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『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルのひとり
あつよししんのう
敦慶親王
| 宇多天皇の第四皇子・敦慶親王は、「容姿美麗、好色絶倫なり」と評され、「玉光宮(たまひかるみや)」とも称されました。 その生涯から『源氏物語』の光源氏のモデルのひとりとされています。 父・宇多天皇に寵愛された歌人の伊勢との恋愛、兄・醍醐天皇の女御だった藤原能子との恋愛・・・。 その生き方が光源氏を彷彿とさせます。 |
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| 敦慶親王 (あつよししんのう) |
| 888年(仁和3年)〜930年(延長8年)2月28日 |
父は、宇多天皇。 母は、贈皇太后藤原胤子。 宇多天皇の第四皇子で、醍醐天皇の同母弟である。 896年(寛平8年)、母の藤原胤子が卒去し、宇多天皇の女御・藤原温子(ふじわらのよしこ・おんし)の猶子となる。 温子の一人娘で異母妹である均子内親王と結婚。 中務卿、式部卿 などを歴任。二品に叙される。 管弦詩歌に秀でており、醍醐朝の文化興隆に貢献した。 兄の醍醐天皇・叔父の藤原定方・定方の従兄弟である藤原兼輔らと文化的な親交があった。 |
| 均子内親王 (きんしないしんのう) | ||
| 890年(寛平2年)〜910年(延喜10年) | ||
父は、宇多天皇。 母は、宇多天皇中宮藤原温子。(更衣→女御→中宮) 敦慶親王の異母妹にあたり敦慶親王の正妃となる。 歌人の伊勢は、温子と均子内親王に仕えた女房。 |
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| 孚子内親王 (さねこないしんのう) | ||
| 生年不明〜958年(天徳2年)4月28日 | ||
父は、宇多天皇。 母は、宇多天皇更衣徳姫女王。 敦慶親王の異母姉妹にあたる。 歌人としてすぐれていた。 孚子内親王は敦慶親王との恋ののち、源嘉種と偲ぶ恋をしたという。 |
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| 藤原 能子 (ふじわらのよしこ) | ||
| 生年不明〜964年(応和4年) | ||
父は、三条右大臣藤原定方。 いとこである醍醐天皇の更衣として入内。 913年(延喜13年)10月8日、更衣から女御へ。 三条御息所または衛門御息所と呼ばれた。 醍醐天皇の崩御後、醍醐天皇の弟・敦慶親王と通じ、のちには藤原実頼の妻となる。 歌人としてすぐれていた。 ※但し、同時代に生きた藤原能子と藤原仁善子の読みが同じ「よしこ」であるため、記録に混同がみられる。 |
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| 伊勢 (いせ) | ||
| 877年(元慶元年)頃?〜939年(天慶2年)頃? | ||
父は、藤原継蔭(つぐかげ)。 平安中期の女流歌人。 伊勢の名は、父の藤原継蔭が伊勢守であったことにちなむ。 伊勢の御息所(みやすどころ)、伊勢の御(いせのご)とも呼ばれた。 宇多天皇中宮藤原温子に仕え、温子の弟・藤原仲平(なかひら)と恋愛。 のちに宇多天皇の寵愛を受け、親王を出産するが早世する。 温子崩御後、宇多天皇の皇子・敦慶親王との間に、娘の中務(なかつかさ)を産む。中務もまた、歌人として活躍した。 中務の名は、敦慶親王が中務卿であったことにちなむ。 伊勢は、宇多・醍醐・朱雀三代にわたって歌人として活躍。 歌集『伊勢集』を遺す。 ※『伊勢集』は『源氏物語』にも深く影響を与えている。
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| 【参考】 | |
| 「もっと知りたい源氏物語」 | 著:大塚ひかり/発行:(株)日本実業出版社 |
| 「平安時代史事典CD-ROM版」 | 監修:角田文衞/編:(財)古代学協会・古代学研究所/ 発行:(株)角川学芸出版 |
| 「カラー小倉百人一首」 | 編著:島津忠夫・櫟原聰/発行:(株)京都書房 |