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2005年8月23日(火)

クロスに願いを

【美織編】

「スタジアムって、広いんだねー」

私のテンションがちょっと高いのは、生まれて初めての生サッカー観戦だから。ううん、違うよね。今日が洋斗くんとの、初デートだから。なんて。私は一応デートのつもりだけれど、洋斗くんはチケットが余ったから私のこと誘っただけなんだよね。あの日たまたまバイトの帰りが一緒にならなかったら、多分他の人を誘ってたんだよね。それに、急に来れなくなったっお友達ってやっぱり、彼女なんだろうな。いるよね、彼女、きっと。

「そう、広いよ、何しろここは、日産スタジアムがまるまる1個入っちゃう広さだからね」。へぇーって思わず言っちゃったけど、あたりまえだよ、ここ、日産スタジアムだもん!キックオフまでの間、洋斗くんはいろんな話をしてくれたけど、三都主の顔が日本人っぽくないのはJリーグカレーの食べすぎでそうなったとか、宮本はJASRACにマークされてるとか、川口は昔「ピッチは選手の社交場だ」という持論のもとオールバックで試合に出場してて、ユニフォームの下には蝶ネクタイをつけてたとか、嘘なのかほんとなのかわかんない、おかしい話ばっかり。三都主ってだって外人でしょ?あれ?でも日本代表だよね。よくわからないけど、私、ずっと笑いっぱなしだよ。

今日のために半日かけて選んで買った、かわいい青いチュニック。でもみんなが着てるユニフォームより、色がちょっと派手目だったみたい。浮いてるかな。気合入れて普段は出さない肩なんか出してみたけど、洋斗くんってどんなファッションの女の子が好きなんだろう。こうゆうかっこは嫌いかな。

選手の名前なんて全然知らなかったけど、一人だけ、しっかり覚えた。21番、加地さん。洋斗くんが着てるユニフォームの人。「加地さんはペットボトルを並べるのが…」ってまたなんか言ってるけど、加地さんね。加地さん加地さん。

洋斗くんは加地さんのおまじないも教えてくれた。加地さんがふんわりしたボールをゴール前に蹴ったら、それが芝生の上に落ちるまでの間に、目を閉じて願い事を3回唱えられればそれが叶うんだって。ほんとかなあ。流れ星みたいだねって言ったら「加地さんのクロスはピッチの上の流れ星、って言われてるんだ。近年NASAも観測調査を始めるらしいよ」だって。嘘ばっかり。でももし今日の試合で加地さんがボールを蹴ったら、こっそり願い事、してみよう。

試合が始まった。興味あるよ、なんて言っちゃったけど、実はサッカーなんて全然知らなくて、弟がテレビで観てるのをたまに一緒に観るくらい。でも生で観るサッカーって楽しい!ライトに照らされた緑の芝生の上を、ボールを追って走る選手。スタジアムを真っ青に染めたサポーターの一体感、拍手や歓声。ブーイング。テレビで観るのと全然違う。でも、それよりなにより、洋斗くんの生き生きとした楽しそうな表情。バイトの仕事場では見たことがない、こんな表情。洋斗くんの彼女は、いつも隣でこんな表情を見れるんだな。

前半は0対0。「後半はもっと攻撃的にいかなきゃ、美織ちゃんにゴールシーン見せてあげたいし」って洋斗くんが言ったとおり、後半は日本が攻めてるみたい。何度かの惜しいチャンスのあと、長いパスが、21番の選手に渡った。あ、加地さんだ。ボールを持った加地さんは、前を向くと、ドリブルを始めた。そうだ、加地さんのおまじない、しなきゃ。加地さん、ふんわりしたボール、蹴って!相手の選手をかわす。歓声。そしてボールが、あがった。ふんわりと。これだね、今だ、願い事!

……………………えっ?…あれ?

