ありしその日     卒業生を送る 平成21年度


  表示されるまで時間がかかります。少々お待ち下さい。
当ページは、学校や教育委員会など、どことも関係はなく、私個人の独断と偏見のHPでございますので、記載内容などもし何か不都合などございましたら、どうか私宛にご連絡下さい。

連絡先はここ→


与保呂小学校への道(舞鶴市)
与保呂小学校への道。子供達からは与保呂校はこのように見えていたのでないだろうか。父兄は写真で言えば左手の府道を車で行くので、こうは見えない。橋脚は近畿自動車道若狭舞鶴線。左手もう少しで東舞鶴インター。


 平成21年度は26名の卒業生を送り出しました。

卒業生を送る会(平22.2.28)
桜を植える(平22.3.7)
タイム・カプセルを埋める(平22.3.16)
卒業式(平22.3.23)




 卒業生を送る会 (平22.2.28)。



 しっかした羽ばたき、もう凛々しいと呼んでよい、立派に成長して、嬉しい感激の巣立ちです。

卒業生を送る会(与保呂小学校)


卒業生を送る会(与保呂小学校)


卒業生を送る会(与保呂小学校)


卒業生を送る会(与保呂小学校)


 「ありしその日」。   

 3月23日が卒業式

私は来賓で祝辞を述べる者のため、写真など写している余裕なし。殊に卒業生担任先生の袴姿に大感動、しかし写せず(めったなことでは写す機会はない無念の涙。背景画は勝手に使わせてもらいました。実際の担任先生ではありません。)。


蛍の光。鳴らしながら読んでいただければさらによいかも−
    

市立与保呂小学校卒業式の祝辞


卒業生の皆さん、おめでとう御座います。
皆さんは今朝、卒業です。いよいよお別れになりました。
今から六年前に、小さな体に、大きなランドセルを背負って、桜花咲く、与保呂校の校門をくぐりました。なつかしく思い出す、あの日が出発でした。
一人で朝は起きられましたか、ハンカチの場所わかりましたか。

六年間は良い日ばかりではありませんでした、雨の日、風の日、吹雪の日、友と語り、重いカバンかかえて通い続けたまなびやへの道。与保呂川の千本桜も六回咲いて六回散りました。
友達に仲良くしてもらってるでしょうか。勉強はわかるでしょうか。

見違えるように立派に成長した皆さんは何でも立派にできる力を備えました。
「すごく責任感じる六年生」「恥ずかしくない最高学年」「下級生のお手本」となり、学校行事では、26名全員が「六年生モード」に切り替え、全校の先頭で炎になって取り組んできました。
先だって催された「六年生を送る会」も、「マラソン」も「運動会」も、「修学旅行」も、どれもみんなすばらしかったです。練習の成果をぞんぶんに発揮してがんばり、自分たちが思ってた以上にカッコよく、パーフェクトにできました。
指導の先生はその姿に涙を流しておられました。
一年生の劇「ねずみのすもう」はアメリカからもアクセスして来ます。
下級生たちの感想は、「最高、完璧、やったーすごい、うれしい、この調子で一生懸命にがんばりたい」と、うれしいものでした。みな皆さんの努力でした。本当にありがとう。

さて、いざ去る、となれば、嬉しいようなさびしいような気持ちでしょう。桜と緑の美しい与保呂。水うるわしく、伝説ゆかしい、古代のナゾを秘める与保呂です。この与保呂の、めくるめく光の中で、みんなで力を合わせ、心を合わせ、学びあってきた六年間でした。
でも、それらの事々は、きっと、忘れてしまうでしょう。
決して二度と、思い出したりはしない、かも知れません。

皆さんは中学・高校へ、さらにその先へと、人生の中で最も明るく輝く、誰もがうらやむ青春時代迎えます。
テレビを消して早く寝るでしょうか。朝のごはんは食べてるでしょうか。ステップ・アップしても、大勢の中でも、元気にやっていけるでしょうか。
小学校も楽しかったけど、今はもっと嬉しい夢の中、…きっとそうなります。
メモリーは多くあればあるほどよいものです。その人の能力を高めてくれます。パソコンと同じです。皆さんは、正確にすぐに記憶できて、一度記憶すれば一生忘れることがない優れた記憶を備えています。今後もどうか良い記憶をどんどんとふやし続けて下さい。

しかし、嬉しい楽しいだけではありません。これからが最も苦しい本気の修行時代です。今の百倍も勉強し努力し、千倍も鍛え上げ磨き上げねばならない時期になります。人生の難関が連続する時期であり、まっすぐに顔を向けて立ち向かい、次から次へと乗り越え進んでいく、がんばり抜かねばならない苦難の時期です。
またそれを過ぎても、生きるのは意外と厄介なもの、一生懸命に生きるなら、良い日ばかりでなく、悲しみ苦しみ悩む涙の日もやってきます。七回も八回も転ばねばならないかも知れません。もういよいよダメだと覚悟を決め、本当にメゲてしまいそうな日もあることでしょう。

