過去を忘れて、戦争へ行こう

戦死者数など

戦争に関するデーターを置いていきます。

第二次大戦の犠牲者数(国別)
第二次世界大戦における人的被害
日中戦争の人的被害
沖縄戦における戦没者総数
沖縄戦で死亡した子どもたち
14歳未満のケース別戦没者数(沖縄戦)
東欧側の犠牲者数
人口1万の町の戦死者数
地域別陸海軍人戦没者数とそのなかの餓死者数の推定
百万頭の馬の戦没
戦争で14歳男子の身長は8.6センチも小さくなった
いまだに海外に残されたままの戦没者の遺骨113万柱
ユダヤ人の犠牲者数・死亡者数
原爆の被害



討死(うちじに)じゃぁ」などと呼んでいた時代は、戦争の死者は武装した、その覚悟もある武人だけに限られていたし、その数も知れたものであったし、戦って死ぬことは、あるいは少しはカッコもよかった。二度と開かれることがあってはならない扉(旧海軍の倉庫)
人を斬るのが 侍ならば …
そんなことでも言っておればよかった。

しかし「人間の文明」が「進歩・発展」した後世になればなるほどに、非武装の一般市民、老人・子供までを巻き込んで、その数は鰻登りに増えていく。戦争は兵隊が死ぬのではなくなり、市民が大量殺戮されることになった。
軍人と民間人との死の比率は、第1次世界大戦時には95%対5%、第2次世界大戦時には52%対48%、朝鮮戦争時には15%対85%、さらにベトナム戦争時には実に5%対95%となる。
アフガンやイラクなどではどうであったのかは資料なく不明だが、何のためにこれだけの市民が殺されるのか、わかりきったハナシで誰かさんが大儲けするためであろう、次の戦争で儲けるのは市民ではないが、死ぬのはまちがいなく一般市民である。戦争とは市民を殺すということである。しかし基地の町袖志にも舞鶴にも市民を戦争被害から守ろうとする思想も設備も何もない。ハードもソフトも戦争の現実が教える教訓とは関係がなくなっていて、自衛隊が、あるいは米軍が市民を守ってくれるなどとも言っているようなことである。
目を覆いたい、カッコなど決してよくはなくなった、メチャクチャである、正義もクソもあったものではない。もしこのまま「人類の文化」が何の反省もないままに「進歩・発展」しつづけるならば、さて21世紀はどうなることだろうか。
私たちは早く「人間の文明文化の発展」の限界に気が付くべきではなかろうか。
これらの過去を忘れるとき、軍用倉庫の扉が再び開かれるとき、惨禍は繰り返されることになろう。さらにさらに規模を大きくして、人類すべてを焼き尽くすまで…
(右上は「ロマンあふれる」?赤れんが倉庫。その下は残虐を極めたアウシュビッツ強制収容所。両者に違いはさほどになく、もし一歩踏み外せば、はずさなくとも、容易に転化するものである。次の戦争で大量に死ぬ運命となる市民によって、あるいは市民を装う者どもによって、戦争の扉が開かれていく。
世界記憶遺産に登録が迫る町である、世界の目が集まる、しっかりと意識のニューアルに努め世界レベルに追いついておかないと、笑われるだけになる。喜んでいるだけでは済ませられない。)

アウシュビッツ強制収容所戦死者数 文明が進歩すればするほど戦死者が急増。20世紀は史上最悪の野蛮な世紀≪戦争の世紀≫であった。さて21世紀は?

↓二度と開かれてはならない扉が開かれていく、このように装いよみがえる…
戦後は長い間、日陰者のようにひっそりと置かれてきた建物であった、アウシュビッツ国家というか、収容所低国と呼ぶか、過去の軍国日本を目の当たりにする遺産であった、しかしそれらはいつの間にか、郷土の貴重な大切な、誇るべき文化遺産などとなっていく。確たる議論も市民の同意もないままに、××市の手によって。
これらは大量殺戮用兵器保管庫だぞ、どこからそんなモーソーが出てくるのか、見当もつきかねるが、市は莫大な市税をつぎ込み、大ウソこきながら禁断の建物をリサイクルしてきた、だが人は期待ほどには来なかった。さらばさらにゼニを。もっとゼニを。毒を食らわば皿までじゃぁ。迷走はもう止まらない。暴走が止められない。納税者は呆れてわらっているより手がない。しかし今後何兆円をほりこんでも客はなかろう。

ここの赤レンガなどは、市民の思いではなく、元元市長の「思い付き」男が己が妄想で、勝手に始めたものであり、それに提燈持ち市職員一部が踊ったもの、行き先は失敗に決まっているものである。これに限らずカンコーカンコーと言ってもナニも市民の間には合意もなく協力協定的なものもできてはいない、いわば市当局だけが勝手にやっているだけのもので、市民は冷ややくらいならまだよいが、舞鶴とすれば超重要な観光資源を見てもらっているその場所ですら見せるのを拒否する、見るのを妨害をする妙な陰湿な行動が何度かあったくらい、具体的に書くとどこかすぐわかってしまうので書きにくため、説明がわかりにくいと思うが、人々が見てくれているその前をわさわざさえぎるのである、ナニも特にはその必要性はない、その人の思いつきのエエカッコパフォーマンスだと思えるのだが、これが場所を変え、行動を変えても複数回見るので、舞鶴だけのあきれた現象だが、多くの人が見ていてカメラが集中しているものをわざわざ必要もないのにさえぎるなどはワタシは舞鶴でしか見たことはないが、舞鶴人だけの常識はずれの超ヘンなクセ、はっきり言えば観光客を馬鹿にするアホが野放しになっていて、それを誰も止めようとしない、舞鶴人のほとんどはそうしたことはしないのだが、ごくわずかだが、そんなモンがいる、これがすべてをぶちこわしてしまう、その人はそこまでは考えるアタマがないというだけだろうが、こんなところがあれば観光客などは二度とは来なくなる。一方では観光ズレしてしまったかのような市当局、一方では観光無知の超シロート市民。
また全体としての舞鶴観光受け入れ体制はまだまだゾッとするほどにあやうい、反対なら反対とはっきり言ってくれればいいが、そうではない、賛成のようなことをいいながら実際は面従腹背、腹の中はオノレのエエカッコしか考えてはいない、隠れてブツクサと言いコザイクをするあきれたもの。市全体のことなどナニ考えてますかいな、市も市なら市民もまた市民なのである。ナニがカンコーですかいな、これでは市民でも行きたくない、よそから観光客など呼び込め続けられるわけがない。自分の町の悪口言う気はないが、そうした人が実際に多い町なのである。

