房総風土記の丘
竜角寺古墳群
印旛沼北岸の台地に6世紀に入ってから造られた百数十基の古墳が群集しています
7世紀に入ると、終末期の大方墳が作られ、白鳳寺院もこの地に建立されます

案内図は右が北となります

看板にあるとうり、敷地内に古墳がゴロゴロしてます

所在地・・・千葉県印旛郡栄町竜角寺
ツーリングマップル関東版 P41-C4
龍角寺 101号古墳
円墳 主軸長 30.5m 二重周溝 6世紀初頭

円墳に復元された101号墳 (周溝と埴輪列も復元されています)

この古墳群でもっとも古い時期のものといわれています。

常総型古墳

6世紀に作られたこの古墳は、墳頂の埋葬部(木棺)の他に墳丘裾に絹雲母片岩の箱型石棺が二つ埋葬されています。

埴輪は、円筒・人物・動物・家型などを持ちますが、器財埴輪を伴わない。

古墳規模は、この龍角寺古墳群でも最大66mという小型のもの。

この様な横穴式石室を持たない古墳を常総型古墳と呼び、その存在が6世紀代の常陸・下総地域の特徴となります。

全国的には前方後円墳の築造が減少に向かう6世紀に入ってから爆発的に前方後円墳が作られるという特異な現象が現れました

浅間山古墳
前方後円墳 主軸長70m 高さ7m 横穴式石室

竜角寺111号古墳。 この古墳群最大で最終期のもの・・7世紀初頭のものとか。

この古墳群でも他の地方と同じ時期に大型の前方後円墳の造営が終末します。 全国の前方後円墳の造営を同時期に停止(関東は20年程度遅れる)させた大和政権の強大さが想像されます。

岩屋古墳
方墳 80×80m 高さ12.4m 3段築造 7世紀前半の築造

3段築造の中段部に立って撮影

古墳群のもう一つの代表が、終末期としては最大規模を誇るこの大方墳です。

畿内での終末期の方墳は曽我氏との関係が強いと言われますが、埼玉や栃木にはないこの時期の方墳が千葉県には数多く存在しています。

墳丘規模の持つ意味合いが薄れたとは言へ、地方の一豪族がこれだけの大方墳を作るにはそれなりの訳もありそうです。


畿内の大王墓をもしのぐこの大方墳にはどのような人が葬られたのでしょうか。

7世紀の中頃には、この古墳群の北に隣接して、関東で最も古い白鳳寺院である龍角寺(曽我氏の氏寺である山田寺系の瓦を持つ)が建てられました。


南面の中段部に 二つの横穴式石室が有ります

二つの石室はシンメトリに配置されているようです。
東石室・・全長 6.5m 玄室長 5m 奥壁幅 2.4m 高さ 3m 両袖式
西石室・・全長 4.8m 玄室長 4.2m 奥壁幅16.4m 高さ 2.2m 両袖式

これは東石室入り口・・こじんまりとした切石積ですね
だいぶ昔から石室は開口していたらしく、内部から出たものは無いようです

西石室奥から入り口を見た画像
(風土記の丘資料館展示パネルより)


墳頂に登ると北と東に展望が開け、ここが丘の端にあることがわかります・・周囲の樹木を伐採すると、さぞかし目立つことでしょう。

08年の調査で南側の崖下に伸びる斜道が確認されました
(現地説明看板より)


この方墳についてもっと詳しく知りたいなら、ロクジさんの
ロクジの博物館中の→房総における方形墳の研究
03/6/27
みそ岩屋古墳
方墳 35×35m 横穴式石室あり

7世紀にこの古墳群に作られた5基の方墳のうちの一基。

岩屋古墳入り口から、道なり 3百メートルくらいの所にあるハズなんですが、ヤブが深くて近づけず、その姿は不明(^_^;

手持ちの案内書には「危険なので石室に入らぬこと」と書いてあります。

房総風土記の丘 資料館
入館3百円(09年6月入場)

出土した埴輪や副葬品、常総型古墳の箱型石棺など
白鳳寺院関係で瓦や山田寺の仏頭のレプリカもあります

所在地 :千葉県印旛郡栄町竜角寺978・・TEL 0476(95)3126

101号古墳と岩屋古墳のちょうど中間の広場にある昔の学習院初等科講堂(見学自由)
この公園には他にも「房総の村」という施設(有料)や、地場の食品の販売所もあります

桜の花に囲まれてたたずむ円墳
お詫びとお願い

ぼんやりとした断片的な知識をまとめながら作成しているので、書くにしたがい間違いに気が付きます・・そのつど訂正することになりますが、どうぞおつきあいください(^_^;

事実誤認・混乱・独断など、私の間違いを指摘していただけると嬉しく思います。



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2003/1/16