どうかそうした時は、思い出して下さい。もう忘れたはずの、幼い日々の美しいふるさと、なつかしい母校の思い出、ぎっしりと詰まった楽しかった日々の思い出。
そうした思い出は、大きな励ましとなり、心をしっかりと、もう一度、強く立ち直らせてくれるでしょう。
立ちふさがる壁に立ち向かっていく心を、メゲない一生懸命の元気を、取り戻してくれでしょう。

また皆さんは一人ではありません。隣には今日のように同級生が座っています。同級生はどんな時でも死ぬまで隣にいてくれる一生の宝物です。皆さんは兄弟も少なく、同級生も26人だけです。どうか今日のようにいつまでも仲良くいて下さい。
そして、負けずに一生懸命にがんばり続けて下さい。めげないでがんばり続けるカッコいい、美しい自分であり続けるよう努力して下さい。皆さんの輝やかしい前途を祈ります。

ご父兄の皆さん、本日は誠におめでとうございます。立派に成長して、力強く巣立っていくお子様の姿にうれしくありがたく、感激もひとしおと存じます。心よりお祝い申し上げます。
お子様の在学中はPTA活動にご尽力をいただき、お礼申し上げます。お子様が卒業されても、どうか与保呂校を温かく見守って下さいますよう、お願い申し上げます。
お忙しい中を卒業生のため、お越し頂きました来賓の皆さん。ありがとうございました。
最後になりましたが、六年にわたり始終熱心に子どもたちの教育にあってこられ、立派にお育ていただきました○○校長先生、○○教頭先生はじめ、教職員の皆様にお礼申し上げます。
卒業生担任の○○先生は一番ご苦労があったことと存じます、本当にありがとう御座いました。厚くお礼を申し上げます。

平成22年3月23日
○○小学校PTA 副会長 ○○ ○○



− 祝辞はこんなかんじのものなのだろうか。私が個人として述べるものでなく、PTAを代表して述べるものだから、そうすれば、もう少し凛と格調高く、地域社会の持つ教育力と文化力の香り高く漂う、薫陶的な高品位なものがよろしいのだろうか。
ただそこに静かにいるだけで、「大人ってすごいな、あのようにならないと」と周囲の子らによい影響を及ぼしていけるような感化力と教育力あふれる何か根源的に立派な大人になりたいものと、私なりには努力してはきたが、それは叶わず、せめて説教調の「はなむけ」にはしたくないと願う。
そうだろうけれども、私のガラや格とすれば、どう智恵振り絞ってみたとしても、これくらいがほぼ限界か。
式全体の長さもあるし、低学年もいる、あきさせないほどの話術でもない限りは、長くて5分、できれば3分か。
校長先生の式辞が7分の目処らしく、それ以下におさえよう。上の式辞は早口なら3分、ゆっくりと読めば5分くらいだろうか。

切口を変えてみようかと苦労したが、結局同じようなたいして変わらぬものものになってしまう。もう時間がない、このあたりで完成させよう。
男性と女性が同時に祝辞を述らべれる形式はないのだろうか。フト原稿を書きながら思ったりした。小学校は特に「おかあちゃんまかせ」、父親としては偉そうにモノ申すのが口幅ったく大罪を犯しているような後ろめたい気がつきまとう。言えと言われれば言いはするが、母親と一緒に述べたい気持ちになる。チラチラと間に言葉を挟んでくれる母親役の女性役員さんと同時に述べられるといいような気がする。
本当は会長が述べるものだろうけれども、会長は本年度は市Pの会長であり、本校は留守勝ち。オマエがもっとも本校の様子や卒業生たちを知っているはずとのことで私に廻ってきたもの。


プレゼントが贈られる
 下級生(1・2年生)からはなむけのプレゼントを受ける。
「いよいよお別れですね。長い間ずいぶんお世話になりました、本当にありがとう御座いました。中学へ行かれても、どうかお元気で、がんばって下さい。お礼とはなむけの心ばかりのプレゼントを下級生たちが心込めて用意しました。どうかお受け取り下さい。」 (聞こえなかったけど、たぶんそんな内容か。下級生は今こそしっかりウソを言わなければ、もう二度と言う機会はないと出まかせのウソを言っているのではないそうで、本当に登校班などではお世話になっていたそうです。)
 六年生たちの表情がよろしい、すでに一人前の表情。彼らの顔色の何とも複雑なところが写ってないと、この場合は写真の意味はないし、そうすると個人が特定できて、肖像権と衝突するかも。HP書くのも複雑な表情になるかも。


