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アクロスエヴォルブ    第二話:ムーヴィング・フォース

 

 

 ……そういった立場にいたので、流石に大量の戦闘を経験してきた。

 血で血を洗う戦いの不毛さというのは、言葉では―――少なくとも、自分の語彙力では―――とても表し尽くすことが出来ない。

 ただ、最も印象に残っている光景というのは、奇妙な赤紫色に占領された視界の中に、何かが数体、蠢いている様子だった。今でも、時々夢に見る。一体どういう状況で、それを目撃したのかは忘れた。

 

 それは、自分が今までの人生のなかで経験した、最も恐ろしい光景だった。

 

 無意識に記憶が消去されていたのかもしれないが、ともかく詳細は不明だった。何かの与える恐怖が凄まじすぎて、記憶が消えるというのは、よくある。

 だが確実なのは、そこに蠢いていたものは一体何だったかと問われれば、今なら迷わずこう答えるということだった。

 

 愚問だ、と。

 

 戦いの中で、何かを必要以上に細かく分析する必要はない。注意力が散漫してしまうからだ。対象が敵であれば殺せばよく、反して味方であれば放置か救助を行えばいい話だった。そういうこと位の認識しか必要ないのだ、と悟るまで、戦いに絶対的に苛まれる。魘される。泣く。あるいは、失禁すら起こす。

 戦闘の激しさ如何に関わらず、何かを殺傷するという時点で、それは一個人にとっては同価値だ。それも、凄まじい負の方向に。

 しかも、自分が経験した戦いというのは、いくら自分の戦闘能力が秀でているとはいえ、大抵は負け戦であった。流水が下方に向かうのと同様、その戦果というのは、あらかじめ決められているかの如く訪れた。

 戦いに負けるということは、即ち勝者に対し代償を支払わなければならないということである。

 例えば、その戦いが生存競争であれば、勝者は殖える事が出来、応じて敗者は減らなければならない。そういう措置を、気づかずとも無理矢理に採らされることになる。

 「つまり―――」 

 いくら個が秀でていても、全体として負けていればそれは敗者である。単独で、あるいは十人だったとしても、とても戦局を変えることは不可能だ。言ってしまえば一人で百人の敵を殺しても、敵が全体として百万人いればその攻撃行動はほぼ無意味だ、ということに過ぎない。

 但し、その法則が当てはまるのは、あくまで今までの・・・・話だった。

 単純に決意として、願いとして宣言している訳ではない。

 確定事項だった。

 

 得てしてこの世には、常に例外が存在している。自覚もある。

 例外、即ち常識を超えた物。

 そして即ち、自分。

 その自分が、今この場で淡々と言葉を告げている。自分の言ったことが、自分の耳に大きく響いた。

 それは、空間上に奇妙に横たわっている、何ともつかない静寂のせいなのか? 

「―――俺達十二人は、要塞に突入し内側からディファロードを切り崩すということだ。今まで執らされていた、防御的体制とは違ってな」

 ガリア=ソルネイザンは、その驚異的な長身をゆったりと、かつ無駄のない動きで移動させていた。

 その歩き方をしたからといって、大した利潤が生じる訳でもない。ただ、それは癖だった。決して取り除けないというほど、強く刷り込まれていた。直そうとしなかったことも確かだが。

 効率的なリズムで地を僅かに振るわせる足先は、地下シェルターの中心部の高層ビルから、正反対の方向である郊外に向かっている。

 効率、合理性……そういった言葉を、ガリアは好んでいた。別に、自己満足ではない。

 

 生きるためだった。

 

 ほんの少年の時から、既に戦闘の矢面に立っていた。そこでは、敵の殺傷はもちろんのこと、自らの維持も求められていた。自分は、自分を促す者たちにとって貴重な存在だった。

 それに自分の意思として死にたくはなかったし、死ぬ気もなかった。その目的のために必要だったのは、少しの有利さと不利さを素早く察知すること。そして、一番重要なのは、それに対して適切に行動するること。その行為は、合理的な思考がなければ、実行できないものだった。呪(まじな)いでも、過信でもなく、理さえ理解できればそれでいい。

