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八木邸。 壬生寺の隣にある。壬生村の豪農だった八木源之丞の家を仮の宿にしたまま屯所として居座ってしまったわけだ。この八木邸で新選組は生まれ、芹沢鴨、山南敬介、河合耆三郎などが死んでいった。内部など当時のままに保存され、現在も子孫の方が生活されている。ちなみに内部の写真撮影は禁止。 芹沢鴨が死んだ部屋はものすごく狭く、鴨居の刀傷も恐ろしく低い位置にあった。当時の人は小さかったんだね。ドラマだと芹沢鴨を殺そうとして土方や沖田、山南などが庭を駆け回っていたけど、見たら、本当に狭い庭だったのには驚いた。 |
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現在八木家は和菓子屋を経営している。八木邸の見学料は1000円。左写真の和菓子とお茶つき。ついでにガイドの説明つき。これを安いと見るか高いと見るかは人それぞれだが、私は安いと思った。ただ見ただけではわからない当時の家の様子や、芹沢暗殺の様子はやはり聞いてみないとわからない。そして、写真の屯所餅。美味しかったよ。 |
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新徳禅寺。 壬生寺の向かいにある。清河八郎の建策によって集められた浪士組は、本来の目的であった将軍警護のためではなく、攘夷実行のため、朝廷の軍隊になるのだとこの寺の本堂で説明される。この清河の策略に近藤や芹沢が反発をし京都に残って結成されたのが壬生浪士組。のちの新選組というわけ。ちなみに新徳禅寺は非公開。 |
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前川邸。 八木邸の前にある。八木邸だけでは手狭だったため、お向かいさんにも間借りしていたわけだ。この前川邸で古高俊太郎の拷問が行われ、山南敬介が切腹した。恋人の明里と別れをした出窓は取り払われているが、外観は当時のままだという。現在は工場となっており、中を見学することはできないが、休みの日は玄関先でみやげ物を売っているという。私が行ったのは平日なので、作業をしていて当然のことながら中には入れなかった。 |
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壬生寺 この境内で、よく調練や稽古をしていたという。そして、境内には芹沢鴨ら11名の隊士が眠っている。今はのどかな境内であるが、血気盛んな若者たちがこの場所で駆けずり回っていたわけである。 |
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壬生寺新選組墓所にある近藤勇像。 リアルだった。自分が粛清した芹沢鴨の墓の前に像がある気分というのはどんなものだろうか。 |
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芹沢鴨の墓。 一緒に殺された平山五郎と一緒に葬られている。佐藤浩市演じる芹沢鴨に香取君の近藤勇は完全に食われてましたね。芹沢鴨暗殺の場面はなかなかいい演出だった。実際、剣は強かったらしいよ。酒癖さえ悪くなればねえ…。虚勢を張って生きていたのかな…。 |
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河合耆三郎の墓。 新選組の勘定を任されたが、その不始末から切腹。真相はよくわからないが、近藤勇が深雪太夫を身請けするお金で計算が合わなくなったという説もあるが、大河ドラマだと武田観柳斎が一方的に悪者になっていた。 |
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「あゝ新撰組」歌碑 今は亡き三橋美智也の歌。歌碑の手前に100円入れるところがあり、お金を入れると何と歌が流れる。無視して通り過ぎようと思ったけど歌詞を読んでみて、なかなかいい歌詞だと思い、100円を入れてみた。すると、哀調を帯びたメロディーが流れてきて思わず聞き惚れてしまった。この歌は、まさに新選組を言い表している歌詞。気に入ったので、CDを買ってしまった。 写真をクリックすると大きくなります。歌詞をじっくり読んでみてください。味わいがありますよ。 |
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山南敬介の墓。 八木邸から東へ300bくらい行ったところにある光縁寺にある山南敬介の墓。寺の紋と山南の紋が同じ、住職が同じ年ということで山南敬介はこの寺を懇意にしていたという。そういうわけで、切腹してこの寺に葬られた。大河ドラマでは山南敬介切腹の場面は涙涙の演出にしていたが…。寺の雑記長を見ると「山南さん、あなたの生き方は格好いい」とか、「明里さんとあの世でお幸せに」とかあって、モロにドラマの影響といった感じで。山南敬介切腹の真相がわからないし、今まで山南敬介にあそこまでスポットを浴びせた新選組もないから、あれはあれで斬新な演出だったのでは。 |
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これが寺の紋。山南敬介の紋と同じ。 |
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光縁寺には山南敬介だけでなく、切腹していった隊士の墓が残されている。墓所のすぐ脇に京福電車が走っているが、大正時代までは現在の線路の下に土葬されていたという。線路建設のために、掘り起こし現在の墓石の下に葬ったという。一番左にある墓石に松原忠司の名が刻まれている。 |
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さらに光縁寺には「沖田氏縁者」と刻まれた女性の墓がある。過去帖には俗名が残っておらず、誰の墓だかわからない。沖田総司が喪主を務めたということまではわかるのだが…。 |