常滑市誌
常滑市誌【昭和51年(1976)3月1日発行】
第5編「文化」第2章「宗教」第2節「神社」より

神社の分布
 当市における神社本庁所属の神社は全部で27社である。それらは江戸時代の旧村に大体一社の割合で分布しており、それぞれの村落の氏神となっている場合が多い。
 平安時代の延喜式に記載されている神社(式内社)は当市には見当たらない。鎌倉時代から室町時代にかけての「国内神明帳」には海椙天神(現在、多屋の海椙神社)と常石天神(奥条の常石神社。これには異説が多い)がみられるだけである。 江戸時代初期の「寛文覚書」や後期の「尾張徇行記」になると、表2-7にあげた神社のほとんどが記載されている。
 旧社格には県社・郷社・村社・無格社の別があったが、当市の神社は(大正12年知多郡史)郷社1社(海椙神社)、村社21社、無格社10社であった。

神 社 海椙神社 (多屋、旧郷社)
由 緒  中世の国内神名帳には海椙天神とあるが、江戸時代の寛文覚書・徇行記にはその名は見あたらない。延喜3年(903)に勧請されている。旧多屋村の氏神である。

神 社 八幡社 (矢田、旧村社)
由 緒  明応4年(1495)山城国男山より勧請したといわれる。天保2年(1831)には八幡社から箭比神社に改称したといわれるが、天保年間の村絵図には八幡宮とある。寛文覚書には「社五ケ所、内八幡、天神、神明、山神、荒神 当村称宜喜太夫持内」と記されている。旧久米村の氏神である。

神 社 八幡社 (久米、旧村社)
由 緒  寛永8年(1631)男山八幡宮から再び勧請したといわれている。寛文覚書には「社弐ヶ所、内八幡、山之神、村中支配」とある。旧久米村の氏神である。

神 社 諏訪神社 (前山、旧村社)
由 緒  明暦4年(1658)信州諏訪神社から勧請したといわれている。寛文覚書には「社弐ヶ所、内大明神、山之神、村中支配」とあり、この大明神が当社であると思われる。旧前山村の氏神である。

神 社 天満社 (宮山、旧村社)
由 緒  創建年代は不明である。往古は、大野の海岸部にあり帆下天神と称したといわれる。いつごろ現在地へ移ったのか、それも不詳である。しかし、氏子が旧宮山村と大野の一部(十王・鍛冶町・砂子)であったことが、その歴史を物語っている。寛文覚書に「社四ヶ所、内八幡、天神、権現、山之神、庄屋支配」とある内の天神社が当社であろう。

神 社 熊野神社 (石瀬、旧村社)
由 緒  紀州熊野神社から当村の大屋敷へ勧請したといわれるが、その年月は不詳である。長禄3年(1459)修復されたといわれ、現在地へは文久2年(1862)移転している。寛文覚書に「社弐ヶ所、内権現、山之神、村中支配」とある権現が当社であろう。旧石瀬村の氏神である。

神 社 小倉神社 (大野、旧村社)
由 緒  創建年代は不詳であるが、伊勢の末社相鹿牟山の社を勧請したといわれ、文政2年(1819)に小倉神社と称するまでは牟山権現と呼んでいた。寛文覚書にも「牟山権現、当村祢宜式部持内」と記されている。旧小倉村と大野の一部(高須賀・橋詰・権現・市場)の氏神であった。なお、旧大野村の氏神は、かつては高須賀・市場・橋詰権現地域が小倉神社、十王・砂子・鍛冶町地域が宮山の天満社であったが、その後、橋詰は風宮神社に、権現は江崎社に、下砂子は内宮後祭宮社へと変わっている。

神 社 神明社 (西之口、旧村社)
由 緒  伊勢外宮より勧請したといわれているが、創建年は不詳である。明応6年(1497)宮山城主佐治伊賀守が再建し、元和元年(1615)には西之口村を所領としていた遠山掃部勝吉が田壱反歩を、さらに宝暦2年(1752)には遠山左衛門景慶が社領を寄進したといわれる。旧西之口村(西之口・蒲池)の氏神であった。寛文覚書には「神明、当村祢宜長左衛門持」とある。