 おぼろげながら、しかしくっきりと浮かぶ。初陣の時から経過した歳月を数える……。

 16歳の時だったか。始めて戦争に投入されたのは。

 死骸の恐ろしい腐臭にむせて、泣いたこともある。

 同族の死を見て、それが自分の未来を映す鏡ではないのかと、震えが止まらなかったこともあった。

 幼い子供が、否応なしに通常の生活から退去させられた。異能ゆえに、戦いにおいて重宝された。それは他人の意思であり同時に、人類全体の意思でもあった。

 そして、その成れの果てが自分だった。

 哀れむつもりは、毛頭ない。

 むしろ少年の時は恐怖もあったものの。一方で、少年に特有な、熱意を伴った、時にバカバカしい歓喜さえ抱いていた。今では、その早まった思いに後悔している……などということも、全くない。

 だが。

 唯一存在していたのは、湧き上がる訝しさだった。

 それは自分を戦争に放り込んだ物に対して、ではなく、戦争そのものを勃発させた者に対しての怒りだった。その感情はけして消えることなく、現在まで連綿と燻り続けている。

 (……感傷に耽るというのは……こういうことか)

 自分の経歴というのが、これほど一色に塗りつぶされているということに気づいたのは、殆ど始めてだった。

 だが、案外そういった人生は退屈ではない―――むしろ、退屈でないから、面白いものだから今まで気づかなかったということか? 

 しかし、本当に今この瞬間は退屈ではないのかと問われれば、否と答えられる自信はなかった。

 なんの動きも、音も、変化もなく、街中は静かだった。

 ディファロードの発した、市民にとっては絶望の的でしかないであろう宣言があったというのに、街は平和的な静寂に包まれている―――いや、恐怖から来る静寂か? 生命として確実に存在できる、残り二日強の時間を清らかに過ごそうということかもしれない。しかも住宅街しかない郊外に向かっているのだから、中心部ほど活気がなくてもおかしくはなかった。

 ミファ=ランファと十二人の精鋭、それに軍人達の会議は半日の時間をかけて延々と継続した。そのため、会議の開始は早朝だったにもかかわらず、墨でもひっくり返したような夜が到来している。

 しかし、ただでさえ規模の大きい最終戦争の段取りを、概念的なところから、命令可能な部分へ細分化するまでたった十数時間しかかからないとは……ミファ=ランファの統率力には、舌を巻かざるを得ない。

 既に夜闇に没した―――太陽が沈んだのではなく、シェルター全体に焚かれた照明が消されただけだった―――街中。

 天空までもが金属の壁に覆われたシェルターは、光がなくなると益々不気味に見えた。僅かな灯りを発する街灯だけでは、十メートル先すら見えないほどだ。

 そういう中で、ガリアは漆黒のマントを羽織り、自らを夜行性の動物のように闇に溶け込ませていた。

 

 男二人で歩いているということは、やはり退屈だった。

 鋭い視線で―――睨んでいるのではなく、これもまた癖だった―――傍らで歩行している、同僚のホーバスを捉える。

 その視線に気づいてか、ホーバスは口を開いた。

 「しかし、あまりにも無謀な気がするんだが……」

 ホーバスは腰に佩いた巨大な回転式銃を、身体に結びつけた数百個の銃弾とともに運搬しながら、口にする。

 「……何故だ?」

 ガリアは、あまり気のなさそうな口調で聞いた。

 この男が、さしたる理由をもって発言するということは、およそ考えられなかったが。

 なるべく気にせず聞いた。

 「何故ッつぅか、そのまんまの意味だよ。人外が十二個分あっただけで、要塞の最深部を破壊できるとは……到底思えないんだよな」

 ホーバスはやや顔を伏せながら、小さく呟いた。その仕草は不安から来ているのだろうか。それともこちらに、彼自身が憂慮を漂わせている純粋な人間だと、思わせようとしているのか。後者は、ないようにも思われるが……彼の単純さから考えて、それは然りだった。

 などと、関係ないことを自問する。

 捨て置いて。

 細かな顎鬚すら生やした大の男が―――鬚を剃るのが面倒なのか―――落ち込んだ子供のような表情を浮かべているのは、半ば滑稽で、半ば同情できた。

 (確かに、簡単なことではない……)

 ガリアは胸中で呟いた。

 ミファ=ランファ―――シェルター内の最高権力者であるということより、少女であるという点が目立っている少女―――の作戦構想によれば、ホーバスに言わせれば無謀というその行為は十分可能と言うことだった。

 (可能ではあるだろうな……俺達の力なら。しかし生還できるかどうかは……)

