丹後の地名プラス

丹波の

筈巻(はずまき)
京都府福知山市筈巻


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京都府福知山市筈巻

京都府天田郡庵我村筈巻





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筈巻の概要


《筈巻の概要》


大江町の夏間の先、今は府道55号線が通っているが、川と山が迫る難所を越えて福知山市に入った所。鬼ケ城(545m)の西麓で、西を由良川が北流するが、そこへ山稜が突き出している。かつては道はあるが、牛馬不通、雪が降ると人も通れなかったという。
筈巻村は、江戸期~明治22年の村。慶安2年まで福知山藩領、幕府領を経てのち旗本武田氏知行地となる。
明治3年久美浜県、同4年豊岡県を経て、同9年京都府に所属。同22年庵我村の大字となる。
筈巻は、明治22年~現在の大字。はじめ庵我村、昭和11年福知山町、同12年からは福知山市の大字。

《筈巻の人口・世帯数》 217・90

《主な社寺など》
高野神社
高野神社(筈巻)
タカノとあるのでひょつとすると、とは思ってはいたが、案内板によれば、丹後の竹野神社を勧請したもののという。祭神がおかしいが…
高野神社の案内板
高野神社・「筈巻」の地名
祭神 伊耶那美尊
小宮
聖大明神  祭神 神功皇后 聖御前より遷座(玉石)
荒神     祭神 火産神 北村より遷座
庚申供養塔 祭神 猿田彦神
 昔丹波の国竹野郡竹野村より勧請奉祭し崇敬した。今の社殿は享保二年(一七一七)改築成り。(棟木に記してある)
燈籠(境内上段)天明二年(一七八二)奉納
  (境内下段)天保十年(一八三九)奉納
狛犬 明治三九年(一九〇六)大嶋儀右衛門 奉納
鳥居 大正 六年(一九一七)大島直七 贈
高野神社縁起と村名起源伝説(筈巻伝記)
麻呂子親王が勅命を受け、丹後の竹野の里に棲む土車・火車の二鬼を退治せんと当地に至り、今の境内にて休息し鬼退治の策を考えられ、天皇のお言葉や呪いを記した書付を巻物にして、矢の先に結び付け弓で鬼族に射ることとされた。
 このことに因み、この地を矢筈の「筈」、巻物の「巻」を取って「筈巻」と名付けられた。
 村人この地に竹野郡の竹野神社(麻呂子親王の摂社有り)より勧請し、高野大明神として崇敬云々。よって高野神社と称す。
 このように麻呂子親王の鬼退治伝説に因んで「筈巻」という村名ができたという伝えがあります。
筈巻歴史・文化保存会


『天田郡志資料』
村社 高野神社 同村筈巻小字高ノ平鎮座
祭神 伊佐奈美尊  社殿 仝前
氏子 三十七戸  境内 百五十七歩

天満神社
天満神社(筈巻)
案内板に、↓天満神社案内板
天神神社
祭神 菅原道真公 大山祇命
 小宮
若 宮    祭神 応神天皇   上の段より遷座
荒 神    祭神 火産霊之神  荒神平より遷座
疫神神社  祭神 素盞嗚命
庚申供養塔 祭神 猿田彦神
北向不動明王
 文禄年間(一五九二~一五九五)の頃、六人部長田の高橋一族がこの筈巻の荒蕪地を開墾した時、北野の天満宮を勧請して祀ったと伝承されています。(筈巻伝)
 また、薬師平の奥にある山の神を合祀されたとの伝えもあります。(筈巻誌)
 下の境内の石燈籠は安永二年(一七七三)の奉納
 手水 天保一一年(一八四〇)奉納
 狛犬 明治三七年(一九〇四)九代目高橋喜兵衛氏奉納
    何故か狛犬の向きが反対に置かれています。
府道の開通により、明治三九年(一九〇六)に石段(八十八段)、幟立て等が寄進されて現在の境内が整備されました。
筈巻歴史・文化保存会


『天田郡志資料』
村社 天神神社 同村字筈巻小字松ヶ谷鎮座
祭神 菅原道真公 大山祇神
社殿 流造板葺上屋あり  末社 疫神々社 祭神 進雄命
氏子 六十三戸 境内 七百十三歩