 六年生の劇「People of the world」
六年生の劇:people of the world
 すぐ近くの子だけども「神様」最高。六年生はずいぶんおしゃれ、学校一のイキなおしゃれ、遊び心いっぱいでうれしく楽しくウキウキ気分になってきます、見る人を喜ばせたいの舞台人の心意気があります。ファッション・ショウの舞台のように華麗。カッコよろし。ステージは衣裳、お客様に見ていただくのだから、しっかりと凝りまくらないとステージにはならないかも。特に男の子がすごい、女の子もよろしいけれど創造するココロで少し負けてません。小道具の一つにまで凝って下さい。M65タイプのジャケットよろしいです、帽子もよろし。チャラけた若者になれと言っているのではない、姿勢が悪いと何を来てもダメ、まずシャキとする。質素・清潔が基本、美意識を踏まえた生活理念は持ちたい。「オシャレは三代」といって、特に着るオシャレは奥深く、三世代にわたる修行がなければ一人前にはなれませんそうです、ここでも向上心を失わず一生懸命の努力を。若いうちの特権みたいなもので、バカほどゼニ出せば別として、普通はオッサンになるとオシャレ着なんぞはありません、オジイになればまったく何もありません。
「僕らのあこがれです」と言われるのはあるいはこんなことかもしれませんので、少しばかりご教示をさせていただきますと、カッコいいですねなどと私の場合はオシャレみたいにも思われ、たまには女の子が目を輝かせ心ときめかせてのぞきにきたり触りにきたりもしてこともありまするが(信じられないような話でごくごくたまですが)、なにせオジイですので、悟りまして帽子から靴に至るまですべて安物作業服です。これは年齢関係なしで体型さえ合えば着られますが子供用がない(たぶん)。作業衣でも軍服などは大国が長い歳月と巨費を投じて開発したものもあり、高価な洋服顔負けのデキのものもあります、威圧感のないおとなしいものなら結構かと思います。超質素で何の飾り気もなく、ただ機能一本槍でどんな状況でも対処できる、男はこう生きるんよと静かに主張している誇らしげなところもあり、しかも丈夫で安い、洗濯するより新しく買った方がいいような値段です、そのうえカッコいいなどと思われれば最高のビンボーな人向け。

そんなことは別にドーデモでもよろしいが、この子達がしかし言わんとすることはきわめて高度、高度すぎてさっぱりわからないところがいいかも、軟弱そうで実は硬派の心を持っているのかな、硬くて柔らかい、柔らかくて硬いのかな、カッコよろしいしどんな厳しい環境で生きられる理想の生き方かも。一つのタイプに収まりきらずにクネってくる奴はすごい、苦しいときはしなってしのぎ、チャンスあればどんどんまだまだ伸びる、どうにもならん。
イナカにはもったいないかも、世界に通用するレベル、もうちょっとで。ぜひ将来も生かして下さい。

− 六年生の全体としての特徴点、良い子達ですよを言いたいわけで、知れば知るほどにホントによい子達ですが、それでこんな事を書いているのだけれども、私の息子は一つ下の五年生で、六年生はそれほどには知らないでいる。卒業祝辞のスタンバイの状態に入れない。文字通りにスタンド・バイ、「そばに立つ」モードになれない。できるだけ立つようにはしているが、どうもも一つ。あせる。

この年齢は大進化の途中で毎日毎日の変化が激しい、昨日と今日、また明日は違っていて、性格をこれと特に規定することが難しい。絶えることなく変化する以上は原則として規定できそうにもない。しない方がよろしいかも。六年生は近くのこの「神様」の子にしても面倒見のよいやさしい子である。
しかしここはボツしかないか。



六年生の劇:people of the world
 引揚港・舞鶴の小学校の卒業生である以上は当然こう。誰が何の目的かどう美化しようとも、舞鶴は戦争の結末と悲劇の実際を目の当たりにしてきた証人の町であり、その歴史の証人の次を担う、そうした意味で君たちは本当に特に大切な子達、どれだけ子がいようともこの役割が担えるのは君たちだけ。「引揚港・舞鶴」の焼き印の押された超高級ブランド品です、熱くて痛かったかも知れませんが、黒々としっかり焼き込まれました、もう死ぬまで消えることがありません、どうかその背の印に羞じぬよう生きて下さい。

 もっともそれは侵略した側の悲劇のみを一面的に見ただけの、その面のみを肥大化させた証人であり、もう片側のこちらの方が重要であろう実際の戦場となった侵略地の悲惨すぎる実情などは目を向けようともしない、行ってみてこようなどとはツユ思いもしないままの、自分らが仕掛けたがためのものであったようだの、我が身にも降りかかってくる重すぎる戦争加害責任が回避された、あるいは認識の片隅にも登ってこない、かなり身勝手な半端なものに留まる証人のように思われます。
二千万人が犠牲になった戦争遂行機関の舞鶴に残る多くの朽ちかけた戦争遺産を「近代化遺産」と美化するばかりで何も羞じるところもない、そうしか見えない一面性をもった、それでもあたかも一人前であるかのように勝手に思い上がっている恥ずかしい低レベル認識まる出し、そうした限界を持つ証人達であったように思われます。
 証人の全部がそうとは言わないが、多くはそうしたものに留まった証人で、さらには中国が攻めてきたから、あるいはソ連が攻めてきたからこんなことになったのだ、こう認識している証人は多く、そこから発生した悲劇の結末とたいていは誤り認識されている、自分らが先に他国を侵略したのではないかの点検がなされない、そう思えば楽ではあるが、はたして自分が楽なように解釈していていいものか、それは史実なのか。これらの限界を超えていくのは皆さん。

