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虫送り行事:(与保呂地区)

虫送りの松明行列(舞鶴市与保呂)

虫送り(舞鶴市与保呂地区)

7月11日 松明行列は午後8時出発



↓ここは日尾池姫神社の境内。地区の一番奥、欅などの大木の「鎮守の森」「千年の森」の前広場。与保呂川の上流域に常・木ノ下・与保呂と3地区あり、それぞれに公民館前などに集合して、松明行列をし、最終的には学校前・育苗センターで合流する。
与保呂でも一時途絶えていたものであるが、復元されて、近頃はどんどんと盛大化している。
虫送りとか虫追いと呼ばれ、以前は全国のどこでも盛んに行われた行事であったが、今は丹後ではここしか残っていないのではないのかと思う。
科学的には恐らく何の効果もないであろうが、地域の伝統民俗的娯楽行事として生き残ったのであろうか。
虫送り行事(舞鶴市与保呂)


虫送りは、稲などにつく病害虫を追い払うための儀礼であった。村単位で行われる重要な共同祈願の一つであった。だから全員参加。
特に説明も不要かと思うが、虫送り:鐘と太鼓虫送りの丹後丹波型は、
『舞鶴市史』に、
虫送り
七月十日すぎ、すなわちズイムシ(吉坂ではゼントクムシという)の最も発生する時期の夕方に、稲の虫送り、虫供養といって、村中あるいは小学校児童がおのおの松明をともし、鉦・大鼓・柏子木・笛などをたたいたり吹いたり、また「なんにもかもかいさらえて、稲の虫送ろやい」(大波下)とか、「稲の虫送れ、オキの島まで送れ」(与保呂)と大声で唱えながら、田圃道を回って村外れまで行進した。
 朝来地区では三日間にわたり、上の村からそれぞれの村境まで次つぎに虫送りし、最後は浜へ送り出した。下漆原では、七月十二日の昼間に、村民は麦藁で造った船を二人でさし合い(担い合い)、他の人たちは虫にやられて株の元が赤くなった稲を抜き取りながら、奥より下がって村端まで行き、集めた稲株は川へ流した。
 なお、吉坂・小倉・田中では六月に個々の家で、大根の葉につく虫の供養として、大根畑で「びっくり虫送ろや」と唱えたという。
『大江町誌』は、
虫送り
 農薬のなかった昔の米作にとって、虫害は旱害と共に大きな悩みであった。虫送りは、虫害を悪霊のしわざと考えたところからはじまった風習である。大正中ごろまで行われていたが、古い形を残していたのは、村中氏神に集まり、藁で馬の形をつくり、イナゴをフキの葉で包み馬の中に入れ、竹の先にかざし小太鼓を叩きながら「イナムシおくり、どこまでおくった 京の町までおくった」といいながら村境まで歩いた。(北原・橋谷・仏性寺)このうち仏性寺では、旧暦六月七日が虫送りの日とされ、作法は同じであるが、仏性寺は牝馬をつくり、真井野は牡馬をつくり、太鼓を叩きながら、三ヶ所の橋のたもとで馬をけんかさせ川へおさめたという。ここ仏性寺では、昭和三十年ごろまで虫送りが続いていたという。害虫の霊に祈願し藁人形に人の世界からつれ出してもらおうという発想のようである。
 やや簡略化したものとして、青竹を割って作った大きな松明を手にもって、村中総出で集落を上から下まで太鼓を叩きながら「イナ虫おくるぞ」と叫びながら、下へ下へとねり歩いた。竹の先に馬を下げ、自分の田より下へ流したなどがある。時代が下ると、区長など地域の代表が、元伊勢内宮や氏神へいって、虫送りのお札をもらってきて田のふちに立て、イナムシおくりの日として、その日は休んだといった形になり昭和十年代まで続いていた。
『大江町風土記2』は、
稲虫おくり −毛原部落−
五月二十四日は夏まつりで、ぼくの部落では、古いしきたりになっている稲虫おくりの行事があります。
 その日は、村の人たちがお宮さんに集まって、若竹のさきに麦わらでつくった馬をつけ、氏神さまにまつっておきます。それから稲にいる虫をつかまえてきて、フキのはっぱにつつんでぶらさげ、宮さんにお参りした人たちが大ぜい、ぞろぞろ虫を村はずれまでおくっていきます。
 ぼくは、こんなことで、虫がおらなくなるとは思いません。それに大人の人たちは、昔からつたわっているしきたりを、いまもやっているのです。    (物成小5 水口旭夫)

