「豪華客船で巡るナイルクルーズ8日間;
1997年9月13日〜20日(1LE = 約30円)


1997年9月13日(土)

11:25 家を出発。タクシーがすぐつかまると思って、ギリギリで出発したら、来ない!10分位待って、やっと来た。おかげで大森駅までのつもりが、品川駅まで行かないと間に合わない。それでもギリギリ。「15分で行きます?」と頼んだら、運転手さん、何度も車線変更したりして15分で行ってくれた。

11:50 品川駅到着。しかし、総武線ホームは一番向こう。今回一緒に行く、Nちゃんとの待ち合わせは11:45。今回初めて持った重いスーツケースを、階段にガタガタぶつけながら急いだ。当然ながらNちゃんと旦那様(お見送り)は既に到着。電車には間に合って良かった・・・
11:59 「エアポート成田」総武線の快速。品川から成田空港まで1時間半位。スカイライナーで行くより楽だったけれど、この時間は混んでいて、千葉県に入るまで座れなかった。

13:33 成田空港第2ターミナル着。一応ツアーだけど、カイロに着くまでは各自。だから、ツアーの人がどれくらいいるのか、まだわからない。
チェックインしたところで、旦那様は帰って行った。そして私たちがまずしたことは、ワイン抜き探し。でも、第2ターミナルにコンビニはない。雑貨屋さんにもない。仕方なく入国審査。空港税2040円。入国審査もガラガラ。連休だというのに、どうしたんだろう?そして、更に私たちはワイン&ワイン抜き探し。ANA SHOPにだけワインがあったけれど、やっぱりワイン抜きはなかった。一緒に置いといてよ!あきらめてブランデー購入。しかし、ほとんどあきらめていた缶ビールが最終待合室のスタンドにあった。そこで狂気乱舞した私たちって・・・だって、これから乗るエジプト航空は「アルコールサービスなし」なんだもん。長時間乗るというのに。Nちゃんが持ってきた小さなクーラーバッグに3本確保。

16:00 MS865便。定刻出発。前にパキスタン航空に乗った時、毎回離陸時にアザーンが流れたので、今回も流れるかな、と楽しみにしていたら、スクリーンに表示されるだけで、音声は出なかった。席は真ん中の列の右二つ。スクリーンのまん前。日本人スチュワードが乗務していた。エジプト人(たぶん)スチュワーデスさんもいたけれど、離陸時には新聞読んでくつろいでいたし、サービスしてくれたのはおじさんスチュワードばかりだった。アメニティキットとして、男性には青、女性には赤のカンフーシューズみたいなルームシューズをくれた。
最初の機内食は、洋食と和食のチョイス。和食はうな丼で、日本茶はなんと、陶器のお茶碗に入れてくれてた。私は洋食・肉をチョイス。ステーキだったけれど、おいしかった。

20:00頃(-1h) バンコク着。トランジットで一度外へ。構内は広いけれど、お腹がすいている訳でなし、買い物したい訳でなし、とりあえず端から端まで見た後、ボーッと座ってた。
22:30 バンコク発。実際に出発したのは22:40。眠いけど、スクリーンではずっと映画かなんかを写していて(近すぎて何だかわからない)、明るくて眠れない。アイマスク、持ってくるんだった・・・仕方なくタオルを顔にかけた。しかも、左前方の3人組が、皆寝ているというのにスチュワードと大声で話してる。時間考えてほしい・・・スチュワードも!!

3:10(-6h) カイロ着。ここでやっとツアーの人数がわかった。総勢19人。カップル1組、S夫妻、1人参加のTさん、女性3人組、女性ペアが私たち含んで4組、男性3人組(もっとも、全員の名前が判明したのは最終日)。皆若いです。たぶん、私たちが最年長だと思う。でも、皆明るくて楽しくて、良い人ばかりだった。
カルナックツアーのサイード氏がビザの手続きをしてくれた。22US$。この人、調子いいです。カップル参加のSさんが英語を上手に話すと、私たちへの説明を彼女に通訳させるの。いきなり見ず知らずの団体の中でリーダーにさせられたSさん、たいへんだった。

5:00 メナハウス着。当然部屋で仮眠を取れると思っていたら、部屋には入れないとのこと。プール用のコテージみたいな所で着替えのみ。しかも最初はスーツケースを持って行ってはダメ、と言うので「ホテルの玄関先で、荷物を広げろというのか〜」と驚いたら、さすがにそれは撤回した。しかし、まるで夜行バスのスキーツアーだよ、これじゃ・・・


1997年9月14日(日)

6:30過ぎに外へ出たら、すぐ後ろにピラミッドがド〜ンとそびえてた。写真を取って、本館ロビーへ。まずは両替。100US$ = 338LE。
8:00 ロビー集合。ガイドのファリーダさん登場。日本語ペラペラ。

9:00 エジプト考古学博物館。カメラの持ち込みは10LE(300円)取るというので、預けることに。ファリーダさんの説明を受けながら駆け足で見て回った。ツタンカーメンの副葬品は皆キンキラですごかった。これでもか、これでもかというくらい金キラ。だから最後に「黄金のマスク」を見た時には別にどうということなかった(苦笑)。金の玉座や厨子の方がデザインも凝っていてすごかったもの。「黄金のマスク」は混んでいるかと思ったら、かぶりつきでゆっくり見られた。しかし、無名のファラオであったツタンカーメンでさえ、これだけすごい副葬品であったのだから、既に盗掘されてしまっていた、もっと有名なファラオたちの副葬品って、どんなだったんだろう?

