赤池城(あかいけじょう)/形式・・丘城/人吉市赤池原町 字城山/城主・・斎木但馬守(1451年、相良氏に攻められ落城、逃れるが自害)→相良氏の属城
大村平家城(おおむらへいけじょう)/形式・・丘城/人吉市願成寺町 上ノ寺/相良家の墓地あり
大畑城(おこばじょう)/別名 おこはの城/形式・・山城/人吉市大畑麓町城山/城主・・相良氏
人吉城(ひとよしじょう)/別名 相良城・繊月城・三ケ月城・涅槃城/形式・・平山城/人吉市 字麓町/城主・・相良氏(平安末期から続く歴史のある城。平安末期、この城は平家の平頼盛の管理下にあり、矢野主馬助が代官を勤めていたという。1198年、鎌倉幕府の命を受けて下向してきた相良長頼に城を明け渡す様に説得を受けるが、主馬助はこれを拒否した。そのため長頼に殺された。以後、ここは相良氏の城となる。戦国期、江戸期を通して相良氏が城主。明治時代に至った。)
人吉原城(ひとよしはらんじょう)/形式・・館/人吉市麓町 字原城/城主・・不明
矢黒城(やぐろじょう)/形式・・丘城/人吉市矢黒町西ノ園/城主・・桑原氏
球磨郡(くまぐん)
内城(うちじょう)/形式・・山城/球磨郡多良木町黒肥地 字土屋/城主・・相良頼景?
奥野城(おくのじょう)/形式・・山城/球磨郡多良木町奥野 字城山/城主・・奥野氏(上相良家臣)
久米城(くめじょう)/形式・・山城/球磨郡多良木町久米 字今山田、その周辺/城主・・久米三郎(建久年間、この地の地頭であった) 戦国期には上相良氏が在城し、永禄年間には湯前氏が居城か)
相良頼景館(さがらよりかげやかた)/館/球磨郡多良木町黒肥地 字蓮花寺?/城主・・相良頼景(上相良氏の祖。源頼朝に仕えた)
里の城(さとのしろ)/館/球磨郡多良木町多良木 字里の城/城主・・不明
鍋城(なべじょう)/別名 鍋倉城/形式・・山城/球磨郡多良木町黒肥地 字鍋城/城主・・上相良氏(人吉の下相良氏とは別流。1443年、上相良の頼観(よりみ)・頼仙(よりひと)兄弟は、下相良で当主・相良前続が死亡し、まだ幼い尭頼が当主となると、1448年に人吉を襲撃。尭頼を追放した。しかし、山田城の永留長続によって人吉城を落とされ、久米城を攻撃。援軍にきた頼観・頼仙兄弟を討ち取った。また、尭頼が菱刈で死去したので長続がこの所領を継いだ。1545年には、相良宗家に対し謀反を企んだ相良治頼がこの城を拠り所にしようとしたが、城主・税所源岳衛尉に入城を拒まれ敗走した。また、1581年、相良義陽が戦死した後、その後継の座を狙った相良頼貞に、この地の地頭・岩崎加賀守が協力している)
岩城(いわんじょう)/別名 木上城・木枝城・一武城/形式・・山城/球磨郡錦町木上 字岩城/南北朝時代には争点の一つであった。後に相良氏の城。相良家臣・犬童氏が居城した。1524年、相良長定が相良家当主・長祗を人吉から追放し、長祗の庶兄である義滋に討たれる事件の際、長定に協力した犬童氏一族はほとんど殺され、この城の犬童美作守重安は自害させられている。その後も相良氏の城として機能した。
土屋城(つちやじょう)/球磨郡錦町一武 字城/城主・・土屋氏?加藤氏?
錦蔵城(にしきぐらじょう)/球磨郡錦町木上 字蔵城/城主・・不明 錦町立木上中学校の敷地内
あさぎり町(あさぎりちょう:球磨郡免田町・岡原村・上村・須恵村・深田村)
永池城(ながいけじょう)/形式・・館/球磨郡あさぎり町免田西 字浜殿/城主・・柏木寛左衛門
岡本城(おかもとじょう)/別名 小鷹城/形式・・山城/球磨郡あさぎり町岡原/城主・・岡本頼春(天文年間の城主。沙弥洞然(長国)の子。1557年、上村頼興により殺害される)→稲留長蔵(頼興の子。城主となるが同年、上村三兄弟の乱で落城)
左近城(さこんじょう)/形式・・丘城/球磨郡あさぎり町岡原/城主・・相良長続
宮原城(みやはらじょう)/形式・・山城/球磨郡あさぎり町岡原(宮原)/城主・・不明
上村城(うえむらじょう)/別名 麓城・亀城/球磨郡あさぎり町上(麓)/城主・・上村氏(相良家一族)。戦国期には相良本家と養子縁組が盛んであった。上村頼興の子、晴広・頼孝・頼堅・長蔵の内、晴広は相良家当主・義滋の養子となり(義滋が謀反人・相良長定を討った時、頼興は晴広に相良本家を継がせる約束を迫った)、上村家は次男・頼孝が継いだ。しかし1557年、頼興が死ぬと頼孝は弟である頼堅・長蔵らを誘い謀反。だが相良義陽に敗北し、最期は水俣城で自害となった。その後は豊後から帰参した犬童伝心が還俗し美作守頼安と名乗って相良氏に仕え、ここと水俣城の城主を兼ねた。
永里城(ながさとじょう)/形式・・山城/球磨郡あさぎり町上(永里)/城主・・藤原秀高・岡本氏・落合氏ら
今村城(いまむらじょう)/球磨郡あさぎり町須恵(今村)/城主・・不明
須恵館(すえやかた)/形式・・館?/球磨郡あさぎり町須恵(古城)/城主・・不明
須恵村砦城(すえむらとりでじょう)/形式・・山城/球磨郡あさぎり町須恵(城ヶ尾)/城主・・不明
高山城(たかやまじょう)/形式・・山城/球磨郡あさぎり町深田東 字高山/城主・・平河盛高
深田城(ふかだじょう)/形式・・山城/球磨郡あさぎり町深田西 字城/城主・・平河師高
原田城(はらだじょう)/形式・・山城/球磨郡球磨村渡 字西門/南北朝時代(1340年6月20日)、少弐頼尚らがここで戦ったという。
渡利城(わたりじょう)/形式・・山城/球磨郡球磨村渡 字城山/城主・・不明
川辺城(かわべじょう)/形式・・山城/球磨郡相良村川辺 字城の上/城主・・不明
柳瀬蔵城(やなせぐらじょう)/形式・・山城/球磨郡相良村柳瀬 字蔵城/城主・・不明
柳瀬城ヶ峯城(やなせじょうがみねじょう)/形式・・山城/球磨郡相良村柳瀬 字城ヶ峯/城主・・不明 砂利採取のため破壊されている
柳瀬平家城(やなせへいけじょう)/形式・・山城/球磨郡相良村柳瀬 字沖原/城主・・不明
四浦平家城(ようらへいけじょう)/形式・・丘城/球磨郡相良村四浦 字舟渡/城主・・不明 砂利採取のため破壊されている
万江城(まえじょう)/球磨郡山江村万江 字城の内/城主・・不明
山田合戦峰城(やまだかしむねじょう)/形式・・丘城/球磨郡山江村山田 字本城の周辺/城主・・不明
山田城(やまだじょう)/形式・・山城/球磨郡山江村山田 字城山/城主・・平河氏→永留氏(相良一族。相良氏の肥後入国後、城主となる)