無線に始まり無線に終わる

	小学5年で『初歩のラジオ』、『ラジオの製作』を見て秋月電子の広告に
	載った部品を通販で買い42(真空管)の一球アンプを作る。
	中学校で電話級(ハム)の免許を取り、高校で無線部に浸かり、無線の
	大学の進学し放送局に就職、現在に至る。

 初めは分解する事から
    幼稚園か小学校低学年の夏、いつもウチの定食屋の前の佐世保川の柳の木の下に
   オートバイが留めてある。むかしからその橋は「みゆきばし」と呼ばれ「行幸橋」と
   書いてあった。 朝いつも自分が幼稚園に行くときにも、帰って来た時もそのバイクが
   あった。 だから誰の物でもないと思って、柳の木の下でネジ回し一丁でバッテリーを
   外し豆球が点く実験?をした。
   当時のその事以外は殆ど記憶に残っていいない。 ただ、大人になった後で判ったが、
   バイクの持ち主は『相生市場』に店を出す「鹿子前町」の『米倉』という魚屋さんだっ
   た。
   父が偉かったのは、、わたしが人様のバイクを勝手に分解したにも拘わらず、父は
   一切 怒らなかった。
 
 暗黒の幼少時代
  我が家のルーツは「相生市場」の「みゆき食堂」の隣に、じいちゃん(母の父)が『白鳥
  飯店』という定食屋を出して貰ったところからだ。
  それ以外の事は、すべて父のDVの事だけしか覚えていない。
  母は父から恒常的に殴られ、蹴られ顔がボールのようにまん丸に腫上がり、その顔が今で
  も時々夢に出てくる。
   いつぞやかは何かが父の逆鱗に触れ冬の寒い中ホースで水を掛けられ、『わが子とに
  なして叩くとね…』と40〜50才の従業員のオバサンのアパートに何度も匿って貰った。
  でも翌日になると父はケロッとして定食屋を続けた。

 暗黒の小学生時代
   小学生になると、相生町は校区が大久保小。 毎朝相生公園に集合して集団登校する。
  大久保小は弓張岳中腹で、平地が少なく40分掛けて山に登る。 楽しみは毎月学研のおば
  ちゃんが売りに来る「科学」だけだった。
   長男長女までは「科学」も「学習」も続いたが、次男の時に休刊になり次女の世代はなく
   なってしまった。 少子化が進み末の娘は学研を知らない。

    ちゅか、「大人の科学」じゃ学研は商売になっても年寄りばっかじゃ先がないのよ。
    若い時かの興味や吸収力は無限だけど、年寄りに必要なのは葬儀屋だけ。
   
   父のDVは高校2年まで続き、母は自分が小5の修学旅行の時に黙って市役所に離婚届
   けを出し、離婚した。
   修学旅行の前日(前夜)、母は暫くおらんごとなるけど大人になったら必ず逢えるから
   ねと言い残して行方不明になった。

  その時は母が突然いなくなり寂しかったが、朝から晩まで働き詰めの挙句、店が終わると
  2部屋しかない奥の部屋では、母がグーで殴られる音と泣き声がいつまでも聞こえた。
   兄とわたしは、蒲団の中で恐怖で眠れず、起きてる確認のため時々互いの手を握り、
  起きてたら握り返す,の繰り返し、そのうち寝てしまっていた。

  店の商売に関しては、知る限り繁盛してたのでできるだけ家に居る必要のないソロバン塾、
  習字の塾(多分母の勧めで)に行かせて貰った。

  小学校4年のとき大久保小の近くの今福町のアパートに引越し、中学は相生市場近くの天
  満(テンマ)町の貸家に屋移りし、高校で谷郷町の電話局の向かい側のアパートに越した。
  多分DVの声・音が近所に聞こえたたからだろう。

  ある夏の夕方、兄が何かをやらかし2人で家出を決行した。 それまでは近くの公園程度
  までだったがその夜は相生町の家(店)から大野町の左石のばあちゃん(母の母の)家を
  目指した。
  市バスで10個くらいの距離?で真っ暗な中、ばあちゃんが留守だったら行く場所がないと
  子ども乍らに知恵を絞った。

   前にも書いたが母方は左石に真ん中に石橋が架かった島がある大きな池があり、兄は
  しょっかん(牛蛙)の鳴き声を怖がり寝れなかったが、自分は薪焚きの台所、電動「かき
  氷」の機械、家に五右衛門風呂,近くには「めがね岩」(当時は普通に上を渡れた)し
  眼鏡の付け根の水溜にボウフラが一杯、金魚蜂に沢山掬って観察でき探検心を満たす
  ありとあらゆる材料が揃っていた。