これは21世紀人のジョウダンか頽廃か、公共心も経済観念もないのか、マサカなどとタカをくくっているのか、いつの時代もそうした為政者どもの愚かさから惨禍は始まった…
××市による海軍倉庫のリサイクル
↓舞鶴市役所本庁(舞鶴市北吸)はもともとが鎮守府倉庫施設の兵器廠本庁を潰して作ったものである。だからそのまわりじゅうがナチの収容所を思わせるような不気味なド迫力の軍事施設跡ばかりである。公共施設の場所としては環境がチト悪すぎる、引っ越しをお薦めする。花を植えたり芝生を植えたりして誤魔化すがさすがにこれはひどすぎる、子供が怖がるためか、ここから見るのは宣伝はしないようである。ツタを植えろツタで誤魔化せ。木も植えろ。大きな木だ。
舞鶴市市役所横の旧海軍倉庫群
↓そんなことで、今度は裏側の海から見るといいと言い始めた。苦し紛れの言い逃れ。そんな話はこれまで聞いたこともなかった。誰がわざわざこんな所へきて見たりするだろう。そんなにヒマな市民はいない。魚釣人と警察に用のある者、市職員だけだ。そして見ても何もそほどいい景観とも思えない。こちらからみれば貧弱である。××市はかなり長い望遠レンズで右の2棟だけを切り取って写し、青い海、赤いレンガ、すばらしいでしょうと宣伝している。望遠好きのような写した人に問いたいが、たぶん500ミリはいるだろう、画像から判断すれば、しかも写した位置は一般人が立ち入れない自衛隊の敷地ではないのか、それは写偽だ、インチキだ、ヤシだ。別に写した人が悪いのではないが、超望遠画像ですよとか撮影データや説明もなく使った市が悪いのだが。
しかしここからもやはり何億円も投じるネウチはみじんも感じられない。

「海から見た」ところ


鎮守府の兵器廠本庁と二つの倉庫をブッ潰して、今の市役所と体育館などが建てられた。一言も大事な文化財を潰すとは言わなかった。それらも今では、市から言えば重要文化財の建物であった、世界遺産級であった。
昨日勤王 明日は佐幕 その日その日のでき心
泣いて笑って 鯉口切れば 江戸の桜田 雪が降る
こんな大きな問題でグラグラするようでは。ニヒリスト新納鶴千代はにが笑い。タヨンナイ××市さんは大笑い。ここの赤れんが関係にかけた費用は総額45億円と伝えられている、新しい舞鶴市民病院の総工費は15億円ほどという、市民病院が3っつも建つアホな巨額な無駄金が捨てられている。さらに驚くのは赤れんが建物群はいずれも中身は何もないカラッポでただハコだけの真空、赤れんがはアホの好見本で、それを見て大笑いしようと全世界から人が訪れるかも知れないというものある。
真空の45億円
45億円の真空。これで人口減少と少子高齢化に対処し交流人口300万人を目指しひいては舞鶴回生を目指すという、親方日の丸のクソどもしか思いも付かない目出度い目論見であるが、しかしまともな市民の誰もがアテにはすまい、これらに未来を託すバカどもいまい。簡単に計算してもかけた費用を償還するには毎年2億円の利益が20年間以上続くことが求められる、20年間毎日毎日50万円以上の利益がなければ市民に損害を与える、50万円あげても元々でしかない、月々にすれば1500万円、市民一人当たりに150円づつ20年間以上にわたって還元できるものでなければワリに合わない、そんなことはムリだということはバカでも理解できよう。経済学的には初めからの大失敗である。ここは彼らの頭の中がそのまま外へ出たものでたいへんよく見える状態になっていて空漠の荒廃ぶりがかなしい、笑えてくる、泣けてくる。マスコミはじめ周囲からはブに過ぎたヨイショしてもらっているが、失敗しても責任取る気などはハナクソほどもないからここまで無責任に落ちたのであろう、自治体とは市とはどうあるべきものなのか基本理念のない真空、ただワァーと流されるだけのもの、流れ流れてこれである、これが過去を忘れ未来も忘れた愚かな者どもが最終的に流れ着いた哀れなる大失敗の夢の跡であろうか。

               

人間魚雷の模型←こんな物もこの倉庫にはあったかも知れない。
「人間魚雷・回天」と呼ばれる兵器である。魚雷というのか小型潜水艦というのか、一人乗りの特攻兵器で潜水艦から発射される。先端には1.5トンの火薬があり、このまま敵艦に体当たりする。敵艦を見失い体当たりが出来ないなら自爆するようできていて、母艦を離れれば二度と生きて帰ることはできないシステムであった。乗っているのは今の高校生くらいの年代の子である。もし成功すれば戦艦でも轟沈ほどの威力があったが、広い海の中で万に一つも実際に当たって戦果を挙げることはなかったと思われる。机上でモーソーするほどには簡単に当たれるものではなかった。発射して長い時が過ぎて回天内の酸素がもうきれるころボーンと遠くで爆発音が聞こえる、敵艦を見失い自爆したのだ。回天は呉海軍工廠で作られ、火薬は朝来の第三火薬廠で装填されたという。 132人の若者がこれで死んだといわれる、亡くなった若者には気の毒だが、愚か極まる非人間兵器と呼ばねばなるまい。






箱爆弾を背負った子←箱爆弾を背負った子、というよりも、箱爆弾を低国陸軍に背負わされた子。沖縄戦で。『わたしたちの教科書』(草の根出版会)より。「爆雷を背負ったまま射殺された少年兵」のキャプションが付けられている。
見えにくいだろうが、今ならゲーム機に熱中する小学5、6生くらいの子に見える。日本側の記録でも沖縄ではこれくらいの子も挺身隊として召集されたから、実際にあった貴重な米軍側の記録である。
彼らには鉄砲もなく、これは10キロもないかも知れないが、体力に合わせた大きさの爆弾を背負って敵戦車のキャタピラに飛び込んだ。鉄のかたまりの戦車そのものは破壊できないが、キャタピラだけなら破壊できた。もし成功すれば、その戦車の進行を一日くらいは阻止できたかも知れない。沖縄だけでなく、満洲でもこうして多くの少年兵が死んだ。
こうした爆弾もこの「郷土の誇り、貴重な文化遺産、重要文化財、ロマンあふれる、どこかなつかしい、舞鶴の観光拠点の赤レンガ倉庫」の中には山と積み上げられていたかも知れない。市民は思いもつかないかも知れないが…

ボロをまとった小学6年生くらいの男の子に10`の箱爆弾を背負わせた人形を赤レンガの入口に何百体と並べて置いておきたいもの、−ここはこうした戦争の入口でした−、とでもキャプションを付けて。


