初の武家政権である鎌倉幕府にも翳りが生じてきた。それを見た後醍醐天皇は、政権を再び朝廷に取り戻すべく笠置山で倒幕のため挙兵した。これに呼応した河内の悪党楠木正成が赤坂城を築き、幕府軍を迎え撃つ。しかし、多勢に無勢。いったんは城を捨て、正成は姿を消す。この間、後醍醐天皇は捕らえられ、隠岐に流されてしまった。これで幕府は一安心…だった。 翌年、突如として姿を現した正成は赤坂城を取り戻し、赤坂城からその奥の金剛山に至るまで数多くの砦を構築した。これが千早城の始まりである。1333年、幕府の大軍が大挙して河内へ攻め入り、千早城に迫った。数は圧倒的に幕府軍が多い。そこで無造作に城をよじ登った。それを見た正成、寄せ手を十分引き寄せて四方の崖から大石を落とした。それでも数だけは勝っている幕府軍は再び城を登り始める。さすがにもう大石はないだろうと…。そしたら降ってきたのね。煮えたぎったお湯、そして、糞尿。散々コケにされた幕府軍。今度は遠巻きにして持久戦に持ち込んだ。山だから、やがて兵糧は尽きるだろう。しかし、正成は藁人形に甲冑を着せ、兵杖を持たせ、夜中のうちに城の麓にたくさん並べた。そして、夜が白々と明けたころ、いっせいに閧の声を上げた。これにまんまと引っかかった幕府軍が藁人形めがけて突進する。そこにまた大石を落とす。 太平記などでおなじみのこの合戦の風景。私は一度でいいからこの赤坂城と千早城に行ってみたかった。念願が叶い、行ってみた。赤坂城は中学校の敷地となり、山の斜面には美しい棚田が広がっていた。千早城は車があえぎあえぎ金剛山を登っていき、麓までたどり着いた。現在はロープウェーがあって気軽に登れるが、ロープウェーには行かなかった。登山道から登ろうと思ったが、説明板を見て、往復で2時間以上かかることがわかり、次の予定もあったので断念した。ただ、いかにも深山という感じで、こんな山奥で幕府の大軍を4ヶ月も釘づけにした楠木正成の戦術に素直に驚嘆した私であった。 |