花橘亭〜なぎの旅行記〜「PICK UP」>安徳天皇 柳御所


              やなぎのごしょ
安徳天皇 柳御所

ごしょじんじゃ
御所神社

●所在地 :福岡県北九州市門司区大里戸ノ上1丁目11番
●交通 :西鉄バス「御所神社前」下車
:JR「門司」駅下車 徒歩5分

大里は「ダイリ」とよみます。→地図を見る


柳の御所 御所神社

入口には「柳御所」にちなみ、柳の木が植えられています。



安徳天皇 柳の御所 御所神社   安徳天皇 柳の御所 御所神社


 「大里(だいり)」という地名は、寿永2年(1183年)、安徳天皇を奉じた平家一門が大宰府、筑前山鹿城を経て、この地<柳ヶ浦(やなぎがうら)>に仮御所(仮の内裏ダイリ)を造営したことに由来します。里人は京都の御所になぞらえて、柳・梅・桃・李を植え周囲を整備したのだそうです。


 『平家物語』巻第八 太宰府落 には

小舟どもに召して、夜もすがら豊前国柳が浦へぞわたり給ふ。ここに内裏つくるべきよし沙汰ありしかども、分限なかりければつくられず。

(多くの小船に乗り、夜通しかかって豊前国柳が浦に渡られる。ここに内裏を造るということが決められたけれども、それだけの広さかなかったので造られない。)と記されています。

 『源平盛衰紀』には、安徳天皇が柳の御所に滞在されたのは、7日間であったと記されているそうですが、『門司市史』の〔柳御所孝〕によりますと、8月末〜9月末まで居られただろうと推測されています。

 また、2004年発行の安冨静夫 著『水都の調べ 関門海峡源平哀歌』には、およそ2ヶ月間滞在したと記されています。 

 この後、平家一門と安徳天皇は再起を期して屋島へと赴きます。



 昔はこの地のことを「内裏(大裡、大裏)」の文字を使っていましたが、江戸時代、享保の頃に「大里」に改められました。そして、海辺を大里村・山側を柳村といっていました。

 現在、戸上神社のお旅所であるこの御所神社は、かつての『柳の御所』跡と伝えられています。

御所神社の入り口にある看板「柳の御所」


 ※安徳天皇の仮御所が置かれた「豊前国柳ヶ浦」の地は、北九州市門司区大里のほか、大分県宇佐市内であるという説もあるそうです。




安徳帝柳御所

「安徳帝柳御所」の石碑



境内には、平氏の公達が詠んだ歌の歌碑が建っています。

歌碑と看板
 
大納言 平時忠の歌碑
左の歌碑
看板 皇后宮亮 平経正の歌碑
右の歌碑


忠度の歌碑  都なる 九重の内 恋しくば
  柳の御所を 立寄りて見よ


         薩摩守 平忠度

歌碑や看板で紹介されている歌は、京の都への
思慕にあふれていてせつなくなりますね…。(T_T)


平忠度(ただのり)・・・忠盛の子。清盛の弟。
 源平の合戦では活躍しましたが、一の谷の合戦で討ち死にします。<1130〜1189>
 幼い頃から、藤原俊成について和歌を学び、『千載和歌集』『新勅撰集』『玉葉集』などに11首選ばれています。歌集『平忠度朝臣歌集』があります。


京都・(株)井筒さんで展示されていた平忠度 実物大人形を見てみる?


 安徳天皇と平宗盛の木像がおさめられていたという みかげ石(花崗岩)づくりの石室。

 石室は境内にある大里郷土資料室の前にあります。

 安徳天皇神像と平宗盛神像は、現在、戸ノ上神社に祭祀されています。 
石室
キリメン様の石室





御所神社 拝殿

拝殿は明治天皇のご休憩所として
使われた建物を移築したものです。


拝殿横には、お稲荷さんを祀ってあります。

鳥居をくぐると・・・
きつね達がお出迎え。





境内にある庚申さま
結構、大きいです。



風呂の井戸・風呂の地蔵へ




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