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大宰府 神牛 麒麟(きりん) 鷽(うそ)
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大宰府天満宮 (だざいふてんまんぐう)(Dazaifu Tenmangu)
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太宰府天満宮には神牛の置物やブロンズ像がいくつかあります。
太宰府天満宮と牛にはどんな関係があるのかと申しますと、 道真公が59歳の春に亡くなられた時、お亡骸を乗せた牛車が 都府楼の北東(うしとら)の方向へ向かって進んでいたところ、 まもなくその牛が動かなくなりました。それを道真公の御心によるものだとして、 牛車の止まったところ、当時の四堂のほとり、御遺骸を葬ったそうです。 人々は道真公を慕い、お墓の上にお社を建てました。 これが現在の大宰府天満宮の始まりだそうです。 道真公は、後に太政大臣に復され「天神様」として崇められるようになったそうです。 また、道真公は、承和12年(845)乙丑(きのとうし)の歳のお生まれだそうです。 他にも、天神信仰が初め農耕神として発展したことや、 当時牛が農耕のシンボル的存在だったことも大きく関係しているそうです。 |
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麒麟(きりん)および鷽(うそ)像 (県指定文化財)(現地説明板より)
麒麟は中国の瑞獣(ずいじゅう)思想上の動物で、聖人が現れて
王道が行なわれる時に出現すると伝えられ、菅公御聖徳をたたえたものといえる。 鷽は、一月七日、一年中の嘘を天神様の誠心と取り替えていただく 鷽替(うそかえ)神事縁(ゆかり)の鳥で、幸運を運ぶ天満宮の守り鳥でもある。 嘉永五年(1852)年に奉納されたもの。 |
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大宰府の神牛さんには、自分の身体と同じ神牛の部分を祈念を込めて、
撫でさすれば身体健全はもとより病気全快するといわれています。 また神牛さんの頭部を同じように撫でさすれば、知恵が付くとも言われています。 今回驚いたのは、どの神牛さんも鼻の頭がぴかぴかになっていたことです。 きっと昨今花粉症の方が多いので、皆さん神牛さんの鼻を撫で撫でしたのでしょうね。 以前、あまりにも熱心に神牛さんを撫でていたら、力が入りすぎたのか、 「ごごっ」と音がして、神牛さんがちょっと動いてしまい驚いたことがあります。 |
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菅原道真公は承和十二年(845年)6月25日、乙丑(きのとうし)の年に御誕生になりました。
また、菅公は延喜3年(903年)2月25日にお亡くなりになりましたが、 ご遺言に「遺骸を牛車にのせて人にひかせず、牛の赴くところにとどめよ」と仰せられ、 その牛が動かなくなったところを御墓所と定めました。それがご本殿の地です。 このほかにも天神さまと牛についての数多くの伝承が伝わっていて信仰の深さを知ることができます。 文化2年(1805年)乙丑の年に奉納されたこの神牛の臥牛像は、 自分の身体と同じ神牛の部分を祈念を込めてお互いに撫でさすれば身体健全はもとより 病気全快するといわれ、また神牛の頭部を同じように撫でさすれば 知恵が付くという信仰がございます。 神牛像 (福岡県指定文化財)江戸時代 奉納者 博多連中 世話人 西嶋半七祐寛 画工 眠蝶斎耕景守章 鋳工 山鹿儀平藤原包賢 |
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鷽(うそ)と天神さま
鷽についての言い伝えは諸説あります。
道真公は、嘘をつかない誠実なお人柄であったことから、「嘘」と「鷽」をかけたとか、 鷽の字の形が「学」という字に似ているので、学問の神様とかけたとか、 鉢の大群に襲われていた道真公を鷽が救ったからとか、 鷽は幸運を招く鳥なので、幸運を招く天神様の守鳥となったなどなど 知らず知らずのうちについた嘘を天神様のまことに替えていただくということだそうですが・・・ ま、どちらにしても、天神様とはなんとお心の広い方なのでしょう。ありがたい話ですね。 |
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麒麟の像 (太宰府天満宮の説明より)
天満宮の宝物殿のそばに、中国の伝説上の動物、麒麟(きりん)の像があります。
実は、この麒麟が太宰府天満宮の聖域の境界線、すなわち「結界」になっており 麒麟の胸から本殿側が聖なる領域なのです。 また、この麒麟にはおもしろいエピソードがあります。 長崎のグラバー邸で有名なグラバー氏がこの麒麟像をこよなく愛され、 数回に渡って太宰府天満宮を訪れては麒麟の像を鑑賞していたそうです。 グラバー氏は、友人が設立したビール会社を引き受けましたが、 その時名前を「キリンビール」に変えたそうです。 それが今のキリンビールになったとのことです。 |