こうした本当の歴史を忘れて、忘れたことすらも忘れはててしまって、カラッポの虚無の市民たちの精神に、舞鶴ではモーソーの「歴史」と「赤と青の協奏曲」が、さもまことしやかに作り上げられ、詰め込まれてていく。昨日も今日も明日も。厖大な市税を使って…
しかしそうして過去と絶縁して、「今」に閉じこもりでは何も見えてはこまい。見えるのはただただ市のクソ役人どもと同じくカラッポの虚無の空しい大ウソの世界のみであろう。
忘却の回路を抜け出て、記憶の回路を取り戻したとき、舞鶴市民が過去としっかりとつながったとき、世界が見え、真実が見え、市民が担うべき役割が、明日が、しっかりと見えてこよう。
それこそが本来の××市の果たすべき役割のはずなのだが。
はじめはわらって見ていたが、とうとうあまりに馬鹿らしくなってきた、こんなものを見て舞鶴がわかったように勘違いをされないよう、舞鶴の過去が未来に継承されるよう、クソ役人どものように忘れたことすらも忘れてしまわないうちに、少しデーターを拾っておこうかと思う。



「早よつなげ、早よつなげ、言うてな。ワシ風呂に入っとるのに、その風呂場までついてくるんやで。ワイヤレスでつないだろと思とるやけど、難してわからへん、なかなかつなげんもんでな…」
と、光回線がやってきたある家庭の話で、これはゲーム機の話であるが、彼ら、子供たちもつながりたいのである。ゲームの世界でも孤立は面白くない。世界とつながりたい。過去のデーターとつながりたい。そうした記録回路とつながりたがる。本当の過去と切れ、本当の世界と切れたとき、ゲーム機ではなく爆弾を背負わさせられ、沖縄の少年兵のように、彼らもまた死なねばならない運命が待っている。




第二次大戦の犠牲者数(国別)

アジア各国の公式な統計は中国、タイ以外にはないという。(日本も含めてその数字が本当に正しいかどうかは明確ではなく今後の検証が待たれる)
従って推計数値はいろいろある。下の表は『一九九五年八月十五日に』(朝日新聞社)より。
ここにない国々でも戦死者はあるが、厖大なために私はまだまだ未調査。見つかれば追加していきます。

日本 310万人 厚生省援護局(朝鮮、台湾の軍人・軍属各約2万2千、約3万人を含む)
中国 2100万人(37〜45) 中国政府
2100万人から2300万人(37〜45) 北京大学歴史学部王暁秋教授
1221万5000人(31年の満洲事変から通算) 東大史学編纂所・宮地正人教授
1000万人(31年の満洲事変から通算) 『高校日本史B』(実教出版)
朝鮮半島 少なくとも35万人から36万人 日本政府から伝えてきた軍人軍属名簿や被徴用労働者数などをもとにした韓国政府の推計
21万人 東大史学編纂所・宮地正人教授
20万人 『高校日本史B』(実教出版)
台湾 2万9000人 日本政府から台湾赤十字に提供された名簿
3万3000人 東大史学編纂所・宮地正人教授(いずれも日本軍に加わった軍人・軍属の合計)
香港 6403人 英連邦戦没者埋葬委員会の埋葬・火葬者数
365人(軍人)、1万人(監獄内の処刑などで民間人)6万人(飢餓) 香港総督の本国あて電文
シンガポール 4万人〜5万人(華僑) 東大史学編纂所・宮地正人教授によると、現地の中国系社会や同国の研究者の間の定説
6000人から7000人虐殺 日本陸軍省報道部機密文書
8万人 『高校日本史B』(実教出版)
マレーシア 4万人から5万人(華僑) 東大史学編纂所・宮地正人教授
フィリピン 111万1900人 アラヤ博物館にある日比賠償交渉に関する外交文書
100万人 『高校日本史B』(実教出版)
タイ 7928人 タイ政府が47年に米国に報告した数字
インドネシア 400万人 51年のサンフランシスコ講和会議で、同国政府代表「日本占領期間中に被った人命の損失」
200万人 東大史学編纂所・宮地正人教授
200万人 『高校日本史B』(実教出版)
ベトナム 200万人 東大史学編纂所・宮地正人教授 ほとんどが餓死者とみられる
200万人 『高校日本史B』(実教出版)
ラオス 公式数字はない
カンボジア 公式数字はない
ミャンマー 5万人 『高校日本史B』(実教出版)
インド 350万人強 東大史学編纂所・宮地正人教授 ほとんどが餓死者とみられる
ソ連 1611万5千人(軍人611万5000人、民間人1000万人) 元防衛庁防衛研修所(現防衛研究所)戦史編纂官冨永謙吾氏の調査
ドイツ 660万人(軍人325万人、民間人335万人) 元防衛庁防衛研修所(現防衛研究所)戦史編纂官冨永謙吾氏の調査
ポーランド 555万人(軍人55万人、民間人500万人) 元防衛庁防衛研修所(現防衛研究所)戦史編纂官冨永謙吾氏の調査
米国 54万5108人(軍人) 元防衛庁防衛研修所(現防衛研究所)戦史編纂官冨永謙吾氏の調査
英連邦 59万2767人(軍人53万2178人、民間人6万595人) 元防衛庁防衛研修所(現防衛研究所)戦史編纂官冨永謙吾氏の調査
イタリア 55万9803人(軍人38万人、民間人17万9803人) 元防衛庁防衛研修所(現防衛研究所)戦史編纂官冨永謙吾氏の調査
フランス 43万3000人(軍人24万5000人、民間人18万8000人) 元防衛庁防衛研修所(現防衛研究所)戦史編纂官冨永謙吾氏の調査


第二次世界大戦での主な国の犠牲者数

中学校1年の教科書『中学社会 歴史的分野』(日本文教出版株式会社)
平成17年検定済 平成23年発行 より

兵員 一般市民の死亡
死亡 ゆくえ不明
アメリカ 40万7828
イギリス 35万3652 9万844 6万595
フランス 16万6195 17万4620
ポーランド (600万)
ソ連 (2000万)
中国 (1000万)
ドイツ 210万 290万 50万
イタリア 38万9000 21万4647 17万9803
日本 兵員死亡 一般市民の死亡
約230万 約80万
(単位:人)(ワールド アルマナックなど) 日本の兵員死亡者数のなかには、朝鮮・台湾の兵員犠牲者、約5万人がふくまれています。