   ただ大野のじいちゃんは物心ついた頃には別居してて、橋を渡った向こうの雪印牛乳の
  でっかい牛乳瓶の看板(モニュメント?)の所で三味線弾きの芸者さんと暮らしていた。
   母が亡くなる数年前に聞いた話では、爺さんの妾さん(めかけ)さんの子が自分と同年
  代で兄と見合いさせようとしていたらしい。
  真偽の程は定かでないが一度だけその人に会った事がある。母の話ではJALの国際便の
  スチュワーデスだと聞いた、道理でいつもモロゾフのチョコレートの詰め合わせがあった。

   大野のじいちゃんは妾さんの家で亡くなり、葬式も牛乳瓶の下の家で行われた。 じい
  ちゃんにとって母は親だから当然だろうけど、ばあちゃんの心境は複雑だったろう。
   その前にばあちゃんは稲毛の長男さん(自分の叔父さん)に引き取られ何の病気もせず
  元気に暮らし、次の朝99歳で大往生を遂げ左石の墓に戻った。

 暗黒の中〜高2
  高校は谷郷町の中央公園を抜けた裏山の所。徒歩5分の近場、小学校よりも中学校よりも
  断然近かった。
   元々我が家は相生市場の2階の6畳+4畳半の超狭小場所で、1階が定食屋だったので
  食事は厨房で行っていた(現在は法律で保険所の衛生管理が必須)。
  また、便所は相生市場の共同トイレ、風呂は松浦町の銭湯「徳の湯」、夏場はラーメン
  用の釜の湯を掛け流すだけ生活。
  今と違って、風呂があるのはお金持ちの家だけだった,しかも銭湯には戦争で義足の人や
  や片手がない人が殆どだった。

   食事を客に提供する店(調理済み弁当を店舗を持たない露店、移動販売車など)道交法
   絡みでありとあらゆる規制の対象となり結果的に、お役人の雇用・公務員人口の増大を
   招いている ⇒ 公務員用語で「Job Security」

  毎日下校途中の市役所近くのバッタ屋に立ち寄り、ジャンクを漁り、小遣いでコツコツと
  ラジオやアンプを組み上げた。

  今思えば両親の仲は兎も角、相生市場の「白鳥飯店」を1号とするなら、島ノ瀬町に
  「豚太郎」2号店、矢峰町に「豚太郎」3号店、吉井町に「豚太郎」4号店と次々と店を
  オープンさせ、その間、長崎に出店するラーメン・ちゃんぽん専門店から何人も弟子を取
  って皆に店を持たせた。
  いつの間にか引っ越し生活は終わり、世知原町に平屋の木造瓦葺きの一戸建てを建て
  たが・・・

  高校2年の夏(まだ谷郷町に住んでたとき)些細な事で口論になり父が掴み掛かってきた
  が、エネルギーバリバリのクソガキになっていたから簡単にねじ伏せて息子の勝利。
  
   それ以降は父のDVは一切なくなった。 その時まで大人になったら絶対殺してやると
   心に誓っていた。
 
  でも、男手だけで兄弟2人とも大学に行かせて貰った。 商売は成功したが兄は48歳で
  亡くなったし、水屋も茶室も備えた世知原の豪邸は父と兄の按分の住宅ローンは数年を残
  し競売にかけられた。

DVからの解放,高3〜大学
  小学校の時から電気いじりが好きで、相生市場の1ブロック先(天満町)にソニーの
  サービスセンターができ、その頃相生町の角に同級生の家が「ますや」というスーパー
  店舗を貸し、受験戦争の真っ只中にお湯が出るカップヌードルの自販機が登場した。

  奇しくも「ますや」の上の同級生(ラニラ)と浜田町の仕立背広屋、電電公社の息子
  (ワキ)は中学時代の学習塾のライバルで国立理系、ラーメン屋の息子(自分)と相生市場
  の洋品店の跡取り息子(ショウボウ)と国鉄職員の息子が同じ系列の塾,こっちは全員
  ワンランク下の塾グループ。
   東高として『坂道のアポロン』に描かれてる「合同選抜」のモノクロ(薔薇色?)の
  時代だった。 

  中3の担任が偶々英語の教員で、日教組の熱心な活動をしていた。 「活動に参加する
  ため、ゴメンけどお前たち、自習にする」 その言葉はその時はまったく意味も理解※1
  もできなかった。

  別の時は音楽の先生が来た、亡くなった母が琴を習い嫁入りどう道具として家にあっ
  たしソニーサービスに来て貰って当時出たばっかの4ch(スピーカーが4つある)
  ステレオを買ってもらった。 クラッシック音楽はその頃から大音量で部屋を振動させ
  た。 音楽の先生はテストに言われた通りの勉強で5を貰った,才能?かも

