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榛名山 '98 9/5 '99 3/7

北東山麓・敷島から榛名山を望む

北東山麓・敷島から榛名山を望む

 98年3月、榛名山麓はにわかに熱くなった。ふもとの子持村浅田で古墳が発掘されたのだ。直径約20m、高さ2.5mの円錐台形の円墳。噴丘の斜面には丸石が埋め込まれ、頂上の縁に沿って整然と埴輪の列が並べられている。埴輪には円筒型・朝顔型・ニワトリ型と何種類かあり、ちょうど東西南北の方向に朝顔型埴輪が据えられ、西の朝顔型の隣だけにニワトリ型がおかれているという。新聞のトップを飾る写真には、まるで復元された古墳のように完全な形をした浅田古墳の姿が写されている。古墳というと盗掘や開発などで原形を保っていないことが通例で、このように手付かずの状態で発掘されたのは全国ではじめてだという。

 すべては榛名山の火山活動の仕業だ。6世紀に榛名山の東山腹で大噴火が起こり、山麓にあったすべてのものが大量の軽石によって覆われてしまった。浅田古墳も軽石に埋まり、発掘されるまでの1400年の間、人々から忘れ去られた。他にも数多くの遺跡が榛名山麓の渋川市や子持村で今までに発見されてきたようだ。噴火で埋もれた都市いえばイタリアのポンペイを思い出す。それにちなんで子持村のキャッチフレーズは「日本のポンペイ」。当時周辺で暮らしていた人々にとって噴火は未曾有の大災害だったに違いない。でも結果として古墳の主の権勢は1400年先の未来まで正確に伝えられることとなった。

 6世紀の大噴火では軽石が降った後に、火口から溶岩ド−ムを盛り上がる。それ以降、榛名山は永い眠りに入っている。6世紀の噴火で出現した溶岩ド−ムは、伊香保温泉を少し登ったところにある。その名を二ツ岳といい、頂きには名前の通り二つのこぶを並べている。


【外輪山の道】

 高崎発榛名湖畔行きのバスが駅を出発した。駅前の都会的街並みはすぐに薄れ、風景がのどかな農村へとかわる。榛名山の大きな山容がバスの車窓に現れるのを今か今かと待っていたが、この日は湿気が多くいくら近づいても山は霞んだままだ。

 一時間半程でバスは湖畔についた。同乗していた中高年の方々は榛名富士に登るらしく、湖畔に沿って歩いていった。外輪山の道に向かうのは僕一人。これは静かな山旅が期待できそうだ。バスが来た道をわずかに戻り、車道の傍らから山道へと入った。森の入り口では蜘蛛の巣の歓迎を顔中で受ける。どうやら僕は今日始めてのお客らしい。道は自然遊歩道になっているのでとても歩きやすい。道の両脇にミズナラの森が広がる展望のあまり無い道を黙々と登っては、途中で見つけたキノコとしばらく戯れる。そうするうちに一つ目のピ−クとなる氷室山に着いた。一息入れて氷室山を下り、次のピ−クを目指す。なだらかな道がたんたんと続く。未だ活火山の匂いはしない。特に印象に残るものも無く、二つ目のピ−クの天目山にあっけなく着いた。

 天目山からは広々とした防火帯の道となる。向かいから20代半ば位の男が歩いてきた。すれ違いざまに山の挨拶をしてみるが、相手は少々不意をつかれた感じで目礼をしただけだった。すれ違ってしばらくすると背後で彼が「にいななぜろぜろ。ぜろぜろななぜろ。」と意味不明の数字を語り始めた。よく見てみると彼の背中にはザックではなくダ−クグレ−の箱が背負われ、そこからはアンテナがのびている。無線を片手にどこかと交信しているようだ。辺りを見回してみると彼の交信相手は空にいると分かった。先ほどから空を飛び回るヘリコプタ−だ。目を凝らして見るとあれは自衛隊のヘリ。「活火山の山麓には自衛隊演習場あり」の法則。榛名の東山麓にも相馬ヶ原演習場があったのだ。

 途中の七曲峠で県道に下り、沼ノ原を訪ねた。沼ノ原には木道が敷かれているものの、それほど湿り気はなく湿原というより草原といった雰囲気。晴天のもと、真っ平らの草原を歩くのは実に気持ちが良い。でも目の前の相馬山を見ると少しぞっとする。どんな風に道がついているのか想像しにくいくらいの急斜面だ。