第二次世界大戦における人的被害

以下のデーターは、東史郎氏の『昭和天皇独白録批判』内の資料(『丹波文庫13』(92.2)より)です。

第二次世界大戦における人的被害
国名 軍人の死者 軍人の負傷者 軍人の行方不明者 一般人の死者
連合国側 イギリス 373.372 475.047 251.724 92.673
中国 1.310.224 1.752.951 115.248
フランス 213.324 400.000 350.000
アメリカ 292.131 671.801 139.709 6.000
ソ連 11.000.000 7.000.000
ポーランド 123.178 236.606 420.760 5.675.000
ユーゴ 305.000 425.000 1.200.000
その他の国々 150.943 7.082 916.000
小計 33.903.773人
枢軸国側 ドイツ 3.500.000 5.000.000 3.400.000 780.000
イタリア 242.232 66.000 350.000 152.941
日本 1.300.000 4.000.000 810.000 672.000
ルーマニア 300.000 100.000 200.000
その他の国々 292.000 50.000 170.000 302.000
小計 21.687.173人
第2次世界大戦は、4000万人の生命の犠牲と3兆ドルの戦費の戦争といわれている。(『昭和日本史4太平洋戦争前期』暁教育図書参照)上の表は太田大田昌秀『戦争と子ども』(那覇出版)から。ただし小計は追加した。


第2次世界大戦の犠牲者数

『母と子でみる アウシュビッツ』より




沖縄の犠牲者数

東史郎氏の『昭和天皇独白録批判』内の資料(『丹波文庫13』(92.2)より)です。
沖縄戦における戦没者総数

計       25万6.656人
  日  本      244.136人
正規軍      (県外出身日本兵)   65.908人
防衛隊      (沖縄県出身者)     28.228人
戦闘協力者   (沖縄県出身者)     55.246人
一般住民     (沖縄県出身者)     94.754人
  アメリカ      12.520人
陸軍                       4.675人
海軍                       4.907人
海兵隊                     2.938人
米国陸軍省編『日米最後の戦闘』その他参照。なお、防衛隊戦死者には地元出身の補充兵、軍属を含む。


沖縄戦で死亡した子どもたち

年齢 戦没者数
13 1.074
12 757
11 696
10 715
697
748
767
733
846
1.009
1.027
1.244
989
181
11.483人

陸上自衛隊幹部学校『沖縄作戦講話録』1961年

14歳未満のケース別戦没者数
壕提供(入居中の壕から追い出されたため) 10.101
炊事雑役など 343
自決 313
糧秣運搬 194
四散部隊への協力 150
保護者とともに死亡したもの 100
弾薬運搬 89
陣地構築 85
食糧提供 76
友軍よりの射殺 14
伝令 5
患者輸送 3
その他 10
合計 11.483
表は、陸上自衛隊幹部学校『沖縄作戦講話録』1961参照(ただし、その他の項目と合計の部分は、つけ加えた。大田昌秀『沖縄−戦争と平和』社会新書より。)


日中戦争の人的被害

 『世界大百科事典』(平凡社)の「日中戦争」による。

日中戦争による日本軍の死者は41万人,戦傷病者は92万人であるが,中国のうけた被害ははるかに甚大で,軍人の死者130余万,戦傷病者約300万人,民間人の死傷者は約2000万人にのぼる。8年余にわたる中国の抗戦は,日本帝国主義に大打撃を与え,日本を敗北させ東アジアを解放するうえで最も重要な役割を担った。

第二次大戦がアジア解放戦争であり、その旗手が日本であったかのように美化する宣伝も一部には依然として見られるが、その役割を果たしたのは実は中国であったとしている。

第二次世界大戦の人的被害−主に東欧側


 『荒れ野の40年』(岩波ブックレット)より
「若い人たちにお願いしたい。…及ぶかぎり真実を直視しようではありませんか」という有名なヴァイツゼッカー西独大統領の終戦40周年記念演説を収録した書ですが、訳者の永井清彦氏の「解説−若い君への手紙」も収録されている、その中のデータ↓

…戦いに勝ったはずの国の被害も大きく、国土は荒れ果てていた。とくにドイツの東側では勝者の被害は敗者のそれをはるかに上回った。
 いまのウクライナなどを含むかつてのソ連は、たび重なる激戦で国土は荒廃、死者は二千四百万人とも二千七百万人ともいい、人口比にするとほぼ七人に一人の割合だった。
 ポーランドの死者は六百万前後、人口比では六人に一人。
 両国の死者のうち、それぞれ二百二十万、三百万ほどがユダヤ人だった。それぞれの国内のユダヤ人の七、八割にあたる。多くが強制収容所やゲットーで殺されたのであって、戦闘によってではない。生き延びた多くはアメリカ、イスラエルに移住していった。
 殺されたユダヤ人はハンガリーにも約五十万人いて、ユダヤ人の死者はふつうひとくちに「六百万人」と推計されているが、五百万強という研究もある。
 多くがアウシュヴィッツ強制収容所のガス室などで殺されたことはよく知られていて、そこでの死者はポーランド人なども含めてながらく四百万ということになっていた。いかにも多すぎる、と囁かれていたが、これが百五十万人程度と公式に修正されたのは九一年にソ連が崩壊したあとのことだった(その後、さらに下方修正されている)。
 ユダヤ人、ポーランド人、ロシア人の被害がとびぬけて多いのはナチの反ユダヤ、反スラヴの人種政策による結果で、だから「人種絶滅戦争」ともよばれる。
 ただし、西側では規模こそ大きいけれど「通常の戦争」で、フランスの死者は軍人、市民合わせて五十八万、同様にイギリスは三十九万というのがドイツとフランスの高校用共通教科書にでている数字だ。それぞれ人口の百人に一・五人、一人の割合になる。東側での被害者とは格段の差があったが、ドイツに過去七十年に三度も攻め込まれたフランスの憎しみははげしかった。



 人口1万人の町の戦死者数

『大江町誌』より
十五年戦争による兵員の戦死傷者五百数十万人、内外の一般市民数十万人が犠牲となった。戦場となった中国・東南アジア諸国では国土を蹂りんされ生活を破壊された上、これに数倍する罪ない人々が殺された。
我が大江地方においても戦死六○○人を超えるという犠牲を出した。それは、六か町村人口一万余の実に六%にあたる大きな犠牲であった。
戦死者数だけが戦争被害ではない、実際の戦争の実相はこうした数字だけでは表せない、戦争の表面のごく一面だけですが、それでも、戦死者だけでもこれだけになった。17人に1人の割合になる。簡単に自分の町の計算ができる指標となる。舞Iならこの10倍の6000人が戦死したこととなる。罪もない人々を数倍も殺して、さらに自らもこれだけの犠牲、ロマンチックか、郷土の誇りか、それとも愚かさの極みか。判断できないか、どこぞの職員の皆さん、給料をたくさん貰って遊んでいれれば頭が狂うのか。頭を冷やしてよ〜く、噛み締められてはいかがか−
次の戦争なら、1万人の全てが灰となろう。勝利者はもうないのである。