虫おくり
 いねに、たくさんの害虫がやってくる八月になると、昔は虫おくりということをしました。
 村中そう出て、たくさんのたいまつに火をつけ、
「いねの虫、おくるぞう。」
と、たんぼをよぼりながら、村ざかいまで虫おくりしたそうです。
 アラスの人は、ドモトの公会堂のあるところまできて、タイマツをすててかえります。すると、ドモトの人は、そのあくるばん、五日市のしもまて。五日市の人は、有路の村ざかいまで、虫をおくっていったそうです。
                 (有路小4 倉橋 治))

『北桑田郡誌』は、
…鶴ヶ岡村の上ヶ松に比すべきものに、他の村々に於て稲の虫送りあり、上ゲ松を行ふ頃松明を点じて稲田に出で、之を立て不夜城の美を現ずることあり、神吉村に於ては京都東山の大文字に擬して山に塔形の点火を爲すことあり、何れも火を聖霊に献ずるの儀を兼ねたりと見るべし。

日尾池姫神社(舞鶴市与保呂)
←氏神様の日尾池姫神社

お灯明が上げられていた。










虫送り:手作りの松明
←手作りの松明を持って集まってくる。
松明のすごい力作はだいたい子供製である。


古い竹を束ねて松明として、それに工夫をこらした飾りが付けられる。





虫送り:手作りの松明
←大人たちも松明を持って集まります。











虫送り:手作りの松明
←力作はやはり子供製と思う。
ここの近くに保育園があるが、そこの園児達製が特にすごい。
十字架型で、なんぞのホラー映画の影響かと思われるようなものも多いが、すごい発想と労力がおしげもなく投入された超力作がそろう。





虫送り:手作りの松明
末は芸術家か職人か。
それともホラー映画のプロデューサー。











虫送り:手作りの松明虫送り:手作りの松明


虫送り:手作りの松明


天気が良かったということもあるかも知れないが、松明が今年(2008)は多かった、と思う。
さらに予備の松明もちゃんと作られていて、松明がない人はこれをもらえばいい。興味のある方はぜひどうぞ。

私も作ろうとしたのだが、竹がない、山へ行って取ってくればいいかも知れないが、うまい具合の枯れた竹などがあるものかどうか、それよりも勝手にシッケイすれば窃盗になるかも。
大都会暮らしをしていると、こうした時に弱る。コンビニに売っている物でもない。これを一本もらうことにする。



虫送り:表彰
←良い松明は主催者より表彰していただける。
何が良いかは別に基準はない。その時の気分と本能次第とか。

だが慎重に審査選考。







虫送り:表彰
←松明名人の作品

確か昨年も表彰されました。










虫送り:表彰式←いいのが出来れば賞品がもらえるかも、頑張ってつくりましょう。よい賞品がもらえます。上位3本くらいです。

これキミのんか
そうや
上手にできたな、ホービや
ホンマぁー
その他の全員には参加賞がもらえます。




8時、花火を合図に松明行列が始まる。松明に火をつけて。

虫送り:出発虫送り:点火虫送り:点火






虫送り:点火




虫送り:点火
↑息子に隣のベッピンは誰だと問うと、「学校の先生や、名前忘れた」という。頼りないやつめ。(縁は異なものかも。息子は4年生。暗くわかりにくいが、やがて5・6年を担任してもらうことになる先生の様子。)


前年みかけたのだが、今年は国際色豊かなメンバーたちの姿はなかった。


稲の虫送れよー。あるいは、稲の虫送ろよー、と聞こえる。
松明行列の沿道には暗い道を照らすための松明がすでに点々と灯されている。
虫送り:松明行列


虫送り:松明行列


虫送り:松明行列

カメラが超高感度になって、しかもノイズなしの上に、さらに手振れ防止装置までついている。大いに助かる。もしカネがあればの話ではあるが、よい世の中になったものと思う。
これくらいの光で昼間のようにすべて三脚なしでシャッターが切れる。少し以前まではこんな写真はまず無理だった。