ミイラ室にも、せっかく来たのだから行ってみた。別料金30LE(900円)。皆、まるで木でできているようだった。パルミラ博物館で見た方が、もっとリアルに近かったような気がする。こちらはまるでお人形を見ているようで、全然恐くなかった。女王様のミイラ2体は、どちらも髪の毛まで残っていた。逆に、労働者(だと思った)のミイラは、苦しそうに手を延ばしていた。一般人のミイラまで作ったのか、と驚いたんだけど、この先、ワニのミイラまで見ることになるとは・・・

11:00 パピルス工場。カイロ大学日本語学科の学生がまず、日本語で説明しながら実演。実に流暢な日本語で、最後には「御静聴、ありがとうございました」まで。パピルスは水につけておく時間によって、色が変わるそうだ。長いと濃くなる。できた紙は、形状記憶合金のように、丸めても、ちゃんと元どおりになる。その後はもう、皆の後をくっついて歩いて、いろいろと絵の説明をしてくれた(ちょっとうるさかった)。結局175LEの額に入ったツタンカーメンと王妃の絵を買ったら、一番小さいのをおまけにくれた。「あなた友達だから、特別」なんてセリフを信じた訳じゃないけど。

12:00 昼食。ビール12LE(360円)。毎食ビールを飲んでいたのは、私たちだけだった(^^;ゞ今回のツアーで、最初で最後のエジプト料理。まずはフブズ(パン)にタヒーナ(ペースト)。そして出てきた茄子の油炒めがすごくおいしかった!私も、いくつもフブズにはさんで食べた。メインは焼き魚。アジみたいだった。

14:00 クフ王のピラミッド。朝、初めて見た時は感動したけれど、実際に目の前にすると、そうでもなかった。でも大きい!高さ137.5m(創建時は146.6mあったが、頂部9mなくなった)。表面はまっすぐかと思っていたらゴツゴツしている。表面を覆っていた化粧岩は全部盗まれてしまったのだそうだ。
1つ1つの石も大きい!私の腰位はある。登頂は厳禁されているけれど、誘ってくるガイドもいたりするらしい。でも、これをよじ登ってピラミッドのてっぺんまで行くって、すっごくきついと思う。登りもたいへんだろうけど、降りるのがメチャ恐そう。「登りたい」なんて全然思わなかった。
中へは、高さ2/3のところにある玄室まで登れる。入り口は、盗掘に来た人があけたもの。本当の入り口は上の真ん中の写真。
中に入ると狭い階段を登っていき、しかも途中からは腰をかがめて登らないといけない。片側通行の広さしかないから、登る人、降りる人交互に待たないといけない。けっこう辛い。

やっとたどりついた玄室(王のミイラが安置されていたとされる部屋)は、まるでサウナのよう。ムチャクチャ蒸し暑い!石のお棺が1つ&おじいさんが一人いるだけ。この石棺は、王の石棺にしてはあまりに質素だし、クフ王のミイラも見つかっていないため、ピラミッドが本当にクフ王のお墓であるのかは謎のまま。このおじいさん、いっしょに写真に入ってもらうと当然のように「バクシーシ(チップ)」。私たちはパス。シャッターだけ押してもらう(爆)。
ピラミッドは、一度入ってみればそれでもういい。もう1度入りたいとは思わない。ちなみにこの時は誰でも入れたけれど、2005年現在は午前150人、午後150人と入場制限が設けられてしまい、入るのはかなりたいへんになってしまったようだ。

スフィンクスへ。チンマリとかわいらしい印象。「しっぽは現在修復中」というファーティマさんの説明を聞いて、写真タイムになるやいなや、Nちゃんとダーッとお尻の方まで走っていったけれど、ない。よ〜く探したら、お尻ではなく体に巻きつくようにつくられてた。

15:00 メンフィス。横たわっているラムセス2世像。大きい。約15m。 ラムセス2世は25歳で王位について後67年間統治し、エジプト全土にわたって非常に多くの神殿・巨像・オベリスクを建てた。なので、今回いろいろな遺蹟を回っていると、いたるところにこの人がいた。

16:00 サッカラ。階段状ピラミッド。ジュセル王の作った世界最古の石造建造物。それまではマスタバ墳だった(ベンチ状)のを、差別化を図るためにドンドン積み上げていったらしい。近くに、崩れたピラミッドがあった。後で読むと、これはウスナ王のピラミッドで、中には「ピラミッドテキスト」と呼ばれる神々への讃歌や王の正しさを表現したヒエログリフの文書が約4000行にもわたって書かれているとか。見たかったなあ。遠くにダハシュールの赤のピラミッドと屈折ピラミッドがウッスラと見えた。
ここで希望者はラクダに乗った。ほんのちょっとだけど。私はパルミラで一度乗っているからパス。

