8月13日・18日  ピアカウンセリングについて 
           6月19日  日本男色史 戦国・江戸篇
           4月13日〜27日  日本男色史概論
           3月8日〜11日 高取先生の教研報告 その2
                       

              

 ピアカウンセリングについて その1(8月13日)


 今回は読者の方から反響の多かったピアカウンセリングについてです。STDの啓発運動に力を入れてるMASH大阪はピアカウンセリングの勉強会も開いています。7月に2回にわたりそのセミナーに参加しましたが、生徒指導だけでなく日常生活の人間関係を構築する上でも非常に参考になるので、講師でもあるカリフォルニア大学サンフランシスコ校の鬼塚直樹先生の許可を得てそのテキストの一部を紹介いたします。
      
   ● ピアとは何か、
   ● ピア・カウンセリングとは何か  
   ● ピア・カウンセリングの基本的概念(次回)
   ● ピア・カウンセリングの八つの誓約(次回)
      

  ピアとは何か                          

ピアという言葉が最近よく開かれるようになってきています。「Peer」という言葉を英和辞典で引くと、「社会的、法的に地位の等しい人、同等(対等)者;同僚;仲間」という訳がでています。ここのところ急速に日本語になりつつあるこの「ピア」という言葉は、いろんな意味の規定や解釈、あるいは様々な語感で使用されているようです。辞書の訳語にしろその規定は非常に緩やかで幅を持ったもので、そもそもこの「Peer」という言葉はそれ自体曖昧さを含んだ言葉のようです。

しかしこういった外来の言葉が日本の文化の中に定着しようとする際、いろいろな解釈が行われるのは当然のことではあるのですが、その中において「ピア」という言葉を狭義に解釈して、「同じ学枚の生徒」、「HIVの感染者同士」、「同じ身体障害を持っている同志」という規定を行い、そこにピアカウンセリングを導入する試みが、日本でもかなり多くみられるようになってきています。これらの試みはその親密な同胞意識をべースにして、大きな効果をあげているといえるでしよう。

一方、私たちのまわりには「ピア」と思えない人達もまた多く存在しています。中学枚の教師と生徒、親と子ども、あるいは会社の上司と部下、といった関係の中で、お互いは相手を「ピア」だとは感じていないでしよう。そこには「ピア」であろうとする方向性を支持するだけの積極的な要素が見いだされていないのかもしれません。それはそれで一つの人間関係であって、決して否定されるべきものではありません。       

しかしこういった「ピアと思えない人」以外になんらかの「ピア」の要素を持ちうる人達もまた多く存在しています。その「ピア」の要素には、年齢が同じ位、社会的な地位が似かよっている、出身地が同じ、といった緩やかな親定の中に存在するものと、同じゼミの学友、20年来の幼馴染み、同じ直属の上司を持つ部下同士、といったように特定された規定の中に存在するものとを両極端にして、ある幅を持って存在しているようです。

こういった「ピア」の規定の方法が緩やかであろうが特定であろうが、「ピア」と感じている複数の人間の間では、そのほとんどの場合「共通項の相互認識」が行われているのです。そしてその共通項がゆえにお互いを支援、理解しあおうという同胞意識が生まれてきています。それは一つの特殊な状況の中で、力強く現れてくるもの、日常の中でお互いの関係の基調として静かに流れているものと、様々な形態を取っているようです。

私たちが困難な状況に陥ったとき、まず助けや理解を求めるのはしばしば「ピア」です。それはこの共通項によって生み出されてきた、ごく自然に手をさしのべ、支援しようとする傾向を自分の「ピア」たちが持ちうることを私たちは知っているからです。それは隠された意図や動機を持たない、まるごとのサポート・システムといえます。

私たちは、ケアする気持ちと行為とに価値が認められ、平等と相互性に基づく人間関係の中で、こういった支援的性質を基盤にして、すでにそこに存存している「ピアの意識」をより大きなものへと育てて行くことができるのです。 これは、若者たちだけではなく(「ピア」というとどうしても、青少年の間での仲間意識という語感がぬぐいきれない)ほぼ全ての社会グループにおいて言えることであり、共通項の如何によっては、位階的なグループを縦に切る「ピア意識」も可能なはずです。

こういった相互支援的なエネルギーを内包する「ピア意識」の延長線上に、様々な学習や習得が可能なスキルを乗せることによって行おうとするサポートが「ピアカウンセリング」なのです。したがって、ここにおいては、「ピア」という言葉を緩やかな規定と広い意味で理解していただきたいと思います。なぜなら「ピア」の規定を順を追って絞り込んでいく事は、いったん絞り込んだ規定を拡大していくよりも、よりたやすい作業と思われるからです。

   ●ピアカウンセリングとは何か                       

ピアカウンセリングとは、人間の成長と精神衛生に関する知識と共に、アクティブ・リスニングと問題解決スキルを用いて、年齢、社会的地位、知識などにおいて立場が同様である人々へ行なわれるカウンセリングのことです。ですから、ピアカウンセリングは、方法論であると同時に人との関わり合い方の哲学であるといえます。そして、その基本前提は、人間は機会があれば自分自身の問題を解決する能力を持っている、ということなのです。

ピアカウンセラーの役割は、相手の問題を解決するのではなく、彼ら自身で解決策が見いだせるように支援することです。また、相手に何をすべきかも伝えなければ、アドバイスも与えません。ピアカウンセラーは通常解釈や診断はしないのです。ピアカウンセラーは、カウンセリングの専門家ではありません。その人が何を考え、どう感じているのかはカウンセラーよりも本人が一番よくわかっているという立場を取ります。

