 太宰治が生まれた町、青森県金木町。最近では演歌歌手の吉幾三でも有名。そんな金木町に風変わりな城がある。その名を小田川城という。まず、小田川城正門入り口にある看板に書いてある小田川城の由来というものを紹介したい。 「1579年(天正7年)、羽柴筑前守、秀吉は、織田信長の命を受けて、奥州、津軽地方喜良市部落の山林「大判沢」と言う所に金採掘の為、総勢13,500人の兵を連れてやって来たという。 そのとき、喜良市と嘉瀬の間の小田川山に出城をかまえて小田川城を築城、金採掘の為に小田川城から司令(ママ)を出し、金山採掘の人夫達の宿泊の場となったのである。 その時、羽柴秀吉は喜良市部落の酋長、喜良市三上佐助高敏の長女、とら姫と縁を結び、その長男は羽柴と三上の二つの姓を名乗り、津軽の守護代として、数百年続いたという説である。 現在は、17代城主、羽柴誠三秀吉の手により、平成2年、7月25日、小田川城を復元したのである。」 私は八方手を尽くして調べてみたが、1579年に羽柴秀吉、後の豊臣秀吉が津軽に来たという記録はなかった。その当時秀吉は、近江長浜にいて、織田信長の天下布武を手伝っていたのである。小田川城由来に書いてあることは事実なのだろうか?それは、羽柴誠三秀吉こと三上誠三氏の中では事実なのだろう。妄想というには手が込んでいる。それは、本当に城があるからである(写真右)。 この三上誠三という人物は何者なのだろうか。金木で観光業などを手広く行っている実業家である。しかし、実業家よりも注目を浴びる選挙に立候補しまくることで全国的に有名といったほうがいい。今までに、金木町長選挙、東京都知事選挙、大阪府知事選挙、衆議院総選挙大阪1区、参議院議員比例代表(自由連合)と数々の選挙に立候補して、そのすべてに落選している。さらに、あの田中康夫長野知事の不信任による長野県知事選挙にも出馬。念願の「羽柴秀吉」の名前で立候補し、なんと1万票近くも獲得した(もちろん落選)。本人がどこまで本気かどうかはわからないが、扱いは泡沫候補。端から見ると趣味で選挙に出ているとしか思えないが、私はあそこまでやると一種の爽快感を覚える。 羽柴誠三秀吉氏は豊臣秀吉の生まれ変わりだとある占い師に言われて以来、「羽柴秀吉」の名前を使っている。なぜ、「豊臣」と名乗らないのかと訪ねられた際には、本当は「豊臣」と名乗りたいが、畏れ多くて「羽柴」と名乗っているのだという。だから、彼の夢は太閤さんのお膝元である大阪府知事なるのが夢なんだそうだ。また、彼の息子はかつて日本テレビで放映されていた元気が出るテレビの平成口げんか王で人気を博した三上やまとである。今もレポーター等で活躍しているというが…。城の入り口にはやまとの故郷と書いてあった。 秀吉の生まれ変わりであるから、自分の家を城に改造している。それが小田川城。私は里帰りした際、暇つぶしにこの城を訪ねた。金木の町外れ、田んぼのど真ん中にその城はあった。あまり趣味がよいとは思えなかったが、一応城の体裁を整えている。まあ、田舎に行くと、城みたいな家をつくる人って多いしね。さて、小田川城内には面白い施設がある。羽柴誠三秀吉氏は実業家。観光業と土建業を主にしている。小田川城内は小田川藩として一種の独立国家になっているので、小田川観光の本社が合同庁舎という名称になっていたのを見て、思わずめまいがした。さらに、ホテルがあって、なんとその外観が国家議事堂(写真左)。まためまいが…。これには落ちがある。実はこのホテル、一回火事で全焼しているのである。全焼する前のホテルの外観は何と、平等院鳳凰堂(10円玉の裏)だったという。さらにめまいが…。ホテルの入り口に行くと内閣総理大臣羽柴秀吉の看板が立っている。まためまいが…。このホテルには日帰りの入浴施設があって、300円では入れる。その名も秀吉の湯。温泉だというので、話の種に入ることにする。効能がいっぱい書いてあるが、なぜか泉質が書いてなかった。まあ、細かいことを気にしない。湯はなかなか。しかし、浴室の壁が…。一面の紫。まためまいが…。聞くと女湯の壁は一面のピンクだという。またすごいことに、館 内の壁には羽柴誠三秀吉の選挙ポスターが、これでもかというくらいに貼ってある。まるで、どこぞの宗教施設のようだ。兜をかぶっている羽柴誠三秀吉、紋付羽織の羽柴誠三秀吉、黄金のポスターまである。まためまいが。外に出てふと見ると、なぜか稲荷神社がある(写真右)。お稲荷様は商売繁盛の神様。まためまいが…。 ここまで徹底してやれる羽柴誠三秀吉。すごい!!ある種の爽快感がある。地元の評判とかそんなのは知らん。自分の道を貫いてくれとしかいいようがない。ぜひとも、大阪府知事になれるよう、頑張ってほしい。さあ、次はどの選挙に立候補するのだろう。 頑張れ、羽柴誠三秀吉!!
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