16:30 じゅうたん学校。子供たちがじゅうたんを作っているところを見学。説明を受け、2階に上がって今度はお買い物。シルクのじゅうたんが玄関マットサイズで7〜8万円。トルコより安い。シルクのじゅうたんって、見る角度によって色が濃くなったり薄くなったりするの。不思議〜。もともと「欲しい」と言っていたNちゃんは、外側がダークブルーで、内側がグレーのとてもきれいな色合いの玄関マットサイズを、850位だったのを値切って550US$で購入。
17:30 やっと出発。

18:00過ぎ メナハウス到着。チェックイン。でも私たちの部屋からピラミッドは見えない。しかもサイード氏が「15分で届く」と言った荷物は全然来ない!今日チェックインすることは今朝からわかっているのに、なんでそうなる訳?やっと荷物が届いたのは、19:45・・・
19:30頃と20:00過ぎに、ザキ先生の弟さん、サミーに電話してみたけれど、どちらも留守番電話だった。「木曜にもう一度電話します」と伝言。サミーが留守の時は、妹のハナさんに電話するようにも言われていたけれど、もう疲れてしまっていたのでパス。シャワーをあびて食事へ。

20:15 本館「コレナリー」。セットメニューで野菜スープ(トマトスープとchoice、ちょっと熱すぎたけれど、おいしかった)、ビーフの炭焼き(焼きすぎでガチガチ。Nちゃんが選んだチキンはおいしかったって)、フライドポテト、アイスクリーム(おいしかった!)。
ツアーの人が誰もこないので、「皆、食べないで寝ちゃったのかなあ」と話してた。翌日の朝食の時に聞いたら、皆、別館のレストランへ行ったそうだ。「『別館』って言った」と言うんだけど、私たちが「カルナック」って言ったら、すぐわかってくれたけれど、彼女たちが「カルナック」って言ったら、首をかしげたとか。でもそこで調べて「カルナックの方は本館のレストランです」と案内するのが本当だと思うぞ。彼女たちは結局そこで席に案内されて、バイキングだったそうだ。おいしくなかったって。ちなみにこのレストラン、部屋への帰り道、外から見て「こっちの方が高級そうだね」って、2人で話していたんだけど・・・
22:00 就寝。疲れていたので、バタンキュー。


1997年9月15日(月)

4:10 起床。支度をしていると、アザーンが響いてきた。シリアへ行っていた時は、ほとんど聞こえることがなかったので(気付かなかっただけ?)、「ああ、本当に聞こえるんだ」とちょっと感動。
4:45 荷物ピックアップ&朝食。水5LE(150円)。

5:30 出発。礼拝を終えたのか、既に人が街をウロウロしている。それどころか、カフェがもう営業してるし、お客も入っている。コンビニ、いらないなあ、と思った。
6:30 空港着。ものすごい人。ほとんどスキーリフトの乗り場状態。末広がりになってるから、外側から攻めた方が早く進む。しかも、スーツケースと人間&手荷物のスルーが一緒だからたいへん。男の子3人組がポーターになって手伝ってくれたけど、人間はチェックインしたものの、荷物はまだ外、の状態。荷物を全部チェックイン終えた時は、サイード氏、汗ダクダクだった。中で、一番売れてそうな雑誌購入。5LE(150円)。しおりセット10LE(300円)。
8:00 出発。30分遅れ。国内線のチケットには便名とか時間とか何〜にも書いてない。

9:00 ルクソール着。ツアーの中の2人の荷物がなかなか出てこない。ラストワンだった。
9:40 バス乗車。今日から3泊するシェリーボートへ。岸から3台縦に並んで泊まっていて、手前の船の中を通り抜けて行く。まだチェックインできないけれど、ラウンジでハイビスカスティーをもらって、ホッと一息。

カルナック神殿のアメン大神殿へ。エジプトで最大級の神殿。アメン神はもともとテーベという小さな町で信仰されていたが、中王国時代にテーベが発展すると共に太陽神ラーと結合して、国の最高神になった。そのため歴代のファラオたちが次々と神殿やオベリスク等を寄進し、こんなに大きくなった。

アメン大神殿へつながるスフィンクス参道を守っているのは獅子ではなく牡羊のスフィンクス。牡羊はアメン神の聖獣。普通スフィンクスというのは、頭は建てたファラオの顔に似せてつくるが、ここは神殿だからか?そしてその前足の間に立っているのはラムセス2世。

中に入るとものすごい迫力。大列柱室がすごすぎる。高さ13〜21mの柱が134本も立っている。色は鮮やかに残っているし、浮き彫り彫刻もすばらしい。パルミラの墓の谷でも、色が残っているのに感動したけれど、こちらとは比べ物にならない。なんであんなにきれいに残っているんだろう???建築技術もすばらしく、1番上の部分は、中央の柱との高低差を利用して明り取りまで作っている。ここの大部分を完成させたのもラムセス2世。

右はハトシェプスト女王のオベリスク。30.43mの高さで、世界最大。かつて上半分には金箔が貼られていた。オベリスクとは、太陽神ラーへ捧げられた記念碑で、一枚岩でできている。その材料となる花崗岩はアスワンで切り出され、筏に乗せられてナイル川をルクソールまで下ってきた。315トンの岩・・・どうして筏は沈まなかったんだろう???