臨済宗妙心寺派福聚山無量寺
無量寺(筈巻)
集落の一番奥の鬼ケ城に寄った高い所、七仏薬師のお寺として知られる。正確にはこの奥にあった真言宗一倉山金福寺廃寺がそうであったが、本尊は当寺に引き継がれた。
『天田郡志資料』
福聚山 無量寺 (臨済宗妙心寺派〉 同村字筈巻
本尊 釈迦如来  脇立 地蔵菩薩 観音菩薩
開山 一笑禅慶和尚 {寛政元年十月廿日寐、石碑現存}
中興 実翁和尚 創建 応永廿四年 再建は元禄七年
境内建物 秋葉堂 薬師堂 地蔵堂 鎮守堂等なり。
寺鐘 亨保四年春鋳造。 鰐口 応永十六年の作 開山塔一基。
行事 三月十八日秋葉殿鎮火大般若祈祷、七月十六日恒例施餓鬼会 十月十二日薬師祭
   二十五年目毎に薬師開扉。
修養事業 花園婦人会、観音講、 主旨は国体尊重、婦徳涵養。
郡新四国第五十二番の札所なり、ありかたや福聚の峰に登り来て瑠璃の光りに逢ふぞうれしき。
檀家 百三十余戸(筈巻、安井全部)  財産 田地六反歩,茶園若干
住職中第四世天祐和尚は、茶道の指南にして又和歌に堪能なりき。
境内薬師堂は天明元年武田河内守信親公の施主に係り、其本尊は麿子親王の御作にて七仏薬師の一と伝ふ、此は旧領主武田兵庫頭信貞公の祈祷所なりしと云。
無量寺の薬師堂
金福寺の麻呂子親王作薬師を祀る薬師堂。↑
丹波では「七仏薬師」は興味がないのかあまり触れていない様子。
堂内の薬師如来坐像は用明天皇の皇子麻呂子親王の作と伝え、所蔵の同如来縁起は親王の鬼賊退治伝説を書いた記録としては最古という。
『福知山市史』
福知山の東部の状況は、烏ヶ岳と鬼ヶ城の山々をぬきにしては語れない。謡曲の『花月』にも「筑紫には彦の山(中略)、伯耆には大山、丹後・丹波の境なる鬼が城」と語られているように、鬼ヶ城・烏ヶ岳一帯は山林修行の行場で、鬼ヶ城の北側、今は大江町の南山に位置する室尾谷山観音寺が古刹としてあげられる。元明天皇の和銅七年(七一四)行基の開基と伝え、本尊の十一面観音は、行基が大和の室尾寺本尊の観音の木片をもって彫刻したものであると伝え、中世では山麓に広がる寺域に、十一の宿坊を数えたと伝えている(『加佐郡誌』)。 そして中世では丹後の一色氏、丹波の細川氏からも寺領の安堵が行なわれ、山林修行の場として、山伏の出入も多かった。
 筈巻の無量寺は、麻呂子親王伝説にともなう薬師如来を薬師堂に祀り、相当古い。また『丹波志』「古跡」の部には、「庵我寺 安井村 辻堂 甚古キ堂也 本尊薬師」とあり、これらの寺庵も山岳仏教の流れのなかで生まれてきたもので、平安時代にさかのぼることができよう。
 このようにして、薬師如来・千手観音を祀り、小さな寺庵や坊を中心にした仏教を営む場が、鬼ヶ城・烏ヶ岳山麓の東西南北に展開されたのである。山麓には、報恩寺・記録寺・高林寺・高竜寺などの地名を今に残している。

金福寺廃寺など

『丹波志』
一倉山 金福寺 古蹟 筈巻村
古蹟ニ堂在 領主武田越前守殿為古蹟ニ依テ寄付ノ地有 寺号不知シニ一倉山金福寺ト銘有之扣金他村ニ在テ求之今此所ニ納メ置リ

山王権現 古蹟 筈巻
田畑山林ノ字ニ在 社ノ古蹟ハ今百姓ノ持林ト成ル 此所ヘ猿一疋来一両日徘徊ス 従江州日吉ノ社ヨリ来ルト里俗云伝
中村八幡宮祭礼八月十五日以前社人神女筈巻村ノ西大河ニテ御祓ニ来ル其時此山王并ニ聖明神ヘ棒祝詞両社共名斗ニテ社ハ無之此コト中村聖明神条下委記之

