観音崎の歩道橋

 
 掲示板にジェイコムさんから,こんな洒落たコメントを戴いた。
 

ユーミンの曲で「よそゆき顔で」という歌があります。
若い頃、大好きで良く聞いていました。

「♪砂埃りの舞うこんな日だから
 観音崎の歩道橋に立つ
 ドアのへこんだ白いセリカが
 下をくぐってゆかないか♪」

でも、観音崎に歩道橋はないですよね。残念ですが.
 観音崎に歩道橋?私にも心当たりがない。忙しいユーミンのことだから,歩道橋くらい観音崎にもあるだろうと,想像で適当に書いたのだろうか?それともどこかの歩道橋を観音崎と勘違いしたのだろうか?ユーミンフアンからは「野暮な詮索をするな!」とお叱りをうけそうだが,これまで漠然と「観音崎」と呼んできた地域の範囲を,良い機会なので検証してみることにした。

 土地の人から通常「観音崎」と呼ばれている地域を地図で示すと,観音埼灯台のある青線で囲まれた鴨居四丁目のことで,この中に歩道橋は一つも存在しない。対象地域を拡大して,緑色で着色された「県立観音崎公園」の広がる鴨居三丁目と走水二丁目を調べてみると,走水上町バス停近くの市東部漁協前に,唯一歩道橋が存在することが判った。
2005.7.5
 

A方向から見た歩道橋
後方の山が観音崎公園

B方向から見た歩道橋
後方は御所ヶ崎
 この歩道橋から歩いて約10分,車なら1〜2分のところに観音崎京急ホテルがある。住所は歩道橋と同じ走水二丁目で,以前ホテルにはプロのミュージシャンがレコーディングするスタジオがあった。往時は一流ミュージシャンが良く訪れ,レコーディングしていたと聞いたが,現在は改装されてシーサイドチャペルに変身している。

 このことを思い出し,私は想像をふくらませ一つの仮説を立ててみた。『ユーミンは何かの曲のレコーディングに観音崎京急ホテルを訪れ,レコーディング後,忙中閑ありで日本武尊<ヤマトタケルノミコト>ゆかりの走水神社を参拝。その後更に,弟橘姫<オトタチバナヒメ>を祀った御所ヶ崎へと足を運んだ。その時,この歩道橋の上に立ち「よそゆき顔で」の歌詞が浮かんだのではなかろうか?』  

画面中央の建物にレコーディング・スタジオがあった。

現在はシーサイドチャペルに変身
 仮説を裏付けるため私はホテルのフロントを訪れ,「よそゆき顔で」が発売された1980年頃,ユーミンがレコーディングに訪れたことがあるか,厚かましくも尋ねてみた。ところが「ホテルは開業が1985年ですので,その曲は他所でレコーディングされたものと思われます。」と私の仮説はいとも簡単に否定されてしまった。

 ホテル開業が1985年とすると,歩道橋の完成もヒョッとして1980年以降かも知れない?疑い深くなった私は歩道橋までバイクを飛ばし,銘板を確認することにした。歩道橋の周りをウロチョロ探し回り,ようやく探し出した銘板には「1975年3月建設省建造」とあり,「よそゆき顔で」が発表される以前に,この歩道橋は存在したことが確認された。

 このことから,ユーミンは1975年3月から1980年の間にこの地を訪れ歩道橋の上に立ち,観音崎方面を眺めながら詩想したと思われる。「よそゆき顔で」には観音崎の地名こそ出てくるが,7番まである歌詞の内,観音崎が登場するのは一回限りで,単なるご当地ソングとは異質の使われ方をしているのが興味深い。 
余        談
 
 ユーミンこと松任谷由実。1970年代から今なお日本のポップ・シーンでトップの座に君臨しつづけるカリスマ的シンガーソングライター。しかしながら,私はユーミンのことをこれまでほとんど何も知らなかった。ユーミンフアンからはお叱りをうけそうだが,恥ずかしながら白状すると,私は今回話題の「よそゆき顔で」を含め,一曲として歌ったことも聴いたこともなく,題名すら何も知らなかったのが真相である。

 私のカラオケの持ち歌と言えば,石原裕次郎・フランク永井・美空ひばり等々,最新の曲は天童よしみの「珍島物語」,興に乗った時のラストソングが「旅姿三人男」「娘よ」と続けば,私の音楽的センスが,いかにユーミンとは無縁であるかお解りいただけると思う。

 「観音崎の歩道橋に立つ」と言うフレーズに惹かれ,歌詞を1番から7番まで繰り返し読んだり,実際に曲を聴いてみて,私の好きな演歌とは異質の世界と思っていたものが,表現方法こそ異なるものの,意外にストーリー性があり,共通性もあることを発見した。

 「観音崎」という地名や「セリカ」と言う車種名を歌詞に挿入すると,普通はご当地ソングやコマーシャルソングと呼ばれ,多少安っぽさ?や嫌み?を感じるものだが,「よそゆき顔で」にはそれを感じさせない何かがある。

  「ドアのへこんだ白いセリカが」の「セリカ」の三文字が,当時の若者の憧れや行動を象徴するように,「観音崎」の三文字で灯台・海・砂浜・松林・沖行く船・カモメ等を表現したのではないかと思うのは,私の考え過ぎだろうか?





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