 核廃絶や世界平和は君たちに託された全人類の悲願。それが可能な「チェンジ」の時代に君たちはちょうど成人していく。正義感あふれる若い君たちはやれる、何でもできる、あとは実行のみ。君たちは全人類が期待を寄せる若きエース、しっかりと取り組んで下さい。

− 私個人ならともかくも、PTAの代表として、これが言えるか。ボツ。
PTAも一部にはこうしたレベルの方もおられます、ホントですよ、引揚記念館へみなで見学に行き学んだという単PTAもありました、同じ青葉校区のえらいすごいPTAです。しかし教育を平和を破壊してきた戦争大好きの旧海軍のボロ倉庫のケツの痛くなる安物椅子の上で、総会や講習会などひらいて別に何とも思わないような、いや何かカッコいい会場て立派な論議でもしているかのように勘違いしている程度の歴史意識・問題意識ゼロの、そんなことで何か教育について言えるの、何か普段から考えているようなことはもしかしてあったりするのと言いたいほどに、もう信じられへんわの世界の脳天気な、与保呂の六年生でも大笑しそうな情けない組織でもあり、全体とすれば君たちには遙かに及ばない、何も考えてない。笑ってやって下さい。
舞鶴は全国に知られた引揚港であり、そうした歴史的位置から戦争に反対し世界平和を発信していかねばならない役割を舞鶴の全成員が負っています。舞鶴と冠せられれば当然にもその役割があるわけですが、市Pはここで総会を開き、市子ども育成協議会も、同会場で総会を開きました。子ども育成協議会は最近できた団体(本当は再編)ですから、別にそんな場所で開いて自らの浅い歴史と浅い見識を宣伝したければやればよろしいが、PTAは違うだろう。60年ばかりの重い歴史ある、普通のPTA会員よりは長い歴史を有する、幾多の先輩達が懸命に引き継いできたかなりの栄光の団体である。昨日や今日できた理念も定かではないようなあぶく団体ではない。他とはちがう重みがあるのだから、軽々な判断をしてはなるまい。そんなことをすればもうPTAではないことになる。××会どでも名を改めてくれ。
何でこんな場所で大事な会議を開くのかの説明もなし、私個人なら当然こんなものはボイコットです、納得いかなければ脱会です、来いと言われても行きません、君たちに恥ずかしい。今年は当Pから市P会長を出している関係でおとなしくいておらねばしょうがないわけで、嫌々行って後は寝とります。何も会長や世話される方々が悪いわけではありませんが、バックの連中(私は××課をいっている)が脳天気で、そんな連中が実際には市Pなどを繰っているのが問題、というか繰られるような市Pの頼りなさが問題。
「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように決意し」(憲法前文)のその政府の行為によって行われた戦争の建物である。「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」(9条)よく知っていると思うが、その旧海軍の施設であった。これらを使う場合はなぜ使うのかの説明責任が発生しよう。市Pならびに教育委員会に説明を求める。
単Pから見れば単P会長などへの負担があまりに多い割には、実際はこんな程度の常識さえへもないあなたまかせの、さして大事とも思えぬような、単Pでも開催できる程度の内容の講演会くらいしか実行できない、単Pにはそれに引き合う得る物はない、役に立たない、こんなものならなくて困る単Pはなかろうと私としては判断しております。
人材が確保できず、今後も確保の目処が立たず、まともに活動できてないのだから市段階の組織は解散する、PTAのない学校もあるというから市Pもなくてもよろしい。もしどうしても残したいなら機能を極端に絞り超スリム化していく。市Pはもうちいとましな講演会を一年に一回開催するだけの組織に絞り込むのがよいだろう。その分のエネルギーは単Pに投入するがいいと私は考える。
本心をいっておけば、そうではない。
講演会ではなくレポート必須の分科会形式がよいと思う、しかしそうなると当面は舞鶴では参加者が極端に少なかろう。こうしたしっかりした学習会の積み上げが出来ないから人材も育たないわけ、勉強せんのやから人材も育たないわけ、みずからを育てる制度自体がない。作ってみようとした人もあったかも知れない、今以て出来てはおらず、今後もこのままではできないのではなかろうか。舞鶴人は勉強が苦手。単Pが市Pに期待するのはそうした仕事。しっかりした次のリーダーを育ててくれ、これは単Pでは手に余る、単Pの期待であり、市Pに託された本当の大事な仕事。
長期的にはそれを目指しながら当面は講演会を続け、五人でも十人でも集まって研究会を開いていってみるのがいいと思う。
市教委あたりのしっかりしたバックアップがいるが、しかし失礼かも知れないが市教委では私が言ってる事の意味もわからないかも、そうした経験豊かな府教委以上の長期のバックアップがどうしても必要。
市民が言ってること「市は頼んない、あんなもんあかせん」、「ちょっとめずらしいですな、あんなんも」とか、何を考え違いをしているのか、市民のことなどは考えたりすることなく、一人よがりで一人悦には入って一人ご機嫌のご様子、どの分野でも横並びにもうかなりあきれらているようです、一人前の仕事がしたければ必ずもう一つ上の機関と手を組んで下さい。