聖大明神 古蹟 筈巻村
右如載山王古蹟ニ山ノ裾字聖御前ト云畑有 恐ハ続日本紀ノ文ノコトナラン 委中村聖明神条下記之



《交通》



《産業》



筈巻の主な歴史記録


『丹波志』
筈巻村 今高490石余 右同
万治二年松平公検地 山林ハ延宝六年小出伊勢守殿検地高附
高五百拾壹石五斗四升貳合 民家百戸
此地ノ水福智山北ヨリ下流ス猪崎村中村池部村安井村筈巻村各鬼ケ城ノ西ノ麓ナリ 此谷水各大河ニ合
筈巻村ヨリ丹後国夏間村迄二拾壹町五十間 平地牛馬不通 但道ノ境東ノ方山ノ尾疆迄村ノ北端ヨリ拾壹町 古ヨリ道筋雪中難通
国境ハ道ノ境ヨリ東ノ鬼ケ城尾続ノ山峯疆 西ハ田地江口?溝疆 下天津村ノ方見通大川国境 境ニ獅子カ谷ト云 所有何ソ


伝説


『福知山市史』
麻呂子親王鬼賊退治の伝説
 市内字筈巻に今臨済宗妙心寺派の無量寺があり、「丹波志」には「本寺 大呂村 天寧寺」としている。この寺の上の方に「奥寺跡」というところがあり、そこに古く金福寺というのがあった。この寺には、麻呂子親王が丹後(古丹波)の鬼退治をされたとぎ、戦勝を祈願して七仏薬師を彫刻し、その一躰を祭られたものであるという立派な仏像が安置されていた。
 市の南隣市島町竹田の清薗寺や、北隣大江町河守の清園寺には、親王鬼退治の幅四○センチ、長さ約一○メートルに及ぶ絵巻物がある。金福寺廃頽後は、薬師堂もその本尊も、無量寺に引継がれている。次に「曽我井伝記横山硯」の記事を掲げる。