ピアカウンセラーの本来の役割は、これから学習するアクティブリスニングと問題解決のスキルを用いて、相手が自分の考えや気持ちを明らかにし、あらゆる解決策や選択肢を探索するのを支援することなのです。

ピアカウンセリングは、アメリカ社会の様々な場所で活用されています。その骨組みは、セルフヘルプグループ、予防医学、ウエルネスプログラムなどのあらゆる教育の中に組み込まれています。
     
多くの大学では、予約なしのピアカウンセリングやクライシス(危機)介入センターが設置されており、多くの都市にはクライシス・自殺予防ホットラインが専門家以外のカウンセラーによって運営されています。

セルフヘルプグループは、参加者同士のピアカウンセリングがその活動の大きな部分を占めています。また企業社会では、同僚や部下との仕事に関する問題の理解や解決のため、管理職へのトレーニングにもピアカウンセリングの手法が導入されてきています。

1960年代後半から、ピアカウンセリングは次第に認められあらゆる場所で成功をおさめてきました。1979年、Durlakは、ピアカウンセリングは、日常の様々な問題の対処への支援において、専門家のカウンセリングと同等の効果があると報告しています。このように、ピアカウンセラーは、問題の聞き手として、問題の明確化を助ける者として、あるいは情報提供音として、問題解決のプロセスにおいて重要な役割を果たしうるのです。


     ピアカウンセリングについて その2(8月18日)

     
    ●ピアカウンセリングの基本概念

       基本前提
     人は、機会があれば自分白身の問題を解決する能力を持っている。

       基本的定義
     ピアカウンセリングとは、学習した知識や実際の経験を、
     基本的なリスニングのスキルと組み合わせ使用することによって、
     ピア(仲間)の意識を持って行うカウンセリングである。

       基本理念
     自分のエンパワメントや決断のプロセスが受け入れられ、支持される環境
     人は最良のサポートを受けることが出来る。

       あなたのゴール
     クライアントに代わって問題を解決することではなく、
     彼ら自身の問題に対する彼ら自身の解決を見いだしていくことを、
     サポートすることである.

       あなたの道具
     アクティプ・リスニングのスキル
     問題解決のためのスキル
     個人的あるいは文化的な諸問題における
     あなた自身の経験によって培われてきた感受性

    ●ピアカウンセリングの8つの誓約                

クライアントの問題をただ単に聞いている時、あるいは重要な決断のプロセスを積極的に支援しようとする時、また緊急性をもつ場面でのカウンセリングを提供としようとする時、いかなる場合においても、次の8つの誓約をいつも頭に入れておくことが大切です。

     1.批判的にならない、決めつけない−ノンジャッジメンタル

     クライアントの経験を尊重すること。
     人はいろんな経験を積んできており、そこから構築されてきた価値観にも
     違いがあるのは当然です。自分の価値観を押しつけずに、クライアントを
     中心にしたカウンセリングを行うこと。

     2.共感を示す−クライアントの話にそって表情を豊かに

     共感するとは、「その人の靴を履いて、ある程度長い距離を歩いてみること」
     に似ている。靴を履くだけでなく、実際歩くのです。
     クライアントの靴を履いて、クライアントが歩いているであろう道を
     クライアントに寄り添って歩いてみること。

     3.個人的なアドバイスを与えない

     アドバイスはそれが適切であったとしても、
     カウンセラーの価値観で判断されたものです。
     カウンセラーの役割は、クライアントのプロセスを
     サポートすることで、指示するものではありません。
     クライアント自身の問題解決の機会を奪わないように。

    4.詰問調にならない−なぜで始まる質問には気をつける

     なぜで始まる質問は詰問調になりやすく
     クライアントの説明を要求しかねない。
     結果としてクライアントが防御的になって
     しまう場合があるので注意する必要があります。

     5.限界を定める−クライアントの問題の責任は取らない               

     クライアントが抱える問題、あるいはその解決策を
     見出すことは、カウンセラーの責任ではない。
     ピアカウンセラーの役割は、共感を示し、支援を
     提供することによって、クライアントが彼ら自身の
     問題を解決することです。

     6.解釈をしないで、パラフレーズする

     通常クライアントは自分の思考や感情を明確にすることを
     望んでおり、彼らの動機などについてのカウンセラーの
     解釈や説明を聞きたがっているわけではないのである。
  
     7.現状と現時点に視点を据える                       

     現状と現時点に焦点を当てる。クライアントの置かれている現状に
     フォーカスすることが大切です。ピアーカウンセラーの役割は、
     現時点の状況においてサポートを提供することです。

     8.感情と向き合い、感情について話し合う

カウンセリングの中で、感情について話し合うことは重要です。問題解決のスキルといった、認識の領域に入って行く前に感情についてゆっくり話し合ってみましょう。これらのルールをここでは誓約と呼ぶが、それを決して破ってはいけないというものではありません。この八つの誓約は、学習を進める中で自ずと理解できていくもので、カウンセリングをする中で一貫して用いられる手法なのです。
    
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いかがでしたか?生徒指導、日常の人間関係に役に立ちそうなことがたくさんあったと思います。早速実践されてみればどうでしょうか?