  社会人となった今は意味も判るし理解できる。 先生は西海高校出身で、父も兄も西海
  母は「東高」の前身である成徳高等学校のお嬢様だった。

  その母も5年前に亡くなり大野町の墓に戻り天国から皆を見ているかもしれない。 母が
  死ぬ前に『わたしが死んだら葬式では「千の風になって」の曲を流して」との遺言』だった。
  皮肉にも父は存命で母よりも長生きしている。

  もう一人別の時、森xという理科の教員は佐世保川で捕まえた「鮎」をそんなドブ川に
  鮎の居るもんかと鼻から否定した。
   子どもながらに、コイツは全然あてにならんと感じた。 佐世保警察署の向かい側の
  教会の所の穴は常に冷たい山水が比良公園を少し登った東大久保町,久田学園(女子高)
  の下のた2mx2m位のため池があり、その付近を源流とする水路があるのではなかろう
  かと思う,それが「清水町」の由来?

   百聞は一見に如かず、百見は実に如かず じゃ、クソ森x。

  日教組の是非は置いといて、担任の先生の事は社会人になった今も、親になって考えても、
  まったく間違ってなかったんだと胸を張って断言できる。 
  中3のタロウは自分よりも早くにハムの免許を取ってて、呼び出し符号がJH6NDBで自分は
  2年遅で高校生になってから免許を取ったのでプリフィックスがJR6になってしまった。

  そのタロウがヤバかった,家の玄関に児玉誉士夫さんの自筆の掛け軸があり、彼の
  お父さんが長崎県のU翼のボスだったと聞く。
  高1の正月、東高に進学が決まり、軽い気持ちでお年玉ねだりに遊びに行ったら佐世保の
  市長さんとか,U翼系の偉いさん?やらK産党?人のなど、錚々(そうそう)たる顔ぶれの
  人々が新年の挨拶に来てた。

   タロウは京大に行ったが自分は通信屋になると決めてたから電気科や電子科じゃなく
   通信に進み、そこでも中学・高校の同級生の彼は自分の大学の学長くらいは知ってたけど、
   理事長が「戸締り用心火の用心」の人とは知らず、タロウは理事長さんの事を「〇〇先生」と
   呼んでいた(A級戦争犯罪容疑)の人,ヤッバ!
  
    自分や同級生の友達が社会人になってから、中学の同窓会で当時の担任が日教組の県北
    の纏め役を務められてた時に、家庭教師の依頼を受け断れなかったと吐露されたのを
    思い出す。 
    中坊のクソガキ如きじゃ、思想は自由だが学生運動に親の仕送りで生活させて貰う立場
    じゃ説得力ないし。 
    同窓会に出るくらいの年齢※1にならないと分からんの意が解せた。

    実は、「戸締り用心火の用心」のテレビCMは何の先入観もなく見ると(聞くと)映像
    じゃ自分もジイさんなのに、その母親である婆さんを背負っている場面がある。
    先入観がなければ正しい事を言っているだけ。 
    今の若者にはどう映るんだろう、善悪の判断は自分で決めなければならない。
     また特に子ともに対してだけど、子どもに宗教をしてはいけない。誘導してもいけない。
    その人が、自分の死が見える時期になる年齢(平均寿命の3分のより歳)とってからで
    十分間に合う。
    
    で、A級戦犯容疑(わたしの母校の理事長)の人は、少なくともハンセン氏病の撲滅に
    努め、あまり知られてないがNASAが唯一日本がアポロのロケットを借りる事が可能な
    人だった。 モーターボート協会がお金持ちだったから?(余談の余談)

  高3になってようやく受験勉強をした。 だいたい日ごろから朝は早朝補習に午後からの
  補習。 土曜は半ドンだったが、昼からは土曜演習。 兎に角これでもかってくらい詰めに
  詰め込まれた、試験で正解する練習を朝から晩までやってた。
      ⇒ バカでも点が取れるようになる。
  わが子には、女の子を工業高校に男の子は商業高校を勧めた。 
  補習は「補う」ものであるべきなのに、授業料とは別に同じ高校の教員が授業を進めた。
  国立大に何人入れたかが教員にとっての最終的成績として評価されるから芸術や体育
  の先生以外は全員嫌いだった。 無線部の顧問は定年間際の数学の教員である事ぐら
  いしか知らなかった。

  高2の夏休み6mdownコンテスト。 偶々その年は女子部員が6人も在籍,3年の先輩
  が1人、2年3人、後輩2人。 部費で買った新品のTS-520と先輩部員が寄付してくれた
  TS-500が1台。 みんな電気好きなんで100ワットQRO改造。
  本館屋上(校舎のT字の所)の15m/20m帯3エレとワイヤーDP数本で運用した。
  部の顧問はコンテストが始まる前に戦時中の話をして帰った。

