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遺書

両親への遺書


上原良司少尉 遺書所感 (書式更新/10/8)

   長野県出身 慶応大学卒 22歳 特操二期 第五六振武隊
    昭和20年5月11日出撃戦死

 上原少尉は自らのことを「自由主義者」と呼んでいた。出撃前に帰省した際、「おれが戦争で死ぬのは国のためでなく、大切な人のため。おれは天国に行くから靖国神社にはいない」と家族に話していたという。これらの遺書、所感をご覧になっていただければなぜそれでも特攻出撃されたのかがおわかりいただけると思う。
  なお、遺書は熊谷飛行学校から知覧へ向かう途中、自宅に立ち寄り書き残したもの。所感は出撃前夜に報道班員に手渡されたもの。

(参考、引用:群青)


松尾勲一等飛行兵曹 遺書「ああ玉と砕けん」 (書式変更/10/1)

丙種飛行予科練6期 
第二神風特別攻撃隊義烈隊
昭和19年10月29日ルソン島東方にて戦死 23歳

 両親に宛てた遺書。心優しく、純粋な若者の心情が伝わってくる。あまりにも純粋で心打たれる。また、資料によっては27日戦死となっているが、引用文献を優先とした。

(引用:神風特別攻撃隊)


相花信夫少尉 「母上 お許し下さい」(2000/8/6UP) (書式変更/10/1)

宮城県出身 少年飛行兵14期
陸軍特攻第七十七振武隊
昭和20年5月4日沖縄周辺洋上にて特攻戦死 18歳

 少年飛行兵出身の純真な若者の父、母に捧げた遺書。継母であったらしく、自分の幼いときからの無礼をわびている。ご遺族の事を考えると胸が痛むが、愛情溢れる手紙である。

(引用:英霊の言乃葉(6))


古谷眞二少佐 「遺書」(2000/8/21up)(書式変更/9/30)

東京都出身 慶応大学卒 海軍第十三期飛行科予備学生
第八神風桜花特別攻撃隊神雷部隊攻撃隊
昭和20年5月11日南西諸島洋上にて戦死 23歳

 特攻隊員の中には大変な才能を持った方もおられた。作家三島由紀夫が自殺の一ヶ月前に江田島の海上自衛隊第一術科学校教育参考館でその遺書を読み、「すごい名文だ。命がかかっているのだからかなわない。俺は命をかけて書いていない」と言って、声をあげて泣き出したそうである。
  この遺書は古谷中尉が繰り上げ卒業式の前に書いたものである。

(引用:「いざさらば我はみくにの山桜」)


佐藤新平曹長 「お母さん江」「父上様へ」「遺書」「辞世」 (2001/3/11up)

岩手県出身 仙台乗員養成所7期
陸軍第79振武隊
昭和20年4月16日沖縄西方洋上にて戦死 23歳

 佐藤曹長は「留魂録」という日記を残しておられる。その中には「昨年より特別攻撃隊の熱望三度にして、漸く希望入れらる。神我を見捨て給わず。」という文章もある。このように特攻志願をしてはおられるがご両親への想い、愛情は大変強く、思いやりのあるお人柄が偲ばれる。

(引用:「特攻隊員の日記」特攻隊戦没者慰霊平和祈念協会)


小川清中尉 「最後の便り」 (2001/5/27up)

群馬県出身 早稲田大学卒 海軍第十四期飛行科予備学生
神風特別攻撃隊第七昭和隊
昭和20年5月11日南西諸島方面にて特攻戦死(バンカーヒルへ突入) 24歳

 2001年3月27日様々な人々の協力ににより、小川中尉の遺品が遺族に返還された。特攻隊員の突入時の遺品が返還されるというニュースはアメリカ、日本で新聞でも紹介され、テレビでも放映された。詳細はエピソードを参照。→こちら

(引用:「英霊の言乃葉」小川清御遺族)


永尾 博中尉 「靖國の社頭で」 (2001/7/22up)

佐賀県出身 西南学院卒 海軍第十三期飛行科予備学生
神風特別攻撃隊第三草薙隊
昭和20年4月28日沖縄近海にて戦死 22歳

  両親を思う心、妹を思う心が熱く伝わってくる。そして最後には我慢できずに両親に呼びかけている。このようなご遺書を残されて散華された方がおられるやも知れない靖國神社なのだとあらためて考えさせられる。

(引用:「英霊の言乃葉(1)」)


富澤 幸光中尉 「絶筆 靖國神社で待つてゐます」 (2001/8/19up)

北海道出身 北海道第二師範学校卒 海軍第十三期飛行科予備学生
神風特別攻撃隊第十九金剛隊
昭和20年1月6日比島にて戦死 23歳

  富澤中尉は「私がやらなければ父様母様が死んでしまふ。」と書き残して出撃されている。そして靖國神社に「来て下さるでせうね。」とも書き残している。この思いを戦後人々はきちっと受け止めてきたであろうか。

(引用:「英霊の言乃葉(2)」)


富田 修中尉 「父ちゃん!母ちゃん!」 (2001/9/8up)

長野県出身 日本大学卒 海軍第十三期飛行予備学生
昭和19年9月3日台湾にて殉職 23歳

 富田中尉は特攻隊員ではなかった。しかし、その覚悟、気持ちは同じであったということが伺えるご遺書である。

(引用:「英霊の言乃葉(6)」)


・関 行男大尉 「遺書」

愛媛県出身 海軍兵学校卒(第70期)
神風特別攻撃隊敷島隊
昭和19年10月25日比島レイテ湾にて特攻戦死 23歳

 最初の特攻隊指揮官である関大尉のご遺書。詳細は「最初の特攻」>「最初の特攻 隊長関大尉」にある。

 (「敷島隊五軍神の志るべ」より引用)