 また別の話だ―――と思索を巡らせつつ、再びホーバスに問う。

 「言いたいのは、本当にそれか」 

 すぐに。

 自分の言が、核心を余りに早く聞き過ぎたと悟った。心の中で舌打ちする。

 

 だが、後から取り消すわけにもいかず、そのまま行動によって問いを促す。

 つまり、急に立ち止まり、更に鋭い視線をホーバスに送った。ガリアの白濁した瞳―――視力は正常に備わっている―――で睨み付ける表情は、さぞや迫力があるのだろうと予想しつつ、答えを待つ。

 ホーバスはそれを察知すると、驚いたような、そして僅かに後悔するような表情でこちらを見返した。

 それだけで、案外簡単に答えを得た。考えていることが、彼の顔に出ている。

 すぐにでも行動に移すべきか迷う。 

 だが一瞬で諦めた。一応、次に来るであろう彼の問いに対する形式的答えを作成して、時間を潰す。

 「何が聞きたいんだ?」

 「まさか、本当に不可能と思っているわけではないだろう……単に、恐れているだけではないのか」

 「何をバカな」

 「いや、恐れること自体は大した問題ではない。いくら覚悟があっても、恐怖そのものは消えないだろう。ただ……」

 ガリアは突如、右手に持っていた巨大な棒をホーバスの首筋に突きつける。

 その鋼で出来た棒は、巨大な槍の柄だった。

 鋼鉄製の長槍は古代に使われたような、細くて扱いやすいものではなかった。むしろそれとは正反対の、西洋騎士の持つような鈍重なものであった。鋼の棒の先端に鋼の円錐が取り付けられた、剛直な槍。握りの部分は使い込んであるせいか、微かに磨耗している。馬にでも乗っていなければ、振るえないような重量をほこる代物であった。それでも慣れとは恐ろしいもので、重さはほぼ感じない。

 もちろん、刃を突き出している訳ではなかった。

 が、ホーバスは多少動揺した様子で目を反らした。

 「死を恐れているならば―――」

 ガリアがその言葉を発した瞬間、ホーバスは槍の柄を跳ね除け、鮮烈に叫んだ。こちらに与える印象を強めようとしてか、大声で怒鳴る。

 「ふざけんな! 誰がそんなもの恐れるか……誰が!!」

 ガリアはその叫びを気に止めもせず、ホーバスを睨み続ける。殆ど敵意は含めていない。この男と険悪になっても、しょうがないだろう。だが、少なくとも、大声を浴びせられた程度でこちらの意思に揺らぎは生じない。

 ホーバスはガリアを萎縮させることは不可能だと、悟ったようだった。それ以上何も言わず、すぐに立ち去る。彼の歩調は車輪の如く早く、ただでさえ薄暗い闇の中で、一瞬で姿を消してしまった。

 「不可能だと吹聴する者は、それを言えば言うほど……対象への恐れも増す」

 ガリアは陰湿に言う。

 聞こえよがしに言ったつもりだったが―――最早、ホーバスに聞こえているかどうかも判別出来なかった。

 

 

 「兄ちゃん、お帰りなさい!! 今日はどうだったー!?」

 子供と大人の、ちょうど中間といった期間に居た。

 ごく微妙な年頃ではある。そのせいか気の付く娘だったが、反面、それだけ扱いにも困っていた。

 満面の笑みを湛えつつ、アルティナは押しのけるように扉を開けた。玄関先に突っ立っているガリアの手を、子供でも連れ歩くかのように引っ張って中に入らせた。

 「ただいま、アルティナ・・・・・・・ああ、まあまあだ。稼ぎは、三日分のメシ代といった所だな」

 心に引っかかる何かを感じつつ・・・・・・。

 漆黒のマントを適当に壁に掛け、鋼鉄の長槍を床に置く。長めの銀髪を何気なく掻き揚げ、リーエンを見やった。

 彼女はいっぱしの専業主婦のようにエプロンを着こなし、ツインテールの髪を小指で弄んでいた。机に両肘をつけ、ほころぶような微笑みをこちらに向けている。

 あまり感情を込めないように気をつけながら、問うた。

 「何かいいことでもあったか?」

 「えへへー。いや、なんでもないんだけどさぁ」

 リーエンは微笑みを崩さないまま、その場に座り続けている。

 「・・・・・・変な奴だな・・・・・・まあいい、とりあえず風呂でも入ってくる」

 「もう沸いてるよー。いってらっさい」

   