  一倉山金福寺は真言宗なり。慶雲四年丹後浦島の辺に、むくりこくり(注、蒙古高句麗=外敵)と云ふ者数多くいて人を取。依って麻呂子親王退治給ふ。此時氷上郡より七仏薬師を御建立し給ふ祈願所也。七堂伽藍の所なるを光秀が焼討にしたり。後世八石斗の高除知寄附。此外中竹田村に鎌倉山清園寺、此寺門内に麻呂子親王植給ふ三又さくら今にあり、神守(河守)町に鎌倉山(鎌鞍山)清園寺、右三ヶ寺其余は何鹿郡にあり。
 麻呂子親王は、古代に何人か同名または類似した名の人があるが、古丹波の鬼退治に関する限り、用明天呈の皇子(聖徳太子の異母弟)である麻呂子皇子とする古記録が多く、この伝説に関係ある由緒地はほとんとが奥丹波から、丹後にかけたところに分布しており、古社寺の縁起から、古地誌・民間記録・神仏や動植鉱物に至るまでその数一○○になんなんとするであろう。
 その内容については、無量寺所蔵の縁起(諸寺多少の相違がある)の梗概だけを掲げておく。
  昔用明天皇の時代に二鬼がおり、一を芙胡といい、他を土熊といった。はじめ鬼ヶ城に住んでいた。この山には今も巌 穴がある。又一鬼がおり、迦楼夜叉(かるやしゃ)といい、丹後の間人の北海浜に住んでいた。三鬼眷族多く、好んで人血を呑み、人々 甚だ恐れて、朝夕安んずることが出来なかった。このことが天聴に達し、第三皇子麻呂子親王に、その誅伐を命ぜられた。
 皇子は、薬師如来の威神力にょらなければと、偏にその加護を祈った。一夜夢に老翁があらわれていうには、薬師瑠璃 光如来の像を彫刻して汝の冠の内に安置せよと。皇子はその言に従った。官軍を率い北の方丹陽に向かう。途中、戦勝を占 なって、焼粟を植えたところ、一夜にして生長した。又商人が死馬を埋めるをみて、試みに掘出し、これに鞭打つと 忽ち蘇生した。このように旅中瑞祥が多かった。鬼共はこれを聞き鬼ヶ城を去って河守に立篭った。ここは元伊勢の地、幸いに天照大神の神助を得て二鬼を撃破した。二鬼は北海浜に逃れて、迦楼夜叉と合体した。皇子の命危うい時一匹の犬が現われ、その額に円い鏡をいただき、忽然として諸鬼に向かって進んだ。諸鬼は自分の怒る姿が鏡にうつるのを見て、驚きおそれて一岩穴に土げ入った。犬はそれを追うて又鬼の姿を映す。鬼共その姿を見て敵と思い跳び出してくる。官軍力を得て、あるいは剣を抜き、あるいは矢を放ってことごとくこれを誅した。かくて一国平安万民和楽するという筋である。
この縁起書は元禄十年(一六九七)に無量寺住職祖貞が薬師堂落成の時書いたものであって、この種のものでは最も古いものである。
  福知山市内の神社のうち、親王の創建というもの一。寺院安置の薬師如来のうち、親王彫刻の七仏薬師の一というものを祭る寺三ケ所。親王が鬼賊退治の願をかけられた巨石のあるところ二ケ所三石。天神七代の天神を祭る神社七ヶ所(但し一ヶ所は三和町)。親王御手植の公孫樹一ヶ所。親王の鎧と称するものを蔵し、かつ代変り毎に、親王を祭る丹後の斎神社へ幟桿(のぼりざお)を献上しつづけた家一戸。親王の随臣の子孫と称する氏五氏など、いろいろの関係で麻呂子親王との関係を伝承するものが三○に近い。それぞれの具体的なことは本書の各項について読みとられたい。(丹波・丹後内には親王伝説関係地が七○余ヶ所ある。京都短期大学論文集、芦田完「麻呂子親王伝説の研究」参照)
 さて全国中年以上の人々周知の「源頼光大江山鬼退治伝説」の本舞台もまた、河守付近の大江山である。ところが伝説の主人公は一つは飛鳥時代の麻呂子親王であり、一つは平安時代中期の頼光であ
るその間麻呂子親王の方がおよそ四○○年古い。頼光鬼退治伝説は、もともとは、山城と丹波の境の大江山(古代白鳳八年始置の大江ノ関〔大枝ノ関〕今の老ノ坂)の山賊が、都を荒し婦女を掠めたことを、当時鬼の存在を信じていた人々によって、それが鬼の仕業として寓話化されたものである。という説もさりながら、鎌倉時代の創作(日本歴史大辞典-松本新八郎、「源頼光」の項)という頼光伝説では、何が故にその舞台が、都から遠く離れた丹波・丹後の境の大江山に持って来られたかということについては、その理由が、後者には岩窟があるからというだけでは納得出来ない。「頓光大江山鬼退治伝説」は、それ以前に、丹波・丹後の境の大江山を舞台とした麻呂子親王伝説が広く伝播していて、その基盤の上に頼光伝説が形成されたものと推考される。
 ところで、この地方の諸寺縁起には、この両伝説の内容が混同して書かれているものがあることに注意しなければならない。いずれにしても、この両伝説は、朝廷がまつろわぬ者共を平定するという、記紀以来の日本人的思考型式に類別されるべきものであって、全国的に共通性のある物語である。







筈巻の小字一覧


筈巻(ハズマキ) 天津前 阿弥陀谷 石橋 池ケ谷 稲谷 稲場 岩才 岩ケ下 上岡 上ノ段 大ヒシロ 鐘付 角ノ垣 北村 北ノ前 北ノ下 北谷 狐塚 狐塔 桑ザコ  クゴ田 荒神平 坂ノ下 山王 才ケ瀬 サルガキ ヒキ田 十二所 杉本口 吸田谷 聖ケ段 高柳 高野平 滝ケ下 立道 下畑 鶴ケ谷 寺ノ向 寺ノ谷 寺ノ下 通田 床尾 中ノ森 中ノ段 中ノコラ 永畑 長田 沼田 沼ノ上 盗人水前 ヌレ谷 信長 林ケ成 船坂 堀池 本堂ケ谷 松ケ谷 松ケ谷口 廻戸 宮ノ前 薬師浦 中ノ谷 引田 扇畑 薬師平 北谷口 粗合林 岩才 上岡 大畑 大谷 扇畑 狐塔 鶴ケ谷 寺ノ段 八ツ山 ハナレ山 薬師平

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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『京都府の地名』(平凡社)
『丹波志』
『天田郡志資料』各巻
『福知山市史』各巻
その他たくさん



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