丹後の地名

上根
(うえね)
舞鶴市上根



京都府舞鶴市上根

京都府加佐郡池内村上根





 

上根の地誌

《上根の概要》


上根は舞鶴市の南部。伊佐津川支流・池内川の源流部の谷中に位置する。寺田川が西流する。並行して府道池辺京田線が東西に通る。見月峠を越えさらに菅坂峠を越えると中上林の水梨へ通じ、北方へ下ると行永池辺を経て与保呂谷に至る。
延享元年には銀が試掘されたという。村内には田辺街道と池部〜松尾間の巡拝路が通っていたという。
上根村は江戸期〜明治22年の村名。同22年池内村の大字となる。
大正期に別所・寺田・上根・白滝にかけて銀・銅・硫化鉄が採掘され、鉱山景気に沸いたことがあったが、昭和初期には廃坑となったという。

《人口》94《世帯数》32

《主な社寺など》
氏神は今田の倭文神社
紺屋町曹洞宗桂林寺末天徳山地福寺
『丹後国加佐郡旧語集』
桂林寺末

『加佐郡誌』
天徳山地福寺、曹洞宗、池内村

『丹哥府志』
【天徳山地福寺】


民俗行事として江戸期から伝わる正月の「キツネ狩り」と9月の「えとん曳き」があった。

《交通》
府道池辺京田線

《産業》


上根の主な歴史記録

《丹後国加佐郡寺社町在旧起》
上根村
地福寺是又本寺桂林寺この在所かみを漉なり。


《丹後国加佐郡旧語集》
定免八ツ七分
 上根村 高八拾五石九斗壱合
     内拾弐石三斗壱升六合弐勺 万定引
     四石仰用捨高
  地福寺 上根山 桂林寺末
   上根 白滝之寺
 老民の云上根村に船繋と云石有 昔五呂ノ嶽大雨に而抜崩る 共時谷中湖となる舟を浮へり仍而名有
 此所に船繋弁財天を崇め惣名池之内と云 此所ニ大蛇住り或人謀にて張龍にて人形を作り内に毒を入池之辺りに置大蛇出て呑之忽に死す 頭ハ八面之鷹となる是志鳥明神也 体ハ池姫明神と崇夫より八ヶ村氏神と云々 池の谷と云所右之大蛇暫く住し所也今ハ田となる 太郎左衛門四良左衛門と云もの作る
此田を植る日ハ是非雨降るといふ



《丹哥府志》
上根村
【天徳山地福寺】
【志高明神】


《加佐郡誌》
池内村。もと大内郷に属していた。現今は今田、堀、池ノ内下、布敷、別所、上根、寺田、白滝、岸谷の九ケ字から成っている。

池内の名は夙に知られている。今其起源を調べて見ると字上根に船つなぎといふ岩がある。昔大雨の時谷中に水を湛えて湖となり船を浮べた事があった。其時此岩に船を繋いださうである。今此処に船つなぎ弁財天が祭ってある。此湖は後に民家が次第に増して此村をなしたのであるから池内谷といったのであるとのことである。

《舞鶴市史》
舞鶴鉱山
池内地区の別所、寺田、上根、白滝と、この地方一帯に分布する。鉱種は銀、銅、硫化鉄鉱であり、鉱床の走向はN五○〜六〇E、傾斜七度〜八度Sとある。鉱床の母岩は、輝緑岩ないし輝緑凝灰岩で、小規模な層状、合銅硫化鉄鉱床である。別所の暮谷(くれだに)坑、高油里坑を主として戦国末期から大正年代にかけて採掘していた。




上根の小字

《舞鶴市史》より
上根 兵谷 三田々 荒神下 口ノ谷 上山口 上山 寺ノ下 清水ノ尻 下ノ川 薮ノ下 ションダラ 堂ノ下 大畑 見倉 ノケ 岡八 バガ谷 堂田 大迫ノ上 大迫 田ノ尻口 田ノ尻 スワ 見谷口 ユリノ下 古堂 午月 長畑 栃迫口 上清水 小寺口 小寺 大谷 滝根 カゴ迫 高由里 仲川口 仲川 追ノ木 竹ノ尻 山ノ神谷 ベット 竹ノ尻口 岩フシ ロクロ谷口 ビロク原 鳥谷口 細迫口 梨木迫口 滝ケ谷口 猫谷口 オケ谷 小滝ケ谷口 一ノ谷口 ユルガク 又二 ジャ谷 切ケ迫 ケケンボ 上オンダ 下オンダ カケヤ 財ノ上 上山 見谷 下清水 寺坂口 弁財天 ハシリ谷 峠ノ下

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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『京都府の地名』(平凡社)
『舞鶴市史』各巻
『丹後資料叢書』各巻
その他たくさん





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