  コンテストが始まると父が餃子とラーメンを出前してくれた。後はくじ引きでオペレーターを
  交代する。 女子は買出しや飯作り&お茶汲み係り。 入学した年?に北星寮が完成した
  が体育系クラブしか使用許可が出ず、無線部部室の天井裏の隠しスペースで宴会をした。

  無線機2台じゃ当然オペレーターが余るから駄弁りタイム。 同じ2年だけとハムの免許も
  持たない福石中出身のツヨシと長浜君。 ツヨシはオーディオ好きで東京の音大に行った。
  長浜は悪人間ではないが曲(クセ)者。

   時代は違うが小学生の時の先生が長浜君のお父さんだった、エッチな話しする先生! 
   親子で良く似たもんだ。

  部室の天井裏で女子1人と長浜と自分が仮眠した, 眠れる筈もなく女子にちょっかい
  出し始め、長浜君も自分も女子一人で口内発射させて貰いすっきりした。
  奴(長浜)は普通に変体で! 仮眠時間の後、次の順番?でまた同じ女子に発射させて
  いた。
  彼女は学年一ブスだったのでバレたら一生の恥と思い卒業まで隠し続けた。
  
  本当は1年の茶道部の応援で手伝いに来たクミが好きだった。 でも夏が過ぎ、そのあと
  四ヶ町のジャスコの屋上デートまでこぎ着けた。 その子とは何も無く卒業して別れた。

  クラスに海外留学してたという1個上の女子が帰ってきてうちのクラスになった。
  1学年で10組まであって、45人位いたから学校で逢っても声かける事もなかったが、
  自分が通った幼稚園の経営者の娘がワダさんだった。

  文化祭の時、無線部は製作の仕上げに入っててそのワダさんと話す時間も興味もなかっ
  たけど彼女の方から声を掛けて来て、次の週の高専際でデートする事になった。
   無線の話は ※2 へ、 デートの続きはこの下へ。

  高専での彼女の自宅日野町(2軒の幼稚園経営)デートは市バスで佐世保駅で乗り換え、
  先は徒歩。 楽しくお話・・・の筈だったが、彼女は年齢は1つ上なだけだけど、以上の
  オトナ。 国経大(国際経済大学)の彼氏とデート(ダブルブッキング?)
  オトナな彼女は、自分と話が合うであろう妹を連れてきた。 妹の方が断然カワイイじゃん
  ラッキー!!!
  妹は中3ニキビがちょっと。 何度かデートして立ち消えだっていつも姉ちゃんが見張っ
  てる。

※2 JA6YCHってのが高校のクラブ局の識別信号(コールサイン)工業高校がJA6YBT,
  南高がJA6YEL、高専がJA6YEI。 高専だけが免許更新して有効なコールだ。
  県立西高は昔市立だっから創部される前に無線部は衰退の一途を辿り、平成に入って
  からは、どの学校も無線部は存在していない(高専以外)。


<書きかけ>

  大学生、親の箍が無くなり勉強が面白く可能な限りの講義の単位を取った。バイトは
  その前にクラブは当然無線部。 新入生歓迎コンパで

  


人物   幼稚園: 和田先生♀   小学校: 4-1 中村先生♀  4-2 理科の鳥谷先生♂        5-1 白豚♀     5-2 長浜先生♂  6-1 吉谷先生♂  6-2 松尾先生♂    男子: タケト、ショウボウ、ハッツェ、ワキ、ラニラ、ボーチュウ、ハクチョウ    女子: エツコ、ブスモリ、ヨウコ、カズエ、オオツボ、サトミ、メガネザル                                中学校: 数学(担任)x浦、ほか 音楽:x口、現国:x藤        英語(担任)x浪、体育:x川        英語(担任)山x、理科:森×、水泳部顧問 堂×    男子: タケト、ショウボウ、ハッツェ、ワキ、ラニラ、タロウ、自分    女子: エリ、ブスモリ、ヨウコ、カズエ、オオツボ、サトミ   高校〜: 数学(担任)尾x(中学校長の息子)、水泳部(必須)顧問 竹x        英語(担任)房x(ウチの3号店)の裏        物理(担任)長x、津x、伊x(無線部顧問)    男子: ショウボウ、ハッツェ、ワキ、ラニラ、ボーチュウ、自分、ツヨシ、ナガハマ    女子: カズエ、ドツボ、サトミ、ワダさん、クミ、ユッコ    クラス別: 1〜3組;就職、私立・芸術・音大            4〜9組;国立文系             10組;国立理系   社会人:     日立製作所: ホリ君;高校同級生、Cクラス、写真部    労災病院:   キザキ、内科医師;高校同級生、Cクラス    ヤマハ楽器:  CD/DVD/ BDプレスの工場の専務    日産自動車:  海外事業部? 無線部部長、高校同級生、Aクラス