戦死者の大半は敵のタマによるものでなく餓死だった。
百万頭の馬の犠牲。

 地域別陸海軍人戦没者数と餓死戦没者の推定
『餓死した英霊たち』より

この軍人軍属の戦没者二三〇万名という数字は、それより一三年前の六四年に、厚生省援護局が公表した地域別陸海軍人戦没者数の合計二一二万一〇〇〇名よりは約一八万名多いが、それは後の調査の増加分を含んでいるからであろう。この地域別陸海軍人戦没者数を次に掲げる。
 この数字は、地域別ではこれより新しい公式数字はないが、一九七七年の数字より約一八万名少ないだけでなく、地域によっては現在判明している数よりも過少である。
 日本人全体の戦没者総数についても同様である。政府はそれ以後、ずっと戦争の犠牲者三一〇万人という数を使いつづけているが、原爆による犠牲者だけについてみても、毎年その数は増えつづけているのだから、この数ももっと多く修正されるべきであろう。調査をいっそう重ねて、正確な数に近づく努力が必要である。
 この日本人の死者数三一〇万、そのうち軍人軍属の戦没者二三〇万という数字は、その後日本政府が、毎年八月一五日の戦没者慰霊祭などの場合に、公式にいいつづけている数字である。この戦没者数には、朝鮮、台湾などの植民地出身者約五万人が含まれているので、正確にいえば日本人の死者総数ではない。また実際にはこの数字は過少だという批判がある。
 また日本人の死者数だけをとり上げるのも公平ではない。日本の侵略の対象となったアジア諸国の膨大
な戦争被害に目を向けなければならないだろう。ただしアジア諸国民の死者数については、日本人の場合以上に正確な資料に乏しく集計も困難である。何の数字も発表されていない国もあるという状況の中で、最大の被害国である中国では抗日戦争期の軍人の死者三八〇万以上、民間人の死者一八〇〇万以上、計二一八〇万人以上という政府見解がある。フィリピンでは死者一一一万一九三八人という数を政府が公表している。そのほかにフランス領インドシナの餓死者二〇〇万、インドネシアの被害者一〇〇万、シンカポールの華人虐殺の被害者五万などという数字もある。したがって総計では約三〇〇〇万人の犠牲者が出ているであろうと推定される。つまり戦争犠牲者の総数は不明瞭であり、さらに今後の調査が必要だということである。

212万の戦没者のうち127万前後は餓死という。この書の興味引かれる分析。

今までに各地域別に推計した病死者、戦地栄養失調症による広い意味での餓死者は、合計で一二七万六二四〇名に達し、全体の戦没者二一二万一〇〇〇名の六〇%強という割合になる。これを七七年以降の戦没軍人軍属二三〇万という総数にたいして換算すると、そのうちの一四〇万前後が戦病死者、すなわちそのほとんどが餓死者ということになる。

日本軍戦没者の過半数が餓死だった。戦闘の中で華々しく戦って名誉の死を遂げたのではなくて、飢えと病気にさいなまれ、痩せ衰えて無念の涙をのみながら、密林の中で野垂れ死んだのである。

私より少し年上あたり(戦中世代ではない)が戦争話をしていると「名誉の戦死言うけど、ホンマは半分以上は餓死やったんや」とか小声で言うのを聞いた記憶がある。藤原氏のこの著を読んでいっているとはその教養ぶりから思えない(失礼)ので、たぶん周囲の戦争体験者の話を聞いて言っているのではないかと推測するのだが、第一線の兵士たちの実感覚と氏の分析は一致しているようである。
住民の安全や安心避難とは関係なく原発再稼働と言ったり、レーダー基地建設などする風潮はこれとまったく同じかそれにすら及ばない。亡国の旧大本営でももうチイトらしいことはするであろう。タケヤリくらいは用意したであろう。

100万頭の馬の戦没
これも興味引かれる分析
…南方だけでも三・九万、全軍で三九・四万頭もの馬が従軍していたことになる。敗戦のさいの馬の数は記録されていないが、陸軍総兵力は五四七万人であったから、それまでの損耗を計算に入れなければ一〇〇万頭近い馬がいたことになるだろう。開戦直前の日本国内の馬の総数は、陸軍の奨励もあって一五〇万頭に上っていた。この馬たちを兵力の拡大に伴って、根こそぎ動員したのである。四五年に本土に大軍を編成したとき、徴発されてきた馬はそれこそ洗いざらいの寄せ集めであった。私は、四五年六月に本土決戦のために編成された機動師団の歩兵大隊長となったが、大隊長用の乗馬は人間でいえば、六、七十歳に相当する十五歳の老馬であった。
 日中戦争いらいの損害、とくに戦争末期の大陸打通作戦や南方諸地域での犠牲と、敗戦のさい外地に置きざりにされた数を加えると、戦争による馬の犠牲は、一〇〇万頭に近い数に達するはずである。少なくとも生きて還った馬は一頭もいない。たんに馬が犠牲になったというだけでなく、馬の根こそぎ徴発が、農業の生産力を低下させ、さらに戦後日本の農村風景を一変させたという影響を及ぼしていることもあげなければならない。

軍馬軍鳩之碑
福知山市堀の一宮神社境内の「軍馬軍鳩之碑」。多くのツミもないものの命を奪ったの慚愧の念が込められたものか、心優しい兵隊もいたと思われる、何も書かれてはいない。隣の大きな碑は「嵐歩兵第百二十聯隊之碑」で「四千有余」の戦友を失ったという。誠に気の毒なことであったが、しかしその何倍のツミなき中国人を殺したことであろう。市民の側の検証が求められる。
鳩塚
←御勝八幡神社境内の「鳩塚」
案内によれば、
八幡宮氏子、松田寿夫氏が日中事変に従軍中、母親が八幡宮にお参りすると、参道に白鳩の死骸を見つけてここに葬った。日時を同じくして寿夫氏は瀕死の重傷を負ったが無事帰還し、この話を聞き、白鳩は八幡宮のお使いで身代わりになられたと感謝し、ここに鳩塚を建立した。
とある。



戦線の現場では「将校、下士官、馬、兵隊」と言われていたという。兵隊は馬以下のネウチしかなかった。


戦争は青少年の身長・体重を低下させた
兵隊さんと馬や鳩だけが飢えたのではなかった。戦争のおかげで全国民が饑餓線をさまよった。戦争前に比べると、戦後は14歳男子の身長はマイナス8.6センチにもなった。育ち盛りに食料なく十分に喰えなかったために小さくなったと思われる。8.6センチもだ。極めて大きい悪影響を及ぼしていた。これが元に回復するのに17年もかかった。ワタシより少し年上になると戦争が身体に刻み込まれていることになる。
詳しくは戦争が青少年の身長・体重発育に与えた影響について」参照。

