乙女峠まつり

毎年5月3日に、島根県津和野町で行なわれる乙女峠まつり。町をあげての初夏の一大イヴェントです。

キリシタン殉教地「乙女峠」
慶応元年(1865) 長崎浦上の4千人以上の隠れキリシタンから少数のものが、当時フランス寺とよばれて
日本人は立ち入り禁止であった今の大浦天主堂に入り「サンタマリアの御像はどこ。ここに居ります私たちは、皆、あなた様と同じ心でございます」
との有名な言葉によってキリシタン発見は、はっきり認められ、キリスト教の歴史の中に入りました。
徳川250年間以上のきびしい迫害にも彼らの先祖たちがキリスト教を守りつづけたことを、全世界は感嘆して受けとめたのです。
喜びもつかの間で「浦上四番崩れ」といわれる弾圧が始まり、およそ3400人が見知らぬ土地に流罪の刑を受けました。
鹿児島、萩、名古屋など(岡山県にも)20ヶ所が選ばれ津和野も加えれました。

キリシタンたちは厳しく改宗を責められましたが、信仰は厚くたやすく棄教させることははできず拷問(減食、氷のはる池に、 火あぶりなど)による改宗を行なったのです。年齢、性別をとわず殉教者をだしたのですが 五つの女の子モリちゃんの記録も 残っています。 
永井隆 著 「乙女峠」に詳しく記されています。

明治25年ビリヨン神父は、乙女峠の隣の谷、蕪差かに葬られた殉教者たちの遺骨を一つの墓に集めました。
なお第2次大戦後、ネーベル神父(岡崎神父)は乙女峠に記念聖堂を建てそのまわりの殉教地が祈りにふさわしい場所と
なるように心をこめ、力をつくしました。彼が始めた乙女峠まつり(5月3日)は全国から集まった数千人の巡礼者によって
乙女峠の聖母マリア(記録をお読みください)と殉教者たちを讚えるお祝いになりました。
                                       {一部を除き津和野カトリック教会 津和野乙女峠より}

私は今回が3回目でしたが今年で51回を数えるそうです。

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津和野カトリック教会





              御聖堂内部        畳敷きです


鐘が鳴りいよいよ行列の出発です           女の子は先生の鐘の合図で花びらをまきます      


                         
        広島、横浜教区の司教様        路地を通って

        教会から乙女峠まで行列をしながらロザリオの祈りと聖歌を歌います。                                        


お二人の司教様司式の野外ミサ



乙女峠のマリア聖堂