− さすがこれボツでしょう。私はポンコツだが、今だにこんなことになると勝手に戦闘モードに切り替わってしまい、全身装備の武装が勝手に火を噴きはじめて、周囲の人々の目を白黒させてしまう。私の老恩師は90でも問題如何ではそれまでの好好爺が途端に超強力スーパー戦闘ロボットに変身してしまい相手をボカボカにやっつけてしまうのだったが、私もそうなるのだろうか。
市も来ている目の前で、「ゼーキンは持ってくくせに何もまともな仕事はさらさん。あきれたやつらだと市民はあきれてるぞ。何時になったらこの子らの通学路を作るつもりだ。誰かこの子らの一人が殺されないと作らないと決めているのか」とでもいいそう。
卒業式はそんなことを言う場ではない。これボツ。





              

 前後しますが、↓送る会のプログラムはこんなのでした。

送る会のプログラム

すべてを紹介できませんが、いくつかのシーンを拾ってみます。
たくさんありますので、ここで紹介できないものは、他のページにも載せます。

 5年生の演奏「心を一つに」 動画は→デジタル丹後「ありしその日


五年生の演奏(与保呂小学校)


↓ これらのカメラが写しとった映像情報はものずこい量、次のページにも少し置いてあります。 デジタル丹後「ありしその日

my cameras















              




 ありしその日(おまけです)
休憩時間です。過去へ向けて突撃してみます。六年生たちのほんの少し過去の「ありしその日」の姿を写してみました。
六年生を送る会:休憩 六年生を送る会:休憩
六年生を送る会:休憩 六年生を送る会:休憩
六年生を送る会:休憩 六年生を送る会:休憩
六年生を送る会:休憩 六年生を送る会:休憩
六年生を送る会:休憩
 もしかして覚えてるかもしれませんが、初めから六年生だったのではありません。
こんなところから成長してきて、六年生になりました。勝手にひとりでに大きくなったのではなく、周囲の、そして与保呂のみんなの大きな期待と支えがあってのことでした。
朝は一人で起きれますか。ハンカチの場所わかるでしょうか。
みんなに仲良くしてもらってるでしょうか。勉強はわかるでしょうか。
テレビを消して、早く寝てるでしょうか。朝のごはんは食べてるでしょう。
中学・高校と次々とステップ・アップしても、大勢の中でも元気にやっていけるでしょうか。

 ありしその日。
 それは忘れたはずの過去でした。
 それは忘れてならない過去でした。





              

-ラフ・スケッチ集-  
           あおげば尊し→  

面白い所はみなボツ、先に述べられる人々とダブルような内容でも面白くなかろうから、いろいろ当たり障りなしの予備を考えてみる。


 仰げば尊し我が師の恩。そして…

六年生の先生。私の場合は男の先生でした。
卒業して何十年しても母校の校歌を完全に忘れてしまった人はない、と思う。何十回となく歌ったはずなのに、母校の校歌を完璧に覚えている人もない、と思う。それと同じ、「ありしその日」の遙かな思い出はセピア色にマダラマダラ。
遙か遠い昔の私の六年生卒業の頃を思い出そうとして、苦労しておりました。思い出せない六年生の頃、弱ったな。とうとう忘却の遙か彼方になってしまったか。忘却だ。
「忘却とは忘れ去ることなり。
そんな事は決まっとるやろ、そう書いてある。(わす)(しりぞ)くと。」
えっ、この時何か思い出しました。この言葉はどこか記憶にある。
そう、これ、このセリフ、何だったか、何か覚えがある。
確かこれは六年生の時の担任の先生の言葉でなかったか。
えっ、先生がまだオレを教えている。
50年にはなろうけど、まだオレは六年生の時の先生に教えてもらってる。オレが困ってると思い、先生は記憶に出て来て教えてくれている。涙でした。
小学校の卒業式は自身のものから約50年ぶり。どう振る舞えばいいのかわからない。
意外と頼りないヤツやな、子達はしっかりと見ている。リハーサルでは卒業する子達が列をぬけ密かに寄って来て我が事のように教えてくれる。小さな声で指さして、
「ここ。ここやで。ここに立つんや」
床の×印を教えてくれる。
仰げば尊し卒業生の恩。


 小さい学校の良いところ。
私は三笠小学校→青葉中学校で、三笠小学校では同級生は6クラス、恐らく300名の同級生がいたものと思われます。与保呂の今の卒業生の10倍でした。五年生の時に学校が焼ける大火事があり、学校がなくなり突貫工事で再建されるまで今の海上自衛隊教育隊の臨時校舎まで通いました。その三笠校も激減して、今は30名ばかりだそうです。与保呂の次に小さい学校になっているとか。
大きければよいというものではなく、"small is beautiful"
中学校では一番小さな、一番小さな勢力しかない、肩身の狭い思いを余儀なくされる小学校になる。
「私らは美しいのよ」と自覚されては。
与保呂校はどうなのか知りませんが、一般に小さな学校は大きな学校出身の生徒達から見て、次のように言われている。
この子ら私らとは異質、何か違うと冷静に観察してる子もいるもので、小さき学校の子は美しい、一生懸命が美しいと、かく語りき。