左は大スカラベ(ふんころがし)の像で、アメンホテプ3世が建立した。スカラベは、幼虫の間は地中にいる。成虫がいきなり地中から出てくるように見えるため、エジプト人たちは自己創造の神・アトゥム神と同一視して崇拝した。またスカラベは糞を丸めてころがすため、それを大空で太陽の玉をころがしているとイメージした。
この像は、3回回ると良いことがあり、5回回ると結婚でき、7回回ると、もう一度エジプトに戻ってこられると伝えられてるそうな。私が何回回ったかは・・・内緒(^^;;;

11:40 金細工屋。カルトゥーシュや金銀のアクセサリーのお店。自分と妹用に、銀のカルトゥーシュを作ってもらった。@10US$。ヒエログリフにすると、私の名前ってつまらない("O"ばかりなんだもん)。

ルクソール神殿へ。ここは先ほどのアモン大神殿の付属神殿。昔砂に埋っていて、その上にモスクが建っていた。だから今、モスクの昔の入り口が2階くらいの所に位置してる(1番右の写真)。
アモン大神殿までスフィンクス参道で結ばれていた。

今度はTシャツ屋。ヒエログリフをTシャツに刺繍してくれるという。自分用に1枚購入。40LE(1200円)。

14:00 船に戻って、やっと昼食。お腹すいた〜〜。ペンネ・トマトソース(ちょっとゆですぎだったけれど、おいしかった)、ビーフステーキ(柔らかかった)&グリーンピース・ポテト、デザートは果物バイキング(メロンが甘すぎず、おいしかった)。ビール10.5LE(315円)。

15:00 お部屋にチェックイン。バスタブはないけれど、そこそこ広いし、クッションやベッドカバーの柄がかわいくて○。しばし、お昼寝。

17:00 希望者だけ、馬車に乗ってガラス瓶屋さんへ。まずは実演見学。続いて香水の説明を聞いた後、お買い物タイム。店員さんとちょっと会話。「どこで勉強しているのか」と聞かれたので、「日本で」と言ったら驚いてた。私はアラビア語話してみたいのに、それより店員の皆が日本語を覚えようと必死。次から次へと質問が飛びだし、まるで日本語学校のようになってしまった(笑)。母へ香水瓶。54LE(1620円)。

19:45 ルクソール神殿の「音と光のショー」へ。参加者は、Mr.TとMs.Sのカップル、Tさんと私たち。まずは入り口から始まって、ポイントポイントで登場人物(そこに居る像)が自分のことや歴史を語る(んだと思う。1/3位しか聞き取れないんで(^^;ゞ)。この回は英語。
どんどん奥へ進んでいき、最後は聖なる池のほとりで30分位話を聞くんだけど、仕掛け自体は全然ちゃちいの。ただライトアップするのみ。そのうち池から何かがバーッと吹き出すかと、楽しみにしていたのに・・・だから、池のほとりの30分は退屈だったけれど、夜の遺跡の中を歩いて進むのが楽しかった。それだけでも参加して良かったと思う。しかも、この日は満月。ここでやっと「パルミラの月」の絵の景色(私のイスラム傾倒の原点)を見ることができた。夜空が蒼いの!これはもう大感動ものだった。だって、パルミラでは見ることができなかったんだもの。大列柱室で話を聞いていた時、蒼い闇に満月、そして白い鳥まで飛び交い、本当に幻想的だった。20US$。

21:00頃。船に戻って食事。ラウンジではベリーダンスが始まるとか。トイレに手を洗いにいったら、そこでパツンパツンボディのお姉さんが着替えをしてた。思わず「ジャミーラ(きれい〜)」と言ったら、投げキッスをされてしまった。
夕食後、屋上のデッキに上がって夜空を眺める。が、星が全然見えない。「なんで〜?」と思ったら、月が明るすぎるためだった。


1997年9月16日(火)

6:00 起床&朝食。エジプトもヨーグルトがおいしい。でも、パンやおかずもシリアやヨルダンに比べたら、ずっと豊富でおいしい。卵は好きに焼いてくれるし。それに、なによりも体調がとても良くて、朝起きるとお腹すいてる。それが、今回はとてもうれしかった。

7:00 出発。新しくできたルクソール大橋を渡って西岸、王家の谷へ。ナイル川には軍事上の理由で橋が極端に少ない。その先はエスナまで(50kmくらい)橋がない。途中、気球発見。観光用だとか。乗ってみたいな、と思った。
王家の谷は、3つの墓が1セットのチケットになっている。ツタンカーメンは別料金。さらに、1つの墓につき、カメラ持ち込み料5LE(150円)取られる(ツタンカーメンはカメラ禁止)。

まずは、ラムセス6世の墓。第20王朝のファラオ。もともとは兄ラムセス5世の墓だったのを奪って、自分の物にしてしまった。だから、壁画には、腕が2本見えるものもあった。
天井の縁いっぱいに身体を伸ばしているのは宇宙の神であるヌト神。大空に身をかがめた姿をしている。彼女の重要な役割は太陽(ラー)の蘇生で、ヌト神が太陽を飲み込むと夜がきて、腿の間から太陽が再び生まれて朝がくる。