尚、MASH大阪では今後も継続的にカウンセリングの勉強会を予定しています。興味のある方はメールでお問い合わせください。




日本男色史 戦国・江戸篇 (6月19日)


  ゆうし先生から日本男色史 戦国・江戸篇が届きましたのでお届けします。

お久しぶりです。今回は 武田信玄 雨森芳州 の2人のお話です。

 まず紹介するのは武田信玄が春日源助という部下兼恋人に書いた,誓詞=誓いの文書です。源助は信玄が 弥七郎という少年と寝ている という噂をきいて怒ってしまったのです。で,それをなだめようとして信玄が書いたものです。

 弥七郎にしきりにたびたび申し候えども,虫気のよし申し候あいだ
 了簡なく候。全く我が偽りになく候。
     僕は弥七郎に何度も言い寄ったけど,そのつど,あいつは
     腹痛とか言ってことわってきたんだ。うそじゃないよ。

 弥七郎に伽(とぎ)に寝させ申し候事これなく候。この前にもその儀なく候。
 いわんや昼夜とも弥七郎とかの儀なく候。
 なかんずく今夜は存じもよらず候の事。
     弥七郎に寝ることを命じたことないよ。以前だってなかった。昼も
     夜もそんなことはないよ。まして今夜 その気があるわけないだろ。

  別して知音申したきまま いろいろ走り回り候えば,かえって御疑い迷惑に候。
  この条々いつわり候わば,当国一 二 三大明神,富士,白山,殊に八幡大菩薩,
  諏訪上下大明神の罰をこうむるべきものなり。よって件のごとし。
      お前とは特に親しくなりたいと思っているのに,いろいろ手を回す
      とかえって疑われる結果になってしまって 困っているんだ。
      ここまで書いたことに 偽りがあったら いろんな神様の罰を受け
      てもいいよ。

  歴史学者二木謙一氏は,この手紙を信玄25歳前後の頃のものだろうと推測してます。で,春日源助とは,「甲陽軍鑑」の著者として有名高坂弾正虎綱(こうさか だんじょうとらつな)です。百姓出身ながらその美貌で信玄につかえ,重臣に出世した人物です。

  当時の武士社会では 男色は不自然なものではなく,男女の恋愛よりも 美しいものとされていました。男女の恋愛は子孫を残すためのもの,男性同士の恋愛こそ真の恋愛 というわけです。信玄は本妻以外にも何人かの愛人(女性)がいました。男色の趣味はあっても,子孫はしっかりつくっておくのが武士の世界の常識でありました。

  余談です。
歴史の教科書によくでてくる,頭を剃った タコ入道みたいな信玄の肖像画。あれは別人,という説が今は強いです。ちなみに有名な源頼朝像や足利尊氏像(ざんばら髪)も 強力な別人説が出ています。


  元禄から享保(5代綱吉から8代吉宗の頃)にかけて,対朝鮮外交を担当する対馬藩の儒学者でその任に当たっていた「雨森芳州」(あめのもり ほうしゅう)という人物がいます。
        
  盧泰愚(ノテウ)韓国大統領が来日した際,宮中晩餐会のスピーチで彼にふれ,初めてその名を知った日本人が多かったそうです。僕は初めて韓国に行ったとき,機内で彼に関する本(中公新書)を読み,その人物像,知識,柔軟にして毅然とした外交センス 偉大な国際人,外交家ぶりに驚きました。

  さて,吉宗の将軍就任を祝う朝鮮使節が来日した時,双方の事務方をしきったのが52歳の芳州と38歳の申維翰です。両者は時に激論をかわしながらも,大坂まで船旅をともにし,相互に理解を深めていきます。この間の経緯や日本の状況をしるした申維翰の「海遊録」のなかにこういう一節がでてきます。

  「日本は,大坂のような大都市もありすばらしいが,性的には乱れている。娼婦も多いし,民衆でも兄が死ぬとその未亡人を弟が妻にしたりする。(儒教文化が徹底している朝鮮では,同姓(同本)だと身内同士と見て,結婚しない。彼らからすれば日本は近親結婚だらけに見える)とくに奇怪きわまるのは 男色の流行だ。男女の情欲は 天地から出た生々の理であり,四海に共通したことだ。しかし世界に陽だけあって陰がなく,それで相感じ相悦びうることがあるだろうか」

  これに対して 芳州が笑って答える。これがいい!

  「学士は いまだ その楽しみを知らざるのみ」

  申維翰は 芳州ほどの人物にしてこう言うのか・・・と慨嘆するのでした。僕は,芳州さんも「その楽しみ」を知っていたのね とにやりとしてしまいました。と,いうことで,同性愛を不快に思う人には 心の中で 芳州のように「ぬしは いまだ その楽しみを知らざるのみ」と言ってあげましょう(笑)       
       では また。



日本男色史概論・前編 (4月13日)

 メンバーのゆーじさんは社会の先生で歴史にはなかなか造詣の深い人ですので日本のゲイの歴史のついて投稿していただきました。とても興味深い内容です。Enjoy Reading!
     
