共依存

依存症はもちろん依存行為をしてしまう人に問題もありますが、そばにいる人も自分自身を見つめてみませんか?

「一人で依存は続けられない。そばに支える人がいる」ということから生まれた言葉が共依存(イネーブラー)です。

例えば、酒による不始末の尻拭いをする妻、ギャンブルの借金を肩代わりする家族、 子供の暴力に耐え続ける父、
心配しあれこれ世話を焼く母親など、これらの行動全てが、本人が現実と直面する機会を失わせ、結果的に依存を
可能にしている、とされています。実際に我が家では、私と義母が共依存です。

借金の肩代わりをする、経済的暴力に耐える、心配しあれこれ世話を焼くなどが我が家では「当たり前」です。
妻なら耐えるのは当たり前、嫁なら当たり前の家でした。結果はどうでしょうか。義父は義母が借金を返してしまう
から、借金自体問題ではないと思い、またギャンブルをやる。私が義父の世話をしてしまうから、義母は嫁がいるからと
遊びに行く。私がなんでもしてしまうから、夫がギャンブルにのめり込む。悪循環でした。

家族だから問題に直面したときに、悩み、心配し、とまどい、助けたくなるのは当然だと思います。ですが、過剰に結果
を期待して、「この病気を治せるのは私しかいない」と思いあれこれ先回りして世話を焼き、結果、状況が改善されない
と、「私はもうだめだ」と私は自分を追い込んでいました。
そして、「私のやり方が悪いからこうなっているんだ」と自分を責めて、また違う方法で世話を焼いてしまいました。
だけど心の奥では、こんなに思っているのになんで?っていつも思っていました。

共依存になってしまう原因としては、
・「見捨てられ感(この人なしでは私の人生は考えられない)」
・「他人の評価(夫が世間体の悪いことをしたら、私が叱られるなど)
・「自己評価(夫の世話をしない私は最低な女だ)」など、「私はどうしたいのか」と声に出すことを、幼い頃に抑圧され
 たり、習慣化されてしまったことからなることがあるそうです。

日本では「忍耐」や「根性」が美徳とされる文化でした。自己主張すれば「わがまま」と言われ、人と仲良くするためには
自分を押し殺していきなさいという文化です。実際にそのように親から言われたり躾けられた経験が皆さんにもあると
思います。(ビジネスの世界では最近は欧米化が進み、自己主張できる社会になりつつある企業もあります)
私は子供の頃、自己主張をしたら叱られました。叱られてしまうから自己主張が怖い存在となりました。
自己主張(自分の意見)を言えない環境だと、自分を否定された気持ちを持ったまま大人になるということです。
また存在自体を否定されて生きてきたら(お前なんかうちの子じゃないなど)、世話を焼くことによって感謝されること
で、自分の存在を確認してしまうのです。そういった積み重ねの結果が、自分を喪失してしまったことになり、共依存に
陥るということだそうです。

共依存が関係依存症と言われるのは、他人に評価されることで自分の存在価値を見出すので、常に他人の評価を
気にする、判断基準が他人ゆえに「自分」がない状態で物事を見たり、判断する関係依存症と言われるのです。
「私がなんとかしないとこの人が困る」はどこかで夫から感謝されたかったり、人を助けたという満足感が欲しいから、
助けたことの結果がいいことか悪いことか予測できないのだと思うのです。

・みんなに好かれたい、受け入れられたいと思っていますか?
・物事の判断基準や良し悪しを他人に時折確かめたくなりますか?
・自己主張すると、相手に嫌われると思いますか?
・困っている人を周りで見かけると、何とかしなくてはと思いますか?
・一緒にいる人がつまらなそうだと「私のせい」と思ってしまいますか?
・誰かに期待されたり頼まれると無理してでも頑張ってしまいますか?
・物事を「正しい」「悪い」の二つの選択肢でしか判断することがありますか?
・「自分がここにいていいのかな」と漠然とした不安に襲われることはありますか?
・人生は楽しむものではなく、努力して切り開いていくものだと思いますか?
・もっと違う自分にならなきゃ、もっと頑張らなきゃと自分で思いますか?

ただし、共依存=悪ではないって私は思います。
人として、他人を思いやったり、相手の身になって考えたり、我慢強かったり、面倒見が良かったりするのって、悪く
ないと思うのです。ただ、自分に害が生じても止めないのが良くないかもね、というだけなんです。

■新たに夫が借金してしまっても、尻拭いをしてしまうのは、相手(夫)が困っているから、私も困ったときは助けて欲し
  いから助ける。=害(スリップ、悪化)
■夫は仕事をしていて、手続きとか大変だから(相手を思いやって)私がやるわ。
  =害(夫に現実を直視させる機会を失う)
■夫はストレスが溜まっていたんだから、少しは妻として我慢しなきゃいけないのかな.。
  =害(NOと言えない、言うのが怖いなどから自分にストレスを溜めてしまう)

私の人生において最大の共依存行為は、借金返済で生活が苦しいのに、苦しいと言えず、自ら自分のカードで
借金をしてしまったことです。そのお金で今思えば贅沢な食事をしたり、買物もしました。
そういうことを夫に言えなかった。だけど3度目の借金発覚のとき、私は全て打ち明けました。
やりくりできなくても結構!貧乏でも上等だ!と思ったら、意外と肩の力が抜けてやりくりも苦にならなくなったし、
私の中で覚悟が出来ました。どこかで夫の借金につき合わされていると思う私がいました。
お金がなくても心が温かくなりました。自分で決めた「今」だからだと思うのです。
「いい妻」、「いい嫁」は卒業しました。だからって悪妻でも鬼嫁でもないですよ(笑)

共依存と気づくことは、これ以上夫のギャンブルに対して支えたり、手を貸したり、破壊へ導くのを自分に対して食い
止めることになります。だからそこから新たなスタートだと私は思います。
私は共依存と気づいて新しい自分へ軌道修正を始めました。
つまずくこともありますが、新しい毎日、新しい自分が楽しいと今は思っています。

共依存と言う言葉は、アルコホリスク(アルコール依存症者)の妻が、どうして繰り返されてしまうのか考え共通点が
あることに気づき、生まれた言葉です。
自分が共依存と気づいたことは、「夫のことから自分へ目が向けられた=あなたの回復の始まりなんだよ」という
メッセージが込められているのです。

気づきは始まり。どうか自信を持って下さいね。

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