両脇の壁には「冥界の書(死者の書)」が描かれている。これは来世への導き書であり、全編で約200章にも及ぶ長大な呪文集だが、多くの場合、墓主の注文に応じてそのいくつかがパピルス紙に描かれてミイラと共に棺に納められた。
まずは棺が玄室へと降りていく。
次の絵は、正義の女神に「私は良い人です。悪いことはしていません」と告げているラムセス6世。
そして、神の審判を受ける。左端に座っているのが冥界の王・オシリス神。その前で天秤をかついているのがラムセス6世。片方に心臓、もう片方に真実の象徴であるマアトの羽(マアトは女神で、頭にダチョウの羽をつけていた)を乗せ、悪いことをしていると心臓の方が重くなる。すると心臓は右上にいる豚に食べられてしまい、再生・復活ができなくなる。

頭が人間で身体が鳥の絵は「バー」。人間には、「バー(あの世の魂)」と「カー(この世の魂)」が宿っていて、死ぬと「バー」はあの世へ行ってしまう。「カー」はこの世に留まるが、落ち着く先が必要。それで肉体に代わる第2の家としてミイラを用意し、「カー」が生き続けるための栄養分として様々な供物を副葬したり描いたりした。壁画に描く場合、下に「本物になりますように」という呪文も一緒に描かれた。

続いて、サーピタハ(「ピタハ神の子供」という意味)の墓。1905年に発見され、現在修復中。第19王朝のファラオ。玄室は、天井にも絵が描かれていたが、洪水の時に雨が浸み込んで全部消えてしまった。
左は、「口開けの儀式」の絵。ホルス神が復活のため(生前と同じ感覚を取り戻すため)の「命の鍵」を差し出している図。
右はアヌビス(山犬)。死者の神、ミイラ作りの神様。だからミイラを作る際、神官はアヌビスのマスクを被って作業した。

ツタンカーメンの墓。本当の名前は「トゥト・アンク・アメン(アメン神の生きる似姿)」。
後から読んだ本によると、ツタンカーメンの墓は、もとはここではなかったが、後継者のアイ王が、ラムセス6世と同じように、ツタンカーメンの墓を奪い、もっと小さなここに押し込めてしまった。その結果、アイ王の墓は盗掘され、ツタンカーメンの副葬品や棺は無事だった訳である。本当に、奥行きもない小さな墓だった(未完成)。

3つ目は自由に、とのこと。そんなこと言われても、事前に何も勉強してこなかったから、どの墓にしていいのかわからない。あまり遠くに行くのもなんだし・・・という訳で、すいていたメルエンプタハの墓へ。グループのうち、けっこう多くがいっしょだった。
この人、サーピタハの兄で、ラムセス2世の後を継いだ13番目の子供。ラムセス2世は92歳(異説あり)まで生きたため、メルエンプタハが即位した時は60歳代になっていた。

玄室は広く、一段低いところに石の棺のふたのみ。おじさんがいて、ふたの裏をのぞいてみろ、という。手の彫刻があると言うが、わかったようなわからなかったような・・・さらにおじさん、その時人が少なかったせいか、棺のふたにもぐって、写真を撮ってくれるという。しかもフラッシュたいて。チップは1US$。Nちゃんと2人で撮ってもらい、1US$渡したら、「1人1US$」だと言う。でも、他の人の写真も撮っているうちに、別の団体が来てしまい、おじさんのアルバイト・タイムは終わり。追加払わなくてすんじゃった。せも、できた写真はこれ(-_-;)

10:20 出発。ファーティマさんが「石屋さんと次の見学、どっちを先にしますか?」と聞くと、皆もう心得たもので「のどがかわいたから、石屋さん!」(土産物屋さんでは、飲み物がサービスされる)。ということで、石屋さんへ。
その石屋さんや近所の家には、巡礼をした印の絵が描かれてた。すなわち、「私は飛行機や船に乗って巡礼に行きました」と知らせている。後で、パソ通(←時代を思わせる・・・)で聞いた話では、これは地域的な風習とのこと。そう言えば、他の所では見なかった。

さて、石屋さんではまず皆お待ちかねのドリンクサービス。それを手に、店内をウロウロ。大理石でできた、とても小さな猫の置物を友人たちへのお土産に。小さめの大理石の花瓶を見せてくれ、「15US$」と言うので、「10US$」と言ったら「12」。「アシャラ(10)」と言ったら笑いだし、「わかった。アシャラでいい」。商談成立。

11:00 ハトシェプスの葬祭殿へ。
ハトシェプス女王は第18王朝の人で、兄であるトトメス2世と結婚。35年間在位し、その間1度も戦争がない平和な時代だった。女王でもファラオなので、その像は皆つけひげをつけて、男性の格好をしている。

2階左の礼拝堂には、彼女がソマリアへ遠征した時の様子が壁画に刻まれている。ここはものすごく混んでいて、絵を目の前に説明を聞くのもたいへんだった。この絵によると、ナツメヤシもオリーブもアフリカから渡ってきたらしい。ヘンナも、村長に贈り物をしたお礼にもらった。
ハトシェプスト女王の義理の息子であるトトメス3世は、幼少で後を継いだために摂政であるハトシェプスト女王に21年間も支配権を握られていた。憎さがつのり、女王が没するやいなや、葬祭殿から彼女のレリーフや銅像をことごとく壊したが、お供物を手にしている絵は、さすがにこわさなかった。
ここでは、10月に「アイーダ」を上演するため、その舞台作りが進められていた(実際には10月にテロが起きてしまったのだけど)。