 欧米では比較的最近まで同性愛を罰する法律があったり,今も同性愛者を憎悪する人々が多いことは知っている人が多いと思います。特にアメリカでのヘイトクライム(憎悪犯罪)は深刻です。

 その大きな背景に キリスト教があります。キリスト教の源流=ユダヤ教の教典「旧約聖書」には退廃し性的に乱れた町・ソドムとゴモラが神の怒りに触れて滅ぼされるシーンがありますが,この「ソドム」が男色を意味する言葉「ソドミー sodomy 」になったのは有名です。

 ユダヤ教が同性愛を禁じたのは,ユダヤ人集団の人口増加にマイナスにはたらくからだという解釈があります。それがどこまで当たっているかはわかりませんが,言いかえれば,紀元前から同性愛があった ということを逆に証明しているわけです。しかも厳しく禁じなければいけないほど「あった」ということを。

 同性愛=悪 というのは このユダヤ教→キリスト教の中で形成されていった考えです。キリスト教が広がる前のギリシアやローマ社会では同性愛は普通のものでした。ソクラテスと弟子のプラトンが恋愛関係でもあった,という話もよく聞きます(真偽は不明)。アテネでは奴隷以外の女性は外出しないことが多いので,戸外では男性同士が語らいながらそぞろ歩く風景が多々見られたことでしょう。

 明治までキリスト教が広がらなかった日本では当然同性愛には寛容でした。というか同性愛と異性愛の垣根が低かったようです。同性も愛するし,女性と結婚して子供をつくる という例が多いのです。

 平安時代までは同性愛者の記録を思い出せないのですが,11世紀末からの院政時代になるとはっきりしてきます。この時代,摂政・関白になって権力をふるってきた藤原氏に代わって,天皇を引退した上皇・法皇(=院)が政治の実権をにぎりました。この頃に活躍した様々な貴族たちの多くが,上皇や法皇と同性愛で結ばれていたことが明らかになっています。

 特に保元の乱(1156)の重要人物・藤原頼長(日本史教科書に太字で登場する有名人)は,自分の日記に,惚れた男性と思いをとげたことを嬉しそうに何度もしるしています(当時の貴族の日記は第三者に読まれることを前提として書いているので,男色が特に隠すべきことではなかったことが想像できます)。

 あの後白河法皇は男色女色ともに盛んで,美形の近衛基通(このえ もとみち)を特に寵愛して,彼を何度も摂政の座につけています。


日本男色史概論・中編 (4月17日)


  平安時代末期の源平時代から武士が日本社会で大きな存在をしめるようになります。武士の社会でも 貴族と違った意味で 同性愛はよく見られました。武士団とは,戦場で生死を共にする集団です。戦場には女性はいません。そこでは主君と家臣のあいだや,家臣同士のあいだに 強いきずなが生まれ,それは同性愛とも重なる関係でした。この絆が強い集団ほど戦場で強いのです。男女の恋愛よりも男性同士の結びつきの方が,美しく道徳的・武士道的であるとする考え方も生まれてきます。

  脱線しますが,ナポレオンの将軍たちのナポレオンに対する感情にもどこか同性愛的なものを感じるのは気のせいでしょうか。まあ「軍」が男のみの社会であれば同性愛的な面がつきものなのでしょう。

  織田信長と森蘭丸の話は有名ですが,これは信長のみではなく戦国武将と家臣の間でよくある関係なのです。また,若き日の秀吉が信長のぞうりを胸にいれて暖めておいたという話はフィクションではありますが,どことなくエロティックなものを感じるエピソードです。
 
  武田信玄が家臣にあてたちょっとユーモラスな恋文が残っているので,あとで原文を紹介したいと思います。

  江戸時代に入って太平の世になっても,武士社会を中心に同性愛は盛んで,江戸などの大都市では,町人の世界にも広がります。

  3代将軍家光が男色にふけってなかなか世継ぎが生まれなかったため,春日局は必死になって美人をリクルートしました(家光にも 履き物を体温で暖める家臣のエピソードがあります)。
      
  昨年のNHK大河ドラマ「元禄燎乱」で,東山くん演じる浅野内匠頭の男色がかなりはっきりと描かれていて驚きましたが,元禄時代ならさもありなんというところかもしれません。

  江戸にはかなり多くの「陰間」(かげま)=男娼がいたし,彼らとひとときを楽しむ「陰間茶屋」が繁盛していました。この頃の男色大流行を 外国人がどう見たかもあとで書く予定です。

  ところがこの男色流行が江戸時代後半=19世紀初期・11代将軍家斉の頃にはすっかり衰え,江戸は女色一辺倒になります。理由はよくわかりません。芝居でも男色物は人気がなくなって消滅し,陰間もほとんどいなくなったと当時の人の証言があります。この状況が幕末・明治維新まで続きます。
    

    日本男色史概論・後編 (4月27日)    


  明治維新後,しばらくすると,100年ぶりに東京に男色が復活します。特に,新らしく生まれた集団=学生の世界で。

  この明治の男色復活の原因はなにか? 当時の人も現代の学者も指摘するところは同じで維新政府に多数が参加することになった薩摩人がもちこんだ風習であるとしています。

  薩摩では 江戸時代を通して,未成年の武士は,各地域=「郷」(ごう)ごとに年長者が年少者を保護・教育する という「郷中教育」(ごうちゅうきょういく)が徹底して行われていました。年長者=二才(にせ)14,5歳〜24,5歳と年少者=稚児(ちご)7,8歳〜14,5歳の結びつきはかなり濃厚かつ排他的なもので,これが「薩摩武士といえば男色」を生み出しました。

  この明治の男色流行の様子は森鴎外や白樺派の作家たちなど多くの文学者のペンで描かれています(というか彼ら自身が男色の体験者です)。美少年が行方不明になった,さては上級生のだれだれにさらわれたのかという会話がしばしばかわされ「美少年パニック」とでもいう現象だったようです。

