長谷川 法世

 思い出の記」の思い出        長谷川法世

栗川君の「ご祝儀飲み食い事件」の補足です。

「ご祝儀飲み食い事件」に先立って、「思い出の記談判」があったのです。体育祭での「思い出の記」と、体育祭準備期間中の校内宿泊禁止、体育祭終了後の「キャンプファイヤー」禁止が、学校側から指示されたことがきっかけでした。それに、栗川君が書いたように、予算の問題と、あと体育祭実行に関しての生徒会と学校の権限問題もありました。誰が体育祭を開催するかと言う問題です。それに伴う予算問題は、よく覚えていないのですが、学校が予算を大幅に削ろうとしたかどうかだったように思います。あるいは、体育祭予算は生徒会だけでまかなっていたか。うろ覚えながら、どうも、生徒会予算で体育祭をやるのに、なぜ学校の意見を押し付けるのか、ということになってもめたのではなかったかと、推測します。
「思い出の記談判」は会議室で行われたと記憶します。学校側の説明では、体育祭は本来体育競技を競うものだから、思い出の記などは不要との事でした。私は自分が言ったことなので、以下のようによく覚えています。「自分の兄姉が福高なので、子どもの頃から福高体育祭に憧れていた。特に思い出の記は、教師と生徒が一体となって行う競技で、先生を仮装させる親密度はすばらしいと思っていた。先生も楽しんでいると思っていた。それを無くすのはどうしても解せない」
その前に、教育指導の先生が、「思い出の記は、私たちが仮装させられたりしてみっともない。誰も喜んでいない」という趣旨のことを言われたのでした。そのときの談判で、思い出の記は継続となりましたが、校内宿泊は禁止。また、キャンプファイヤーは消防署からの通達で禁止と言うことになりました。また、開催の主催者について、これが重要なのですが、「体育祭は生徒会の主催。学校は関与しない」と言う、学校側の突き放した言い方で終わったのでした。それが、体育祭終了後の、「ご祝儀飲み食い事件」に発展したわけです。体育祭や各種の学校行事に、PTAから学校に祝儀があることを今では知っていますが、当時は知りませんでした。体育祭が終わってしばらく経ってから、誰かが「知っとうや、先生たちが体育祭の祝儀で、宴会しとんなるぜ、家庭科の教室で!」、と駆け込んできたのです。
それで、「体育祭の主催は生徒会と言っておきながら、何故、体育祭への祝儀を先生が飲み食いするのか」、という談判になったわけです。予算問題はこれに関係するわけで、学校側は体育祭に予算を使わず、生徒会の金だけで開催したのに、と言うことも生徒たちの憤りになったのではなかったかと考えられます。
栗川君は先生たちの飲み食いは「料理屋」で、と書いていますが、わたしの記憶では「家庭科室」です。それも、追求の一因ではなかったでしょうか。「校内宿泊では、学校で飲食することになる。学校は昼食以外は飲食禁止が原則」という、先生の発言があったのではないかと思います。それで、飲食禁止の校内で、先生たちが飲み食い喫煙までしたとはどういうことだ、となったわけです。その団交が、研修課の教室で行われたのでした。細部は忘れましたが、栗川君の書くように、後日、祝儀の金額、飲み食いの実態説明を約して散会。しかし、次回開催はありませんでした。追求すべきはしたし、PTAの祝儀が学校へのものなら、それはそれでいいじゃないか、というのが内心の思いでしたから。あのことは、遠い記憶の底の「思い出の記」になりました。あれから、日本全国が学生運動で大揺れしたし、われわれの団交は「ごっこ」、受験直前の憂さ晴らしでしたしね。

 

 

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