11:50 メムノンの巨像。崩れそうな大きな像(高さ約20m)が2つあるだけ。写真とって終わり。
メムノンとはトロイ戦争で有名になったエチオピア王子の名前。なぜか古代ギリシア時代からこの像がメムノンのものだと考えられ、実際はアメンホテプ3世(第18王朝)の像なのに、そのまま間違った名前で呼ばれている。この後ろには葬祭殿もあったが、後の王たちが再利用するために壊してしまったそうだ。

12:30 船に帰る。
13:00 昼食。きゅうりのグラタン(メチャおいしかった)、ステーキ&赤キャベツ炒め&ピラフ、フルーツバイキング。マンゴーがとてもおいしくて、すぐ品切れ。

14:00頃 本とカメラを持ってサンデッキへ。屋根の下の席を確保。のんびりのクルーズ。他の皆と話をしたり、景色を眺めたり。若い人達は、プールに入ったり、トランプしたり、果ては卓球まで始めた。まるで修学旅行のよう。すごく気持ちいい。

17:00 アフタヌーン・ティー・タイム。といっても、プールサイドで紅茶と甘いお菓子が提供されるだけ。パス。

18:30 もうすぐ日没かなと、屋上のサンデッキへ。エスナの水門に近ずくと、小船がいっぱいいる。
「なんだろうね」
「ぶつかりそうだよ」
と見ていると、なにやら手に持ってドンドン近づいてくる。何と土産物売り。びっくりした〜。どうするのかと見ていると、商品を広げて見せ、ひとしきりわめくと、それをビニール袋に入れて放り投げ、皆に見せろと言う。また放り返すか、気にいった場合は、また袋を投げてきて、そこにお金をいれろという。
同じツアーの子がテーブルクロスをちょっと気に入り、値段を聞くと「60US$」
「高いね〜」と言ってたら彼女、
「20」
「えっ、いきなり1/3?」
「だって、ガイドブックには1/3から始めるって、書いてあった」
さすがに、物売りさんもびっくり。「ナプキンもつけるから」と放り投げてきて「40」。
「いらないって、言っちゃえば」とこちらも楽しんじゃってる。放り返す振りをしたら、「わかった」と、向こうが根負け。めでたく商談成立(笑)。

19:00 エスナの水門に到着。どんな風に水門を通り抜けるのか見たいのに、船はなかなか動き出しそうにない。そこでいったん部屋に帰り、シャワーをあびようと脱ぎかけたら船が動き出した。あわててまた着て、屋上のサンデッキへ。

水門をはさんで上流と下流は水位差が3mほどある。なので、水門の中に入ると後ろの戸が閉まり、船は水槽に入った状態になる。そこで水門の中の水位をあげ、向こうの川と同じ水位になると門が開くようになっている。パナマ運河と一緒だそうだ。その水位の上がり方は、ものすごい早さだった。

20:00 夕食。ライトが暗くなったと思ったら、今日のオードブルには、野菜の器に入ったキャンドルが灯っていた。私のはピーマン。他に玉葱やトマト。トマトが一番かわいかった。野菜のコンソメ、カレー味のビーフ竜田揚げ、バナナのフライ(甘くておいしかった)、いんげん&ポテト、チョコレートとココナッツのアイスクリーム。
夕食が始まる時にフト、窓の外を見ると・・・「ねえ、月がさっきより欠けてるよ」月食が始まってる!船が進んでいるせいか、そのうち窓から見えなくなってしまった。

21:20 夕食がすむと、屋上のサンデッキへ。月は再び明るくなりだしたというところ(まだほとんど消えてるけど)。代わりに満天の星!天の川も見える!!うちのツアーの人、ほとんど全員がきて、皆でデッキチェアに寝そべって天体観測。と言ってもわかったのはカシオペア座だけ。北極星はわかるのに、北斗七星はわからなかった。流れ星も見えたらしい。対岸には、エドフの町の明りがきれいだった。久々に見た都会の明りだった。
22:00 部屋へ。ラウンジではカクテル・パーティをやっていたけれど、疲れたのでパス。  


1997年9月17日(水)

7:00 起床
7:30 朝食。今日も好調。ご飯がおいしい。
8:30 出発。船から降りて、馬車でホルス神殿へ。途中、お土産物のスーク(市場)を通った。

ホルスは隼の形をした神様。この神殿は、200年かかって建設されたが、全部砂に埋っていた。そのせいか、エジプトの中でも最も保存状態のよい遺蹟の一つ。塔門は、王(左端)がホルス神とハトホル神(頭部が雌牛の形をしている女神。ホルス神の奥さん)に捧げるために敵を殴っている図。

本殿は礼拝堂で囲まれていて、最初の2部屋はそれぞれ18本、12本の列柱が立っている。奥に行くに従って天井が低くなっていく。それは聖なる場所に近づいていることを意味する。

1番奥に位置する至聖所の厨子の石は、アスワンから運ばれ、トトメス3世の名前が刻まれている。前と横はツルツルに磨かれているが、裏側は労働者が手抜きをしたらしく、ザラザラのまま。おみこしのレプリカもあって、本物には金箔が張られていた。

至聖所の外側には、地下に続く階段があった。これはナイル川まで続いていて、ナイロメーター(毎年のナイル川の氾濫時期を知るために、ナイル川の水位を測る)及び神官の逃げ道になっていた。