  この流行は日清・日露の戦争期にピークに達して,大正の比較的平和な時期,欧米の自由主義思想が入ってきた頃から薄れていきます。


  以上,平安から大正までを大急ぎで見てきましたが,過去の日本社会でははやりすたりはありますが,同性愛=男色が禁じられた時代はありません。また溺れることがなければ,男色を道徳的に非難する声もそれほどありません。逆に異性愛=女色の方は非難されることがしばしばありました。

  歌舞伎は女性が踊るのでみだらである!として禁止され,男のみが演じることを許され「女形」が生まれてきます。

  また,明治でも,男女の恋を描いた小説は発行禁止になりますが,男色小説の方はおとがめなしでした。この辺は欧米とはずいぶん異なります。

  現在の日本社会の同性愛に対する風潮をどう見るかは人によって異なると思いますが,一般的には「(男子高校生が)女性とセックスするのは仕方ないが男を好きになるのは異常だ!病気だ!」という感覚だと思います。明治の頃と反対なのかもしれません(すごく単純な見方ですけどね)。 

  とするなら それはいつ逆転したのでしょうか。戦後?それとも日中戦争・日米戦争の頃からなのでしょうか? この辺を研究した本はまだ見かけていませんし,自分でもよくわからないところです。

  同じ日本でも 都市と農村でもずいぶん違うでしょうし,同じ東京でも階層による違いもあるかと思います。

  次回はそれぞれの時代のエピソードを書いてみたいと思います。





高取先生の教研報告その2・ 金沢から「希望」を発信!(3月8日)

 はじめに
 
  1月22日から25日まで、石川県金沢市を中心に、日教組第49次教育研究全国集会が開催されました。23、24の両日、第16分科会「両性の自立と平等をめざす教育」に参加し、「同性愛者として−カミングアウトの軌跡」のテーマでレポート発表をしてきました。

 討議は以下の4つの柱に沿って進められました。(開催要項から抜粋、要約)

1 情勢

  改正男女雇用機会均等法や男女共同参画社会基本法、子ども買春、子どもポルノ等禁止法の施行、セクシュアルハラスメント防止策の策定などの動きをふまえ、性差別、性別役割分業を撤廃する教育実践をどう進めていくか。

2 意識・慣習の見直し

  男女混合名簿を広げていくことを入口に、「女らしさ」「男らしさ」の固定的イメージや、性別役割分業にとらわれない意識・行動をどう育て、両性の対等な関係をどう育てるか。また、アニメやCMなどのメディア情報に表現されている性差別、性別役割分業を見抜き、批判する力(メディア・リテラシー)をどうつけるか。

3 労働・家庭
   
  男性の失業率の上昇、非正規雇用の女性の増加の中、性別役割分業型の家庭の矛盾が激化している。男女ともに豊かに生きる力を育むために次の点について討議を深める。

(1)家事労働と職業労働を、性別に関係なく担う必要があること。
(2)女性の職業労働の実態を知ること。
(3)男性の家事・育児への参加のメリットと、それを妨げる原因を考えること。

4 性の教育
  
  女性を従属する性とみる根強い差別意識、男性優位社会を背景にした、性暴力、ドメスティックバイオレンス、売買春、セクシュアル・ハラスメントの実態が明らかになっている。性の自己決定能力をどう高め、男女が対等な人間関係をどう築いていくかを考える。また、多様なセクシュアリティを認めあう文化をどうつくっていくかを考える。
 
  私のレポート発表とそれに基づく討議は、4「性の教育」の討議の後半に、小学校での性教育の実践を報告するレポートとともに位置づけられていました。

 昨年のこと

  全国教研に参加したのは昨年の岡山に続いて2回目でした。昨年は、私の職場でのカミングアウトをサポートした同僚教員が、「人権教育」の分科会でそのことをレポートしました。その発表が1日目に終わったあと、「両性の自立と平等」の分科会を傍聴しに行きました。「同性愛と異性愛」という、授業実践のレポートがあったからです。

  報告者は、中学校で保健主事をされている先生でした。偶然ゲイの人と知り合ったことがきっかけとなって情報を集めた結果、まさに目の前にいる中学生たちの年代にセクシュアリティの気づきが起こることがわかり、教育課題としてとりあげることの必要性を切実に感じたということです。まず、3年生対象にアンケートを実施した結果、同性が好きだという回答が数パーセントあがってきました。これを授業の必要性の根拠とし、卒業前の特別授業の枠を使って実施計画をたてました。

  担任団に対する説得の結果、授業の実施にはOKがでたものの、担任自身が授業をするのは無理ということで、ご自身が各クラスをまわって授業をされたそうです。
  授業をすれば、生徒はきっちり反応します。(もちろん、全員ということはありえないでしょうが)。報告を聞いていて、教員側の抵抗感、とまどいの大きさが壁になることを強く感じました。
 
  この分科会で、「多様なセクシュアリティ」を中心にした報告が出されたのは、これがはじめてではないかと思います。これをうけて、共同研究者(助言者)のひとりが、当事者の声を直接生徒に聞かせることの重要性を述べられました。
 
  私は、分科会の最後に設けられた、報告者以外の一般参加者の発言時間に、3分という短さではありましたが、生徒にカミングアウトした経験を報告することができました。生徒にカムアウトしたのがその2日前、一連の長いカミングアウトのストーリーの中でも最高潮の時期で、自分の気持ちの高まりもあり、会場からは大きな反響がありました。
 