(参考)

『舞鶴市史』
娯楽 村々の娯楽について、幕藩は厳しい規制を行った。その理由は、特に、芝居同様に人を集めて演じる遊芸・歌舞伎・浄瑠璃踊り類が、百姓を遊興にふけらせて惰弱にしてしまい、そのため耕作がおろそかとなって荒地が多くでき困窮、その果ては一家離散にいたるというのである。寛政十一年に幕府はこれらを禁止したが、さらに、近来は在々で神事祭礼の節や虫送り・風祭りなどと名付けて、見物人を集め芝居見世物同様の催しをしている由で不埒である。今後、芸人を決して村へ立ち入らせてはならないと、天保十一年十月、再度禁令を全国に布達している。これは同年十二月に当藩の各村でも順達されている(「御用触附帳」安久家文書)。
当藩における娯楽の規制例を拾っていくと、安永七年十二月、第五代藩主惟成の寺社奉行加役中は相撲・富興業を禁止(「御用触附帳」)、天保二年八月、右記幕府禁令の芝居同様の催しを禁止、ただし、神楽・笹踊り・振り物は許可(「御用書附留帳」)、天保十年九月、池内谷での狂言様催しの風聞に対し警告(「御用附留日記」)、翌十一年三月、狂言様の芸を催した今田村百姓らを呼び出し取調べ(「御用触附日記」)、などがある。…
盆踊りは、天保八年・九年が飢饉さなかと直後ということで、藩庁は両年については停止を仰せつけた(「御用日記帳」、「御用触附帳」)。そのほかの年では、例えば、文政十二年七月に思い付きの浴衣や頭巾(「御用触附帳」)、天保二年七月に浴衣・絹羽織・足袋(「御用書附留書」)、のそれぞれ着用を差し止める程度の規制であったようである。なお、天保四年七月、虫送りに大太鼓を使用することを禁止している(「御用日記帳」)。…