(ワタシの年代くらいからは、戦争と言ってもピンと来なくなり、考えがかなりエエ加減になってくるが、それはこうした体験がないためかも知れない。)
全国的によく知られたデーターであって、知らないのは舞鶴市当局と「赤煉瓦」連中くらいと「戦争してくれてありがとう」派ではなかろうか。これが戦争の隠しようもない現実であった。赤煉瓦ロマンチックはまだ可愛い、戦争ありがとうに至っては、常識もないド恥ずかしいの極まり。舞鶴へ来ては言うてはくれるなよ。




いまだ海外に残されたままの戦没者の遺骨、  113万柱



地域別戦没者遺骨収容概念図(平成28年9月現在)↑((公財)千鳥ケ淵戦没者墓苑奉仕会のHPより

海外での、軍人軍属戦没者約210万人、一般邦人は約30万人、海外での戦没者はあわせて約240万人とされる。また、本土における戦災等で亡くなられた方々約70万人 をあわせて、この大戦間の戦没者総数は約310万人とされる。
強い強い敵はないスンバラシイ神国と自画自賛し、相手はチャンコロだ三国人だ土人だ、鬼畜だと、シンから呆けきっておっぱじめた海外侵略戦争で大敗北をくらい大敗戦となった、バタバタと兵はたおされた。約127万柱が戦友に抱かれたりして帰国したが、その戦友もすべて戦死して全滅したような部隊はそのままになり、どこに残されているのかすら不明、その数は戦後70年がすぎても約130万柱にもなる。国の命令などに従っていたらどうなるかがわかる。一命を捧げたその国と国民からすらポイと見捨てられたまことに哀れな歴史である。支配層は靖国に詣でてそれでオシマイ、弔ったつもりのようである、アホクサイどこの国の支配者のつもりなのであろうか。
いまだにホウケたままでなかろうか。われらの国とは実はこうしたクソの国である。戦後日本とは、戦後だけではなく、ずっと大昔から繰り返してきた日本支配層の真の姿が誰にもよくわかる。古代の防人たちも任務を終えて帰国したという喜びの歌は『万葉集』などにも一首もないという。兵士などは使い捨てでよい、兵などは鴻毛より軽い、ナニやカヤとしでかしては国民を前線に動員しておいて、あとはこんなことである、一度動員すれば死ぬまでこき使え、骨はほっておけ、じゃまくさい。日本のカレラクソどもの伝統的な国家的体質である。
被支配者をどう見、どう扱ってきたかがよくわかる。自分さえよければいい、人民などはダマしてダマしてあとは使い捨てして何憚ることもない。この姿を下層でも真似てしまい、だいたい似たようなものになっている。
自分らの身内である上部に厚く、被支配民にはきわめて薄く、軍人恩給にしてもしかり、上は厚く下の10倍を貰っている、行け行けと言って自分は一番に逃げ帰ってきて、壕に隠れる住民を追い出して自分が隠れた、そしてあげく骨も拾わぬクソどもの敗軍将官にこの厚さである。ドイツなどは将軍も二等兵もみな同じ額と聞く。本人が死亡しても半額が遺族に支払われる、主にわれわれのゼーキンからである。(ワタシの母も父の恩給の遺族分を貰っている、これは雑収入にも計算されず、まるまる貰える特権的な優遇がある。大将のヨメさんなどだと年間500万くらい貰うのでなかろうか、ワタシの母はその10分の1にもならない。まだいいほうで70年もほったらかし、他国の民で日本兵として戦った者になし等々、これまで支払われた恩給総額は50兆円、今も1兆円ばかりが支払われている。上だけが貰いすぎている、格差ありすぎである)
これほど被支配民をバカにした国もなく、これだけの遺骨をほったらかしだけでもバンザイバンザイは早すぎる。この体質では将来はすぐに行き詰まる。自国の民に対してすらこれだから、他国の民などはどう扱ってきたかは想像できよう。
ド恥ずかしくもこうした国の政治屋や官僚であっても多少の仁義と責任感でもあるならもとより、国民、若者の一人一人もよくよくよくキモに銘じて二度と繰り返さぬことである。しかし多少姿を変えて、企業の金儲けなどにはいリストラと使い捨てられ、定年むかえておろおろ人もいまだ多いのがどこかのスンバラシイ国の裏側ではなかろか。ナニも防人や帝国軍下級兵の運命だけではない、ナニとかしなければそれはキミのキミの子の運命である。


ユダヤ人虐殺・被害者数

赤れんが倉庫などを見て「ロマンあふれる」と感じるのはどこかのいかれた、歴史も現実もまともにベンキョしてこなかったノーテンキ者だけかも知れない。ナンボ田舎町であっても、世界にはこれ↓を思い起こす人が、今尚苦しむ人が膨大な数にのぼると知っておかねばなるまい。
この膨大な数の靴の山、これを見れば大男でも足腰がワナワナと震えて止まらなくなるといわれる。靴だけではない、被服、義足、めがね、歯ブラシ、毛髪などなどの膨大な山が今も残されているという。
ボーダイなゼーキン投じて大宣伝したいならそれ以前に一度は役人どもはじめ推進派は自費で見学に行ってくるのがスジだろう…
(以下の資料は『母と子でみるアウシュビッツ』より)
死の壁。ここでみせしめのために2万人が銃殺された。
遺品となった靴(アウシュビッツ)


