている。
C灯台下磯のコンクリート残骸
 
 
 観音崎灯台下の磯に降りると,美しい景色には似合わない大きなコンクリートの残骸がある。先輩の山岸正平ボランティアによると……

 「1923年(大正12年)3月15日に完成した第2代灯台が,僅か5ヶ月半後の9月1日の関東大震災で倒壊,これはその残骸である。」

 尚,現在の灯台は1925年(大正14年)6月1日に完成したもので,第3代目に当たる。
D灯台登り口下磯の遺跡
  
 
  灯台へ登る階段の手前,西脇順三郎の詩碑前付近にある磯には,不自然な穴が沢山並んでいる。「観音崎物語」という横須賀市自然・人文博物館の元館長 田邊 悟 氏の著書に,これに関する記述があるのを思い出し読み返してみると……
  
 「…岩礁に,規則正しい穴が縦横にあけられて残っている。この穴は,もとこの地にあったお茶屋(今でいう料理屋)が建っていた時の柱の穴で,当時の茶屋の大きさがわかる。活きた魚を入れておく活簀の跡も二つ残っている。

 大正12年9月1日の関東大震災の時,波打ち際の岩礁が隆起したので,今では海水がほとんど入らない。

 明治13年ころにはこのあたりが軍用地になったためになくなったようだが,それまでは地元の走水や鴨居の人達ばかりでなく,浦賀の漁師達なども,わざわざ船に乗り,櫓を漕いでここまで遊びに出かけてきたと言うことである。」
  

活簀の跡
E観音崎海水浴場の遺構
  
 
 私は沖合にある遺構をこれまで”海水浴場の飛び込み台”と決め込んでいたが,今回初心に返り,観音崎海水浴場の路傍で,いかにも土地の故老?という感じのお年寄りに,由来をお尋ねしたところ………

 「昭和10年代に旧軍が建造したもので,海中にある飛び込み台のような遺構と,手前の岸壁は桟橋で結ばれ,レールが敷設されていた。桟橋には輸送船が横付けされ,灯台のように見える柱にロープで係船,荷揚げされた弾薬等は,トロッコで陸上の倉庫へと移送された。戦後,海水浴場を開設するにあたり,邪魔な桟橋は撤去されたが,その時のコンクリート製橋脚の残骸が観音崎園地の磯にいまだに放置されている。」 
 

橋脚の残骸
 

平和な海水浴場
F観音崎海水浴場脇の桟橋
  
  
 観音崎海水浴場の左端にはコンクリートの桟橋があり,いつも数人の釣り師が糸を垂れているのを見かけるが,観光船や漁船が接岸しているのは見たことがない。旧軍時代のものとも思われず,Eと同じく故老にお尋ねしてみると………

 「戦後,観音崎が民間に開放された昭和35〜36年頃,観光用に建設された桟橋で,三笠公園〜猿島〜観音崎を結ぶ観光船が就航していたが,赤字のため運行廃止となり,桟橋だけが残った。」

(追記)2013.8.30
  2007年「横須賀美術館」開館に伴い,「猿島航路」や「軍港めぐり」などを運航する(株)トライアングルが観音崎航路として再び利用していたが,2011年11月末で運行休止となり,現在は「観音崎フェスタ」等の特別なイベントの時だけ利用されている。

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