  今回、1年ぶりに再会して、「あれをきっかけに、性教育のプログラムのなかにセクシュアリティの多様性をくみこむことにした」と報告してくださった先生がありました。また、昨年の夏には福岡の「両性の自立と平等をめざす」学習会、今年の冬には広島の「性差別からの解放をめざす」学習会に、講師としてよんでいただきました。全国教研を起点にして、少しずつ「多様なセクシュアリティ」の視点が教育の現場に広がり始めています。

ゲイの立場から「両性の」分科会を考える


  「両性の自立と平等をめざす教育」の分科会は、78年、「女子教育もんだい」という名称でスタートし、女性差別の問題を中心に研究を重ねてきました。これは、「討議の柱」の「性差別、性別役割分業を撤廃する教育実践をどう進めていくか」という文言に端的に示されています。数年前までは、「セクシュアリティの多様性」は、討議の視野に入っていなかったようです。
 
  昨年は「同性愛と異性愛」の実践報告、今年は私の報告があり、討議の柱の中に、「セクシュアリティの多様性」が入るようになりました。ただ、「四つの討議の柱」の解説(冒頭に要約を掲載)を読むと、「木に竹を継いだ」感が否めません。最後に、「性の教育に多様なセクシュアリティの視点をくみこんでいく大切さ」が述べられていますが、それまでの部分とはあまり関係がないことをつけたしたようにも読めてしまいます。
 
  実際には、自分の報告をうけての討議以外にも、セクシュアルマイノリティの立場から討議に参加したい場面がいくつかありました。そこで発言しなかったのは、第一に、もちろん私の力不足のせいです。自分の報告の中でも述べたのですが、三十数人のレポーターの中に、セクシュアルマイノリティの立場から発言する者が2、3人いて、自然な形で多角的に討論に参加できればと思いました。現実には、まだまだ当事者が自らの立場を明らかにした 上で参加すること自体意味をもつという段階にあります。「立場宣言」としての自分のレポート報告をまたずに発言するには躊躇がありました。

  ここでは、自分の報告をうけての討論以外の部分で感じたことをいくつかあげながら、少し抽象的になってしまいますが、「両性の」分科会の内容と、「多様なセクシュアリティ」がどう結びついていけるのかを概観したいと思います。
 
  私は、男性同性愛者(ゲイ)の立場に立っています。ここで改めて言うのは、私の問題意識がたとえばレズビアンやトランスジェンダー、インターセクシュアルの人たちとは異なることを確認したいからです。もちろん、ゲイの間でも多様な個性が存在しますから、私がゲイ全体を代表できるわけでもありません。これから述べるのは、そのような限界をもった意見だと御理解ください。
 
  上野千鶴子さんが、「ゲイとフェミニズムは共闘できるか」(『発情装置』1998筑摩書房)という文章を書いておられます。ゲイ・スタディーズとフェミニズムが共通の敵をもつのか、また、ホモセクシュアルがミソジニー(女性嫌悪)と結びつかないことが証明できるのかを丁寧に検証することが必要だと述べておられます。
 
  私自身は、昨年の岡山教研での体験を思い出しました。「両性の」分科会でセクシュアル・ハラスメントが話題になっている時のことです。「女性に聞こえる場所でこんな発言がありました」とセクシュアル・ハラスメントの具体例が報告されるのを聞いた瞬間、高校時代のできごとがフラッシュバックのように脳裏によみがえってきました。まったく同様の発言に、深く傷ついたことがあったのです。男子だけを集めた保健の授業中、教師の発言でした。「男は女を性的に支配してこそ価値がある」ということを卑猥な、生々しいことばで言われたとき、よくわからないままに身体を硬くしていました。それは、「女を支配する男」になりえない自己の存在が否定される感覚だったと思います。

  今回、金沢の分科会では、4「性の教育」の前半で、セクシュアル・ハラスメントの実態調査アンケートのとりくみがいくつか報告されました。そのうちのひとつが、「ホモ・おかま・レズなどと言われた」という項目を含めていました。
 
  学校には現実にこれらのことばに傷つけられている児童生徒がたくさんいます。支配被支配関係を軸にした男女のあり方、関係性から逸脱する者を蔑み、指弾するためにこれらのことばが使われるとしたら、これをセクシュアル・ハラスメントとしてとらえていく視点は重要だと思います。ただし、蔑まれ指弾されることを怖れ、逆に女性を支配し、抑圧する立場を志向する過ちを犯す危険があることは肝に銘じておかねばならないでしょう。

  3「労働・家庭」では、家事労働と職業労働の調和について活発な討議がなされました。女性の職業労働の問題、男性の家事・育児への参加の問題などをつきつめていけば、ライフスタイルの問題にいきつくことが指摘されました。旧来の性別役割分担をくずしていこうとするとき、男女がパートナーシップを結んで、子育てをするという枠組みしか視野に入れないことの方が実は不自然です。もちろん、シングル女性の生き方などは、現状でも充分視野に入っていると思われますけれども。
 
  セクシュアリティとは、性を生活や人生、ライフスタイルと密接に結びついたものと考える概念です。既成の家族の枠組みを相対化することで、それぞれ自分がどのような性をもち、どのように他者と関係を結びながら社会の中で生きていくのかを模索し、えらびとっていく道筋が見えてきます。私自身は、旧来型の、求心力が強く閉鎖的な家族をもちません。まず個人として自立すること、その上で、多くの人たちとゆるやかにつながりながら助け合っていく生き方をめざしています。