あの子らはみんな一人一人が個性あって、何でもしっかりした考え持っとるし、文句いわんとまっすぐ立ち向かう、逃げん。みんながそうや。勢力小さいし、不便な遠いところから通いよるで、ワシらの三倍も時間をかけて学校へ来る。みんなが鍛えられるんやな。何のために苦労して勉強するんやとか、何やかい考えよるんやろ、ワシらみたいには逃げん、イヤとは言わん。
そしてみんな仲がよい。ずっと一クラスで大きくなってきた仲同士やで何でもすぐ分かり合える、何も言わんでもお互いが気配でわかる。一人が困るとみんなすぐ寄ってきて、当然のように助けてやりよる。そしてピタっと気を合わせて障碍を突破していきよる。あれは兄弟以上や、あんなに合うものかと思えるほどに合いよる。目に見えんけど、あの子らは一つのチームやで。中学校でも小学校時代の組を組んだままやで。あれハタから見とってもすごい、感動もんや。あれはうらやましい。あの子らはみんなが一生懸命なんや、本気なんや。
ワシらは大勢力にアグラかいて考えんし努力もせんと逃げようとする、仲たがいする。



 家郷の母校
近・現代人の「家郷の喪失」問題。人間性疎外の大きな一つ。これは母校の喪失であり、小学校の喪失ということでもあろうか。
ふるさとなどはどんどんマーケット化されて、ふるさとも商品として売り出され、そんなのを競うような異常な状況。そんなことをすればますますふるさとは失われて、いよいよ人々は疎外に苦しむことであろう。小学校もそうなりつつあるのかも。商品生産の工場か何かのような考え方が導入されようとする。児童は人は商品ではない。そうした扱いになっている社会制度だから疎外が発生するといわれる。人が人から疎外され、人でなくなっていく。そう扱われる以上はそうなるのである。
まあこんなことを言う時間はなかろうから、これ以上は書かない。




桜を植える(平22.3.7)



 与保呂と言えば、桜うるわしの里。
与保呂川・亀岩橋の千本桜

与保呂小学校前の与保呂川

思いで詰まる母校には桜は目に付く所にはあまりなく、与保呂校自体の桜景観は、も一つ。でも川べは千本桜。青葉中も同じ川の川べの千本桜だし、あそこはグランドにも桜があった(はず)。

 与保呂と言えば、水うるわしの里。与保呂の名水そして水源池。誇りとしてよい。与保呂校の特徴点。

与保呂水源池の堰堤

植樹祭(090307)

植樹祭(090307)
↑男の子が 女の子が、 ↓恩師たちが 桜を植える。
植樹祭(090307)

植樹祭(090307)

 水源池堰堤下が広く、ここに桜を植える。元々は植えられていたのだが、古木となり枯れた。桜には厭地性があるとか、土を入れ替えて次の世代の桜を次の世代が植える。お陰でひどいぬかるみ。
市や市会議員なんかも来るんでないのというと「木を伐ることしか知らんもんらぁやで、あんなんが植えたりするの、へえ、大雪やど」などと市民からはどうやら深くソンケーされていらっしゃるご様子の市や議会のセンセたちなども迎えた植樹祭(与保呂川を桜の天の川にする会の主催)。大方の予想通りにやはりこの日は雨となりました。市は水道部の汚職事件を抱えて辞退。ああ子どもの前で言うのも恥ずかしい。
紹介したいようなアイサツをしたセンセといえば、植木屋の娘さんの国会議員さんが「木を植えることは大事なことです。木を植えることは心を植えることです。」これだけか(失礼)。
どうか皆さんはソンケさんたちのマネは決してせずに、人間らしい大きな夢を持ち続けて下さい。ひょっとして私が言う方がまだしもよいかも、続けてみようか。
手弁当でせっせと木を植え、木を育てて下さい。森を再生させて下さい。ここは皆さんの心のふるさと、皆さんの命を守るふるさと。うさぎ追しい、小鮒釣りし皆さんのふるさとです。ポツンポツンと木を植えるのは本物ではありませんが、ここを一歩として、千年の森の木々生い茂る、見違えるほどに美しい新しいふるさとに、国に、地球としていこうでありません。温暖化や森林破壊など加速するなかで、木と水、地球が再生できるか、これも皆さんに託された大きな人類の夢です。美しい地球とするため、どうか若い力と智恵を貸して下さい。
君たちの力なければ、地球はアッという間にダメになる、破滅がそこへ来ている。頼むぞ、みんな。
植樹祭の六年生たち

