湊十二社の扇踊り
(舞鶴市神崎)(平20)
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(案内)毎年10月中旬の土・日。地図の示す位置です。駐車場は突き当たりの浜辺のものがあります。本祭は午後2時くらいから、宮入が始まります。



湊十二社祭礼の様子はすでに書いていますので、そちらも参照して下さい。デジタル民間伝承の森・湊十二社祭礼

祭は昨日から続いているのだが、本祭は宮入り東西屋(とうざいや)」の少年を先頭にして、「お宮入り」ではじまる。
めでたいまつり日にふさわしい最高の祭日和になった。
烏帽子に裃姿の少年、小2だそうだが、カッコいい晴れ姿。
歩き方に特徴があって「ノッシノッシとおおまたに」というのか、地を踏みしめ、周囲の邪鬼を吹き飛ばすような独特な歩き方で精一杯気合いを入れてやって来る。彼の後には西と東の神崎の御幣(ごへい)傘鉾(かさぼこ)猩々緋(しょうじょうひ)毛槍(けやり)が従い、さらに太鼓屋台2機などがぞろぞろ…と続いている。この歩き方は、その年の子供によって毎年多少異なっているように見える。

↓今年は、ギャラリーもかなり多いような、カメラもずいぶん多いような気がする。気がするというより絶対に多くなっていると思う。
私はスチルもムービーも一人でやるのだから大変。どちらもいい加減なことで申し訳なし。




→東郷平八郎元帥の筆になる「湊十二社」の神額のある大鳥居を入り、境内に入ってくる。鳥居の神額
繊細な方の神経の持ち主ではなかろうか。クソ図太い大将という人ではないような字に見える。

宮入り














               


湊十二社本殿前は20畳の石畳になっていて、ここで「扇踊り」が奉納される。
それに先だって、子供達による「練り込み太鼓」の奉納。

襦袢姿の子は大きい、というのか小6、5。横にいる青ハッピ姿は小4か3くらいである。9月から毎日、太鼓の練習をしてきたそうである。「毎日だよ。ホントに毎日だよ。だからたまに何かお菓子でも差し入れいてやるのよ」との話であったが、たしかにバチっと揃って気合いが違う。
村人たちの心のありよう次第、気合い次第で子供達もずいぶんと変わる。鏡のように郷土人の心を写し出すものと思われる、自信に満ちているな。

練り込み太鼓




練り込み太鼓
一年見ない間にみんなずいぶんと大きくなって、しっかりしてきた。見間違えたからね。


               


「扇踊り」が始まる。最初は「お庭入り」と呼ばれる。

ござれ ござれ まゝよにござれ
 十五夜お月のそのまゝに ヤーハ


と歌われている。
この歌詞から見れば、昔は、というのか本来は、この時期の十五夜の満月の夜に、この祭礼がとり行われていただろう、と想像できる。
月夜につられてついつい浮かれ出てしまいそうな節回しでもある。

お庭入り




                



東西屋の口上。

踊り手の一番後に控えている東西屋にシンポチが呼びかける。

東西 ござれ はよござれ やよござれ


東西屋の口上

東西屋の口上東西屋の口上。

東西、東西、南北とも静まり候、
今日、日柄、吉例をもって、
湊十二社大明神様へ、
笹ばやしの踊り、ひと踊り奉り候

みなみな様 ごゆるりとご見物
なされ候 なされ候



続いてシンポチの口上

みなみな様 ごゆるりと見物
なされ候 なされ候




                 


神楽踊りと室町踊り
シンポチの口上、

さぁて姫子たち姫子たち
神楽踊りでござるぞや
神楽踊りの音頭をだしゃしゃれ、
太鼓はひょうし 踊りはかしら
中にてシンボチ 合わせ申し候


神楽踊り、室町踊りと続いていく。

神楽踊り

踊手と太鼓手とシンポチとギャラリーの恍惚の瞬間を捕らえたいワケであるけれども、すべてが揃うのことはそう多くはない。
カメラマンだって大汗ダラダラでチャンスを追う。全部で30分ばかりだから、必死の思いで写しているのである。踊るアホウに撮るアホウ、同じアホなら…、踊らな損、損…、とそんなワケにもいかない。








                


ギャラリー

(ちょっと考察)








さぁて姫子たち姫子たち
神楽踊りでござるぞや
神楽踊りの音頭をだしゃしゃれ




さあて姫子たち 姫子たち
室町踊りでござるぞや
室町踊りの音頭をだしゃしゃれ


このようにシンポチは呼びかけるわけであるが、それに応えるはずの姫子たちの音頭はない。
ない、というのか、今はない。

神楽踊りは一踊り
 こなたへ参りておもてがかりをながむれば
  こなたへ参りておもてがかりをながむれば
 障子のひだの見事さよ
  鏡天井は やりャ見事
   鏡天井は やりャ見事



本殿前に張り出されている歌詞
「あの歌はねシンポチが歌うもんなんや、踊手は歌わんでもええもんなんや」ということであり、今はシンポチが歌うものだという。(神楽踊り、室町踊りで歌われる歌詞はすでに引いているので、そちらを参照。デジタル民間伝承の森・湊十二社祭礼」)

しかしシンポチの口上から考える限りは、恐らく、「姫子たちの音頭」が本来は存在したはずと思われるのである。そうでなければこんなことはいうまい。
シンポチの口上は、古くから伝わるセリフのそのままに言っているものと思われる。何代にも何代にもわたって、何百年の間、シンポチたちは自分の先輩から伝えられた口上をそのままに繰り返してきた、途中での勝手な変更は許されなかったと思われる。しかし現実の祭は時代によってある程度は変化も余儀なくされた。伝統で受け継がれている口上と実際の現実の祭の内容とが合わなくなってきている、ことになる。
従って口上を分析すれば、この祭の過去が見えてくる。
シンポチの口上から判断するならば、過去は姫子たちのバック・コーラスがあって、その歌声に合わせて太鼓が叩かれ、踊りが舞われ、シンポチがそれらの総指揮を執っていたと思われる。

満月の夜の明明と篝火燃えあがる神域で、着飾った姫子コーラスの美しく響きわたるなかでの祭典であったと想像できるのである。想ってみれば、なかなかに妖艶な背筋がゾクゾクしてきそうなものであったかも知れない。

コーラスグループと呼べるほどの組織だったものではなかったかも知れないが、少なくともギャラリーの女性たちのナマの肉声も、欠かせない祭の構成要素の一つであったと思われるのである。
今はそのような記憶すらも伝わらないようで、たぶん何時の世にか禁止されたのではなかろうかと想像する。あまりにも華美で贅沢であでやかがすぎるぞ。姫子コーラスは禁止じゃ。夜祭もだめじゃ。そのようなことがあったと記憶に残すこともあいならん。とか。
しかしシンポチたちは後世に伝えたのである。このようなかたちで何とか過去の栄光を伝えてきたと想像するのである。

いつの日にか、姫子コーラスの復元されることを、私は今からゾクゾクして待つのである。







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