 浴場は簡素で手狭なものだったが、考え事をするには最適と言える場所だった。

 ただ、ピンク色の湯船から、咳き込むほど甘ったるい香りが漂っている。それだけが妙に気に喰わなかったが・・・・・・。アルティナの、少女らしいといえば少女らしい趣味であった。アルティナ・・・・・・。

 ガリアは口の先から細く息を吐き出した。

 (・・・・・・次は、なんと嘘をつけばいいのか)

 もどかしいような思いと、罪悪感が胸中に広がっている。

 ガリアは、妹であるアルティナを騙していた―――悪意など、毛ほどもなかったが。彼がごくまれな力の保持者であることを、アルティナは知らない。知っているのは、単にガリアが適当な職場を転々としているという、いかにもありそうな虚偽だけだった。ガリアの実際の職業は、シェルターの中でも高位中の高位であるが、反面その内容はきわめて危険な物だった。ディファロードとの戦争で常に矢面に立って戦うことを義務付けられている。

 それはそれで、構わない。危険など、いくらでも体験してきた。

 だが、アルティナにそれを言うことは出来なかった。幾千の敵を屠ることが出来ても、そういった勇気はおよそ湧かないだろう。

 出来る訳がない。

 言っていれば、彼女がその事実に耐えられるわけがない。いつ死ぬとも分からない戦場に、誰が身内を送りたがる? しかも、彼女はガリアに相当懐いている。

 (それでも・・・・・・もう、真実を言うしかないのか・・・・・・しかし)

 「・・・・・・お〜い、兄ちゃん! 生きてる?」 

 突然、浴場の戸から幼さの残るアルティナの声が響いた。風呂場の中ということもあり、エコーが発生している。

 過剰に驚き、見る。

 彼女は戸の隙間から僅かに顔を覗かせ、ガリアの様子を窺っていた。

 ガリアの持つ正常だと推測される価値観に基付いて、あくまで客観的に判断しても、やはりアルティナの姿形は魅力的なものに思える。

 変な男など、言い寄っていなければいいが。とはいえ、人間の人口はもうそれほど多くないから、結婚する年代というのは徐々に下がってきているらしい。

 己のツインテールを跳ねさせつつ大きく丸い瞳をむける表情が、他者の記憶中枢に与える影響は多大だろう。

 「ああ・・・・・・どうした?」

 「なんかもう真夜中だから、悪いけど寝てるね。食事は置いてあるから。」

 「そうか・・・・・・じゃあ、おやすみ」

 「うん。おやすみー」

 言い終わると、彼女の気配は上の階に向かっていった。

 独り言を言っても聞き取られないようになったことを確認し―――安堵の息と謝罪を同時に漏らす。

 (出立は明日、か)

 「すまない、アルティナ・・・・・・。」 

 

 

 

 幾重もの鈍重な鍵に閉ざされた、意識の奥。

 それを破壊して、聞こえない声が響き渡る。

 「xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx!!」 

 直接精神を揺さぶる。

 獣の雄叫び。

 断末魔の叫びが意識を破壊していき。

 突如。

 少年は感じる。

 激甚な血風が吹き狂い、数え切れない程の骸が放り出され、凶悪な咆哮が地を震わすのを―――。

 手、足、胴体、眼球、指、生首、頭髪、内臓・・・・・・。ありとあらゆるものが引き千切られ、握り潰され、砕かれ、叩きつけられる。池のような血液を満身に浴び、邪悪なほどに紅く彩られた視界に見えるものは、全てがおぞましい何かに満ちている。

 一瞬の内に目の前の誰かの身体が喰われ―――狂気と死の影が、何か邪悪な意思が具現化する。

 それが迫ると同時に。

 意識が吹き飛ぶのを止める術もなく。

 「うわあああああああああああああああああああァァァァァァァァァァァッッッ!!」

 あるいは、それは自分の発する狂声だった。

 耳を劈く叫びが自分自身も、目の前の惨状も、何もかもを全て引き裂いていく。

 「人間よ!! お前はxxxxxx!! 全て超えよ、人間!!」

 「止めろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!」  

 意識が無理矢理に収束し、眼前の光景を映し出していく。

 何も残っていない。

 物さえも、闇さえも、獣さえも! 全ての生が無に帰す地獄を、お前が創造する! ガリア=ソルネイザン・・・・・・!