  この他にも、2「意識・慣習の見直し」で、メディア・リテラシーをとりあげた報告がありました。幼児期の段階ですでに同性愛に対する侮蔑的な意識をもたされる例が多いのは、明らかにテレビの影響です。メディアの発する情報を監視し、有益な情報の発信をはたらきかけることは今後の大きな課題です。

私の発表をうけての討議から


  4「性の教育」後半の討議は、小学校での性教育の実践報告と、私のレポート報告に基づいて行われました。報告は15分という時間制限の範囲で行いました。多様なセクシュアリティを概説したあと、具体的なことは省略して、「長いカミングアウトの過程をひとことで表現するなら、私はどのように他者とつながってきたかということであり、それは、人間とは信じるに値するものだと実感させてくれた体験だった」と述べました。後半では、生徒との関係がどう変わったかを少し具体的に述べ、今後の展望と課題として、「性教育、AIDS教育、人権教育の中に、セクシュアリティの多様性の視点をくみこみ、自己の性のあり方に違和感をもつ生徒たちが自己肯定できるような情報を発信すること」「性教育、AIDS教育、人権教育にとりくむ教師とのネットワークを構築すること」「当事者の教師のネットワークを構築すること」をあげました。
    
  全体として、討議はしっかりかみあっているという印象をうけました。当事者の姿も少しずつ目に見えるようになり、教育実践も行われ始めていることがわかりました。いくつかの発言を紹介します。




高取先生の教研報告その2・ 金沢から「希望」を発信!(3月11日)


 (1)質問

 ・資料に「性同一性障害」ということばがないけれどもそれについて聞きたい。
      
 ・「人とつながりたいから自分のことを語る」ということだったが、周囲の人との関係、肉親との関係など、葛藤の部分も含めてもうすこしくわしく聞きたい。
       
 ・同性愛が性的指向の問題であることはわかったが、自分の性(性自認)については、どうなのか。  

 (2)出会いの体験
   
 ・教え子が成人式を迎えたときに、FTMトランスジェンダーだとカムアウトされた。違和感はなかった。中学生のとき、制服のスカートが苦痛だったと聞かされ、制服問題をこの視点から考えるようになった。

 (3)性教育の実践の中にとりいれていくことについて

 ・池田久美子さんの著書『先生のレズビアン宣言』を参考に、授業案をつくった。「性をとらえる三要素」など、高校生や大人にはわかりやすいが、小学生用には教材を開発する必要を感じている。
   
 ・セクシュアル・ハラスメントの実態調査の項目に、「ホモ」「おかま」というからかいの言葉を入れた。小学校から指導案をつくりはじめているが、中学生の方が拒否感が強く、どう指導するかがむずかしい。

 ・小学校5年生の授業で、「同性を好きになる人もいる」と投げかけると、「えー!」「うそー!」という反応だった。どう返していくかがむずかしい。
   
 ・同和教育の読本として、性の自己決定権を考える冊子をつくった。その中に、ゲイの登場人物を設定した。教室が騒然となったが、「この中にもいるかも知れない。あんたらがそういう態度だから言えなくなる。自分の性を否定して生きるって苦しいと思わない?」と投げかけると、子どもたちは納得できた。

 ・教員が早いうちに肯定的な情報を流すことで救われる子がいる。まず教員が情報を得ること。校内研修で、トランスジェンダーをとりあげたNHKの特集を使った。性教育のプログラムの中では、5年生で扱う「二次性徴」のところでこの問題をとりあげやすい。

 いくつかだされた質問について少し述べたいことがあります。
 
  「性同一性障害」ということばが資料になかったのは、こちらのミスです。資料にあげた「自分の性別に対する違和感」が、すなわち「性同一性障害」だと考えています。

  このことばは、埼玉医大での性再指定手術(いわゆる性転換手術)がマスコミ報道されて以来、非常によく使われるようになりました。私も折にふれて質問をうけます。無意識のうちにせよ、このことばを使わなかった背景には、マスコミによるこのことばの使い方に対する疑問があります。

  人間の性を「女」「男」のいずれかだと固定的にとらえ、性同一性障害があれば、手術によって一方から他方へ完全に「移行」するというイメージが支配的ではないでしょうか。自己の性別に対する違和感はもっと複雑で微妙なものです。「性器」「性器以外の肉体(胸、体型、体毛、声など)」「服装(メイクやヘアスタイルを含む)」「生活スタイル」などに対するこだわりの度合を指標としながら、個々のあり方をていねいに認識していく必要があります。

  手術によってはっきり「女」「男」に「移行」する、あるいはそれを志向するのもひとつのあり方ですが、手術を必要としない場合も多いし、手術を望んでも、社会的な条件によって実現できない場合がたくさんあります。男女どちらかはっきりしない、あいまいな性のあり方も現実なのだと認めていかなければなりません。

  肉親との関係については、プライバシーにかかわるところで、あえてしゃべっていない部分もあります。私の性自認は「男」です。それについてほとんど揺れはありません。外見や服装は男性的な好みが強く、ゲレンデでサングラスをかけて立っていると、「こわいお兄さん」系に見られたりしますが、しゃべると柔和な雰囲気に一変します。

  昔は、花とかお菓子を好きな自分がイヤだったのですが、今は、時おり切り花を買って帰ったり、花壇をつくったりケーキを焼いたりして、楽しんでいます。超手抜きではありますが、家事全般と親の介護もしています。介護については、軽度のうえに、地域の福祉サービスが充実していて、そんなにたいへんではありません。電気や機械関係はからっきしダメですが、一方で、大工仕事が好きだったりします。
 