植樹祭の六年生たち

− この子らが大きく成長するころには桜樹も立派に花咲かせるという。一体この子らの何人がこの樹を見に来るだろうか。
恐らく一割に満たない、一人か二人だけではなかろうか、たぶん三人とはいまい。この子らが大きくなると、与保呂に住むことはない。
− 与保呂はよい所ですが、自然はよろしい、悪い人もいないのだが、「井の中の蛙」が欠点でしょう、舞鶴全体がそうですが、与保呂のような袋地形は風通しが悪く、広い全体の見識をもたないカワズ、昔からです、だいぶによくなってますが、それでもかなりヒドイかえる状態です、外のカルチャーや問題に接する努力を、何でも興味を持ち、好奇心を持ち、何でも一生懸命、そうすればカエルを克服して人間になれるかも。





タイムカプセルを埋める
(平22.3.16)


芦ノ町溜池(与保呂)
 芦ノ町溜池。紅葉期がよろしいとか、農業用の溜池で上水道用の岸谷溜池の対岸にある。袂に大正三年の碑があり、その当時に作られたよう。百年前のものであり府などが堰堤の嵩上げなどの改修工事を行っていた。溜池や農業学習として生徒達が通っていたが、それも終了する。2010.3.16に竣工を兼ねてモニュメントの除幕とタイムカプセル埋蔵が行われた。

モニュメントの除幕
↑奥側は六年生。手前は五年生。タイルは逆だけど(モニュメント除幕)
モニュメント
↑生徒達一人ひとりが作成したタイルが埋め込まれていた。
除幕式





六年生五年生
記念モニュメントの上面
六年生五年生



タイムカプセル
 タイムカプセルはしっかりしたもの。およそ1億年くらいは大丈夫か。カプセルは英語かと思っていたらドイツ語(Kapsel女性名詞、ドイツ語と聞けば今でも気になる)、こんな筒状容器のこと、苦いお薬がこんなものに入っているでしょ。
中には手紙が詰められていて、この子らが二十歳になる年に掘り起こすそうです。その時はぜひ全員が集まり掘り起こしましょ。
タイムカプセル埋納

タイムカプセル埋納
 みんなで土をかけ埋める、カプセルが眠りにつく、長い長い時の流れのあいだ、ここは最も安定している。
すべてはアップできませんが、全員のぶんが写してあります。この日は650枚あります。(小学校時代の五年生のぶんはトータルすれば何千枚、六年生も千枚どころなくあるでしょう。このHPではぼかせていますが本当は高画質。HD動画もあります)。先生も写しておられましたが、私のものも、もしほしくなったら取りに来てください。データーでお渡します、その日が来るのをDVDにでも焼いてまっております。



 六年生の男の子たちが言ってくれる。「××××さんですね。僕らのあこがれです」。えっ名前もチャンと知ってるの、そんな事を言ってくれるの、ウソでも嬉しい気持ち。(ホントなら感激で泣く。でもあこがれない方がいいかもと思う、決してそんないいものではないですよ。)
女の子たちとの関係がも一つ、ヨソヨソしかったのだけれども、何事も努力してみるものと思う。写して下さい、とやってきてくれました。学級委員長さまではありませんでしょうか。
いよいよスタンバイ体制に入れたような。子供達に逆にしっかりとスタンバイされたような。
昔からなぜか○○委員長さまとかは仲がよろしくて、小四の委員長さまでも仲良すぎるんとちゃうんとヒソヒソ、そんなふうな大昔をフト思い出しました。何かこんな様子の子だったような−。
このような写真はアッフするな、と校長先生に怒られるかも。でもご当人たちはいいのでしょう、もしアップしないと怒ってでしょう。たぶん。
子供達はけっこう目立ちたい。カメラ向けないと「オマエはブスだ」と言うのと同様の失礼。ホームページ・デビューなどと言って普通は喜んでおられるよう。もしも励みになるのでしたら、幾らでもアップさせてもらいます。
学校は小学校でもけっこう「象牙の塔」化していて、閉じた空間。日本だけの話かも知れないが、用もない者がうっかりと顔を出せるような場所ではない。友達の工場とかいうのがあって、そこの労働者とは友達で、仕事を終えると労働者たちがやってきて、仕事の話をしたり、壊れた校舎をなおしてくれたり遊具を作ってくれたりする、そんなのが普通だと私は考えるが、日本のクソ文部役人どもの発想ではそんなことはかなわぬ話なのであろうか。
どこの小学校もクソ役人養成学校小学部などでは断じてない、そんなアホくさいものではない、世界市民養成学校小学部であろう。クソ役人の子弟も中にはいるかも知れないが、そんな者はごくわずか、それ以外は市民の子弟である。はたして市民からの隔離が市民の子達の教育によいのかと考えれば、恐らくノーではなかろうか。彼らは市民の一人として成長していかねばならぬ身、相手からも知ってもらわねばならず、自分からも知らねばならない、そうでなければ彼らは一人前に成長はできないはずと思う。
しかし父兄でもない限りはどんな様子で何を子供達が勉強しているのかなどは絶対にわからない。自分が生徒だった時代を思い出して、こんなものだろうと思っているくらいでないのかと思う。
多少は市民達も知っていなくてはなるまいと考えるのでありますがその手段は何もありません。当局の発表するものや商売人が作る何も面白くもないわずかなものだけに限られます。第三者の大胆な視点などはない、今後は入れようとも考えてはいない。基本的には犯罪者以外には誰にも開かれているのが学校と思う。周囲の市民はみな犯罪者と勝手に思い込まないでもっともっと世界一どうか自から開く口先だけでない真剣な努力を願うのであります。
オヤですら、自分の子の学業成績に関心を示すくらいのことで、学校に、というのか広く子弟の教育全般がどにように行われているのかなどに何もそれほどの興味があるわけではない、みんな先生まかせ、学校まかせ、どうか頼みますと言われて嫌々出かけてみるくらい。いわんや自分の子がそこにいない市民をや。
自分の子ですら、何年生なのかもよく知らないくらいなのが、一般の父親であって、これが教育荒廃の一番の原因かも知れない。
こういた場合はもう宣伝しかないと私は考える。一応はオヤであれば、興味はないわけではないのに、それが行動に繋がらない。頼まれれば嫌とは言わない良い人ばかりなのに、である。情報がうまく伝わっていないのではなかろうか。うまい具合に宣伝してみては、このHPなど一連の試みものなどは、そのためのもので、何か少し変化が生まれているようにも感じたりしているところ。