 

 

 

 気が付いた時、既に夜が明けていた。

 まぶたが徐々に開かれていき、脳が覚醒していくのが分かる。

 視界が開けると、先ず眼に入ったのは、天井にある兎のような形をした染みであった。その染みは、上下逆さにして眺めると剣のように見える、奇特な形をしている。

 それを無意味に、視界の中心に据えつつ。

 完全に目覚めやらぬ頭で思い出したのは、自分が昨夜、戦いのための準備を整え眠りに入ったということ。

 もう一つは―――思い出したというより、思いついたというべきだったが―――自分とホーバスの装備品は、どちらも西洋人の使った物という点において共通している、ということ。

 そしてもう一つは、既に出発すべき時間―――遅刻しないためなどという馬鹿げた理由でなく、アルティナが眼を覚まさない内に家を出る、という必要から来る時間―――を過ぎているに違いない、ということだった。

 アルティナに、見られるわけにはいかない。

 とにかく、いつもどおり家を出てそのまま帰ってこない、という方法をとるしかなさそうだった。

 一応、謝罪と事務的伝言のために義妹への手紙などという物も、昨晩したためておいた。何度も読み返しては、その愚かしい自分の文章力を嘲笑するより他なかったが。返って笑いを取れて、好都合かもしれない。

 (人類の存亡を賭けた戦争という時に、こんなことを気にかけているとはな・・・・・・)

 ガリアは苦笑すると、起き上がろうと手を伸ばす。

 『こんなこと』程度で済まされるアルティナには、済まないとしか言い様がない。だが結局、自分が行くことによってディファロードが滅びれば、まあ、人類は救われる。つまり、結果的にアルティナも救われるということになる。別に、そのことが真の目的ではないが、少なくとも義務は果たしていると言える・・・・・・だろう。

 首だけを動かし、特に意味もなく室内を見渡す。

 と。

 「・・・・・・なッ・・・・・!?」

 布団の中の、彼の隣。

 そこに何かが蠢いていた。

 複雑な動きをしているところを見ると、それは紛れもなく生物だった。

 這いずる毛虫のように布団を波打たせ、やがて顔を出したそれは―――。

 アルティナだった。しかも、ほぼ眼を覚ました状態で、両腕を縮こませている。

 その妹と、眼が合う。それは小動物のように、無害な微笑みを向けていた。

 「あう〜・・・・・・あ、おはよう兄ちゃん」

 脊髄反射並みの驚異的な瞬発力を用いて、ガリアは一瞬にして布団から脱出した。まるでエンストした車、もしくは触覚をもぎ取られた昆虫のように、ガリアは楕円形の軌跡を描いて後ろ向きに後退し、壁に背中を打ち付ける。しかし、その痛みを意識のほんの片隅だけにでも留めておけない状態が、頭の中を占拠していた。自分でも奇妙な動作をしていることは分かっていた。

