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はじめに…
2004年より、あしかけ7年に渡って「二宮金次郎像」の研究をしてきました。
その間、テレビや雑誌に参画し、新聞に紹介される程になりました。
一方で、その時々の断片的な情報が、このサイトの中に無造作に散らばってしまっているんですね。
そこで今回、比較的アクセスの多いページを4つ選び、まとめて上書きさせて頂くことにします。
(本当に勝手ですみません)
尚、元ページは、コチラ
の方に保管してあります。
さて、個人的な話はココまで。
本当は「パターン分類とその歴史のまとめ」が主眼なんですが、まず準備体操として、色々なバリエーションをご覧下さい。
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| 神奈川県小田原市立豊川小学校 |
神奈川県藤沢市某企業 |
神奈川県常泉寺 |
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| 愛知県豊橋市立前芝小学校 |
神奈川県飯泉山勝福寺 |
怪しい少年少女博物館 |
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| 神奈川県箱根町立湯本小学校 |
神奈川県如意山善栄寺 |
神奈川県小田原市立桜井小学校 |
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| 尊徳記念館 |
八重洲ブックセンター |
静岡県報徳社 |
なぜこのようなバリエーションが出来たのかというと…まぁ、像の数だけ理由があるんですが…座っている像などは
歩きながら本を読むのは危ないよ
という、学校側のメッセージがあるんですね。
そりゃ、それで分からないでもない。
ところが、もう1つ顕著なのは
金次郎の凄いところは、勉強していた事ではなく、何をしたのかにある
というメッセージなのです。
金次郎…名字帯刀してからの二宮尊徳は、多くの弟子達を残し、後に一種のファンクラブを形成していく。
そのメンバーは「報徳人」と呼ばれていくんですが、面白いのは、彼らは良くみかける金次郎像の「薪を背負う姿」を必ずしも是としていない事なんですね。
勉学をしていた金次郎を敬愛しているのではなく、理論と行動が一体となったその思想を尊敬しているんです。
だから、氾濫を起こす酒匂川の堤防として「松の苗を植えた」エピソードを元に、鍬を持った金次郎像を造っちゃったりするんですよ。
まぁ、中にはお行儀の悪いノリもあったりするんですが…
さて、そんな金次郎は、そもそも何をした人なのでしょうか。
実は、「ニノキン」は幕末の頃の農民なのでした。
彼は農地改革や悪天候に強い作物を広め、藩の財政を建て直し、幾多の村づくりなどに尽力して、後に武士の身分を許される。
なので幼少のミギリは、苗字のない、天下の農民「金次郎」…のはず。
像や史実を追っていくと、「二宮金次郎」という言い方をせず、「二宮尊徳御幼少時」としている表記が数多くあります。
「たのきん」時代はワタシが中学生の頃でしたが、「ニノキン」時代は存在しないんですね。
そんな金次郎像は、同一人物としては世界で最多の数を誇ります。
それらは、上記イレギュラーを除くと、大きく2つ、細かく3つに分類できると考えています。
いよいよ本題へ行きますよ。 |
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ここでやらねば、誰がやる
今回の つったか隊
は、 二宮金次郎像の歴史を紐解きます。
用意はいいですか。
この発表内容は、日本…というか世界初です。
像の研究自体は今まで幾多の研究家がいらっしゃると思いますが、パターンに分類して、そのそれぞれの成り立ちを解明した研究は他にありません。
まずは、その基本パターンの2つをご紹介します。
【着物右足ニノキン】
→
裾が出た「着物」を着て
右足が前に出る
これは、富山にはじまる「銅像系」の製作史なのである
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← 【モンペ左足ニノキン】
裾を入れた「袴」を着て
左足が前に出る
これは、愛知にはじまる「石像系」の製作史なのである |
それぞれの詳細は、次回以降に説明します。
今回はとりあえず
二宮金次郎像は、着ている物と足の出方に法則性がある
事を憶えておいてください。
勿論、例外もあります。
ですが、ほとんどの像を説明できる「統一理論」があるんです。
それは、ザックリこんな感じです。
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「明治四十三年」の初号機を含めると、細かく3パターンになります。
T.初号機が誕生したのは小学校とは無縁の明治時代であり、この意匠は、昭和七年を最後に愛知県岡崎市で絶滅する
U.小学校に残る最古の「ニノキン」は、同じ愛知県の「前芝小学校」であり、これはその後「モンペ左足の石像」に変化して、全国に広がる
V.もう一方の「着物右足」は、富山の「平和合金」で銅像として作られ始め、後に戦時供出として回収されてしまうが、石像として復刻する
ニノキンの研究が進まないのは、こうした3パターンが複雑に入り組んだ背景と、それにも増して銅像が「戦時供出」で集められてしまったからなんですね。
本来銅像固有の意匠だったものが、後に石像で復刻したりする。
キチンと整理すれば、整然とした系統樹が描けるんです。
少し長くなってきたので、続きは次回にしましょうか。
「二宮金次郎像」のはじめて物語と、初号機とその後の歴史をご紹介します。
>>>続編追加されました。二宮金次郎像のはじめて物語
■ 補記
上書きによる内容変更の為、「こんなサイトにリンク貼った覚えはねぇよ」というご指摘があるかと思います。掲示板なりメールでご連絡ください。
旧ペーシと新ページの対応表は、コチラ
を参照ください。
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