  こういう生活のあり方について、自分ではあまり性別と結びつけて考えてはいません。しかし、セクシュアリティがライフスタイルの問題に結びつくということを、最近強く感じるようになりました。カムアウトして生きるとは、ゲイとして、社会の中で目に見える形の生活を営むことです。時おり自宅に職場の友人やボランティアの仲間が集まり、鍋をつついたりします。今は決まったパートナーはいないのですが、みんな、私がゲイだと知っています。その輪の中に親やきょうだいが入ることもあります。
 
  どのように他者とまじわって社会的な生活を送るか、さらには、どのように老いていくかを少しずつ考え始めています。既成の枠組みにとらわれない生き方をめざす人たちとゆるやかにつながっていきたいと思っています。

  分科会の外で

  「今後の展望と課題」に、当事者の教師のネットワーク構築をあげました。当事者の多くが自分のセクシュアリティを隠さざるを得ない社会状況の中、ネットワークは、日常の職場と切り離されたところにあります。
 
  私がAIDSボランティアを始めたころ、新鮮な驚きを感じました。ゲイであることを公言して活動に参加するメンバーが私を含めて何人かいました。ゲイ以外の仲間たちと同じ役割を果たす一方で、ゲイの仲間がグループをつくって、ゲイのための相談、啓発活動をすることが、集団の中で必要かつ当然のことだと認められていました。これは、私たちが考える望ましい社会の縮図だと言えます。
 
  このような場を、もう少し日常の職場と近いところにつくれないでしょうか。組合には女性部や青年部があって、ひとつのモデルになるでしょう。欧米の労働組合には、レズビアン・ゲイの部会をもつ例が少なくないと聞きます。日本でも、中学高校で英語を教える外国人教師の団体にゲイの部会があり、当局と交渉をもっています。職場ではカムアウトしなくても組合の中では自然にオープンにできるような雰囲気をつくれたらと思います。分断され、孤立した当事者がつながれる場、自分たちの抱える問題と教育の課題をともに考える場をめざしたいと思います。

  実際今回は、複数の当事者の方から、自分も金沢教研に参加するとの連絡をいただきその中のひとり、Sさんという方と現地でお会いすることができました。
 
  Sさんは、FTM(女性→男性)トランスジェンダーです。去年の夏、私のカミングアウトの新聞記事を見て、つてをたどって住所を調べ、お手紙をいただいたのがきっかけでメールのやりとりをするようになりました。ご自身のセクシュアリティのことでずいぶん苦しい思いをされ東京や大阪から離れたところにお住まいなので、同じ立場の仲間もなかなか得がたい状態におられます。

  Sさんとは、金沢ではじめてお会いすることができました。勤務校で唯一Sさんの抱える問題をご存じで、支えになってらっしゃる先輩の先生とご一緒に、3人でおすしを食べながらお話ししました。

  Sさんは、一見してとてもボーイッシュな感じの、聡明で、ご自身のことを深く見つめておられる、とても素敵な方でした。また、ご一緒だった先生は、以前はセクシュアリティの知識は、全然お持ちじゃなかったのですが、Sさんのカミングアウトをうけたあと、いろいろ勉強されたそうです。身近なところにいる大切な同僚の抱えている問題をしっかりうけとめようとしておられます。それでいてご自身は、Sさんとの関係がカミングアウトの後、特に変わったわけではないと言われます。ご自身が動揺したり、巻き込まれたりしてしまうことなく、Sさんのことを大きな包容力でしっかり支えてらっしゃるように思えました。
 
  翌日、Sさんは、分科会の私の発表を聞きに来られました。電車の時間があって、終わった後はほとんどお話しできなかったのですが、翌日、メールをいただきました。ご本人の了解を得て、転載したいと思います。

  『教研集会、興味深く参加させてもらいました。帰りは「流れ解散」のようになってしまって、ちゃんとお別れのことばも言わず、失礼しました。
   
  高取さんの発表に対する会場の雰囲気を見ていて、高取さんが言っていたこと=人間は信頼できるもの、を少し実感しました。自分なりの方向性が少し見えてきたかな。コメンテイターの発言にもいくつか心に残ることがあったし、一生懸命マイノリティ教育(こんなことばがあるのか?)に取り組んでおられる先生方の磨かれた感性にも感心したし、「先生も捨てたもんじゃないな」と思いました。
   
  高取さんの撒き続ける種は、きっと少しずつ大きくなるでしょう。わたしも少しずつ種をまこうと思います。学校の閉塞状況をどうにかしたいですからね。昨日・今日とほんとうにありがとうございました。』

  これを読んで感動しました。「あの時、分科会の場で『希望』が発信されていたんだ!」と思えたからです。

 おわりに
 
  職場でのカミングアウトから2年半、生徒へのカミングアウトから1年になります。当時2年生だった彼らも、この春、卒業していきます。夢中で過ごした時期が終わり、少し落ち着いてこれからのことを展望する時かもしれません。今回、金沢の地で、また新たな人たちとつながることができました。それが何よりの糧になると思っています。
 
  私の「異色の」レポートを全国教研へ送りだしてくださったきょうと教組のみなさん、それを討議の柱に据えてくださった「両性の自立と平等をめざす教育」の分科会運営の先生方、共同研究者のみなさんと、分科会参加者のみなさん、ほんとうにありがとうございました。