 「ずいぶん変な体操だね。それ、どこで覚えたの?」

 「・・・・・・一体・・・・・・何を・・・・・・している・・・・・・!」

 「え? 何って、見りゃ分かるでしょ。寝てたのよ。」

 ガリアは自身の顔から、半ば血の気が引いていくのを感じた。低血圧も祟っているのだろう。

 だがむしろ、それよりも数千倍の破壊力をほこる原因に、顔面をしこたま強打されたような心地がした。

 感情をこれほど惜しげもなくでかでかと吐露したのは、久しいことだった―――殆どそのことに気付かないまま、焦りに満ちた声色で言い放つ。

 「まさか、俺は・・・・・・俺は、お前を襲ったりしたのか!? 昨夜の記憶が薄いのもそのせいなのか!? どうなんだ、答えろリーエン!?」

 アルティナはガリアの慌て様に滑稽さを感じたのか、ガリアから見れば大げさな気がするほどに笑った。

 眼の端に、少しの涙さえ浮かべながら言う。

 「何言ってるの。兄ちゃんがそんな事するはずないでしょ」

 笑うだけ笑うと気が済んだのか、リーエンはようやく立ち上がる。身に下着しか纏っていない状態で、隠しもせず、リーエンはガリアのほうに寄った。

 特にその姿を見やることに、自分への憤慨は感じない。兄妹で暮らしていれば、この程度、時折は見ざるを得ないだろう。

 それでも、ガリアは半ば呆然としていたが、流石に我に返る。リーエンが差し伸べた手を掴み、立ち上がった。

 互いに、直立した状態で。

 やや気まずい沈黙が流れた後、リーエンが口を開く。

 「兄ちゃん・・・・・・お願いがあるんだけど」

 「何だ?」

 リーエンは見て分かるほど盛大に頬を赤らめ、眼をそむけた。蚊の鳴くような声で懇願する。

 「・・・・・・抱きしめて」

   ガリアはほんの一瞬だけ―――下手をすると、自分でも気付かないほどの短い時間で、驚きの表情を浮かべた。    

 だがすぐに表情を直し、まるで言葉そのもので彼女を包み込むような響きを帯びて、言う。

 全てリーエンの知る範囲にあったということが、深々と、良心に撃ち込まれている・・・・・・。

 「ああ、分かった」 

 腕をリーエンの腰にゆるく回す。

 彼女は、腕を自身とガリアの間に挟みこむようにして縮める。

 「いつから、知っていた」

 ガリアはまるでリーエンの父親であるかのように問いを発した。

 「・・・・・・けっこう前から」

 「なら、分かるな。俺が・・・・・・何処へ行くのかは」

 「うん。昨日、地上から、最後通牒があって・・・・・・・みんな騒然としてたけど・・・・・・・地上に、行くんでしょ?」

 「そうだ・・・・・・悪かった。孤児院で偶然知り合ってから、お前と出てきた時」

 「え?」

 「その時からずっと騙し続けてきた。九年間もだ。謝る資格すら俺にはないかもしれない・・・・・・・こんなことで責任が取れると、思っている訳でもない」

 ガリアは空を透かして見るかのように、天井を見上げる。自分がやたら考えもせずに、思いつきで言葉を言っている。それに気付くのにさえ、時間がかかっていた。

 顔を下げ、リーエンの顔を真正面から見つめた。

 「しかし、行かなければ―――」

 「ずるいよ」

 リーエンは素早く目をそむけ、表情を歪める。涙こそ出ていないものの、少女は必死で堪えているようだった。

 「いつもいつも一人で何でも決めちゃって・・・・・・何かあっても一人で耐えて・・・・・・もうちょっと私を頼ってもいいじゃない・・・・・・もうちょっと信頼してくれてもいいじゃない!」

 「リーエン」

 ガリアは憮然として口を挟む。

 「・・・・・・何よ!?」

 「・・・・・・もうこれ以上何かを頼むなど、俺には出来ないが」・・・・・・頼むしかない。信じてくれ。必ず生還すると・・・・・・」

 「・・・・・・・」

 「俺も、お前が無事でいるとを信じる・・・・・・だから、頼む・・・・・・」

 リーエンは目の焦点を再びこちらにあわせる。

 こぼれそうな笑みを浮かべて―――何も気にしていないかのように、言う。

 「・・・・・・うん」

 言い終わると。

 まるで堰を切ったように、リーエンの双眼から涙が溢れ出し―――。

 悲痛な、それでいてどこか心地よい泣き声を上げながら、彼女はその頭をガリアの胸にうずめていった。

 不器用な、悪辣な自身を悟りつつ。

 ガリアはリーエンをきつく抱きしめてやるより他、何も出来なかった。

 

 「じゃあ、行ってらっしゃい兄ちゃん!」

 心地よい晴天の下でドアを開け放ち、ガリアとリーエンは玄関先に立った。

 未だ辺りは薄暗いが、それでも爽快なほど視界が澄んでいるのが分かる。

 リーエンはエプロンを身につけ、主に液体を掬うのに使う調理道具のおたまを持った姿で、ガリアに向かい元気な声をかけた。

 泣き腫らした眼にまだ幼さの残ることを感じ取りながら、ガリアは言う。

 いつものように淡々と、ただ深い思慮を含んだような声で。書き連ねた本音の手紙が、机に広げられているのに気付きながら。

 「行ってくる」

 その表情に僅かな笑みを残し、彼は一歩を踏み出した―――そこから先、彼は一度も振り向くことなく、淡々と歩き続けた。

 

 

 (2006/8/13掲載)                               よろしければ作者にご意見・ご感想お願いします

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