丹後の地名

久理陀神社(くりたじんじゃ)
与謝郡式内社
宮津市上司
宮津市小田宿野

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京都府宮津市上司

京都府宮津市小田宿野


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式内社・久理陀神社の概要


《久理陀神社の概要》


与謝郡式内社20座(大3・小17)のなかの小社。現在のどの神社に比定するかは従来から2説ある。上司の住吉神社か小田宿野の久理陀神社のどちらかのようである。久理陀神社(小田宿野)現在の栗田(くんだ)という地名の元となった神社と思われる。

→小田宿野の久理陀神社

『宮津市史』は、
久理陀神社 栗田半島東側の字小田宿野小字中ノ谷に所在する久理陀神社と字上司小字蟹ヶ杜(かにがもり)に所在する住吉神社に比定する二説がある。
 久理陀神社は、現在地には昭和六十二年(一九八七)に移転したもので、旧社地は少し東にあり、跡地を示す石碑が建立されている。さらにそれ以前にも何回か社地は移動している。この久理陀神社は、以前は日比(ひい)大明神、日比宮と呼ばれていた。現在の社殿は、寛政三年(一七九一)の建立である。
 住吉神社は、栗田湾に面した海岸に鳥居が立ち、そこから参道が本殿へと延びている。現在の本殿は、天保十五年の建立である。

↓上司の住吉神社の祭礼。栗田喧嘩まつりと呼ぶそうである。10月13日とある。(坂根正喜氏の写真集『心のふるさと丹後』より)

住吉神社(上司)
蟹ヶ杜は鍜冶ヶ杜であろうし、ヒイ宮は火宮であろう、どちらも本来は鍜冶の神社であろうと思って間違いなかろうかと思う。ちなみにクリは古代朝鮮語の銅という。銅の處とかあるいは高句麗の處とかいう意味かと思う。
住吉神社(上司)
成願寺を重く見れば小田宿野であろうし、中世以降の神威を重くみれば住吉神社であろうか。



式内社・久理陀神社の主な歴史記録

《丹哥府志》
【久理陀神社】(式内)。久理陀神社今住吉大明神と称す。祭九月十三日、或云延喜式に載せたる久理陀神社は今小田村にある栗田大明神是也といふ其説真に近きに似たり。されども九月十三日の祭に栗田一郷の人各其村の神輿を昇出て皆住吉の社に集る斯の如きは一朝一夕の故にあらず、之を以て考る時は古より称する久理陀神社は蓋此社の事ならんか。

《丹後旧事記》
久理陀神社。栗田上司村。祭神=住吉大明神。延喜式竝小社。同郡小田村栗田神社といふ社は当社の分宮なり。

《宮津府志》
久理陀神社 今称ス二栗田大明神ト一  在同郡同郷宿野村

《宮津府志》
住吉大明神    在同郡栗田郷上司町
  祭神 筒男三柱神
   祭日 九月十三日 末社四座
 鎮座年歴未レ詳。
 堂社の神事九月十三日は栗田一郷の祭にて村々氏神神輿当社に会集す、田井村の代永天王、小田村の日比宮、中津村浦の宮等の神輿を当社の前に舁き来り裾へ置き、独当社の神輿を海辺迄舁出す、社より浜端まで一町許の間を疾く走りて舁出し浜辺まで神輿をめぐらし廻す事数遍して又社頭へ舁き戻し又舁出して巡らし廻はす、斯の如くする事数度也、此事終りて後社頭にて相撲あり近郷より相集る。

『丹後史料叢書』「丹後国式内神社取調書」
久理陀神社
○久理田村
【式考】栗田郷小田宿野村ノ社是ナリ上司町ノ住吉ト云ハ非ナリ小田宿野村ニ今モ栗田社ト称スヤ社アリ是ナリ宝暦九年明細書上帳ニ上司町ハ住吉大明神社四尺四方云々神子出雲宮守九市郎トアリ小田宿野村ハ栗田大明神社二尺村支配トアリ【豊】所在同上字田宿例祭十二月廿四日【宮津志】上司町ニアリ栗田明神七社アリ住吉ヲ祭ル栗田ノ内七ケ村ニ一社ヅヽアリ九月十三日祭礼ノ時ハ此辺ノ土民集リ七ケ村ヨリ神輿ヲ扛キ出シ海岸ニヒタシクルクルトカキ廻リ聲ヲ高クアゲ神輿ヲ振リ住吉大明神ノ此浦ヘ渡リ給ヒタルト云テ脹シキ祭ナリ【覈】栗田上司町ニマス【明細】同上祭神三筒男命祭日九月十三日【道】所在祭神同)(志は丹波志・豊は豊岡県式内神社取調書・考案記は豊岡県式社未定考案記・道は丹後但馬神社道志留倍・式考は丹後国式内神社考・田志は丹後田辺志)

《大日本地名辞書》
【栗田】…略…延喜式久理陀神社は上司の北大字小田の宿野山に在り、宿野山の背なる海浜を島蔭と名づく

《与謝郡誌》
同村同字横浜無格社久理陀神社、祭神木花咲耶姫、宮津府志には延喜式内久理陀神社、栗田郷宿野にありと為し、丹哥府志小田村の条に栗田大明神と掲げ久理陀神社を今の住吉神社に比定す。然るに丹後國式社證実考には医王山成願寺と共に中古並び栄えたりとて久理陀神社を小田宿野村に考定し住吉神社にあらずと為す、当社明治二年同四年住吉神社と争論済口の證書及び同三十二年鑑定書を所蔵す。

《与謝郡誌》
栗田村字上司小字蟹ケ社鎮座、指定村社、祭神表筒男命、中筒男命、底筒男命、鎭座年暦未詳なりと雖も明応四年上司高妻山城生河島備前守社殿修理すと社記に傅へ文明元年九月再興元禄十四年辛巳九月修覆天保十三年三月改営の棟札現存し累代宮津藩主の崇敬篤く例祭には概ね御参拝あり。毎年九月十三日祭典には当社は元より田井の代永天王、小田の日比宮,中津の浦宮等の谷村より神輿を舁ぎて社頭に集り神事荘厳を極め.参拝の子女近郷より繹絡として織るが如きの雑沓あり丹哥府志丹後細見録,丹後一覧集等には延喜式神名帳所載の久理陀神社は当社なりとし又丹後國式社證實考には小田宿野村の栗田神社にて当社は断じて式社にあらずとなす。明治六年二月村社に列せられ大正元年十二月十七日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。本殿.拝殿,幣殿.社務所、寵所等完備し境内末社に稻荷神社、恵比須神社、若宮神社、八阪神社あり。


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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『京都府の地名』(平凡社)
『宮津市史』各巻
『丹後資料叢書』各巻
その他たくさん





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