一番外側の大回廊の内側には、碑文がビッシリと書かれていたが、これらは皆労働者たちが適当に書いたもので、全く意味がないそうだ(苦笑)。
また、ホルス神が、父のオシリスを殺した叔父のセト神(カバの身体をしている)に復讐するまでの話が描かれていた。

10:45 船へ。やっとシェリーボートの全容を見ることができた。デッキでジュースを飲んだ。日陰のイスは全部埋っていたので、屋上に上がってみたものの暑くてダメ。部屋に戻ると、バスタオルがコブラの形で待っていた。このサービス、ちょうど作っているところに帰ってしまった人たちは、チップを要求されたとか。部屋で昼寝。

13:00 昼食。カッテージチーズのパイ(パス)、魚フライ&アンディチョーク炒め&ピラフ。アンティチョークはおいしかった。魚フライに、Eさんが持ってきたポン酢をかけて食べたら抜群! フルーツバイキング(アイスクリーム食べたい) 。

昼食後、すばやく日陰の席を確保。でもやっぱり暑い!持ってきた本も読んでしまったので、部屋に戻って昼寝。
16:00 再びデッキへ行き、皆とおしゃべり。どんどん他の船を抜いていく。
16:30 ティータイム。紅茶だけ飲んだ。  

17:30 歩いてコムオンボ神殿へ。クルーズ船が5、6隻泊まって、そこに乗っている人達がほぼ全員来るのだから、混んでいない訳がない。要所で説明を聞く時は、その絵の前に行くまでたいへんだった。
この神殿は左右対称に2つの出入り口と至聖所があり、左半分はホルス神、右半分はセベク神(ワニの神)の捧げられているそうだ。右の入り口近くには、ハトホル神の小礼拝堂があって、中にはワニのミイラが安置されていた。セベク神の聖獣として飼育されていた。それを写真に撮ったら・・・セベク神だったのだろうか(恐)。

中庭の石畳の上には、昔の神官たちの落書きがあった、とガイドのファーティマさんは言うけれど、本当かなあ・・・
外壁には、さまざまな面白い絵が描かれていた。1番左はカレンダー、2番目の写真の左の絵は出産風景で、真ん中に描かれているのは医療用具。3番目の写真はホルス神とセベク神が向かい合っている。
ここのナイロメーターは大きなものだった。

19:00 船へ。
20:00 夕食。船での最後の晩は、デッキでバイキング。ガラベイヤ(エジプトの民族衣装)・パーティでもあり、ヨーロッパの人たちは思い思いに着飾っているけれど(なんか勘違いしてるグループもいたけど(笑))、私たちのグループは、2人ほど、ガラベイヤのブラウスを着てるだけ。
貸し出しもあったけれど、ちょっとね。私たち以外の日本人は、新婚さんらしいカップルが一組。彼等はガラベイヤを着てた。バイキングはたいしたことなかった。

食事が済むとラウンジへ移動し、ゲーム大会。イタリア(ここが一番派手)、スペイン、デンマーク、日本、混ぜこぜグループに別れて選手を出す。新婚さんは、ほとんどのゲームに出させられ、ちょっと気の毒だった。最後にくじ大会。昼間、フロントで買った(1枚10LEだったかな)くじの抽選。そうしたら、私たちのグループに当選者続出! EさんとOさんにTシャツ、S夫妻・夫にスウェット、Uさんには何と1等賞の金のカルトゥーシュ!!

23:50 就寝。  


1997年9月18日(木)

5:00 起床
5:30 朝食。食堂の前では、昨夜撮った写真が並んでいて、ボーイのお兄さんがうたたねしてた。
6:15 集合。アスワン空港へ向かう道で夜が明けた。朝焼けがきれいだった。  

8:15 アスワン空港発。飛行機から、アブシンベル神殿が見えた。
8:50 アブシンベル着。まずは大神殿へ。山に掘った神殿だったのを、ダムの建設のため、1036個のブロックに分けて、この地へ移した。工事には5年かかった(ヤ63〜ユ68)。
Q : なぜこんな辺鄙な所に神殿を作ったのか?
A : ネフェルタリの出身地であったため(ヌビア) 。スーダンにエジプト&ファラオの強さを示すため。労働者たちの礼拝のため

入り口には高さ21mのラムセス2世像が4体。足元には王妃や王女たちが並んでいる。また、その台座には戦場で捉えられた捕虜たちが描かれている。右を向いているのはヌビア人(下エジプト)で、ハスのロープでつながれている。左を向いているのはヒタイト人(上エジプト)で、パピルスのロープでつながれている。というわけで、上下エジプトを統一したことを示している。

中へ入ると、今度は高さ9mのオシリス神の姿をしたラムセス2世が4体ずつ両側に並んでいる。そして「ラムセス2世、大活躍」を描いた壁画が一面に描かれている。

神殿の最も奥にある至聖所には4体の神像が彫られている。左からプタハ神、アメン・ラー神(王の守護神)、神格化されたラムセス2世、ラー・ホルアクティ神(太陽神)。ここには年2回、春分の日と秋分の日に、朝日が入り口から一直線に差し込んで、神々の像が浮かび上がるようにできているらしい。 