←〈Gerald Reitingerの作成資料から 一部に大まかな概算を含む〉とある。

こうした収容所は17ヵ国にわたり1000ヶ所もあった。これら各収容所に、囚人として直接的なかかわりを持った人びとは、世界30ヵ国にまたがり、総数1800万人。
このうち、無念の死をとげたのは、約1100万人ともいわれる。中国の犠牲者数を上回り、舞鶴市が100個以上も虐殺されたことになる。
これを見落として何が「ロマンあふれる赤れんが」だろう。
すべて当赤れんがどもの同盟国がやったことであり、赤れんがとアウシュビッツは直接の繋がりはないとはいえ、繋がりをまったく否定することもできない。
嫌なものには目をつむって勝手に自分らだけで、ありもしないロマンやらにあふれているだけではなかろうか。
こうした容易ならざる信じがたい震えも止まらない過去をスコーンと忘れてしまった舞鶴の阿呆ぶりを丸出しにして大宣伝する、まあ名誉なことでも自慢することでもましてン億円ものゼーキンを投入することでもなかろう。再度きびしく糾弾する。
スピルバーグ監督の映画などで誰でも多少はホロコーストの実態を知ることになったが、同氏は幼いころ祖母の知り合いの腕に数字の入れ墨があるのを見た記憶があり、それは、ユダヤ人強制収容所で刻まれた入れ墨だったという。21世紀のさらなる虐殺を防ぐためには「われわれが過去と向き合い、教訓に基づいて行動する以外に選択肢はない」と強調したという。死亡者数をツラツラとながめて何かわかったような気になるのでなく、21世紀人のすべてがしっかりこの膨大な犠牲を記憶に刻み、それを踏まえた教訓−日本なら憲法がある−に基づいて行動する以外には何も選択肢はないのである。行き詰まりが明瞭な政治屋ども、それが自衛だと言って初めた戦争の結末であった、何十年かが過ぎてまたまたそのたぐいの怪しげな宣伝につられて軽々しくも草の根のヒットラーにならぬために…
NHKのBSでもたまに放映している、信じがたいかも知れないがあれは真実の歴史だ。舞鶴市当局はあのような映画をまったく見てないな。一度でも見た者なら赤煉瓦に億単位のゼニをつぎ込み宣伝するなどは絶対にできないぞ。市ばかりではなく、平和勢力とやらですらも者でも見ない者が多いよう、あまりに恐ろしくて加害に向き合えないようである、右も左も日本人の限界の露呈か、せめて左側だけでもしっかり見ていてくれればいいのだが、実はそこでもほとんどが見てない、非常に危険な状態であると思わざるを得ないのである。因果は巡る、こうした加害があったから被害もあったのではなかろうか、目をつぶる人が多ければ多いほど日本の終末はそれだけ早く近づく…。おまえら、見とけよ、といっただけでは見ないから、上映会など取り組んでもらいたい。




このページを見られる方の中にも、アウシュビッツなんて初耳という方もあろうかと思うが、ワレラが、ワレラの友軍が、何を行ってきたかもタマには思い起こしてみないと、ムシの良いことばっかりだな、ひょっとして知らないのではないか、ここの田舎市民はまったく勉強してないな、と言われよう。世界記憶遺産登録は重いぞ。ワレラ自身も世界市民に成長していかねばならない。右側写真は『母と子でみるアウシュビッツ』より。左側の写真は市の広報誌による、全世帯に配られている。

キャプション−ポプラ並木が収容所内部に野花が色をそえている。


キャプション−小さく、いくつもに仕切られているベッド。1枚のワラぶとんに3〜4人が寝る。女性収容棟内部(解放後に撮影)
アウシュビッツで殺された人は400万人とも言われる、その世界的な大虐殺システムの一環でもあった施設と、その帰結であるが、市当局はそうしたことはツユ考えたこともない様子である…
戦争の悲劇はもう終わった過去の出来事ではない。これによって引き起こされた出来事のため、今尚何万にも犠牲者や遺族が苦しみ続けている。苦しみはまだ終わってはいない、未解決問題も数多く残されている。
こうした歴史を有する「赤れんが帝国海軍倉庫」を見て、ロマンチックだなぁ、などとどうして言えたりするのか。
いやしくも市たるものが前面に出て、こうした考え足りずをしていると、外からは舞鶴市民のすべてがこうした程度のモンばっかりか、舞鶴というとこは何と程度の低いマチか…とか思われてしまう。「もちろん反対されるの市民もありますが、それは市では無視してます 」とか但し書きを必ずつけておいてもらいたい。


原爆による広島市と長崎市の被害



 『母と子でみる 広島・長崎』より(キャプションも)
弟を背負う少年
爆心地かに南々東2.2キロの長崎駅前で。兄弟は両親を失い、弟の顔面には出血が乾いてこびりついている(8月10日朝。山端庸介撮影)
あまりにも悲しい戦争の結末。赤煉瓦連中が推し進めた路線の終着駅の地獄のさまがみごとにとらえられている。二度と繰り返すことなきよう願いたい。
こうした事態を誰が責任をとってくれるのか。誰もとれない、フクシマですら誰一人として責任を取った者がない。知ったようなことを言って懸命に吹聴してきたような連中はまっさきに責任から逃げる、その程度の連中でしかない。彼らのカッコよさそうな強そうな口先きにはくれぐれも踊らされることなきように…
兄弟をよく見てみろ。ロマンだなぁ、などと戦跡があふれる地で、これらの人々は一体何を学んで大きくなったのだろう。つまらぬ人間の極地、究極ではございませんの。どうせ世界平和などとは口が裂けても言えそうにもない、ハナクソほども貢献できない、高邁な精神も崇高な夢もなく、ただ「現実的に」程度のクソつまらぬ者ならば、失敗が見えている旧軍関係施設のダーダー観光化や、ましてや武器輸出ダーダー解禁や米軍基地大歓迎などは、せめてつつしもうではありませんの。
人間の尊厳をかけた大勝負の勝利はいずれの側にあるのであろう。



中学校1年の教科書『中学社会 歴史的分野』(日本文教出版株式会社)
平成17年検定済 平成23年発行 より
広島市 長崎市
当時の人口 32万81人 21万人
1945年末までの死亡者 14万人 (±1万人) 7万人 (±1万人)
負傷者 7万9130人 7万4909人
全焼家屋 5万5000戸 1万1574戸
全壊家屋 6820戸 1326戸


『母と子でみる広島・長崎』より
長崎  広島 
 「長崎市政65年史」から  広島市役所調査課資料から 
 ●人員   ●人員 
 死者  73,884人  死者  118,661人
 負傷者  74,909人 行方不明  3,677人
 罹災者  120,820人  重傷  30,524人
     軽傷  48,606人
 当時の人口  210,000人  当時の人口  320,081人
 ●建物   ●建物 
 全焼  11,574戸  全焼  55,000戸
 全壊  1,326戸  半焼  2,290戸
 半壊  5,509戸  全壊  6,820戸
 罹災家屋  18,409戸  半壊  3,750戸
同誌はさらに次のように書いている。
被爆者三七万人の苦しみ
 被爆者たちは、広島で九日目に、長崎で六日目に、戦争の終了を知らされる。戦争は終わったが、被爆者にとっては、これからさらに新しい、長い戦いが始まる。いまなお三七万二一四〇人(一九八二年三月現在)を数える被爆者は、身体、暮らし、心のすべての面にわたる苦しみから逃れることができない。
 とりわけ、被爆者を苦しめているのは、ケロイド、白血病、貧血その他の血液の異常、白内障、甲状腺がん、肝臓がん、乳がんなどの後障害や、いわゆる原爆ぶらぶら病(身体が極度にだるくて働けない状態)である。また、被爆者には原爆の影響が子どもや孫に遺伝するのではないかという心配が絶えない。
 そのうえ、すべての身寄りを一度に失って一人きりになってしまった被爆者や、身体が悪くて働けないため貧しい生活を余儀なくされている被爆者もいる。加えて、老齢化が進み、被爆者の平均年齢は六一歳。健康上、生活上の悩みが次第に深刻になってきている。