神 社 神明社 (榎戸、旧村社)
由 緒  創建年は不詳である。寛文覚書には「神明、当村祢宜長左衛門持」と記されている。旧榎戸村の氏神である。

神 社 神明社 (北条、旧村社)
由 緒  創建年は不詳であるが、明応3年(1494)に瀬木の千代の峯にあった総社が神明社(西宮)・中宮(奥条大善院裏山)・常石神社(高宮)三社に分離したものといわれている。その後、元和2年(1616)に拝殿が建てられ、寛永15年(1638)に造営修覆されている。徇行記には「祠宮関長太夫……此社勧請ノ年紀ハ不知ト也」とある。旧北条村・旧瀬木村・旧常滑村(奥条は除く)の氏神である。

神 社 常石神社 (奥条、旧村社)
由 緒  創建年代は不詳であるが、先の神明社(北条)と同様、明応3年(1494)に千代の峯の総社が分離したものといわれている。旧常滑村のうち奥条の氏神である。

神 社 津島神社 (樽水、旧村社)
由 緒  元和2年(1616)海部郡の津島神社から勧請したといわれている。徇行記には「村中支配、庄屋書上ニ天王社内八反歩元和二年酉辰三月勧請ス」とある。旧樽水村の氏神である。

神 社 七社神社 (西阿野、旧村社)
由 緒  創建年は不詳であるが、往古、西阿野に七戸の家があり、それぞれ一神を祀っていたのを、その後一か所に合わせて七社神社としたのが、この社のはじめであるという。文禄4年(1595)に再建されている。徇行記には「庄屋書上ニ七社大明神社内五反一畝歩天王社内四反七畝歩此内ニ山神社アリ、三社共ニ勧請ノ年紀ハ不詳、文禄四未年再建ノ棟札アリ」と記されている。旧西阿野村の氏神である。

神 社 熊野神社 (熊野、旧村社)
由 緒  宝亀2年(771)紀州熊野から勧請して高坂山に創建されたのが、この社のはじまりという。明治5年(1872)までは枳豆志一四か村の総社であったといわれる。昭和15年(1940)には郷社となっている。現在の地に移転したのは宝徳元年(1449)である。「社伝ニ宝徳元年十一月十日勧請トアリ」(徇行記)とある。旧熊野村・旧古場村の氏神である。

神 社 白山社 (檜原、旧村社)
由 緒  応永27年(1420)創建されたといわれる。徇行記には「此社応永二十七年丁未勧請也」と記されている。旧檜原の氏神である。

神 社 多賀神社 (苅屋、旧村社)
由 緒  元和7年(1621)近江の多賀神社から勧請されたといわれる。徇行記には「庄屋書上ニ氏神二社境内六反歩御除地、一社ハ富士浅間此社勧請ノ年紀ハ不詳、大永七年辛酉ノ勧請ナリ」とある。旧苅屋村の氏神である。

神 社 八幡社 (大谷、旧村社)
由 緒  康生3年(1457)勧請されたといわれる。徇行記には「覚書ニ八幡……曹源寺持同寺書上ニ八幡天王相殿神明社一境内六畝二十歩御除地山神社内一反四畝廿八歩御除地、四社共ニ勧請ノ年紀不知」とある。旧大谷村の氏神である。

神 社 白山社 (小鈴谷、旧村社)
由 緒  創建年は不詳であるが、寛永18年(1641)に再建された。徇行記には「庄屋書上ニ白山権現社内四反一畝二十歩」「勧請ノ年紀不知ト也」とある。旧小鈴谷村の、氏神である。

神 社 広石神社 (広目、旧村社)
由 緒  創建年は不詳である。明暦3年(1657)に再建されている。徇行記には「府志日、広石天神祠、在広目村、今称熊野、本国帳従三位広石天神是也、此地古有伽藍、恐是神宮寺也、見古跡下」とある。旧広目村の氏神である。

神 社 松尾神社 (坂井、旧村社)
由 緒  明治11年(1878)上野間の松尾神社から津島社境内に分祀移建し、大正4年(1915)津島社を合祀している。徇行記にも「一知多露見ニ、此村ハ旧上野間ヨリ分ルトミユ、産神ハ上野間村松尾明神也、此社ニ七社アリ中ニシキリアッテ二社分ク修覆ヲ此村ヨリスル也」とあり、上野間松尾神社との関係が記されている。旧坂井村の氏神である。

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