10:05 小神殿へ。ラムセス2世が王妃ネフェルタリのために築いた神殿。なのに入り口の像は、自分の方が多い(笑)。両側からネフェルタリを守っている、という見方もできるけど。こちらの像の高さは10m
こちらはハトホル女神に捧げられていて、中にはハトホル女神が列柱に刻まれていた。また、ネフェルタリとハトホル女神を描いた美しい壁画がたくさん描かれていた。至聖所には、ネフェルタリではなく、ラムセス2世が2本の柱で表されたハトホル女神に挟まれていた。
神殿の内側は、右の写真のようにしっかりとしたコンクリート製。

10:40 見学終わり。再びアブシンベル空港へ。
11:20 アブシンベル発。
11:50 アスワン着。船で3日かけた距離は、飛行機だと30分。

12:00 アスワンハイダムへ。大きな川のようで、日本のダムとはだいぶ様子が違う。思わずファーティマさんに、「で、どこがダムなんですか?」と聞いてしまった。
長さ約3600m、深さ約111mで、容積はクフ王のピラミッドの92倍。想像つかないけど、もしこのダムが破壊されると、カイロの町が3mの水の下に沈んでしまうそうだ。右はダムのために干上がってしまったナイル川。

アスワン周辺は花崗岩の産地で、ここで切り出しては各地に運び出していたそうな。この「未完成のオベリスク」はおそらくトトメス3世のために作りかけたもので、完成していれば長さ約42mで世界最大のオベリスクになった。でも途中で亀裂が入ってしまったため中止に。
採石場の手前には、昔の人達のお墓だというモスクの形をしたお墓の方があって、こちらのほうが興味深かった。ファーティマさんによると、「エジプトでは、100年たったら遺跡です。」とのこと。

13:00 シェリーボートに戻って昼食。今回の旅行はほとんど船で食事だったから、全然エジプト料理を食べていない。これが一番の心残り。

14:00 ファルーカに乗った。すごく静か。でも、4日間クルーズ船に乗っていたんだから、別に楽しくもなかった。

15:00 アスワン空港へ。ここで待った待った。飛行機はなかなか来ない。見るものもない。
16:50 50分遅れでやっと出発。
18:05 ルクソール発。乗り換え。
19:00 カイロ着。さらに荷物が全然出てこない・・・
20:00 やっと荷物が出てきた。男性陣が手際良くピックアップしてくれた。

21:00 シェラトン・ヘリオポリス着。入り口に、空港と同じボディチェックの機械があった。
有志でタクシーを頼んでカイロ市内のスークへ行こうとファーティマさんに相談。すると「実は今日、カイロ博物館の前でテロがあってバスが爆破され、観光客が何人か死亡&けがをしました。大丈夫かもしれないけど・・・」その話を聞いた時は「本当に起きるんだ」という感じ。別に恐くはなかったけど、家で心配してるだろうなと思った(うちの母親は新聞を見ないから、知らなかった)。でも、最終日の晩に出かけていって万が一のことがあったらアホみたいだからやめることにした。ここでファーティマさんとはお別れ。
そして食堂へ。その時に皆で住所を書いて、翌日サイードさんにコピーしてもらった。食事が終わると22:00。私たちはそのまま部屋に引き上げたけれど、元気な若者たちはまだ買い物していた。そうそう、新聞を買ったら「読めるのか」と聞くので「勉強している」と言ったら、前日の新聞をおまけにくれた。そんなにもらっても読めないんだけど(^^;;;;


1997年9月19日(金)

8:00 起床
9:00 朝食
10:30 出発。結構余裕があると思っていたのに、たいして買い物する時間なかった。ホテル内で「生命の鍵」の形をしたピアスをNちゃんといっしょに購入。

14:00 カイロ発。今回、見学場所ではバックパッカー以外、日本人の団体にはほとんど会わなかったのに、カイロ空港の中はまるで「ここは成田?」と思うほど日本人だらけ。飛行機の席は喫煙席の上に、Nちゃんとは通路をはさんで隣。S夫妻だけがずっと前の禁煙席で、「こっちの方が皆いっしょでいいなあ」と言ってた。
私の隣はエジプト人(だと思う)のおっさん。クーラーが寒いのでパーサーに止めてもらったら、また開けるの。それで「寒いか?」と聞くから「寒い」と言ったら、「ここは煙いから、新鮮な空気が欲しいんだ。寒いなら私の毛布もあげるから」「わかった」とあきらめたんだけど、このおっさん、その上何度も出入りする。斜め後ろに座っていたEさんが見かねて「隣があいてるからおいでよ」と言ってくれ、移った。喫煙席であいてる席があると、禁煙席になってしまったスモーカーが喫煙しに来るので、彼もいやだったらしい。そして私が移ったことであいた席に、日本人のお姉ちゃんがやってきて「ここで吸ってもいいか」とおっさんに聞く。すると煙いのがいやだったはずのおっさん、「どうぞ」と言った上に二人で話が盛り上がってた。なんなんだ!!!


1997年9月20日(土)

3:00 バンコク着。
4:50 バンコク発。あのおっさんはバンコクで降りた。やった!でも私の席は窓際だけど2席でしかも手すりがあがらない。でも多少は横になれたので眠れた。前の席も3人分そっくりあいたので、Nちゃんはそっちへ移った。
12:55 成田着。