 あらたな″被爆者たち
 原爆は、多くの外国人にも未曾有の惨禍をもたらした。そのうち最も数が多かったのは朝鮮人である。これは、当時、朝鮮が日本の植民地であったため、多くの朝鮮人が日本に強制連行されたりして、各地で働かされていたためだ。広島では四万〜五万人が被爆して、うち五〇〇〇〜八〇〇〇人が死亡、長崎では一万二〇〇〇〜一万四〇〇〇人が被爆、うち一五〇〇〜二〇〇〇人が死亡したと推定されている。
 また中国人が広島と長崎で、東南アジアからの留学生が広島で、イギリス人、オランダ人、ジャワ島出身者らの捕虜が長崎で、それぞれ被爆、死傷者が出た。さらに、里帰りしていた日系アメリカ人三二〇〇人が広島で被爆。この人たちの多くは米国に帰ったが、被爆による苦しみを訴える在米被爆者は、いまなお約一〇〇〇人を数える。最近では、被爆直後の長崎に進駐した米国兵からがん患者が出て、社会問題となっている。



戦後世代の戦争責任


これらが戦後の原点であった。戦後生まれであっても戦争責任はある。いやむしろこれまでのどの世代にもなかったような大きな重いきびしい戦争責任があると言えるかも知れない。戦後世代と言うが、もう間もなく国民のすべてが戦後世代になる、戦後生まれのボクらに責任があるはずがないなどと考えてはならない。
戦後生まればかりですから、ワシらの誰にも戦争責任は関係ありまへんで、そんなクライことよりカンコーですわ、赤レンガよろしいですやろ、見に来て下はい。の手合いばかりのマチだったら、そんな勝手なものを誰がまともに相手するだろうか。良いものだけを受け継ぐわけにはいかない、もしや「スバラシイ日本」を受け継ぐつもりならば、負の遺産もまた受け継がねばならない。そうした気持ちがないとどこかのこうしたマチのようなことになってしまう。
もちろん70年前の大戦に対しての直接の戦争責任はないと言えよう、まだ生まれてもいなかったからである。だからと言って何も責任がないのではない、直接の責任はないとしても戦後生まれには戦後生まれとしてのそれなりの戦争責任がある。たったの70年前の大戦争にどれだけの犠牲が出たのか知らないとか、その戦争遺跡であることを忘れて「スバラシイ近代化遺産を生かして」観光客を集めようだとかは論外としても、これだけもの犠牲者が出たのか、戦争に関係のない子供まで殺したんだ、コワイなぁだけで終わらせてしまわないでいたい。戦争に直接関係のない小さい子まで殺し、そしてその後に続いたであろう、この戦争に関係のない戦後世代になる子孫まで殺した、ということになる、そうした加害者であった。しかし戦争責任は戦争に関係の戦後世代は関係がない、ということはないだろう。先の大戦についてもできる範囲内でよいが責任を負わねばなるまい。
ここで言う戦争とは、その第二次大戦のみを指しているのではない。戦争はもう終わってしまった過去のもので、未来永劫に戦争がないというものではない、平和だ言っている今の日本に、密かに新たな戦前が始まっているかも知れない。私はそうした戦争に反対だ、いや賛成だ、関係なしどうでもええ、どちらの立場であっても戦争責任はある。平和は国民の強い決意と普段の努力によってのみ守られる。口先だけの政治屋どもが守ってくれたり、カッコよい軍隊が守ってくれたりはしないことは歴史が教えた通りである。
現在全世界で支出される軍事費は年間1000兆円にも上る(だいたい)。ヒットラーもふるえることだろう。これだけのトミがもっと有効に人類や地球のために使えたら、どんなにスバラシイことだろう、この問題に手をつけずに働けど働けど生活が楽にならない状態からは抜け出せるワケもない。戦争の被害を伝える記念館などはドンドン世界中に作ろう、それはとてもとても大切なことで、それで愚かすぎる政府支出が減るなら結構なことである、ナンクセ付けて反対するなどは戦争政府のすることである。
こうした世界を作ってしまった責任は私などの世代やそれ以前の世代にある、それを解決もできずに、あとは次の世代に残すことになる。知恵ある者が子孫に残すようなものであろうか。顔向けできるような話ではないが、人間はかくのごとく間違うものである、大多数が間違うこともまた多い、頼りない人間がやることだから何もそうアテにはならない、「ゼッタイ安全・安心。事故なんか起こすわけないでしょう」がああした大事故を起こした。当時世界最先端と言われたワイマール民主憲法下でナチスが台頭してきた。こうしたことはよくあることで、何であっも信用し過ぎてはならない。人はよく間違う、論外に低レベルなムチャクチャ論理でも意外としっかりしたはずの者ですら引っ張られ流されてしまう。
私には重い戦争責任がある、これを社会のおおかたが忘れて、そうした自分勝手なカールイ軽挙妄動に陥るとき、また新たな戦争が始まる。核の時代はことのほか人は大きな戦争責任を負って生きていかねば人類は自滅する。
明日に戦争が始まるかも知れない。戦争をしっかり食い止め、社会を平和へ導く、こうした考え方・生き方の原資料にして貰えればと願う。これだけもの犠牲であった、カッーと目を開いてみつめ、ぼやっとせずにしっかりと胸に深く刻んでおきたい。信じがたい犠牲者の山、当ページではふれてないが、莫大なゼニ、膨大なって労苦、そして他方われらが得たものは何があるだろうか、得たものがあったとすればそれを大切にしなければならない、そうでなければ次の戦争世代となってしまうことだろう。家族を殺され、町を焼かれ、自分も命からがら、さらに他国を侵略したため謝罪と賠償を背負う宿命、しかも自分のためではなくごく一部大金持ち、ごくと一部の他国の利益のために、何もカッコよくはない、愚かのキワミであるが、そうした世代となることを繰り返してはなるまい。
戦争はないが、そうした「平和」に生きていても、キミは人を殺していないか、傷つけていないか。殺されてないか、傷つけられてないか。そうした危険な人はテロリストだけか。誰が誰を殺すのか誰が誰に殺されるのか、もう何が何だがわからない、これが現在社会。国家・社会レベルの話だけでなく個人レベルでも人殺しはないか。自分の都合、自分の利益だが、それで人が傷つくのは仕方ない、それは「過失」か、それともヒットラー思想か。




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