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なす風土記の丘 |
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下野の北東部にある那珂川と箒川の合流地点付近では、4世紀中頃より、前方後方墳が狭い範囲に次々と作られました。
関東地方の初期の古墳の特色として、前方後方墳の大きなものが見られますが、その主なものは下野のこの那須地方に集まっています。
5世紀中頃を過ぎて田川流域に笹塚古墳が築かれるまで、前方後円墳は下野にはありませんでした・・そして、前方後円墳の出現以後は、地方色だった前方後方墳は作られなくなります。
この那須地方では上・下侍塚以後
50m を超える古墳は作られず、大きな中・後期古墳は田川・姿川流域に作られるようになります。 ( しもつけ風土記の丘 をご覧ください )
| 資料館 所在地・・ 湯津上資料館 |
栃木県那須郡湯津上村大字湯津上192 |
| 小川資料館 |
栃木県小川町大字小川3789 |
ツーリングマップル関東版 P73-J1
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なす風土記の丘古墳群 略図
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| 駒形大塚古墳 |
前方後方墳 ・・主軸長 60.5m |

墳丘は一段構築 |
那珂川支流の権津川の段丘上にあって4世紀中頃の築造とされ、この地方のみならず、関東でも最古級の古墳 だそうです。
現在は前方部が削られていますが、残っていた後方部には箱型木棺が直葬(木炭槨)されており、鉄剣・鉄刀・画文帯四獣鏡などが出土しました。
画文帯四獣鏡・・主文様に4頭の龍と虎を描き、まわりに人物や鳥を配した2〜3世紀頃の中国産の鏡で、周りにはおめでたい言葉が書かれています。
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| 那須八幡塚古墳 |
前方後方墳 ・・主軸長 60.5m |
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| 北西からみています・・手前が西に向いた前方部 |
権津川が那珂川に合流する辺りにあって、後方部の直葬の木棺より出土の中国製の鏡などから、4世紀後半の築造とされます。
出土した き鳳鏡の画像 ← 国立博物館のフィルムデータより
平成3年の調査で、不規則な周溝と特徴的な前方部と墳丘斜面の葺石が確認されました。
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| 国道脇にあるのでその姿がよく見えます・・左が前方部 |
湯津上資料館のすぐそばにあって、国道に接しています。
この上・下侍塚古墳は、水戸光圀が学術的調査をしたので有名・・松もその時に墳丘保護の目的で植えたのだとか。
出土品は埋め戻したのですが、模写されたものによく似た鏡が宇治市金比羅山古墳から出土しています。
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北側斜めから見ると方形の四隅がハッキリわかります
前方部西側は削れて?いるので、後方部の陰にかくれてる |
この古墳のすぐ北側に円・方・前方後円墳からなる侍塚古墳群があって、その中の方墳(8号墳
17m)は、下侍塚古墳と同じ頃の築造だそうです。
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| 侍塚古墳群1号墳 |
下侍塚古墳のすぐ北の畑の中にある前方後円墳
形からすると前期古墳のように見えますが下野には前期の前方後円墳は無いコトになってますので・・墳丘は後出の川崎古墳くらい。 |
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| 上侍塚古墳 |
前方後方墳・・主軸長 114m |
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| 樹が繁っていて良く見えませんが後方部を池越しに見ています |
周りは樹木が深く繁っていて、主軸長百m
超しの姿はよく見えませんでしたので、周溝とは違うらしいただの池?の向こうの後方部だけを写しました。
ここから出た鏡は、鳥取県羽合町長瀬高浜遺蹟
から出た鏡によく似ているようです。
上・下侍塚古墳は、4世紀半ばから5世紀始め頃の築造と考えられています・・ともに葺石があります。
上・下の呼び名は、中央(京)に向かっての位置からきているそうです。
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この付近で最初に作られた 横穴式石室を持つ古墳 で、築造は6世紀後半・・関東地方の古墳への横穴式石室導入時期と横並びです。
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| 後円部右側にある石室入り口より撮影 |
石室は、長さ 8.2m 幅 3m 高さ
2.2m ・・ 小川資料館に原寸大でコピーされているので、県内最大の石室の大さが手軽に見られます。
副葬品の中には 7点の耳飾りがあり、追葬がうかがわれるようです。
墳丘規模よりも横穴式石室の規模と質に重点が置かれた後期古墳の時代に、これだけのものを作った首長の力量がうかがわれます。
所在地は、那須八幡塚の那珂川対岸・・このあたり、古墳時代終末期の横穴墓が群集している場所でもあります。(ツーリングマップルに唐御所横穴の記載あり)
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その他の前期古墳
| 吉田温泉神社古墳 |
(前方後方墳・・主軸長 47m ) |
4世紀台の築造 |
| 上侍塚北古墳 |
(前方後方墳・・主軸長 48.5m ) |
4世紀末 |
| 吉田富士山古墳 |
(方墳・・30×28m) |
4世紀後半 |
| 観音堂古墳 |
(方墳・・33×32m) |
4世紀末 |
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那須の古墳の終末
7世紀に入ると、関東各地の古墳事情に異変が起きます・・大型の前方後円墳の築造が、突如として終了してしまうのです。
那須地方においても、川崎古墳・梅曽大塚・二つ室塚などの50m近い前方後円墳を最期にして、小規模な円墳や横穴墓へと変わっていきます。
7世紀後半に入ると、この那須地域に下野最初の寺院が建てられたようです。
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笠石神社 |
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那須国造那須直韋堤を称えた碑石が御神体の神社
碑には中国の年号や持統天皇の朝廷の名が刻まれています
湯津上の資料館にレプリカがあります。
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お詫びとお願い
ぼんやりとした断片的な知識をまとめながら作成しているので、書くにしたがい間違いに気が付きます・・そのつど訂正することになりますが、どうぞおつきあいください(^_^;
事実誤認・混乱・独断など、私の間違いを指摘していただけると嬉しく思います。
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