朗栄山 常真寺 縁起

宗旨 日蓮宗                  

山号 朗栄山(ろうえいざん)

寺号 常真寺(じょうしんじ)


縁  起

 当山は、天文五年(1536)室町時代後期に創建されたと伝えられております。開山は日蓮宗 大本山 池上 本門寺(東京大田区)第九世東照院日純聖人です。この地域は農村地帯で小田原城 北条氏康の家臣冷木信栄 鈴木(冷木)院日信の協力に依るものとされています。
450年を超える歴史の中、記録があるのは元禄時代に本堂建立(現在解体)・仏像の建立(平成15年修復)となっており、戦後迄大きな変革もなく近隣の農家の方に護られてきました。
 戦後は、農地解放により寺領数万坪の農地が解放され、寺領が約1400坪あまりとなりました。
農地解放により住宅が造られ、高度成長期に伴い横浜のベットタウン化によりたくさんの人が各地より移り住んできました。
昭和14年檀家数約40戸から昭和50年檀家70戸となり平成15年には、檀家400戸・信徒数百戸となりました。
昭和50年に四十三世日隆入寺以降益々の宅地化が進み檀信徒増加に伴う境内整備が行われ、隣接小学校移転に伴う学校用地の返還により寺領2400坪となり、墓地の造成・客殿新築・納骨堂・動物納骨堂建立され、立教開宗七五〇年を記念して平成十五年本堂の建て直しが完成しました。新本堂落慶の際に四十三世日隆は退寺され、現在は、四十四世日潤代となっています




 ●四十二世 海長 日広代(昭和十四年から昭和五十年)

立正中学・祖山学院(身延山)にて修行を積み昭和十四年常眞寺住職となるも、太平洋戦争に2度出兵、戦争に翻弄される、戦後は教員として、新田小学校、浦島小学校にて教鞭をとり、川崎 津田山駅(南武線) 礼拝堂(現 慈照寺)を開堂、深川宣明院住職拝命、妻 育子に留守を任せ三ヶ寺を飛び回る生活を続け、一番弟子(長男)に常眞寺を譲り・二番弟子(次男)に宣明院を譲り、礼拝堂興隆に努める。その後礼拝堂は弟子達により、寺号公称 慈照寺となる。現在慈照寺隠棲し秀隆弟子次男の秀岳が住職となる。波瀾万丈・八面六臂

 

 

●四十三世 秀隆 日隆代(昭和五十年から平成十五年)五十九才にて隠棲

 

客殿 日蓮聖人七百遠忌報恩事業として昭和56年に四十三世日隆代に建立

納骨堂 平成7年 永代供養・一時安置の為に四十三世日隆代に建立

動物供養塔 平成11年 動物の永代供養納骨堂 四十三世日隆代に建立

本堂 立教開宗750年の報恩事業として平成15年に四十三世日隆代に建立

常真寺周辺近代史にあるように、横浜市の市街化や宅地化により四十三世日隆代にて周辺の住民が著しく増加し、檀信徒数が約十倍に増加しました。必要に迫られ、墓地造成・客殿建立・本堂の建て直しと工事も続き、昭和五十五年には、隣接の新田小学校に100年間貸していた土地(約千坪)も返却され敷地も約2400坪となりました。駐車場も約80台を整備し四十三世代は、大変革の代となりました。

住職在位三十年になり、一代にて行う事業を遥かに超えて邁進した為、余生を後進の指導と諸国各寺院見学し研鑽に務めるべく隠棲しました。

 

●四十四世 日潤代(平成十五年より)

 現在の住職が四十四世です。