君がさやけき目の色も、君くれないのくちびるも、君がみどりの黒髪も、またいつか見ん、この別れ。
藤村だったか、何かそんな歌詞もあったような−。
しかしそんなことですので、残念にも小さ目にアップしておきます。
せっかくのベッピンさんですが、圧縮率をあげてぼかします。

私の息子は一つ下の5年生、ここでは感じないのだけれども、6年生は少し違っていて、男に興味がある、−ように私は感じる。大人になってきていて彼らが必要とするものが違ってきている、より成長してきていて、より大人的なものが必要となってきているのように思われる。
自分のおとうちゃんを見るような同志を見るような親しみと喜びの目がある。友達を見るような先輩を見るような、わっうれしいわというような特に男の子がそんな目をする。下の学年の子はこんな目はしない。
学校は女の先生ばかりだし、PTAも性別が決められている部門もあるが、それても意外とそうだし、家へ帰ってもおとうちゃんの影は薄い。何も女では悪いとかいうのではないが、彼らにはどちらも必要なのであって、彼らの日常的な生活の中のどこでも、男性要素が不足してきて男性ビタミン欠乏状態のように思われる。おかあちゃんへ丸投げしてないで、おとうちゃんもより多くその役割を果たしてもらわなければならないように思われる。5対5にしろ、とまでは言わないがせめて実質7対3くらいまでには男性数を増やせたらと願う。
この子たちは次のステップへ進むべき時期のようである。







              




(参考資料)
 『京都新聞』(2010.2.15)の「子どもの作品」欄

 一生懸命やるという事  舞鶴・与保呂小  6年 白木千夏

 もうすぐ小学校を卒業します。六年間をふり返ると色々なことを学び成長できたと思います。中でも何事にも一生懸命に取り組むことの大切さに気づきました。それに気づけたのは、四年生の運動会での出来事です。
 運動会は何事もなく進み無事に終了。私達の黄組は残念ながら三位になってしまいました。反省会ではリーダー達が順番に感想を言いました。私は感想では「残念だった」と言ったけど、本心は別に運動会くらいで三位になったってどうでもいい、という気持ちでした。でも団長は私とは気持ちが違いました。感想の途中で団長は泣いていました。それは多分一生懸命やったのに叶わなかったのがとても悔しかったからだと思います。団長の言葉から団長の気持ちがすごく伝わり、私が適当な気持ちでやっていた事は、すごく失礼な事だったんだな、と思いました。そしてそんな風に何事にも一生懸命に取り組む姿を「かっこいい、私も見習いたい」と思いました。
 それから二年たった今、私達は六年生になりました。六年生では、学校行事の準備や進行などを任されるようになり大変な事が増えました。でも一生懸命にやると、大変だけど、楽しんで出来るようになりました。みんなと力を合わせて一生懸命やると、自信や思い出ができ、友情が生まれます。また、達成感や喜びも感じられて意味があるものになります。
 私は、これからも一生懸命に取り組んで一秒一秒を意味のあるものにしていきたいです。そして、楽しい思い出を沢山作って、自分や、自分が過ごした時間を誇れるような人になりたいです。

【評】体験を通して気付いた事を豊かに表現できました。一生の宝物です。

6年生のクラスルーム
↑↓ある日の六年生の教室。
6年生のクラスルーム

↓学級通信の一部。
学級通信の一部

memorial orgel boxes

caption
↑作品展。宝箱には何が入ってるのでしょう。もしワタシならば−、
アナタならたぶんお金を入れたりして−




              


 与保呂小学校のユニーク行事。どこの学校にも負けないと自負するもの。何か取り上げようがないのかと検討中とか。
当HPでも取り上げておきます。

↓インターナショナル与保呂フェスティバル(この動画は何故かよくヒットします)


↓門松づくり





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ロシア艦隊入港
世界の美女たち
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