沼ノ原から相馬山を見上げる


 いつしか道は草原から森へと入り、再び外輪山の道と合流する。しばらく歩くと目の前には真っ赤な鳥居が立ちはだかる。鳥居をくぐるといきなりの鎖場、続いて長い梯子、周りには霊神碑といった具合に修験道の山へとムードは一変。登りがきついだけに相馬山の山頂まではあっという間だ。きつい登りで汗と一緒に日頃積もったケガレを落としきった気でいたが、まだ足りないのかバチがあたった。何日か前に降った豪雨のためだろう。相馬山山頂から先は通行止め。おまけに霞みで山頂からの展望はゼロ。


【二ツ岳】

 鳥居まで引き返し、一度県道に出る。県道をわずかに歩き、道が分かれる。行く先は二ツ岳の裾にあるオンマ谷だ。下調べによれば、その谷は爆裂火口と仰々しく呼ばれる榛名山で最も活火山的な場所であるはず。しばらくして道は火口の底へと下っていく。車道の終点には数台分の駐車スペースとあずまや、トイレがある。頭の中では殺伐とした風景を想像していたがオンマ谷に広がるのは明るい森だった。説明書きによると、昔この一帯は火山ガスで充満した噴気地帯であったという。その恐ろしげな光景から「御魔谷」と名が付いたともいわれているそうな。今は噴気など見る影も無く、有るのは二ツ岳溶岩ドームの裾に点在する風穴だけ。秋とはいえ暑かったこの日には、風穴から吹き出す冷風は実に心地よかった。

オンマ谷の溶岩岩塊

オンマ谷の溶岩岩塊

 「まゆみの原」と呼ばれる火口底を過ぎると、やがて道は岩塊だらけで歩きにくくなってきた。溶岩ドームから崩落してきた一辺が何メートルもの岩のブロックがそこらじゅうに転がっている。岩と岩の隙間は落ちたら出るのに厄介な位に大きい。噴火が起きたのは1400年前だけど、その年月では岩塊を森の中に吸いこむにはまだ足りないようだ。

 通行止めだった相馬山からの道と合流して、二ツ岳溶岩ドームの脇を下ってゆく。しばらくすると「蒸し風呂跡」に着く。ここでは大正時代初期まで水蒸気が湧き出していたという。湧き出しの上に小屋を建て、天然のサウナとして利用されていたらしい。江戸の頃から伊香保温泉を訪れた湯治客に利用され、かつては4軒の旅館まであったそうな。現在は当時利用されていた小屋が復元されているだけで、活火山の熱っぽさは微塵も感じられない。オンマ谷の噴気といいこの蒸し風呂といい、消えてしまった活火山の息吹。それは二ツ岳の息が絶えた瞬間だったのだろうか。

 二ツ岳を半回りして、ちょうどオンマ谷の反対側にきた辺りから、二ツ岳山頂に至る道へと入った。溶岩ドームをほぼ直登するしんどい道だ。単調な登りがしばらく続き、登りが緩くなるとやがて二ツ岳の二コブの鞍部に着く。そこにあった避難小屋でしばらく休む。さて道は左右に分かれている。右に行くと男岳、左に行くと女岳。男岳の山頂には電波塔が建っていて味気ないというわけで女岳に登ったものの、やはりあいにくの霞で展望はきかず、足跡を残しただけの登頂となった。


【伊香保温泉】

 二ツ岳から2kmほど登山道を下ると、伊香保温泉の最奥である湯元に出る。そこには登山の汗を流すにはちょうどよい町営の露天風呂があった。入浴は一人400円。男女別浴。洗い場などの設備はないけれど、登山の疲れを癒すには十分だ。黄土色に濁った湯は湧き出し口では結構温度が高いが、露天風呂は大きいので離れた場所ではほどよいぬるさで心地よい。ここの温泉は飲んでも効き目があるそうで、露天風呂に行く途中には飲泉所なるものがある。試しに飲んではみるものの、鉄分満点のその味はとてもうまいとはいえない。

 湯元から少し歩くと、町並みは古い造りの商店街に変わり、伊香保温泉のシンボルとして有名な石段の最上部にたどり着く。この石段を少し登ったところには伊香保神社が鎮座している。街の最奥、最も高い位置にあるこの神社の歴史は632年に始まるという。榛名山麓が噴火で大変なことになったのは6世紀だから、この神社の建立は噴火と無関係ではないだろう。