『定本柳田国男集』「神送りと人形」
蟲 送 り
 村から最も頻繁に、又熱心に送られるものは害蟲であった。今から考へると不思議なやうだが、是には僅々百年前までは他に一つの駆除法も無かったのである。
 ムシオクリ といふ語は方言とも言へないほど、全国に知れ渡って居るが、其方式に就いては可なりの異同があり、期日の如きも遠州磐田郡では、毎年二月八日、即ち蟲のまだ出ない季節に行ふ土地もあれば(土の色三巻六號)、他の多くの土地では夏の土用の始め、もしくは田植終って若干日の後を期して必ず行ひ、村によっては蟲が発生して気遣はしい年だけに、危険を見かけてから執行ふ處もある。藁人形を作らない土地も東の方には多い。西では広い区域に亙ってサネモリ送りといふ名があり、其人形を斎藤實盛だと謂って居る。其點は自分も早く報告し(郷土研究二巻三號)、又此篇にも掲げるつもりであるが、是にも各地方の少しづゝの差異がある。たとへば同じ播磨のうちでも自分の生まれた中央部では、人形は一つしか作らぬのに、東の二郡では三つ作って、馬に乗らぬ二つを家来だと謂って居る(加東郡誌等)。さうかと思ふと美嚢郡の大野村などは、實盛人形はたゞ一騎だが、是には實物の害蟲を芋の葉に包んで、必ず其馬に括り付けて送るといふ(兵庫悪民俗資料十一號)。さうして鉦太鼓で送って行く囃し詞は、
    實盛さんはゴショライ
    宿の蟲はおともせ
といふのださうだが、私たちの「稲の蟲」には、實盛さんは御上洛と謂って居た。同じ中国でも備中あたりの蟲送りには馬には乗せずに人形を二つ筵製の舟にのせ、食物を副へて送って川へ流すものもあった。
ムシママリ 岩手県遠野地方の例では、蟲祭といふのが蟲送りのことであった。期日は旧七月中で、藁人形はたゞ一体、其行列の唱へごとは、
   何ものを祭る
   當作蟲をまつる
といふので(人類学雑誌三四巻九號)、實盛といふ名は此辺では知らない。蟲祭といふ語は別に冬季の蟲供養をいふ處もあるが、信州などではウンカマツリ、又ムシマツリといふのが蟲追ひの火行事のことであった(郷土研究一巻二號)。
 ムシオトシ 九州では天草地方などに、又蟲落しといふ名もあった。高浜村では稲の花咲く頃、笹を立てゝ貝を吹きつゝ村の境まで送って行くのをさう請って居る(天草島民俗誌)。笹だけを立てゝ人形はこしらへなかったものと見えるが、さういふ例も他の種の神送りにはあるのである。
 ウンカオクリ 信州でウンカ祭の名が有るやうに、これに接する三河にも美濃にも、ウンカ送りといふ方が蟲送りよりもよく知られて居る。但し三河の方は松明と火を中心とし人形は用ゐぬらしき(三州横山話)に反して、美濃では三つの人形を作って送るものがある(民族三巻四號)。さうして前者はまだ送りのすんで居らぬ隣村の境まで送って行き、後者では、
   うんかの神送れ
と唱へつゝ、送って行く方角は御鬮によってきめるといふ例もある。
 アマコオヒ 岡山縣勝田郡では、アマコオヒといふのが蟲送りのことである。六月中に日を卜して、先づ神社に於て祈祷を行ひ、多く紙の幣を作って村人に頒ち、之を打振りつゝ太鼓を鳴らして田の間をめぐらせ、最後に村境に達して其幣を挿して帰って来る。日中だから矩火は無いのである。その行列の唱へごとは、
   アマコどのは京入り
   あとの日には栄えた
といふとあって(郡誌)、是も一種の實盛のやうに聞えるが、こゝでは人形はこしらへぬらしい。アマコ殿は恐らく蝗蟲を崇敬して謂ひはじめた語であらう。
  テンノコムシ 遠州の周智郡では、蟲送りをさう呼んで居る村もある。是も何か唱へごとの詞から出た名と思はれる。
  ウジキタウ 長門相ノ島では、粟にウジが附いて難渋の際ウジ祈祷と称して藁人形のサネモリサンを作り、鉦太鼓で畠中を巡って後に、その人形を海に流す。祈祷には天台宗の琵琶僧が参与するといふ(桜田君)。このウジは、たゞ蟲の訛語で蛆では無いやうである。
  ハスベェムシ 福島県石城郡なども、以前は田植あがりの休日に蟲送りをした。麦でも人形も松明も無かったやうだが、次のやうな蟲送り歌がまだ記憶せられて居る(郷土研究四巻二號)。
    稲さし蟲も送るよう
    ハスベェ蟲も送るよう
    青蟲も送るよう
    蟲だら何でも送るよう
 青蟲といふは稲尺蠖、イネサシ蟲は螟蟲、ハスベェは稲苞蟲即ち斜這ひであらうと思ふ。
  ヒオクリ 紀州の東牟婁郡では、蟲祭をウガ送りともいふが、又火送りといふ村もある。即ち麦では松明をつけて夜送るのである。那智村などでは蝗蟲を竹筒に入れて酒に浸したものを、松の葉で作った小さな輿に載せて送るといふ(郡誌)。人形は全く用ゐて居ないやうである。
  オヒムカヘ 東三河の村々では、蟲が出ると遠州秋葉山に参詣して神火を請ひ受けて来る(昔日譚)。さうして此火を松明に移してウンカ送りをするのが例であったらしい。



↑平成20年の記録

 

平成21年の虫送りの様子





虫送り:村人が集まる

虫送り:どちらかと言えば子供の行事のようになっている

虫送り:優秀作の選考

虫送り:表彰

虫送り:こんな子供達三名が表彰された

虫送り:残念、選に漏れても参加賞がもらえる

虫送り:参加賞はエヒセンや花火のよう

虫送り:大事な道具。太鼓と鉦

虫送り:松明のない人のために。小さな子には重い。

虫送り:点火。熱いので手袋などしているといい

虫送り:行列開始。逃してなろかとカメラマンが待ち構える

虫送り:羽賀橋を渡って行く

虫送り:村々に禍いなすものどもに呪いあれ!(レーピンの名画のような)

↓これは木ノ下か常の様子、








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