目を開けるとそこには洋斗くんがいて。私は恥ずかしくってうなずいたまま顔をあげられなくて。

「加地さーん!加地さーん!」

洋斗くんは立ち上がって叫んでる。加地さん、ありがとう。願い事、叶っちゃったよ。まだ3回目、唱えてる途中だったけどね。

 

【洋斗編】

「スタジアムって、広いんだねー」

そう言って隣でものめずらしそうにスタジアムを眺めてる美織ちゃん。キックオフよりだいぶ早く着いちゃったけど、退屈してないかな。でも俺、さっきからしゃべりすぎ?沈黙が怖くてついしゃべりまくっちゃうの、悪い癖だよな。でもそのおかげで今日こうして美織ちゃんを誘えたんだけどね。

あの日のバイトの帰り道。偶然美織ちゃんと二人きりになっちゃって、突然で何を話していいかわからなくて、気が付いたら駅までずっと、サッカーの話を一方的にしゃべりまくってた。「ごめん、サッカーなんて興味ないよね」って聞いたら「そんなことないよ、一度行ってみたいんだ」なんて言うから、こんなチャンス二度とないと思って今日の試合誘っちゃった。一緒に行くはずの友達が行けなくなってチケット余っててさ、なんて言ったけど、一緒に行くはずの祐太が行けなくなったのは、その日の夜の俺の電話でだった。洋斗に彼女が出来るためならしかたないな、譲るよ、でもそのかわり絶対にその子をGETしろよ、そう言って快くチケットを譲ってくれた祐太のためにも、今日は何としても美織ちゃんに告白しなきゃな。

って覚悟で来たんだけど…だめだ、やっぱり顔を見ちゃうと勇気が出ない。「青い洋服これしか持ってなくって」っていうノースリーブがよく似合ってて、かわいい。今ここで何万人もの人が青い洋服を着てるけど、美織ちゃんが一番よく似合ってる。同じ青でも美織ちゃんが着ると輝いて見えるのは気のせいかな。

そこから伸びた白くて細い腕と、スタジアムをもの珍しそうに見ている横顔をこっそり盗み見て、心の中で告白のシミュレーションをしてみる。「美織ちゃん、君は『俺ワールドカップ』優勝だ!」ってわけわかんないか。「ボールは友達、でも俺は美織ちゃんとボール以上の関係になりたい!」って何言ってるんだ俺。ああ、想像してるだけでドキドキしてきた。心臓が21番のレプリカユニを突き破って飛び出しそうだよ。やっぱり無理だ、告白なんて勇気、ないよ。


美織ちゃんが、覚えたての加地さんの名前をつぶやいている。「加地さん加地さん」。そうだ、加地さんに賭けをしよう。もし加地さんが、今日の試合で相手ディフェンダーにコースをふさがれたとき、いつものようなバックパスじゃなく、勇気を出してドリブルで勝負をしかけて相手をかわし、クロスを上げたら。そしたら俺は、美織ちゃんに告白する。クロスの結果はどうでもいい。勝負する勇気。そう、必要なのは失敗を恐れない勇気だ。よし、加地さん、頼んだぞ、勇気をくれ。

試合は一進一退の攻防。俺はあまり試合に集中できない。いつも以上に、加地さんを目で追って、応援してしまう。試合結果よりも、今日は加地さんの勇気が俺にとっては重要なんだ。なかなかチャンスにからめないまま迎えた、後半。加地さんが高い位置でボールを受けた。相手ディフェンダーが素早く寄せてくる。行け、行ってくれ、加地さん、ここは勝負だ!

俺の心の声が届いたのか、加地さんが縦へ突破にかかった。しっかりついてくるディフェンダーを振り切り、タッチライン際で強引にクロスをあげた。やった!加地さんが勇気を見せてくれた。よし、俺も、勝負だ。隣を見ると、美織ちゃんが俺のさっきの冗談を真に受けたのか、目を閉じて何かを願っている。見つめ返されるとまた勇気がしぼんでしまう。これはチャンスだ。加地さんがくれた、告白のチャンスだ。スタジアムの歓声に負けないように、目を閉じたままの美織ちゃんに思いっきり叫んだ。

「ずっと前から美織ちゃんのことが好きだったんだ、俺と付き合ってくれ!」

とっさに出てきたのは、ありきたりの告白のセリフだった。驚いたように目を開けた美織ちゃんの表情が、照れた笑顔に変り、小さく、こくりとうなずいた。やった、加地さん、俺、やったよ!

 

【エピローグ】

ピッチに目を戻すと、ボールは逆サイドを転々として、そのままゴールラインを割るところだった。スタジアムの歓声はため息に変わったけれど、でも二人にとっては最高のクロスだったよ。加地さん、本当にありがとう。もし、もし可能ならなんだけど、日本代表がゴールしてくれたら、その喜びのどさくさにまぎれてハグなんかできるんだけどな。加地さんにそこまでお願いするのは、ちょっと無理かな?

作成者 kajidaisanji  : 2005年8月23日(火)
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