 石段の方は比較的新しいようだ。といっても時は1576年、我が国の第一号の温泉都市計画として石段を中心とした温泉街が造られたそうな。温泉街には旅館が並び、湯の花まんじゅうの看板を掲げた店が賑やかだ。ほこりっぽい射的の看板や毒々しい色のストリップ劇場の看板なんかも並んでいるのは、古くからの温泉街らしい。意外に多いのは床屋と写真館。温泉につかってリラックスして、床屋でピシッと決めて気取った写真を撮る。そんな時代があったかどうか知らないが、街の雰囲気は明治・大正のレトロな風景を想像させる。

伊香保温泉石段
伊香保温泉石段



【浅田古墳】

 渋川を過ぎ、敷島という駅で上越線を降りる。利根川の河岸段丘上に位置する駅からはちょうど二ツ岳を中心に左右に裾野を広げる榛名山が美しい。利根川を渡り、国道17号線を南下する。まだ3月とあって、三国峠方向から来る車の屋根には雪が乗っていたりする。この辺りは昔からの街道らしく、古いみちしるべや地蔵が道端に立ち、町並みも街道筋の宿場であったころの雰囲気を漂わせている。歩いていると不意に歴史の中に迷い込んだ気分になる。長坂という場所で国道を外れる。この先で利根川の岸に下りた場所に浅田という地名がある。浅田古墳の場所の手がかりはこの地名だけだ。珍しい古墳が出たのだから国道沿いに看板の一つも出ているだろうと高をくくっていたが、そういったしゃれっ気は全く無い。本当にそこに古墳があるのか自信はなかった。

軽石によって埋め戻された浅田古墳

軽石によって埋め戻された浅田古墳

 車もほとんど通らない小道を歩いてゆくと、やがて道が河岸段丘の崖を急降下する。道端の法面には二ツ岳の噴火で積もった軽石層が露出している。目測で厚さは1mを超えているので古墳を埋めるには十分だろう。ここのどこかに古墳があるに違いない。段丘崖を下ったその場所はちょうど現在の利根川が流れる高さになる。そのためか川の上流から水流とともに下ってくる谷川連峰の根雪でキンキンに冷やされた風は身にこたえる。しかし歩けど歩けど古墳は見つからない。誰かに尋ねようにも誰もいない。まだ作物も植えられていない畑の土には二ツ岳の軽石が混ざっている。確かにここに軽石が降ったはずだ。

 やっと農作業をしている方を一人見つけた。「ここらへんで古墳出ませんでしたか?」この問いにその方の答えは明確だった。古墳の位置だけでなく、発掘作業の流れなど細かく語ってくれた。その語り口は誇りすら感じさせる。話によると古墳が風雨によって傷むのを避けるために、現在古墳は軽石で埋め戻されてしまったという。指し示された地点に行ってみると、そこは一面軽石だった。良く見るとその軽石の原野には所々に膝の高さくらいの軽石の小山があり、そのてっぺんにはナンバーのうたれた杭がささっている。この杭の下に古墳が埋まっているのだろう。ようやく見つけた。でも古墳の姿が見れなかったのは残念だった。


【豆情報】

・おすすめキャンプ場は、榛名山のカルデラの中にある榛名湖オートキャンプ場。オートキャンプ場なので車一台・フリーサイトで4000円だが、孤独な貧乏ライダーに対してもとてもやさしい対応。風呂は榛名湖畔温泉がバイクで5分ほど。インスタント食品・冷凍肉などの簡単な食料はキャンプ場のセンターハウスに備えられているものの種類は限られるので、渋川で調達しておいた方が無難。夜中に聞こえるヨタカやフクロウのつぶやきがとても味わい深いキャンプ場である。

・あまり食べ物のことは考えないたちなのだが、水沢観音の「水沢うどん」には感銘。1000円のコースを頼むとまずゴマの入ったすり鉢が来る。すりこぎでゴマをするうち、ざるにのったうどんがやってくる。つゆをゴマを擂ったすり鉢に注ぎ、もりうどんの要領でうどんをすする。その他、4種類の天ぷらに加え、茶碗蒸しとこんにゃくのごまあえ。おまけにおチョコ一杯の日本酒。極めつけはうどんおかわり自由と至れり尽くせり。さすがは上州三大うどん。

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takeshin@hkg.odn.ne.jpまで

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